お父様とお母様が事故でお亡くなりになってから、一カ月が経ちました。

 広い凍上のお屋敷には、もう私一人きり。

 人見知りでいつもお屋敷に籠っていた私には、訪ねに来てくださるお友達もおりません。

 一人は寂しい。外に出て、お友達を作りたいけど、私にはそんな勇気すらも無いのです。

 唯一、人との関わりがあるとすればそれは、お屋敷に食材を届けてくださる業者の御仁だけ。私にとってあのお方だけが、外界との関わりなのです。


 


 今日は火曜日。食材がお屋敷へと届く日です。

 私にとって、週に一度の楽しみ。

 池園いけぞの様に合える日なのですから。


「お嬢さん。今週分の食材を持ってきました」

「いつもご苦労様です」

「夏はやっぱり暑いですね」

「はい。汗ばんでしまいます」

「僕もです。シャツがもうびしょびしょだ」


 池園様は笑って、手ぬぐいで汗を拭いておられました


「それでは、トラックから食材を運んできますね」

「はい」


 池園様は、私より10歳年上の28歳。

 病に倒れたお父上に代わり、20歳で家業を継いだそうで、私が初めて池園様に出会ったのも丁度その頃でした。

 初めて出会ったお父様以外の年上の男性に、子供心に胸の高鳴りを感じたことを、今でも覚えています。

 今でもその気持ちに変わりはありませんが、私が池園様に思いを告げることは、恐らくないでしょう。

 池園様は既婚者ですし、奥様のことをとても大事にしていることも、よく知っています。

 ですから、気持ちは胸の内に留めておきます。池園様を困らせるような真似は、したくありませんから。


「お嬢さんも大変ですね。これからのことは、何か決まっておられるんですか?」

「今は何も。小さな夢はあるのですが」

「夢ですか?」

「お友達が欲しいんです……」

「なるほど」


 茶化すでもなく、池園様は、自分のことのように考えこんでくださいました。


「お嬢さん。お屋敷の外へと遊びに行く勇気はありますか?」

「……はい」


 このままではいけない。そのことは、私自身が一番理解しています。

 私は首を縦に振りました。


「次の日曜日に、妹と妹の友人達を連れて、海へ遊びに行く予定になっているんです。もしよろしければ、お嬢さんもご一緒しませんか? うちの妹は、お嬢さんと同年代だし、きっと仲良くなれると思うんです」

「よろしいのですか? 私などがご一緒しても?」

「もちろんですよ。妹たちには、話しを通しておきます」


 とても嬉しい。

 池園様の優しさに触れたことはもちろん、お友達が出来るかもしれないという期待感で、胸がいっぱいでした。


「それでは、日曜の午前10時にお迎えにあがりますので」

「はい。おまちしております」


 池園様を見送るのは、いつもなら物悲しいのに、この日はワクワクが止まらず、とても晴れやかな気持ちでした。

 今から、日曜日が楽しみで仕方がありません。


「何を着て行こうかしら」


 その日の内に、私は洋服選びを開始しました。

 籠りがちのくせに、お洒落は大好き。

 我ながら、変わり者だと思います。


 やはり、お気に入りのワンピースを着て行こうかしら?

 だけど、それだけじゃ物足りないし、あまり日に焼けたくないから、カーディガンも合わせようかな。

 外出のことを考えるのがこんなに楽しいなんて、初めて知りました。

 

「これにしよう」


 組み合わせは、純白のワンピースと濃紺のカーディガンに決めました。女の子ですもの、やはり自分を可愛く見せたいものです。


「日曜日が楽しみだわ」


 陽気になった私は、思わずダンスを踊っていました。

 エントランスの階段でステップを踏み、ポーズを決めてみたりします。

 日曜日。池園様の妹さんに会ったら、最初に何て声をかけようかしら。同年代の女性とお話しをするのは初めてだから、今から楽しみ――


「きゃっ!!!」


 瞬間、私の背筋は凍りました。

 ワンピースの裾を踏んでしまい、階段の頂上付近で、足を踏み外したようです。


「痛い――」


 バランスを失い、階下へと転倒。

 腕が、胸が、お腹が、お尻が、足が、転がり落ちながら打ち付けられていく。

 痛い! 痛い! 痛い! 痛い!


「うっ!」


 激しく打ち付けた肋骨にはしる痛み。

 肋骨が……折れた。


「嫌――」


 満身創痍の私の眼前に最後に飛び込んできたのは、手すりを支える頑丈な柱でした。

 体の勢いは、止まりません。

 頭が、ぶつかる――




 ――どうしてこうなるの?


 消えゆく意識の中で、私はとても悲しい気持ちになりました……

 せっかくお友達が出来そうだったのに、せっかく池園様がそういった場を設けて下さったのに……

 私はこのまま死んでしまうんだ……


 このお屋敷を訪ねてくる方は、滅多にいません。

 次に誰かが来るとしたら、それは日曜日に私を迎えに来てくださる池園様でしょう。

 あのお方に発見されるなら、それも悪くは……


 駄目よ! それだけは駄目!


 季節は真夏。

 日曜までこの場に放置されてしまったら、私の体は……

 そんな姿は池園様に見られたくない……

 醜い死体なんて、晒したくない……

 私は……


 ●●●


 日曜日。


「お嬢さん。お迎えにあがりました」


 呼び鈴を押しても中からの応答は無い。


「入りますよ」


 入口の鍵が開いていたので、池園は一言断り凍上邸へと足を踏み入れた。

 エントランスには、人の気配はまったく無い。


「お嬢さん。お迎えにあがりましたよ」


 やはり反応は無い。


「お嬢さん?」


 結局、池園は凍上美砂の姿を見つけることは出来なかった。

 この日以来。凍上美砂の消息は不明のままである。


 1960年7月13日


 ●●●


「私は、本当に独りぼっちになってしまった」


 予定通り日曜日に池園様は来てくださいましたが、あのお方には私の姿は見えず、声も聞こえていないようでした。

 どうやら私は、現世から一歩浮いた存在となってしまったようです。

 いっそ、天に召されてしまった方が幸せだったでしょう。

 私は家に囚われ、外に出ることは出来ません。

 当然、お友達を作る機会もありません。

 私がいなくなってしまったことで、池園様も、お屋敷への配達の任を終えられました。

 これで、私は正真正銘の独りぼっちです。


 寂しい、寂しい、寂しい。

 

 誰か、私の側に来て、私のお友達になって。


 私からは会いにいけない。誰か、このお屋敷に会いに来て。

 私とお友達になりましょう。私と一緒に、このお屋敷と一つとなりましょう。




「大きなお屋敷」

「麻紀、いつまで観てるの」


 外から声が聞こえ、私は自室の窓から庭を見下ろしました。人の気配を感じたのは、随分と久しぶり。


「あらあら」


 どうやら、二人の小さな女の子が、お屋敷の周りを探索していたようです。

 片方の女の子は退屈なようで、帰りたそうにむくれていますが、麻紀と呼ばれた女の子の方は、興味深げにお屋敷を見上げています。


「可愛いらしい子」


 麻紀さんの瞳はキラキラとしていて、夢見る乙女のようでした。

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