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 札幌の町並みは碁盤の目。

 京都の町並みをもとに整地された北海道の町並みは、多くの街が碁盤の目を模っている。札幌もその例に漏れない。そしてススキノも。

 一辺あたり一〇〇メートルちょっとの四角形のブロック。南北の方が極端に短かったりして長方形のような形の場所もあるけれども、ススキノは比較的どのブロックも正方形に近い。

 そんな風に土地が綺麗に仕切られていて、おまけに住所は「南○条西▲丁目」のように区画ごとに数字で表されているので、住所さえわかれば迷うことはまずない。


 だからこの「案内」は道を覚えるためというより、街の様子を見ておくためのものだとアズサは考えている。初日はいろいろな人に追いかけられてそれどころじゃなかった。

 初日と言えば、あの日は道警で稲垣と会った。あの時稲垣に問われたことをアズサはまだ訊いていなかったことを思い出した。


「そういえば、訊いてもいいですか?」


「っす?」


 アズサの声に、先を歩くイナバが振り返る。


「魔術管理法第七条を、イナバさんはどうお考えですか?」


「はは、なんすか、急に」


 彼らしいおチャラけた声でそう言う。


「一昨日、道警本部に行ってきたんですけど」


「ああ、稲垣サンっすか?」


 寸分の狂いもなくそう言い当てられたことには少なからず驚かされた。もしかしたら、彼らも初めてこのススキノに来た時に、稲垣かあるいはその先代か、同じことを問われたのかもしれない。


「あっしみたいなのに訊くより、おさかなさんにでも訊いた方がいいと思いやすよ」


「別に解答が欲しいわけじゃないんです。ただ、ススキノで暮らす人なら、私とは違うことを考えるのかなぁ……って」


「まあ、そうっすね……」


 後頭部を掻きながら少しだけ考える素振りを見せると、イナバはそっと口を開いた。


「あっしはとても恐ろしい法律やと思います」


「恐ろしい?」


 アズサは意図を汲みかねて首をひねる。


「この街では盗もうと壊そうと殺そうと、罪に問うことはできやせん。それは恐ろしいことじゃありやせんかね」


「でも、そのために私たちがいるんじゃないですか」


「はい、その通りっす。魔術統治局魔術開発特別区域管理課は、俗に実験場と呼ばれる魔術開発特別区域の治安維持のために派遣されています」


 実験場では外の法律は通用しない。だがもしも開発特区という制度がなければ、日本の魔術開発は他国よりもずっと遅れてしまう。魔術という画期的な新技術が芽吹いて間もない今、魔術の技術で後れを取れば、いつ始まるかもわからない次の戦争で手も足も出なくなってしまいかねない。


 だからこそ、管理法第七条は必要なものだとアズサは信じていた。


「……でも、アズサさん。あっしらはどうやって治安を維持すればいいんすかね」


「…………?」


 アズサはイナバの質問の意味を捉えられなかった。


「あっしらは、何に従って、何を以て、治安を維持するんでしょうか」


「それは――」


 もちろん、法律。


 そう言いかけた口を、アズサは閉じざるを得なかった。


 開発特区に法律は存在しない。

 では守るべき治安とはいったいなんなのだろう。

 人が人を罰することができるのは、人が法を犯した時だけだ。でも考えて見れば法律なんて地域や時代でいくらでも変わる。じゃあススキノで人を罰することなんて、治安を管理することなんてできるのだろうか。

 それが正しい答えであるという自信なんてかけらもなかったけれども、それでもアズサは答える。


「正義、ではいけませんか?」


 イナバは微笑む。


「あっしもそれしかないと思いやす」


 イナバがそう言って笑うのは、アズサを褒め称えているわけではもちろんない。


 自嘲だ。


 そんな曖昧な答えしか出せない自分たちへの嗤いだ。


「アズサさんのおっしゃる通りっす。あっしらは自分らの正義に従う他ないんす。たとえそれが誰かを傷つけなくてはならない状況になろうとも、あっしらは自身の正義を信じることしかできない。――それが魔管法第七条っすかね」


 イナバの解釈はアズサの意表をつくものだった。アズサはこれまで、教科書通りの歴史や法律、その意義を覚えてきただけだった。魔管法第七条が魔術開発の進歩に必要であるということしか理解できていなかった。


 魔管法第七条は、魔術開発特区における国家の不干渉を保証する。


 それは、お金よりも、道徳よりも、人の命よりも、魔術の開発を優先させる、という意味に他ならない。


 今、アズサの命の価値は、明日この場所で生み出されるかもしれない、いつかの未来百万人を助ける魔術よりも、低い。


 だからといって無差別大量殺人を看過しないために、アズサたちは居る。


 命の価値と。


 魔術の価値。


 両者を天秤にかけるのがアズサたちの仕事なのだ。


「少し喋りすぎやしたかね」


 この話はもう終わりだとイナバは前を向いて、もう振り返らなかった。



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