凶魔召喚祭――その前夜

神月裕二

第1話

 その日、ぼくは生まれて初めて橿原かしはらの地に足を踏み入れた。東京オリンピックを数年後に控えたある年の秋――十月半ば。太陽は高く、雲ひとつない秋空だった。

 夜明け頃に自宅を出たぼくは、新幹線で京都に向かい、そこで近鉄線に乗り換えた。橿原神宮前行きの急行に乗るためだ。

 京都から橿原に向かう電車には特急列車があるが、それに乗ってしまうと、目的地の最寄駅には停まらないため、急行に乗ったのである。それほど急ぐ旅ではない。

 だからといってのんびりもしていられない。

 有史以来、いや、違うな、有史以前から人知れず血脈を継いで来た闇の一族による「祭り」――人類の存亡と未来を賭けた「祭り戦い」――が、恐らく数日以内に始まるであろうと予測されており、ぼくには、その「祭り」を止めなければならない使命があった。その「祭り」が、この地、橿原で行われるというのだ。

 橿原市。人口およそ十二万人の奈良県第二の都市。歴史としては、神武東征の頃にまで遡るという。「橿原」という市名は、そのあたりに由来するらしい。ググったのだよ、すまんね。

 ぼくは畝傍御陵前うねびごりょうまえ駅で電車を降りた。地下にある改札口を抜け、地上へ出た後は東へ向かう。線路に平行するように南北に走る国道を横断し、東へと。

 ああ、餃子の美味い全国チェーンのラーメン屋があるな。お腹空いたなとか思いつつ、歩いていく。帰りに餃子定食でも食べよう。

 目的地まで、徒歩でおよそ二〇分と言ったところか。ま、自宅に置いてきた爺さんの短い、短すぎる足だと一時間はかかるかな。あ、でも、あの爺さんは猿並みだからな。

 駅から数分歩くと、右手に盛りの過ぎたホテイアオイの群生地が見えてきた。恐らく夏の終わり頃に見に来れば、このあたり一帯はホテイアオイの薄紫の花に埋め尽くされているだろう。いつかまた見に来たいものだ。

 生きていれば。残っていれば。

 そんなことを考えて、思わずわらってしまった。いかん、いかん。生き残るのだ、必ず。

 などと考えて歩いていると、目的地が近づいてきた。

 藤原宮跡ふじわらきゅうせき。日本史上初の条坊制を布いた飛鳥時代の都。平安京に遷都されるまでの日本の首都だった場所。大化の改新後、持統天皇により着工され、西暦711年に都は焼失している。現在では、大極殿だいごくでんの土壇を残すのみで、周辺は史跡公園となり、藤原宮跡の六割ほどが国の特別史跡に指定されているそうだ。

 規模はおよそ5km四方、つまり25平方kmはあるらしく、平城京や平安京をもしのぐ広さがあることが最近わかってきた。

 そんな藤原宮跡だが、この時期、つまり毎年十月の半ば頃になると、コスモスが満開になる。公式サイトによると、大極殿跡の南側におよそ3万㎡のコスモス畑が広がり、花びらの形や色の異なる数種類300万本のコスモスが咲き誇るのだという。

 それを目当てに、休みの日になるとたくさんの観光客が訪れるらしい。僕は違うけど。かさねがさね、すまんね。マイナスなオーラで。そりゃ、気も滅入るさ。

 目的地に到着したぼくを、満開のコスモスが出迎えてくれた。秋の微風に揺れるコスモスの花。視界のほぼ全てを埋める無数の花に、思わず声が洩れてしまう。確かに、この景色は素晴らしい。基本的に「花より団子」をモットーとする爺さんでさえも、「見事ぢゃ」と感服するに違いない。

 藤原宮跡に足を踏み入れる。安全に歩けるように歩道が形成されている。芝生の柔らかな感触が、靴底を通して伝わってくる。

 僕は家族連れの幸せそうな笑顔を横目に、大極殿跡を目指して歩いていた。

 やがて、大極殿跡の南側に立つ数十本の赤い列柱と、発掘調査の現場が眼に入ってきた。そこが、本日の目的地だ。この地に足を踏み入れた途端、感じ取っていた。

 列柱は高さが百八十センチ程度。結構太い。僕が抱きかかえても手が届かないぐらいだ。どうやらここに門があったらしい。その向こうに、発掘現場はあった。

 発掘調査の現場は、日曜日なので休みのようだ。何台かの重機が停まっている。僕はフェンスで囲まれた現場に近づき、自分の気配を完全に遮断して、内側に入っていく。これで、僕の姿は誰の眼にも映らない。映ったとしても、脳が意識をしない。

 発掘調査の中にはプレハブの仮設事務所があり、その脇の木製のベンチに、彼がいた。漆黒のスーツに身を包み、長い脚を組んで座っている。髪は総髪。肩より下で揺れていた。蒼白ささえ感じさせる美貌と、赤い唇。そして、邪悪な気配。彼もまた己の気配を断って、そこにいた。

「何をしている? 座ったらどうだ」

 低く通る声を発した口には串が一本くわえられていた。コンビニで売っている、三本セットのみたらし団子を食っていた。

 これが、ぼくの敵「朱の血族」の頭首との出会いだった。

「ここが、俺たちの祭りの舞台だ」

 口から串を引き抜き、邪悪に嗤う。そして、広大な都の跡を見はるかす。

「俺たちは、大和三山による結界を破壊し、遙か古の時代に封じられた巨大な力を甦らせてみせる」

 大和三山とは、畝傍山うねびやま耳成山みみなしやま天香久山あまのかぐやまのことを言うが、それら三つの山が人工的に造られたものだと聞いたことがある。藤原京は、その三つの山によって造られた結界のほぼ中心に位置しているのだ。

 まるで何かを封じるかのように。

「止めてみせるさ」

 ぼくは言うと、彼は笑い声で返し、ベンチから立ち上がった。背が高い。百八十センチ以上はある。そして背中を向け、姿を消した。

 突如吹き荒れた強風にコスモスの花びらが舞う。

「楽しみにしているよ」

 その声だけが、ぼくの耳に残っていた。

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