路上で目覚めた少年の話(その7)

 再び食堂ダイニングはモリオと名付けられた少年と佐多三吉博士の二人きりになった。

 モリオ少年は、ブザーが鳴って以降むずかしい顔をしている佐多博士から視線をらし、天井の赤ランプを見た。

「あれは、ひょっとして玄関のボタンに通じているのですか?」

 沈黙に耐えられなくなったモリオ少年が佐多博士に聞いた。

 博士がうなづく。

「そうだ……玄関のスイッチと各部屋のブザーおよび赤ランプをつないだだけの単純な回路だよ。何しろ、広い屋敷だからね。住人の利便性を考慮して、こんなものを備え付けたんだろう」

「それにしても、ずいぶんおもむきのあるお屋敷ですね」

「和洋折衷建築とでも言うのかな……洋風建築の部分は、アール・デコ調で統一されている。第二次世界大戦前の大富豪が建てそうな家だな……」

「このお屋敷も……壁も、天井も、僕の着ている服や、コーヒーカップやスプーンまでもが『誰かの夢』だというのなら、その『夢を見ている人』は、第二次世界大戦前に生きていた……いや『生きている』と言ったほうが良いのか……人なんでしょうか」

「そうとも限らんだろう。私には、二十一世紀の日本社会に生きていたという記憶がある。だとすれば、むしろ『二十一世紀の人間が昔の夢を見ている』可能性のほうが高い。二十世紀の人間が二十一世紀の知識をもって夢を見ることは出来ないから、な」

「逆に、二十一世紀の人間が、昔の人の暮らしを想像して夢を見ることは出来る、と」

「そうだ……まあ『その二十一世紀の記憶』こそが誰かの想像の産物だという事だって充分考えられる訳だが……」

「疑いだせばが、ない……という事ですか?」

「何しろ、ここは夢の世界。『何でもあり』だからな」

 モリオ少年は内心「やれやれ」と思った。

(この世界そのものが夢だ、というのが妄想だとしても……いや、百パーセント妄想なんだけど……それをこの佐多三吉博士と名乗る男や、その娘で人工人間のミヨ子だと自分で思い込んでいる少女に分からせるのは、なかなか難しい事だぞ……この〈博士〉が言う通り、世界が夢だと証明するためには、世界の外側に行くしかないんだ)

 突然、食堂の扉が大きな音を立てた。

「何だ、ミヨ子……そんな乱暴に扉を開けたりして……玄関で呼び鈴を鳴らしたのは一体いったいどんな奴だった……」

 言いながら、佐多博士は入口の方に視線を向け、驚きに目を見開いた。

 その博士の挙動を不審に思い、モリオ少年も食堂の入口を振り返って見た。

 和服姿の美少女、ミヨ子が立っていた。

 その隣に、スーツ姿の美少年。

 黒髪をピッチリ七三にで付けた、細面ほそおもての美少年だった。

(……佐多博士に似ている)

 モリオは入口に立つ美少年を見て思った。その美少年のヌラヌラと白く光る頬が、彼の顔を爬虫類のように見せていた。

 色素欠乏症アルビノの爬虫類のような不気味さを持った美少年は、ミヨ子の小さな顎先あごさきを親指と人差し指で軽くまみ、クイッと持ち上げて彼女の顔を天井に向けさせていた。

 和服姿の美少女の細く白い首が伸びきって、美しいのどあらわになっていた。

 少女の首を伸ばしただけでは物足りないらしく、美少年は、あごまんだ手をさらにクイッと上に持ち上げた。

 ミヨ子が苦痛の呻き声を上げ、背伸びをするように爪先立つまさきだちになる。

 美少年は、少女のあごを摘まんだまま、一歩、二歩、食堂の中に侵入して来た。

 ミヨ子は抵抗もせず、まるで鼻輪を握られた雌牛めすうしか何かのように、爪先立つまさきだちのままヨロヨロと美少年に引かれて食堂に入る。

「ミ、ミヨ子さん……」

 あまりに情けない美少女の姿を見て、モリオは思わず椅子から立ち上がった。

「ふうん。君が通称『モリオ』くんか……なるほど……このデク人形……人工人間第二号……ミヨ子が惚れている少年か」

 ミヨ子のあごつかんている美少年が半笑いでモリオ少年の顔を見た。

「森の奥の一軒家、天才科学者。人工人間で和服姿の美少女、記憶喪失で自分の名前も言えない少年……まったく、面白いな…………矛盾した言い方だが……創造主である僕自身でさえ想像も出来ない展開だ」

「僕の夢? 創造主? 何を言っている?」

 佐多博士がうめくような声で入口に立つ美少年にたずね、その直後、『まさか』という顔になる。

「も、もしや、君は……」

「そうさ……さっきまで、そのモリオくんと話していたんだろう? この世界は全て誰かの見た夢なんだ、って……僕がその誰か……つまりこの世界を作り上げた全知全能の〈創造主〉さ」

「ば、馬鹿な……そんな馬鹿な話があるものか……いきなり小僧がやって来て『自分が夢のあるじだ』などと……他人の屋敷にズカズカと乗り込んで来て……ま、まずは名乗りたまえ!」

「おやおや……この世界は『誰かの夢』だ、っていうのは……佐多博士、あんたの持論だろう? 何も頭ごなしに否定する事は無いと思うけどね。それに……名前? 馬鹿馬鹿しい。全知全能の世界の〈創造主〉に名前なんて必要かい? ああ、まあ神様にも名前はあるか……じゃあ、適当に『夢見ゆめみ玄鬼郎げんきろう』とでも自称しようか」

「しょ、証拠は何だ? 証拠を見せてみろ! 貴様がこの世界の『夢のあるじ』という証拠を見せろ」

 そう叫んだ佐多博士を、モリオ少年は振り返って見た。

 ……このひとは……佐多博士は、入口に立つ少年の言葉を信じ始めている。

 多少でも可能性があると思っていなければ、真顔で「証拠を見せろ」などとは言わない。鼻から相手にしないだろう。

「証拠ねぇ……」

 入口でミヨ子のあごまんで持ち上げ、爪先立つまさきだちの情けない格好で恥をかかせている美少年……夢見ゆめみ玄鬼郎げんきろう……は、博士を馬鹿にしたような目で見つめて言った。

「今さら、そんなものを見せなくても、博士は既に、僕がこの世界の〈創造主〉であるという事を信じてしまっているじゃあ無いですか……僕には博士の心の中が手にとるように分かる。何しろ、この世界は全て僕の夢だ……博士、あなた自身、僕の夢の産物だ。僕の作ったまぼろしなのだ。何を考え、どう行動するか……すべて僕の思いのままだよ」

 そして、肩をすくめ見せる。

「まあ、良いでしょう……証拠を見せよ、証明せよというのなら、ちょっとした余興を見せてあげても良い」

 玄鬼郎げんきろうは、ミヨ子のあごつかんでいた手を放した。

 着物姿の美少女は、少年の手から解放されたというのに、相変わらず爪先立つまさきだちであごをツンッと上に挙げ、白いのどをモリオと博士にさらしている。

 爪先立つまさきだちがつらいのか、それとも屈辱からか、少女の全身がふるふると震えているのがモリオにも分かった。

「どうです? あなたの『娘』のミヨ子さんは、僕が手を放したというのに、まだ、こうして爪先立つまさきだちで全身を震わせてるじゃあ、ありませんか? まず、これが何よりの証拠ですよ。この世界は僕の夢、僕が作り上げたまぼろしだ。だからどんな理不尽だって通用する。僕が一瞬『動くな』と念じただけで、この世界のあらゆる物は永遠に動きを封じられる。それは、この美しい少女だけではない……博士と……それから、この人工人間に恋をしている少年……」

 言いながら、玄鬼郎げんきろうは博士からモリオへ視線を移した。

「気づいているかい? 君たちも既に僕の『金縛りの術』に掛かっている事に」

 そう言われて初めて、モリオは自分の体が少しも動かないことに気づいた。

 まるで足の裏からゆかに根が生えてしまったみたいだ。

「金縛りの『術』と言っても、何か特別な事をした訳じゃない」

 玄鬼郎げんきろうがモリオをにらんで言った。

「ただ、単に『動くな』と心の中で念じただけさ。なにしろここは僕の見ている夢の中だからね。心の中で思うだけで、どんなに奇妙奇天烈きてれつな事でもその通りになるんだよ……その証拠に、これからちょっと面白い『見世物みせもの』を披露するよ……この人工人間を作った『父親』の佐多博士、それから、彼女に恋をしているモリオくん、君たち両方に気に入ってもらえる『見世物みせもの』を、ね」

 入り口に立つ美少年は、隣で爪先立つまさきだちになっている美少女の天井を向いた顔に視線を流してニヤリと笑うと、さっきまで少女のあごつかんでいた指で彼女の白いのどでた。

 美少女の顔が苦痛にゆがみ、可愛らしい着物を着た体が爪先立つまさきだちのままくねくねと動いた。

 少女の喉から、襟元えりもと、そして膨らみかけの可愛らしい胸へ、着物の表面をでながら、ゆっくり少年の指先が下りていく。

「ああ……」

 苦痛とも快楽とも思える声が、少女の赤い唇から漏れた。

 白くなめらかな頬が桃色に染まっていく。

 指はさらに着物の表面をすべり降り、帯をでながら帯締めをピンッとはじいた後、ついに、成長途中にある少女の腰の、その丸くて美しい曲線をなぞり始めた。

 美少年の指がうごめくたびに、美少女がもだえ、ほおのどの赤味がますます濃くなっていく。

 美少年が佐多博士とモリオ少年の顔を見た。爬虫類めいた薄笑いの下から嫌らしい興奮が滲み出ていた。濡れた瞳がランプの光を反射してテラテラと光った。

「どうだい……」

 わずかに息を荒くしながら、美少年が言った。

「どんなに嫌悪を感じでも、彼女は僕の指先から流れる快楽を拒めないのさ。何しろ、彼女は僕が思わせたいように思い、感じさせたいように感じるんだからね。この世界は僕の夢で、万物は僕のまぼろしだ。僕が何かを思えば、夢の世界ではその通りに事が運ぶんだ。ほらっ、ほらっ、こんな風にさ」

 玄鬼郎げんきろうは、「ほらっ」という掛け声に合わせて、着物の上から美少女の体をでていた五本の指を、まるで五つに分かれた爬虫類の舌のように複雑に動かした。そのたびに少女の体が震え、可愛らしい唇から「ああっ」という声がれた。

 その姿を、佐多三吉博士がギラギラと憎悪を燃やした光でにらむ。

「佐多博士、そんなに恐ろしい顔をしないで下さいよ。創造主を恨んだところで何の意味もありませんよ。あなたのその怒りさえも、この僕が作り出したまぼろしなんですからね。あきらめたほうが良い……もっとも、僕も世界の全てを意識的に動かしている訳じゃあない。大部分は、僕自身も自覚しない無意識の精神作用が作り出しているんだろうけど、ね……何にせよ、あなたたちの心なんて何の意味もないのだ」

 その時、今まで玄鬼郎げんきろうにらんでいた佐多三吉博士が、突然、気が狂ったように笑い出した。

 その笑い声に、さすがの美少年も面食めんくらったような顔になる。 

「な、何が可笑おかしい!」

 思わず叫んだ美少年を、今度は博士が薄笑いながら見返す。

「何が可笑おかしいか……って? 君は万物の創造主、この世界の『夢のあるじ』なんだろう? 人の心でも何でも自分の思い通りに操れるんだろう? ひとつ、この私の心の中をのぞき込めば良いじゃないか」

「ふん、言われなくても」

「まあ待て、待て。冗談だよ……そう慌てるな……創造主さまに私のような下賤げせんの者の心中しんちゅうをお見せするのも恐れ多いからな。話してやるよ……思わず笑ってしまった理由を、な」

「……」

「仮に、この世界が、君の……夢見ゆめみ玄鬼郎げんきろうくん、だったかな? では、以後そう呼ばせてもらうよ……玄鬼郎げんきろうくんの夢だと仮定しよう。はっきり君の夢だと証明された訳ではないが、しかし、なるほど、人の心を操る力といい、そうかも知れない……君がこの世界の創造主……『夢のあるじ』の可能性は充分にある……それで、君の言い分が正しいと仮定して話を進めるが……君は、自分自身の夢を?」

「な、何だと!」

「フッフッフッ……そうとは限るまい? 人間は時として『悪夢』を見るものだろう? 自分の夢すべてを自分の都合の良いように動かせるのなら、悪夢なんていう物は、鼻から存在するはずが無いじゃあないか。違うかね?」

「悪夢だと? この世界が僕の悪夢だというのか!」

「そうかも知れない……そうでは無いかも知れない……情けない被造物である私には分からんよ……しかし、これだけは確実に言える。いかに『夢のあるじ』でも、夢の中で起きる全ての事に関与は出来ない……夢が人間の精神の産物であるとしても、その自分自身の精神さえ満足に制御できないのが人間という動物だからね」

「……」

「それから、もう一つ。君は認めたくないだろうが……!」

「何!」

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