路上で目覚めた少年の話(その9)

「脳波分布に偏差が見られます……被験者は夢の中で極度の興奮状態にあると推測されます」

 若い女の研究員が言った。

 それに答えるように、上司……白衣を着た中年の男が命令を下す。

「よし。いいぞ……このまま興奮状態を維持することが出来れば、いずれ脳は覚醒段階に入るだろう。計算どおりならば、な……しかし、ここであっさり被験者に目覚められても詰まらん。追試や他のテーマの実験もある……今日のところは試験終了だ。脳へのパルス送信を停止しろ」

「はい」

 女の研究員は、画面上の停止ボタンをクリックした。

 鉄の箱に埋め込まれたランプのうち、半分が消えた。

「よし……いつも通り、モニタリングは怠るなよ。私は地上うえへ戻る」

「はい」

「お疲れさまでした」

 若い男女の研究員の声を背に、中年の上司は実験室を後にした。

「ふう。やれやれ……相変わらず教授は強面こわもてだな」

「山本くんが悪いんでしょ、勝手にあんな物体オブジェクト・データをインストールするなんて……」

「ふふん……あのオブジェクトが特異なのは、見た目だけじゃないんだな」

「ええ! まさか山本くん、教授の許可も無しにオブジェクトに何か訳じゃないでしょうね?」

「その『まさか』さ……このままあのパワハラ教授の下で言いなりになってたんじゃ、何年たっても芽が出ないからね。こっちは、こっちで勝手にサンプルを仕込んで実験データを収集して置かないと」

「で、でも、それじゃあ……」

「予想値と結果の乖離かいりが大きくなり過ぎるって? いいんだよ……教授に提出するデータは後で僕がでっち上げておくから。嘘のデータを自動生成するスクリプトまで作ったんだぜ」

「そんな……」

「大丈夫だって。絶対バレないよ。あの教授、大学の人間関係だけで上がったタイプでしょ。偉そうにしているけど、頭のは僕らよりずっと下さ……西山さんだって本当はそう思っているんだろ? 『自分のほうが頭が良い』って」

「まあ……時々は……」

「それより、今回、被験者に仕込んだオブジェクトの中身、聞きたくない?」

「ええ? べ、別に……」

「別に……って言っても、顔に書いてあるぜ。『興味津々』って」

「そんな事……」

「西山さんは聞きたくなくても、僕は自慢したいから、言ちゃうよ……嫌なら耳ふさいでなよ……今日、被験者あいつの夢の中に送り込んだオブジェクトには、ね……いわゆる人工知能が搭載されているんだ」

「じ……人工知能?」

「夢の中で自動的に周囲の状況を収集し、蓄積し、判断し、行動する……そのフィードバック・ループ・プログラム」

「じゃあ……」

「そう……あのオブジェクトは、被験者の夢の中で、被験者自身の思考とは独立して考え、行動する……つまり被験者の夢に紛れ込んだ、として活動する。それは、やがて被験者が作り上げた『夢の世界』の安定性を破壊し、そのショックで被験者を目覚めさせる」

「そんな事……教授に隠し通せるわけないじゃない……いつかバレて……」

「僕、じつはA製薬からスカウトされてんだよね……入社したらいきなり上級研究員待遇を約束されている。手土産てみやげは今回の実験データと僕の作った『脳の中で自在に動き回る人工知能搭載の自立型オブジェクト』だ」

「それって犯罪でしょう? 大学に知られたら損害賠償訴訟だって……」

「大学を辞めてA製薬に入社しちゃえば大学も教授も手出しできないって。だって、この実験自体、非合法で非人道的な秘密プロジェクトなんだから。訴えようにも訴えられないさ……そんな事より、製薬会社のスカウトに言われているんだけど…………つまり」

「ま……まさか、私を……」

「そう。その、まさか。西山さんだって、あのパワハラ教授の下で一生実験データ集めをさせられるなんて、まっぴらでしょう? 僕から製薬会社の方に話をつけてあげても良いよ」

「ほ、ほんと?」

「うん……その前に条件面とか、いろいろ話しておきたいんだけど……どう? 今夜、僕の部屋に来ない?」

「ええ? うーん……じゃ、じゃあ、お言葉に甘えて、おじゃましちゃおうかな?」

「西山さん、ワインとか好き?」

「うん、まあ、たしなむ程度には」

「僕、こう見えてワインにはちょっとうるさくてさ……偶然だけど、ちょうど今、僕の部屋に最高に旨いワインが置いてあるんだよ。まあ、ちょっと値は張ったけどね。それを飲みながら話し合おうよ」

「え? ええ……で、でも、わざわざ私のために高いワインの栓を抜かなくても……」

「良いんだよ。じゃんじゃん飲んじゃってよ。酔っぱらう位に、ね」

 さすがに男の研究員の嫌らしい顔にゲンナリし始めた女の研究員……西山は、話を変えようと、チラリとモニターを見た。

「そ、それにしても山本くんが今回作ったオブジェクトの外観……さすがにブッ飛び過ぎじゃない?」

「そう? 僕はそうでもないと思うんだけど……それさあ、僕が学部生時代に趣味で作ってピクンシブっていうイラスト投稿サイトにアップロードした3Dモデルをもとにしてるんだ。自分では結構イイ線いってると思うんだけどな」

 二人の視線の先では、被験者しょうねんの頭の中に送り込んだ3D物体オブジェクト・データが画面の中でくるくると回っていた。

 巨大な双頭の黒馬にかれた、二輛連結式の黒い馬車のモデルが……


 ……「路上で目覚めた少年の話」……終わり。

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