腕 

「今年は、ホラー映画を撮ろう」


 夏休みを迎えた祓川はらかわ高校の映画研究会の部室で、部長である大斗ひろとが、部員たちにそう呼びかけた。

 10月に行われる文化祭で上映するための作品を夏休み中に撮影することは、映画研究会の慣例となっている。


「去年はミステリー、一昨年は青春ものだったし、確かに、今年はホラーが無難かもな」


 大斗とは中学時代からの友人で、甘いマスクと180センチ越えの長身が印象的なまもるが頷く。守は映画研究会の看板で、自主製作映画で主演を任されることが多い。

 昨年文化祭で上映した作品で見せた守のクールな表情は、多くの女子生徒を虜にし、10カ月以上が経った今でも、ファンレターが後を絶たないでいる。


「私も賛成よ。ホラー映画の演技には興味がある」


 女優兼、衣装係を務める真彩まあやも賛成する。

 美形な顔立ちの真彩もまた、映画研究会の看板であり、男性ファンはもちろん同性からの人気も高い。

 守とは恋人同士であり、美男美女のカップルとして校内では非常に有名だ。守に届くのがラブレターではなくファンレターなのも、真彩の存在が関係しており、真彩には敵わないと諦めている女子生徒達は、ラブレターではなくファンレターという形で守のことを慕うのである。


「ホラー映画か……私は少し苦手だな」


 一人だけ消極的なのは、衣装係兼、大斗と共に脚本も手掛ける璃子りこだ。

 映画作りは好きなのだが、昔から家鳴り一つでもビクついてしまう怖がりなので、他の部員ほど、ホラー映画作りに対し、積極的にはなれていなかった。


「大丈夫だよ。刺激の強い作品にはしないつもりだし、怖い話が苦手ながら、今回は僕が主体で脚本を進めるから」

「それなら、まあ」


 大斗の言葉に璃子は頷く。

 怖いの苦手だが、ホラー作品を作ること自体には興味がある。

 映画研究会属している以上、やはり映画作りの魅力には抗えないのだ。


「大まかな内容なんかは決まってるのか?」

「脚本という意味でならまだだけど、舞台はもう決めてる」

「まさか」

「そう、凍上とうじょう家のお屋敷だよ」

「だと思ったよ」


 守は苦笑し、真彩と璃子は、キョトンとした様子でお互いの顔を見合わせている。


 凍上家とは、この界隈では有名な洋館である。

 戦前に、地元の盟主であった凍上家の主人が立てた洋館――通称『お屋敷』。

 主亡き後、お屋敷は再利用されることも、取り壊されることもなく。時間の経過とともに寂れてしまい、地元の子供達には、幽霊屋敷などと揶揄されている。


 古びた洋館。

 ホラー映画の撮影において、これ程適した場所は存在しないだろう。


「でも、今は使われていないとはいえ、たぶん所有者がいるはずでしょ? 流石に無断で立ち入るのは……」

「何度か近くを通ったことはあるけど、管理者が常駐している様子は無いし、ばれなきゃ大丈夫だよ」


 常識人かつ心配性の璃子を、大斗が宥める。

 お屋敷は森の方にあり、周辺には民家も少なく、人目につきにくい。

 自身の良心さえ説得出来れば、問題は無いのである。


「俺は賛成だぜ。せっかく近場に雰囲気抜群の撮影スポットがあるんだ。使わない手は無いだろう」

「私も賛成よ。お金だってかからないし、良いことづくめじゃない」


 未だに乗り切れない璃子に反し、守と真彩も大斗の意見に賛成した。


「……分かった。みんなが賛成なら、私もそれでいい」


 常識人かつ心配性の璃子だが、それ以上に押しに弱く、集団の中で自身が少数派なら、多数派に流されてしまう傾向がある。


「よし、じゃあ、撮影場所は決まりだね」


 大斗は、優しい顔をしてなかなかに狡賢い男だ。作品の完成度を優先的に考える守と真彩は、お屋敷での撮影に絶対に賛成してくれるし、難色を示すであろう璃子は、多数派に逆らう程の積極性は持たない。この案は絶対に通ると、大斗は最初から確信していた。


「まずはイメージを確かめるために、ロケハンをしようと思う。明日の正午に一度部室に集まって、それからお屋敷の様子を見に行こう」


 部員からは異論は無く(璃子だけは、やや不満気に俯いていたが)、翌日のロケハンが決定した。


 ●●●


 翌日。お屋敷の前へとやってきた一行は、間近で見るお屋敷の荘厳たる雰囲気をその身に感じ、気持ちの昂りを感じていた。

 

 凍上家のお屋敷は、煉瓦れんが・鉄筋コンクリート造の二階建て。外観はネオ・バロック様式を基調としており、芸術性も高い。

 窓の数を見るに、部屋数は軽く20を超えているだろうか? 建物の面積もかなりのもので、改めて立派なお屋敷なのだということを実感させる。


「立派なお屋敷ね」

「ああ、まるでファンタジーの世界だ」


 演者である真彩と守は、想像以上に美しい舞台を見て、興奮を隠せない様子だった。

 経年劣化により、確かに寂びれた印象は受けるが、建造物としてはまだまだ現役のように思える。


「凄い……」


 撮影に乗り気でなかった璃子でさえも、お屋敷に見入っていた。


「さてと、中も見てみようか」


 ビデオカメラを回して外観を撮影していた大斗が、お屋敷の入り口である両開き扉を示す。


「でも、鍵とかかかってるんじゃ」

「心配ご無用。昔、誰かが錠を壊したみたいで、出入りは自由さ」


 大斗のビデオカメラが、扉の隅に落ちている錆びた錠を映し出す。

 実は撮影を提案する前日に、大斗はお屋敷への侵入が可能かどうかを確かめていた。いざ当日に訪れてみて侵入が不可能なら、二度手間になってしまうからだ。


「それなら問題無いな」

「そうね」

「……問題大ありだと思うけど」


 やはり、璃子と他三名の温度差は変わらない。


「それじゃあ、開けるぞ」


 ビデオカメラを回す大斗に代わり、守が扉を押し開ける。

 扉が動いた瞬間に積もった埃が宙を舞い、女性陣はハンカチで口元を覆う。


「中も凄いわね」


 お屋敷の中に踏み込んだ一行の目に最初に飛び込んできたのは、赤いカーペットの敷かれた大きなエントランスだ。

 エントランスの中央部には、二階へと通じる大きな階段が備えられており、左右には、やはり赤いカーペットの敷かれた長い廊下が伸びている。

 地方の高校生に過ぎない四人にとって、お屋敷の中は異国そのものであった。


「思ったよりも綺麗だな」


 周辺をぐるりと見やり、守が言う。

 積もりに積もった埃や、柱と柱とを結ぶ蜘蛛の巣、壁の日焼けなど、確かに内部は古びているのだが、荒らされたり、損傷したりといった様子は見られない。綺麗に掃除さえすれば、そのまま住居として活用出来そうな印象だ。


「さてと、ロケハンを開始しようか」


 大斗がパンと手を打ち鳴らし、ロケハンというの名の探索が開始された。


 ●●●


「凄いな。ピアノまであるのか」


 一階の西側の部屋には、一台のグランドピアノと、多くの譜面が収納された棚が残されていた。

 このピアノ部屋は、ホラー映画の撮影にも活用出来そうだ。

 

「監督的には、この部屋はどう活用するつもりだ?」

「ベタに、誰もいないのにピアノが鳴り出すとかかな。ピアノを映したまま、別の音源から曲を流す感じで」


 男性陣は、楽し気に映画作りの構想を練っていた。


「その気になれば、ホラー以外の撮影に使えそうね」


 真彩はさして気にすることなく、煤けた楽譜を手に取り、流し見する。

 そんな真彩の姿に、璃子は眉を顰めており、


「……よく触れるね。何か、怖くない?」

「そう? 私はあまり、そういうのは気にならないけど」

「かっこいい……」


 相変わらず真彩は肝が据わっているなと、璃子は感心した。

 どうりで、守とも釣り合うわけだ。


「次は、どの部屋を見てみようか?」

「書斎でいいんじゃないか。近いし」


 守が先頭に立ち、真彩、璃子の順にピアノ部屋を離れ、大斗が最後に部屋を出ようとするが、


『今日は素敵な日だわ。お客様がたくさん』

「えっ?」


 不意にピアノの方から女性の声が聞こえたような気がし、大斗は振り返ったが、そこには誰もいなかった。


 ――雰囲気があり過ぎるのも、考えものかもね。


 古びた洋館という場所が感じさせた気のせいなのだろうと、大斗は結論付けた。


 ●●●


 お屋敷に立ち入ってから早一時間。目ぼしい部屋はあらかた見終わったため、一行は自由行動に切り替えていた。

 大斗と璃子は一階を、守と真彩はデート感覚で二階を見て回っている。


「ホラーだし、やっぱりここも定番かな」


 大斗は一階にある調理室を、ビデオカメラで撮影していた。

 驚くべきことに、調理器具の類もそのまま残されており、錆びついた調理器具の数々が目に留まる。

 自作の小道具よりも、お屋敷の中にあるものを利用すれば、より説得力のある絵が取れるのではないかと、そんな知恵を巡らせる。

 大斗の考えは、より良い映画を作るという一点に向いており、人様の家の物を勝手に使うことに対する罪悪感など、まるで働いていないようだ。


『凄いわ。最近の学生さんたちは、自分で映画を撮ってしまうのね』

「……」


 気のせいだと切り捨てた声が、再び大斗の背後から聞こえて来た。

 すぐさま振り返るが、やはり人の姿は無い。

 

 ――まさか、本当に何かいるのか?


 一度目なら気のせい、二度目なら偶然で片づけられるが、似たようなことが三度起こればそれは何だろうか。


 ――綺麗な声だったな。


 不思議と不気味さは感じなかった。

 その声はまるで、純粋な好奇心に満ちた少女のような――


「大斗」


 大斗の思考が一時中断される。直ぐ側のダイニングにいた璃子が、キッチンと繋がる扉から顔を覗かせていた。


「何だ、璃子か」

「何だ、はないと思うけど」

「ごめんごめん。少し考え事をしていて」

「考え事?」


 大斗は、心の中で舌打ちをしていた。

 璃子ではなく、あの声の主からの、三度目の問い掛けなら良かったのに。

 自然と、そんなことを思っていた。


 ●●●


「もうすぐ日が暮れるし、今日のところはこれで終わりにしよう」


 エントランスに集合し、大斗は部長としてそう宣言する。

 一応全ての部屋の様子はビデオカメラに収めたし、撮影場所としてのイメージもある程度は固まってきた。

 これ以上長居する理由は無いし、お屋敷から町の方までは少し歩くことになる。安全のためにも、日が落ちる前に切り上げた方が無難だ。


「いい撮影場所になりそうだな」

「本当ね。璃子も、考えが変わったんじゃない」

「確かに、舞台としては魅力的だと思う」


 何だかんだで、璃子を含めた全員が、今回のロケハンには満足したようだ。

 これから本格的に始まる撮影に胸を膨らませながら、次々に屋敷を後にしていく。


「忘れ物は無いな」


 最終確認を終え、大斗も三人に続き屋敷を出ようとすると、


『また来てくださいね』


 三度目。

 不思議と、大斗の表情に驚きの色は浮かんでいなかった。


 ●●●


「綺麗だ……」


 自宅へ戻った大斗は、お屋敷で撮影したビデオカメラの映像に心奪われていた。

 「綺麗だ」というのは、建物の造詣や内装に対する感想ではない。映した覚えなどない、の姿を画面上に確認したからだ。

 レースをあしらった純白のワンピースに、濃紺のカーディガンを合わせた清楚な印象の少女。年の頃は大斗と同年代のように見え、染み一つない白い肌と流れるような漆黒の髪とのコントラストが美しい。文字通り、この世のものとは思えない美しさを少女は放っていた。

 初めて声を感じたピアノ部屋を映した映像には、窓際に静かに佇む姿が、調理場には興味深げに大斗の方を見る――カメラ目線となっている姿が、帰り際にエントランスを映した映像でも、ビデオカメラに向かって名残惜しそうに手を振る姿が、それぞれしっかりと映り込んでいる。

 目視では気づかず、映像にだけ映り込んでいた少女。彼女が生者でないことは明白であったが、大斗とにとってそれは、些末な問題でしかなかった。


 今の大斗の意識は、少女の美しさの方にしか向いていない。


「君こそがヒロインだ」


 映画製作者として、何よりも男として、大斗は完全に少女の虜となっていた。

 大斗にとってこれは、人生初の一目惚れでもあった。


 ●●●


 その日の内に、大斗は再びお屋敷の前を訪れていた。

 時刻は午後11時を回っている。親の目を盗んで自宅を飛び出し、自転車を漕いで、無我夢中でここまでやってきた。

 直ぐにでもあの少女に会いたいと思った。

 手にはビデオカメラも握られている。これは、目視出来なかった場合に対する保険だ。


「君はいったい誰なんだ?」


 お屋敷に入るなり、大斗はエントランスで問い掛ける。

 月明かりだけでは心持たないので、持参してきた懐中電灯で周囲を照らしてみるが、少女らしき姿は確認できない。


『こっちへいらして』


 二階の方から、昼間と同じ声が聞こえた。

 大斗は迷うことなくエントランスの階段を駆け上がり、二階へと足を踏み入れる。


『さあ、早く』


 美声に導かれ、大斗は二階の西の角部屋の前までやってきた。

 この部屋は、シングルベットと大きなクローゼット。姿見、化粧台などが置かれており、かつては若い女性が暮らしていたと思われる部屋だ。

 緊張した面持ちで、大斗はドアノブに手をかけ扉を押し開ける。

 緊張は恐怖から来るものではなく、魅力的な異性と対面を果たす際の、気恥ずかしさに近いものであった。


「やっと、会えた」


 大斗は、構えていたビデオカメラを下ろす。

 見える。

 目視にも関わらず、大斗の目には、映像で見たのと寸分違わぬ、色白の美少女が映り込んでいた。


「私の姿が、見えているのね」


 少女は化粧台の椅子に腰かけ、魅力的な微笑みで大斗を迎えた。


「見えるよ。昼間は見えなかったのに、今は君の姿がはっきりと見えるし、声もはっきりと聞こえる」

「嬉しい」


 穢れの無い純粋な笑みに釣られ、大斗も思わず微笑んだ。


「ここではなんですし、エントランスの方へと行きましょう。あそこは月明かりが綺麗ですから」

「そうだね」


 少女に賛成し、大斗はその後に続いた。

 大きな窓から差す月明かりが廊下を照らしくれるので、懐中電灯の電源も切った。


「あなたたちは、映画を作っているの?」

「そうだよ。秋の文化祭で上映するんだ」

「最近の学生さんは凄いのね」


 少女の背中は、大斗の目には寂し気に映っていた。


「君は、とても魅力的だ」

「私が?」

「君をヒロインにして、映画を作りたいくらいだよ」

「お上手ね」

「僕はお世辞は言わないよ。素直なのが取り柄だから」

「面白い人」


 会話を交わしている内に、エントランスの二階部分まで到着した。

 少女は大きな窓を背に月明かりに照らされ、大斗は少女の向いに構え、手すりに肘と背を預ける。

 いつまでも眺めていたいと思える程に、月明かりに照らされた少女の姿は美しい。


「ねえ、私とお友達になって」

「もちろんだよ。僕なんかで良かったら」

「嬉しいわ。これで、お友達が増える」

「僕以外にも、友達がいるのかい?」

「ええ、女の子が一人」

「へえ――」


 瞬間、手すりにかけていた大斗の肘が、何者かに掴まれた。


「えっ?」

「あなたが、新しいお友達ね」


 背後から聞こえる別の少女の声。

 何事かと思い、大斗が何者かの拘束を振り解こうとするが、拘束は思いの外強く、男の力をもってしてもビクともしない。


「お友達になるには、同じ立場になってもらわないと」

「何を……」

「私と、私達と、この館と、一緒になりましょう」

「待っ――」


 少女が蠱惑的な笑みを浮かべた瞬間、猛烈な勢いで後方に引き寄せられた大斗の体は手すりを乗り越え、頭からエントランスの一階へと落下した――


 ●●●


 大斗は行方不明となった。

 母親からの捜索願を受け、警察が近隣を捜索。

 お屋敷の前で大斗の自転車を、内部で大斗の物とみられる懐中電灯が発見されたが、大斗本人及び、大斗の持ち出したビデオカメラが発見されることは、終ぞ無かった。

 エントランス一階には、何かが落下した跡と思われる真新しい損傷が見受けられたが、血液反応等はなく、大斗の失踪との関連性は不明である――


 1997年7月30日

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