似
紺色のセーラー服を着た二人組の女子中学生が、お屋敷の前に立っていた。
「いつ見ても素敵」
三つ編みを後ろで一本にまとめた少女――
幼少期から憧れ、何度も外観を見に通った凍上家のお屋敷。メルヘンを愛する乙女にとって、西洋館はまさに夢の城であった。
「寂しいお屋敷」
麻紀とは対照的に、隣に立つ
頼子には麻紀のようにメルヘンを愛する趣味は無く、単純に、これだけ立派なお屋敷が、利用されることなく放置されていることを、どこかもったいなく感じていた。
凍上の家系が途絶えてしばらく経つが、いかに立派といえども、主の居ない館に何の意味があるのか、と頼子は思う。
「一度くらい、中も見てみたいな」
「中に入るのは流石に駄目でしょ」
「……だよね。入口にはいつも大きな錠がかかってるし」
「いやね。そういう意味じゃなくて」
錠が無ければ遠慮なく入るのかと、頼子は内心ツッコミを入れる。
麻紀は天然なところあるので、本当にそのつもりかもしれないが。
「周りを一周したら帰るからね」
母親が我が子に言い聞かせるかのように、頼子は言う。
きちんと時間制限を設けておかなければ、麻紀は何時までだってお屋敷の前に居座ってしまうからだ。
「――って、何やってるのよ」
頼子がちょっと目を離した隙に、麻紀はお屋敷の入り口の扉の前で、錠と睨み合っていた。
まだ中に入るのを諦めきれないのかと、頼子が呆れ顔で近づくと、
「これならいけるかな!」
突然、麻紀が近くに落ちていた大きな石を拾い上げ、あろうことか錠に打ち付け始めた。
「ちょっと、麻紀!」
友人の始めた突然の暴挙を制そうと、頼子が麻紀の肩に触れた瞬間、
ガシャン!
「開いた」
錆びて脆くなっていた錠が、麻紀が力任せに何度も石で叩いたことで破損し、外れた。
「開いた、じゃないでしょ! いくらなんでもやり過ぎ!」
天然だとは思っていたが、まさかここまで突拍子もない行動を取るとは、頼子も流石に想定していなかった。
不法侵入するために錠を破壊。器物損壊――犯罪だ。
「せっかく開いたんだし、中も見て行こうよ」
「本気で言ってるの?」
「本気だよ」
「あんた……」
麻紀は反省するどこから、無邪気な子供のように目を輝かせている。
そんな様子を見て、頼子の苛立ちは最高潮に達しつつあった。
麻紀にイラつかされるのは、今に始まったことではないが、今回ばかりは行動の度が過ぎる。
「行くなら麻紀一人で行きなよ。私はこのまま帰るから」
「え~一緒に行こうよ」
麻紀は頼子の胸中をまるで察せていない。おっとりとした物言いは、頼子を完全に怒らせてしまった。
「帰る!」
麻紀に背を向け、頼子は一度も振り向かぬまま、荒々しい足取りでその場を後にした。
「何怒ってるんだろ?」
一人残された麻紀は、不思議そうに頼子の背中を見送った。
「まあいいや。私だけで見て行こう」
●●●
「中も素敵!」
開放的なエントランスを見て、頼子は思わず飛び跳ねた。
まるで、映画館で観る洋画の世界だ。
こんなお屋敷で、お嬢様のように暮らしみたい。
夢見がちな乙女は、そんな妄想を膨らませる。
『お客様ね』
「誰?」
突如として聞こえて来た少女の美声。
一瞬、頼子が戻って来たのかとも思ったが、頼子の声とは明らかに異なる。
このお屋敷に住人はいないはず。それは、埃が積もり寂れた印象の館内からも明らかだ。声の主が誰なのか、麻紀にはまったく見当がつかなかった。
『こっちよ』
美声に導かれるまま、麻紀は入口から見て右側の廊下を進んでいく。
麻紀にはまるで警戒心が無い。今聞こえている少女の声に、無条件で安心してしまうような、柔らかい印象を感じていたためだ。
「この部屋?」
『そうよ。扉を開けて』
美声に促され、麻紀が扉を開けるとそこには、
「凄い……」
部屋には大きなスクリーンが備えられ、部屋の中心部には映写機が置かれている。住居の一室とは思えないような、とても豪奢なシアタルームだ。
「いらっしゃい」
スクリーンの影から、同性である麻紀でさえも思わず息を呑んでしまう、色白な美少女が姿を現した。
服装は柔らかな印象の純白のワンピースと、それを引き締めるシックな紺色のカーディガン。
気品漂う優雅な佇まいと、それを引き立てる清楚な装い。
この世のもとは思えぬ美貌。
目の前の美少女は、まさに麻紀の理想とするお嬢様であった。
「あなたが私を呼んだの?」
「そうよ。あなたは、子供の頃から何度もこのお屋敷を見に来てくれていたわね」
「私を見ててくれたの?」
「もちろんよ。ずっと、お友達になりたいと思ってた」
「私と?」
「そうよ。このお屋敷でずっと一緒にいられるお友達を、私はずっと欲していたの」
「このお屋敷で、ずっと?」
「そうよ。嫌?」
「ううん、嫌じゃない」
麻紀は即答した。
お屋敷に対する憧れは、少女の夢というレベルを超えている。
田舎娘として、このまま退屈な日常を過ごしていくのは耐えられない。
お屋敷で暮らせるというキーワードは、麻紀にとって今の、これまでの、これからの人生を捨て去るだけの魅力を持っていた。
「あなたのお名前は、確か麻紀さんだったかしら?」
「そうよ、私は麻紀。あなたは?」
「
「こちらこそよろしく、美砂さん」
宝玉のように澄んだ美沙に瞳に見つめられ、麻紀は鼓動の高鳴りを感じていた。
憧れの象徴ともいえる美しいお嬢様が、自分を友人と認め、名前を呼んでくれている。その幸福感は計り知れない。
「でもね。今のままでは、私達は本当の友達にはなれない」
「どうして?」
「私達は、異なる存在だから」
「どういうこと?」
「私はもう、生者ではないから」
「じゃあ、私がそっち側に行くよ」
麻紀は即答した。
天然の麻紀とて、自身の発言が何を意味するのかは分かっている。その上で、彼女の瞳には迷いが無かった。
「いいの? お友達もいるのでしょう」
「頼子のこと? あの子は友達とは少し違うかな」
「じゃあ、あの子は何?」
「私の自由を奪う、
無感情にそう言うと、麻紀は美砂の側に行くために必要な道具を求めて、調理場の方へと向かった。
●●●
数時間後。夕暮れ時を迎えたお屋敷の前に、頼子の姿があった。
幾分かの冷静さを取り戻し、仲直りのために麻紀の家を訪れたのたが、彼女が自宅に戻っていないことを知り、まだお屋敷にいるのだと思い戻って来た。
「ちゃんと仲直りしようよ」
お屋敷のエントランスで呼びかけてみるが、返答は無い。
怒っているのだろうかと、頼子は少し不安になる。
「一人で帰っちゃったのは謝るよ。ごめん、ちょっと頭に血が昇っちゃって」
再度呼びかけるも、やはり返答は無い。
「麻紀。いるの?」
麻紀の性格を考えると、悪戯でどこかに潜んでいる可能性もある。頼子は呼びかけながら、館内で麻紀の姿を捜す。
「隠れてるなら出て来てよ。怒らないから――」
調理場らしき部屋に呼びかけてみるが、人の気配は無い。
不自然に一本だけ包丁が床に落ちていたが、麻紀を捜すのに夢中だった頼子は、そのことには気づかなかった。
「麻紀。どこ?」
館内を一周しても、麻紀の姿を発見する事は出来なかった――
この日が、頼子と麻紀の今生の別れだった。
1970年10月8日
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