scene2 アフタヌーンティーの雑談
メイド「若旦那様、お紅茶が入りましたよ」
若旦那「うん、ありがとう」
メイド「午後のお紅茶はダージリンでございますわ。いつもより濃いめに入れてみたのですが、いかがでしょう?」
若旦那「残念ながら、君の繊細な心配りを解する舌が欲しいものなのだが、その才能が僕にはないようだよ……君の入れるお茶はいつも、おいしいよ」
メイド「何もお変わりございませんか?」
若「うーん……特には……」
メイド「そうですか。それは残念ですわ……。実は、そのお紅茶は、いつものダージリンではなく、アールグレイでございましたの」
若旦那「えっ?」
メイド「さすがにダージリンとアールグレイぐらいなら気付くのでは、などと主人を試すような真似をした、私が愚かでした」
若旦那「ははは、僕の味音痴はどうにも筋金入りのようだね」
メイド「紅茶は味と言うより香りですわ。若様は本当に紅茶に対してご関心がありませんのね。残念でなりませんわ」
若旦那「それは違うぞ。関心がないのでなく、ただ単にそれをかぎ分けられるだけの敏感な嗅覚を神様が与え損なっただけだよ。もちろん興味津々だとも」
メイド「あらあら、香りで夕餉のメニューは当てられるのに、摩訶不思議な嗅覚でございますわね。紅茶の何たるかを嗅ぎ分けられないお鼻などは、無用の長物に等しいですわよ」
若旦那「無用の長物とは酷いじゃないか。僕の鼻は僕の鼻なりに最善を尽くしているのだよ」
メイド「ああ、若様は非常に損をしていらっしゃる!そう、人生の半分を損していると言っても過言ではありません」
若「では、君のとっての紅茶は、人生の半分程の価値があるのだね」
メイド「そうですねぇ、人生の半分を彩る要素の一つであることは間違いありません。人生の滋味というものは、様々な要素が相互作用して、生まれるものだと考えておりますのでもし紅茶が欠けたなら、なし崩しに他の要素を侵食し、人生の半分ぐらいの価値を失くすかも知れません」
若「なるほど。ではその他の幸せの構成要素は例えば何があるかい?」
メイド「そうですねえ……花や木の世話ですとか、刺繍や編み物、ささやかなおめかし、トランプ占いに、毎日のティータイムの紅茶と、一緒に頂く甘いもの、などなどです。これらがみんな揃っていると、私の人生が十分満たされていると感じますよ」
若「よし、それならこうしよう。僕はこう見えて甘いものが好きだ。
甘いものは僕の人生を彩る要素とかぶっている。
今度からは、君は僕に紅茶の講義より、お菓子の講義をするといいよ。
その方がお互いの守備範囲を守れる。故に君も僕も楽しめる。どうかな?」
メイド「あらまぁ。若様が甘党だなんて、初耳ですわ」
若「家ではあんまり食べてないからね。甘党に目覚めたのも最近だし」
メイド「そういえば、旦那様は『甘いものなんて女子供の食べるものだ!』……って言って憚らない、根っからの辛党の方でしたわね」
若「そうそう。父上は甘いものを嫌ってらっしゃる。訪問先で振る舞われる菓子類で目覚めたんだよ…僕は甘党だってね」
メイド「そうでしたか。折角本家を離れてこんな辺鄙な所まで来てるんです、言って下さればいくらでもお作り致しますのに」
若「うん、ぜひお願いするよ。お勧めは何かあるかい?」
メイド「そうですねぇ……ふわふわシフォンケーキの生クリーム添え、なんていかがでしょうか?粉砂糖を振りかければ、ここからの眺めにぴったりですわ」
若「ふわふわのシフォンケーキか。良いね。楽しみだよ」
メイド「それにしても、ここからは見えるのは本当にただただ『真っ白』だけですね……」
若「心が落ち着くよ。これだけきれいさっぱり何にも遮るものがないというのはね」
メイド「そうですか?私なんかは寂しい光景だと思いますが。
ここにいると、世界が全部色を失くして、自分だけが取り残されたような気がしますわ」
若「素敵じゃないか。世界が色褪せても、僕らだけは変わらずにそのままで」
メイド「……世界が色を失くしたら、やっぱりわたくしも、色彩を失くさざるを得ないのですわ。ああ、不安の出所はここです。自分も色褪せてしまうこと」
若「僕は、周りが白く染まれば、逆に君と言う存在はいっそう鮮やかに浮かび上がると思うよ。これぐらいの白に負けたりしないさ」
メイド「そうでしょうか?油断してると、自分がこの風景に溶けていってしまいそうな気がするんです」
若「君らしくもないことを言うんだなぁ。さっき紅茶の良さについて熱弁をふるっていた君が嘘みたいだ」
メイド「そうですね。こんなことを考えるのは、きっと雪のせいですわ。白という色は、きっと思考を中断させるんです。
左右上下見渡してもまっ白。
誰の姿も見えない。
耳を澄ましても何も聞こえない。
自分がどこにいるかわからなくない。
時がどれだけ過ぎたかもわからなくなり、
そして自分が誰であったかということさえもわからなくなり、
そうして失くしたものを雪は静かに静かに吸い取っていってしまうのです」
若「雪が何もかもを吸い取っていくといく、か……」
メイド「ふふ。ここに来ると、ちょっとセンチメンタルになると言いますか、
平生とは違う心持が芽生えるのですよ」
若「それはわかるよ。ただ私の場合は、
家にいる時とは色々ごちゃごちゃ考えていることが、ここでは何も考えなくていいからだけどね」
メイド「なるほど。ここと俗世との距離感が与える、精神的解放感には注目すべきですわね」
若「俗世に嫌気がさした時には本当最高だね。でも逆に、気が楽になるけど、自分が悩んでいたという事実さえ忘れてしまって、問題意識を失くし、気楽さに溺れることが怖いよ」
メイド「同じ景色を見ていても、思うところはそれぞれにこうも違うものなのですね。私は雪の静寂が怖い、若様は雪の静寂が快適過ぎて怖い」
若「それが、ちょっと悲しい人間の性だね。どんなに近くに居ても、他人の心には触れられない」
メイド「あら、これはまた随分と意味深長なことを仰いますわね。他人の心に悩んでおいでで?」
若「まあね。一言では言えないけど」
メイド「分かりあえない悲しみの裏に、通じあえる喜びがあるのですわ。そしてまた、人の心に入れずに、周囲をぐるぐる回っていることにも人間の愛おしさがあると思います」
若「周囲をぐるぐる、ねぇ……。人懐こい犬がかまってほしくて、足にまとわりついている感じの愛おしさかな」
メイド「いじらしいじゃないですか。愛すべきじゃないですか」
若「確かにそんな光景は見ていて微笑ましいが…それはは客観的に見たからであって、実際にまとわりつかれている当人は当惑しているということもあるだろうに」
メイド「何だかんだで、好かれるという事に悪い気はしないのですよ。世の中、なかなか上手く出来ているものです」
若「じゃあ振り向いてもらえるまで、ひたすらぐるぐる走り回るのかぁ……ぐるぐるぐるぐる」
メイド「それから、ちょっと立ち止まって、周囲を落ち着いて見てみると新しい糸口がつかめるかもしれませんよ」
若「私はまだ悩まなければならないのかな」
メイド「それは若様次第ですわ。気の持ちようで、いかようでも変えられると存じております」
若「……じゃあもう少し悩もう。ウジウジと悩もう」
メイド「どうぞ、好きなだけウジウジなさいませ。せっかく、無の境地にやってきたのですから」
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