路上で目覚めた少年の話(その6)

(最初から目つきが変だと思ったけど、こりゃ、いよいよ『キ印』か)

 少年は……モリオと仮に名づけられた少年は思った。

 モリオは、視線を博士と名乗る男から美しい和服姿の少女に移した。

(と、すると、この人工人間と呼ばれて妙な顔一つしない美少女も『父親』の御同類ごどうるいという訳か? それとも頭の変な父親が怖くて話を合わせているだけか)

 そんなことを考えている時に、佐多三吉博士(と名乗る男)に声を掛けられ、モリオ少年はビクッ、と肩を震わせた。

「そうだ、モリオくん……君、靴はどうしたかね? 玄関の靴箱に置いてきたかね?」

 突然、妙な事を聞くものだと思いつつ、モリオは答えた。

「は、はあ……」

「靴下は?」

「あの……ミヨ子さんが用意してくれた黒い靴下を……」

「そうか……」

 しばらく考え込んでから、博士は思い切ったように「ミヨ子」と娘の名を呼んだ。

「はい、お父さま」

 と、答えたミヨ子に博士が命令した。

「イチロウの万能ブーツを持って来なさい……イチロウとモリオくんはとしも一緒なら、背格好もほとんど同じ、スーツもぴったり合っているじゃないか……ひょっとしたら万能ブーツも履けるやも知れん」

 それを聞いて、ミヨ子の顔がパッと明るく輝いた。

 思わずモリオの顔が赤くなった。その時のミヨ子の美しさは、世界中の少年の胸をときめかせ、顔を赤らめさせるのに充分だった。

「はい! 今すぐに!」

 ミヨ子はスッと椅子から立ち上がると、いそいそと廊下への出口まで行って、ステンドグラスのはまったドアの向こうに消えた。

「ふん……人工人間め……いっちょう前に、嬉しそうな顔をしやがる」

 つぶやいた佐多博士を、思わずモリオはまじまじと見つめてしまった。

 細面ほそおもてに薄い鷲鼻わしばなの端正な顔で、髪をぴっちり七三に分けた佐多博士には似合わない……今までの知的な口調とは正反対の乱暴な言い方だった。

「モリオくん……どうやら君は、よっぽどミヨ子に気に入られたみたいだぜ……父親の私が……いや、あのお人形をこしらえた私が言うのも何だが、あれは相当の美少女だ。私が丹精込たんせいこめて造り上げた傑作品だよ……人工人間にからって、軽々しくにせんでくれよな」

「ほ、惚れられた? こ、この僕が……ミヨ子さんにですか?」

「なんだ、まだ気づいてなかったのか? 君も相当の鈍物どんぶつだね……まあ、冗談は、ともかく……」

「じょ……冗談ですか……」

「冗談ではなく、本当の話をしようじゃないか。つまり『夢』の話だ……何だ、その顔は……君は私の言う事を全く信じていないようだな……つまり、この世界が全て誰かの夢だ、ということを」

「はあ……信じる信じないというより……あまりに話が突飛すぎて……」

「まあ、そうだろう。君がそんな風に思うことを非難はしないよ。しかし、その代わりに、ひとつ私の『仮定の話』に付き合ってくれ」

「仮定の話、ですか」

「そうだ。この世界のありとあらゆる事が誰かの夢で、つまり、こうして私たちが話し合っている事さえ誰かの夢の中の出来事で、私も君も、本当は実在していない、ただ夢の中だけのまぼろしの存在……そういう仮定だ……だとしたら、?」

「運命とは、いったい」

「私たち自身の存在そのもの含めてこの世のあらゆる事が、誰かの夢だとしたら、我々の生殺与奪は、その『夢のあるじ』が握っていることになるのではないか?」

「僕たちを生かすも殺すも『夢のあるじ』の思うがまま、という事ですか?」

「そう……そういう話だよ。……モリオくん、君は、君自身は夢を見たという記憶があるかね?」

「はあ、何となく……昨日以前の記憶は曖昧ですが」

「私は『こちらの世界』に来て長い年月がっているからね。何百回となく夢を見ているよ……たとえば、こんな夢を時々見るんだ」

 そう言って佐多博士はゴホンと一つ咳払いをして、自分が見たという夢の話を始めた。

「……女が一人、大きな岩の上を歩いている。若い女だ。顔も名前も知らない。まあ、夢の話だからね。ひょっとしたら過去に何処どこかで会っていて、意識の上では忘れてしまっているけど、意識下では憶えていて、それが夢の中で現れたのかもしれない……とにかく、若い女が岩の上を歩いている。岩の向こう端は高い高いがけになっていて、私は『危ない! このまま歩いて行くと崖から落っこちるぞ』と夢の中で思う」

「なるほど」

「しかし、一方で、私の中のが、こう思うのだ。『いいぞ、いいぞ、その調子だ。女め、このまま歩いて行って崖から落ちてしまえ』って、ね」

ひどいですね。それで、その夢の女の人は」

「邪悪なもう一人の私の思う通りに崖の端まで行き、思う通りに崖から落ちるんだ。私が思った通りの、恐怖に引きつったひどい表情で、ね」

「つまり……」

「そうだ。夢の中の出来事は、意識的であれ無意識的であれ、その夢を見ている者、『夢のあるじ』の思う通りに話が進む。『夢のあるじ』は、その夢の中では全知全能の神にも等しい存在だよ」

「でしょうね」

「しかし、モリオくん、君は本当にそれで良いのかい? 良い奴かも悪い奴かも分からない、その全知全能の神みたいな奴に、自分の言動、一挙手一投足、喜怒哀楽、先の運命まで全て牛耳ぎゅうじられてしまって」

「しかし、博士、それは……そういう反抗心は無意味というか、矛盾しています。この世界の事すべて、その全知全能の『夢のあるじ』の思い通りなら、いま言った博士のその『夢のあるじ』に対する反抗心さえも『夢のあるじ』が夢見た結果、一種の予定調和という事じゃないですか」

「まあ、その通りだな……しかし、ねえ、モリオくん。私は何十年ものあいだ実験に明け暮れていたから分かる。。混じりっ気の無い完全無欠の純粋などという物は、この世には存在しないのだよ。それは夢も同じだ。夢というのは、その夢を見ている主体……『夢のあるじ』の願望や欲望の結晶体だというが、その結晶さえ純粋ではない」

「正直に言って、博士の言っている意味が分かりません」

「つまり、世の中にはというものもある、という事だ。夢の中で全てをコントロールできるというのなら、好き好んで悪い夢を見たいなどと思う人間は居ないだろう? ……『夢のあるじ』だからと言って、自分の夢を完全にコントロールできる訳では無いよ。どうしても不純物が混じってしまう。そこがだ」

「なんだか、その『夢のあるじ』とかいう存在に対して、本気で歯向はむかおうとしているような口ぶりですね」

歯向はむかおうとしているのさ。『夢のあるじ』だろうが全知全能の神だろうが、自分の意識さえも操られて、崖っぷちまで歩かされたあげく、そこから身を投げるなんてぴらごめんだからな」

「可能なんですか? そんなことが……」

「可能だと信じているよ。それに『このせかいの外』には、案外、心強い味方が居るかも知れないぜ」

「このせかいの外? 心強い味方?」

 その時、再び食堂ダイニングドアが開き、ミヨ子が入ってきた。

 胸に、編み上げのブーツを抱いていた。

「どうぞ、これを……」

 ミヨ子は少年の椅子のそばまで来ると、いきなりゆかの上に両ひざをついて、少年がきやすい位置にブーツを置いた。

「えっ?」

 床に膝をついて見上げる少女に戸惑い、モリオは少女の父親である博士を振り返って見た。

 博士がうなづいて見せる。

 少年が椅子を引いて、まず右足をブーツの中に入れると、和服姿の少女はサッと手を伸ばして素早く器用に少年のズボンのすそをブーツの中に入れて、るめてあった編み上げのひもをぎゅぅっと締めて結んでしまった。

 左足も、ひざまづいた少女に半ば履かせてもらうような格好になった。

 編み上げひもを結ぶところまで終えたミヨ子はサッと立ち上がり、ススッとテーブルを周って自分の席まで歩いて行き、椅子に座ってモリオを見ながら満足そうにニッコリ微笑んだ。

 ……その時……

 突然、「プープー」というブザー音が鳴り、天井の隅にあった赤いランプが点灯した。

 点灯するまで、モリオはそんな場所に赤ランプが設置されている事さえ気づかなかった。

「何ですか? あれは」

 モリオが屋敷の父娘を見ると、二人は不吉そうな顔をして互いの目を見ていた。

 二人のただならぬ様子に驚き、しばらくモリオが何も言えないでいると、やっとのことで佐多博士が口を開いた。

「やれやれ……今日は、千客万来だな……しかも『招かれざる客』ばかりとは……まあ、私が自分からこの屋敷に客を招くことは無いから……客人は全て『招かれざる』、なのだが」

 そして、美しい娘を見て言った。

「ミヨ子、玄関の様子を見て来なさい。不審者だったら、鍵を開けず、何もせずに食堂へ帰って来るのだ」

「はい……」

 和服姿の美少女がサッと立ち上がり、食堂から出て行った。

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