3-2

「こ、この無礼も――」


「んがぁあああああああああああああああ――――!!」


 突然、そんな何とも言えない奇声が、所内に響いた。


 叫び声をあげたのはアズサでもアリスでもなかった。


「死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね!!」


「な、な」


「また始まったか」


 声は客間ではなく、おさかながいるはずの資料室から聞こえてきた。声は明らかに常軌を逸しており、常人の喉から出ているとは思えないほどの甲高い声だった。

 少なくとも、民衆を守ることを使命とする警察官が、出していい声でも言っていい言葉でもなかった。

 アリスは慣れた足取りで資料室へと向かい、はんぺんの口に左手を突っ込むと、大きなハリセンを取り出した。


「目を醒ませ、アホ娘」


「ぐぁっ」


 実際にそれを受けたのおさかなであってアズサにはその痛みはわからなかったが、しかし音だけで言うならば、まったく容赦のないハリセンだった。


「アリスちゃん……」


「『ちゃん』はやめろと言うておろうに。儂の方が年上なんじゃぞ?」


「こいつらが酷いのよ。人のこと、行き遅れだの、年増だの……あたしはまだ二十六だっつーの!! あん!?」


 この二日間、態度や格好こそだらしないものではあったが、もう一人の先輩上司がそれよりも遥かにだらしないというか放任主義なせいで、アズサのおさかなに対する印象は悪くなかったのだが、そんなものは瞬時に瓦解した。


「そ、そんなことで?」


「そんなことじゃないのよ!!」


 アズサが自身の失言に気づくより早く、おさかなはデスクに両手を叩きつけ、立ち上がった。


「アズサちゃん!」


「はい!?」


「そんなことじゃないのよ」


 二回言った。


 おさかなと出会って三日。今この瞬間ほど真剣な表情を、アズサは見たことがなかった。


「いい、よく聞いて。アズサちゃん、新卒よね?」


「はい」


「二十二歳だったわよね」


「はい」


「…………」


「…………」


 部屋に沈黙が漂う。


「かーっ!! 二十五を超えるか否かでどうしてここまで価値観が変わるのよ!? 二十二だろうと二十六だろうと、処女は処女! ビッチはビッチ! そうでしょ!?」


「それ、私のことビッチだって言ってます!?」


「公僕とは思えん発言じゃの」


「二十六の未婚がネットを徘徊していたらいけないわけ!?」


「おさかなさん! 二十六歳ならまだまだお姉さんですよ!」


「そうよね、アズサちゃん! ありがとう!! 私はまだお姉さんじゃない! 乳が垂れてきたわけでも小じわが気になるほどでもない! ビキニも似合うお姉さんじゃない!!」


「…………」


 アズサがちょっと残念な顔をする。ビキニの似合わなそうな平らな自分の胸を見て。


「あたしはこいつらに面と向かって言い切れる自信があるわ! だからテメエらはモテねえんだよ童貞どもが!!」


「聞くに堪えんの」


 その間もおさかなは青白く光るディスプレイを見つめ、亜音速でタイプする手を止めない。


「あたしを敵に回したことを泣いて後悔しろ……。二度と面出して歩けないようにしてやる」


「やめんか、それこそ大人気ない」


「止めないで、アリスちゃん! 私はこいつらに制裁を下さなければならないの」


「ただいま戻りやしたー。今日もみなさん元気そっすね」


 玄関のドアが開き、イナバが散歩から戻ってきた。一縷の望みに賭ける思いで、アズサはイナバに縋った。


「イナバさん! おはようごさいます」


「おはよっす、アズサさん」


「おさかなさん、どうしましょうか」


「ああ、ほっといていいっすよ。いつものことっすから」


 確かにアリスもさっきそんな旨を言っていた気がする。


「それより、アズサさん、ちょっといいっすか?」


「はい?」


「ススキノの街を案内するっす」



  ***

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