「俺は悪くない俺は悪くない俺は悪くない俺は悪くない――」


 自らの手で絞殺した恋人の亡骸を見下ろし、岡島おかじまは必死に自分を正当化しようとしていた。

 きっかけは、些細な口論だった。

 同じ業界に身を置きながらも、自分よりも成功を収めていた恋人が疎ましく、衝動的に悪態をついてしまい、恋人もそれに真っ向から反論した。

 そこから先は感情のぶつけ合い。

 沸々と湧き上がってきた激情を抑え込むことが出来ず、岡島が我に返った時には、すでに恋人を絞殺した後だった。

 学生時代から付き合ってきた恋人。

 どこか惰性で付き合っていた感もあったが、何だかんだでこの人と結婚することになるのだろうと考えていた。

 それがどうだ。迎えた結末は、殺人の加害者と被害者という形での死に別れ。最悪なんてものではない。


 ――どうしたらいい。


 自首しようという考えは、岡島には無い。

 どのようにして自らの過ちを隠蔽するかという方向に、思考は進んでいた。

 このまま自宅マンションに恋人の死体を置いておくことは出来ない。

 一時的にでも、死体を置いておけそうな場所はないだろうか。


「……あそこなら、誰も近寄らないだろう」


 一つだけ心当たりがあった。

 古びた洋館。あそこなら、条件にピッタリだ。


 ●●●


 午前1時過ぎ。

 凍上家のお屋敷に繋がる道の前に車を停めた岡島は、車のトランクから、恋人の死体を詰めたキャリーケースを下ろす。

 男とはいえ、人一人の死体を運ぶのは骨が折れる。キャリーケースを選択したのは正解だった。


「着いた……」


 お屋敷に到着した岡島は、入口を押し開け、段差を乗り越えるべく、死体入りのキャリーケースを持ち上げる。

 エントランスに入ると、岡島はキャリーケースのロックを外し、荒々しく恋人の死体を放り出した。

 物言わぬ屍と化した恋人は、死に際と同じ驚愕に見開かれた目で、虚空を見つめている。

 

「悪く思うなよ」


 岡島は、持参してきた道具を死体の側へと広げていく。

 自宅マンションでは厳しいが、ここでなら思う存分死体を解体することが出来る。改めて別の場所に遺棄するにしても、コンパクトなサイズにしておいた方が何かと便利だ。


「これで、殺人犯役も様になるかもな」


 思わず仕事のことを口にしながら、岡島は鉈を右手に握り、死体の右腕へとあてがう。

 もはや、恋人に対する愛情も、罪悪感も存在していない。

 今目の前にいるのは、岡島にとっては自分の未来に立ち塞がる、醜い肉の壁でしかないのだ。


『珍しいお客さんだ』

「誰だ!」


 突然のことに驚き、岡島は手にしていた鉈を手放してしまった。


「姿を見せろ!」


 周囲に気配は無いが、声がした以上、この館の中に第三者がいることは間違いないだろう。

 死体も、死体を解体しようとしている岡島の姿も見られたはず。このまま放っておくことは出来ない。


『おいおい、僕の声を忘れたのかい?」

「忘れるって……」


 どこか懐かしさを感じる若い男の声。場所が凍上家のお屋敷だというのもまた、運命めいてみる。


「まさか……大斗なのか?」

「久しぶりだね。守」


 エントランスの階段上に、ビデオカメラを片手に携えた大斗が姿を現した。

 その容姿は失踪当時と何も変わらない。

 彼の時は、17歳当時のまま止まってしまっている。


「何でお前が、お前は行方不明に……」

「来てくれて嬉しいよ守。また、一緒に映画を撮ろう」

「お前、何を言って」

「映画を完成させよう」


 ビデオカメラを手にしたまま、大斗がゆっくりと階段を下ってきた。

 喪ったとばかり思っていた友人が、当時と変わらぬ姿で語り掛けてくる。

 再会を喜ぼうなどという気持ちにはとてもなれず、理解の及ばぬ存在に対する恐怖心だけが心を支配する。

 

「君も、こっち側に来なよ」

「悪いが俺は、明日も仕事があるんだ。お前に付き合ってはいられない」


 こっち側というのが何を指すのか、守も直感的に察しており、明確な拒絶の意志を表す。

 落ち目に入りかけているとはいえ、これまでに俳優として積み上げて来た地位が守にはある。

 早く死体を処理し、何食わぬ顔で、俳優――岡島守としての日常へ戻らなくてはいけないのだ。

 

「頼むよ。人手が足りないんだ。僕と君の仲だろ」

「知らねえよ! 俺は、それどころじゃないんだ!」


 守は感情的に怒鳴り散らす。

 早くここを出て、死体を別の場所に遺棄しよう。

 そうしないと、精神がおかしくなってしまいそうだった。

 

「……なら、しょうがないか」

「分かってくれたならよかった……」


 友人だけあって、話しが通じる相手だったらしい。

 守はホッと息を撫で下ろすが。


 ――あれ? 鉈が無い……


 死体を解体する途中で落としてしまった鉈の姿が消えていた。

 

「出来れば、自分の意志で来てほしかった」

「えっ――」


 瞬間、守の首筋に衝撃が走った。厚い刃物が肉に食い込んだ感触と共に、視界が急激に霞む。


「何が……」


 倒れ込み際、意識を失いかけた守の目に映ったのは、鉈を手にしたセーラー服姿の少女の微笑みであった。


「……ごめんよ。君はすでに死んでいるから、一緒にはなれない」


 かつての友人である女性の亡骸に、大斗は語り掛けた。

 彼女が死んだのが、せめてこの洋館の中だったなら、一緒になれただろうに。


 ●●●


 後日。撮影現場に姿を見せず、連絡もつかなくなった岡島守の身を案じ、関係者が捜索願を提出。

 岡島守の動向を掴んだ警察が、凍上家のお屋敷に立ち入ったが、彼の姿は無く。お屋敷には、彼が殺害したと思われる恋人の遺体と、岡島本人の指紋がついた鉈だけが残されていた。

 警察は岡島守を殺人、死体遺棄の容疑者として全国に指名手配したが、彼の消息は未だ不明のままである。


 2007年5月21日

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