第22話 私 叶4 恋人
「叶ちゃん、ごめん、待たせちゃって!」
そう言いながら、息せききって30階のフリースペースに現れたのは、木下武人だった。
私が彼とレストランで出会ってから、もう少しで1ヶ月という頃だった。仕事先で毎日の様に顔を合わせる内に、私と彼はすぐに親しい友人になれた。そして彼のおかげで、他にも友人を作る事ができた。それが、これから会いに行く映見と空の2人だ。
武人が、ふさぎこみがちだった頃、彼に声を掛け、自分を救ってくれた恩人だと言っていた二人だった。武人は、その2人をすぐ私に紹介してくれた。噂どおり面白くて優しい、理想的なカップルだった。その後は1人でも映見のところへ遊びに行くようになった。そして、映見のところに来るといつも空がいた。殆ど一緒に暮らしている様だった。そして今日は映見の家でお鍋を囲もうという約束だった。
「大丈夫。全然待ってないよ」
二人はエレベーターに乗り、20階の映見の部屋へ向かった。
「ピーンポーン」
呼び鈴を鳴らすと、エプロンをした映見がドアから出てきた。
「お~、お疲れお疲れ。さ、入って入って」
「すみません、お邪魔しま~す」
部屋の中に入ると、ベッドとミニキッチンの間にあるはずのダイニングテーブルは無く、ちゃぶ台の様な床に座るタイプの机に、電気コンロがセットされていた。そこには既に空が座っている。
「よ、待ちきれずもうやっちゃってます」
空はそういうと、蓋の空いたビールをこちらに見せた。
「え~空さん、ちょっと位待ちましょうよ~」
後輩キャラの武人が、空の隣に座りながら言う。
この2人の前に来ると、武人はぐっと若くなったように感じられる。この2人にはつい甘えてしまうのだろう。私は映見の手伝いをしようとキッチンの方へ向かった。
「映見さん、俺もビール!」
そんな武人のわがままに、ミニキッチンから、ちょうど具材の入った鍋を持って来ようとしていた映見は呆れた顔で言う。
「ごめん、冷蔵庫にあるから、叶ちゃんとってあげて」
「あ、はい」
叶は、冷蔵庫を空け、ビールを取った。自分の部屋の冷蔵庫とは違い、映見の部屋の冷蔵庫は色々な材料が入っていた。叶は、こんな場所でも、きちんと生活しようとしている映見の真面目さを垣間見た気がした。映見達の様に、おいしいご飯を食べ、仕事をし、好きな人と一緒に居られれば、過去の人生がどうであったにせよ、幸せに生きていけるのかもしれない。
「は~い。じゃあみんな揃ったし、クリスマスイブイブに、カンパーイ」
キッチンで洗い物をしながら、映見と叶は横に並んで話していた。空と武人は机に置かれたサッカー雑誌を2人で覗き込んでいた。
「空さんと映見さんってどうやって出会ったんですか?」
叶が尋ねる。
「え、凄く平凡だよ~。私、ここに来たばかりの頃、つまらなくて、毎日本屋に通ってたの。立ち読みばっかりして。で、そこで働いてたのが空」
映見は照れくさそうに言う。
「彼って、最初はすっごく無口で暗くって。今じゃ考えられないけど。顔見知りにはなってたけど、初めてちゃんと長く会話をする様になるまでは、すごく時間が経っていたと思う。でも、お互いたまたま会ったカフェで話し出した本の話が止まらなくって。それで、また本の話がしたくって、良く会うようになって、で今に至る感じ」
映見は昔の空を思い出しているのか、幸せそうなにこやかな顔をしていた。
「お2人って、本当に仲良しで、幸せそうで羨ましいです」
叶は心からの気持ちを言った。しかし映見は表情を曇らせた。そして後ろを振り返り、まだ空と武人が雑誌に夢中な事を確認してから、小さな声で言った。
「ずっとうまくいってる訳じゃあないんだ。最近ちょっと空の様子、おかしいの」
「え、全然そんな風に見えないけど」
叶もあわせて小さな声で言った。
「みんなと居る時はね。でも2人になると、最近の空は何考えてるんだか、わかんないんだ。心ここにあらずって感じだし」
映見は悲しそうだった。
「その事、本人に言ってみました?」
「言ったけど、何も変わらないよって言うだけで、全然相手にしてくれないの。まあ、あんまり、煩わしいって思われたくもないし、環境が環境だから、あんまり相手に立ち入りすぎるのもね……」
叶は返答に詰まってしまった。映見のいう事は最もだが、映見がそんなドライな関係を空と築いているはずは無いと思った。映見は無理して強がっているに違いなかった。叶は映見のそんな姿は見たくない。しかし、やはり環境が環境だけに、それ以上踏み入る事は出来ない。映見が空気を呼んだのか、話題を変えた。
「叶は? 叶は武人の事どう思ってるの?」
突然のフリに叶は驚く。
「え、ああ、武人君にはホント感謝してます。彼のおかげで、ここへ来て人間らしく過ごせてるって感じで。彼にとっての恩人は空さんと映見さんですけど、私にとってのそれは彼なのかも……」
言葉にしながら、私はその事を再認識していた。
「そっかぁ。じゃあ、男としてはどうよ?」
映見が私の顔を覗き込む。それは私自身も最近考え始めていた事でもあったが、答えはまだ出ていない状況だった。私がどう返答すべきか少し考え始めた時、背後から空の声が聞こえた。
「洗い物終わったなら、ポーカーしようよ~」
映見が後ろを向きながら、「はーい」と答える。彼女は良い所だったのにと言わんばがりの顔でこちらを見て笑うと、手を拭き、机に戻った。私もそれに続く。
夜も二十三時をまわり、空は既に床で横になり、眠ってしまいそうだった。私たちは焼酎の小さな瓶を、ちょうど一本空けたところだった。
「私、そろそろ帰ろうかな。映見さん、すっごくおいしかったです。ごちそうさまでした」
私は自分の使っていたグラスを持ち、ミニキッチンの方へ向かった。
「あ、叶ちゃん、置きっ放しでいいからね」
映見が言った。
「じゃあ、俺も帰りますね。映見さんホントごちそうさまでした。空さんも、また」
武人は頭を下げながら立ち上がった。
「ん~、じゃあ、またな」
空も寝ぼけまなこで返事をした。玄関先まで見送りにきた映見に対して、私は小さな声で囁いた。
「今度、女だけの会しましょうね」
目をあわせた映見はにこりと笑い返した。
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