第20話 理香4 秘密
理香はエレベーターで一階へ向かった。
この建物の1階には、いくつかのお店と、中庭にはカフェ、エントランス側には第二棟専用事務局がある。
エントランスと言っても住人には出入りが出来ない様になっている。
そして、エントランスを完全に塞ぐ形でワンフロアの事務局が作られているため、エントランスに行くには、事務局の真ん中を横切る形で作られた通路を通らねばねばならない。また、エントランスの鍵は、医師やここの施設側の人間が持つIDカードで開く様になっている様だった。事務局への施設の内側からのアクセスは、中庭に繋がる医師等が出入りする為の1つのドアと、何か書類のやり取りをしたりする小さめの窓しか無い。その為、事務局内を把握するのは中々難しい事だった。
理香がここへ来た当時、どうにか抜げ出し、外の世界を見にいけないものかと、地道に調べたり、観察したりした結果、今のところまで把握出来たのだった。
そして、そこまで把握し、抜げ出す事は完全に諦めた。抜け出す計画を練るより、正規のルートでここを出て行った方がよほど早いと思われたからだ。
理香が事務局の「受付」と呼ばれる小窓を覗くと、100人分ほどの小さなデスクには、人は殆どおらず、一人警備員と思われる男が、左奥の会議室と書かれたドアの前に立っていた。
受付から3メートルほど離れた壁には、中に入る為のドアがあった。念の為確認してはみたが、やはりドアに鍵がかかっていた。
もう一度受付の窓の方まで戻り、中を覗くが、警備員は会議室の前で、フロア全体を見回している。その窓から見える、近い位置に、いつも高谷が座っている、彼のデスクがあった。机の上はきちんと整理され、ペン立てやブックスタンドにも、最小限のものしか置いていないと言う感じだった。それは高谷だけでなく、事務局殆どのデスクがその様に綺麗に整頓されている。
ここの医者は皆几帳面だと理香は思った。
高谷のデスクに目先を変え、少し観察していると、デスクの右端の引き出しに小さな鍵穴が付いているのが見えた。理香は自分の持っている鍵をポケットから出し、もう一度大きさを確認した。大きさに関しては近い。理香は無性にその引き出しを開きたくなった。もしあそこの鍵ならば、あの中に何か自分に関する資料があるかもしれない。しかし今のあの警備員がいる状況では、何も手出しをする事が出来ない。理香がこの状況に歯噛みしていると、後ろから声がした。
「今度は何やらかすの?」
突然の声に驚いて振り返ると、そこには先日問題を起こしたあのバーにいた、鋭い目のボーイが立っていた。少し人を小馬鹿にしたような目つきだ。
「ああ、驚かさないでくれる? 今取り込み中。巻き込まれたく無いでしょうから、ほっといてくれる?」
理香はそういうと、再び事務局の方に向き直った。
「なんか困ってるなら、手伝うけど」
彼が意外なことを言ったので、理香はまた振り返る。
「あんた、本気で言ってないでしょ? からかってるなら帰ってくれる?」
理香は面倒くさそうに答える。
「中に入りたいの?」
彼はその様な理香の態度など全く気にしないといった素振りで話を続けた。
「ええ、そうだけど、あんたに何が出来んの?」
理香は今度は振り返らずに小さな声で答えた。彼は理香が中を覗いている小窓から、同じ様に中の様子を確認すると言った。
「あのドアの横の鉢植え、その後ろで隠れて待ってて」
彼は五メートルほど後方の、吹き抜けの中庭まで戻って行った。理香は彼が何をするつもりなのか、全く分からなかったが、とりあえず言われるがまま、事務局に入る為の唯一のドアの横に、小さくなって隠れた。
彼は何かを探していたが、ようやく見つけたといった様子で、中庭に飾ってある、小さな植木鉢を手にしたかと思うと、こちらを見て少しにやっと笑い、思いっきりそれを床に投げつけた。
植木鉢は大きな音を立ててわれ、入っていた土やなんかもその場に散らばった。そして彼はこちら側に戻ってきて、勢い良く事務局ドアを叩き出した。
「ドンドンドン!」
「すみません! すみません! 誰かいませんか!」
理香にはこの後の流れがなんとなく理解できた。彼はこの騒ぎであの警備員を外におびき出そうとしているらしかった。そして案の定、そのドアが開き、あの警備員が出てきた。
「どうしました?」
警備員はドアノブに手を掛けながら、怪訝そうに彼の顔を伺っていた。ボーイの彼は、さぞ怒った様な口調で、
「ちょっと、聞いて下さい! 今、中庭で、誰かが上から植木鉢を落として来たんです! ちょっと来て下さいよ!」
そう言って、警備員のドアを持っている腕を握ると、ぐいぐいと中庭の方まで連れて行った。
かなり強引だが、ドア脇に隠れていた理香はその隙に中に入る事に成功した。
中に入ってはみたが、いつ医師達が会議室から出てくるとも限らず、理香は慌てて高谷のデスクに向かった。
そしてあの鍵を再びジーパンのポケットから取り出すと、鍵を開けようと試みた。鍵穴の大きさはかなり近かった。しかし少し当てたところで、鍵はつっかえてしまい、明らかにその鍵穴には入らないものだと分かった。
せっかくこの部屋に入れたのに……と理香は悔しくなり、その引き出しを力づくで開けようと、取っ手に手を掛けた。
すると、引き出しは力を込めた手をあざ笑うかのように、するっと引き出せてしまった。もともと鍵は掛かっていなかったのだ。そしてあろうことか、中は空だった……。
「から……」
理香は一気に緊張感が解けてしまった。自分の読みのはずれ様に、なんだかこの行動が馬鹿馬鹿しくなってしまった。
外ではまだボーイの彼が騒いでいる声がした。
この借りは高く付くな……。
この部屋を後にしようとした時、他の鍵がかかっていない引き出しも少し気になった。
「せっかくだから……」
そんな言い訳を呟きながら他の引き出しも勢い良く空けた。そしてその引き出しもまた、予想に反して軽い力で、勢い良く空いてしまった。そこも中は空だったのだ。
違和感を感じ、近くにあった机の引き出しを手当たり次第引き抜いてみた。すると、ペンが数本入っているものがあったくらいで、殆どが空の状態であった。まるで今日引っ越してきたばかりと言った様な状況だ。
「何これ……」
状況の把握ができず、次の行動を考えていると、ふと会議室と書かれたドアが目に入った。会議中のはずなのに、先程から、物音一つ中から聞こえてこない。そして警備員は、何故、中庭側のドアの前ではなく、会議室のドアの前に立っていたのか。そう思うと、自然と足はそちらの方へ向いていた。ある程度の近さまで来たところで、そのドアノブに小さな穴があいているのが見えた。
「もしかして……」
理香は鍵をその穴に差し込んでみた。思ったとおり、持っていた鍵は、その鍵穴へすーっと吸い込まれるように入っていった。そして、それはまわすと小さな音を立てた。これでこのドアが開く。しかし理香は迷った。ここを開くと、会議中の多くの医師が集まっているはずなのだ。きっと忍び込んだ事で、何かしらの好ましくない対応がとられるだろう。
しかし、理香にはこのドアの向こうで、会議が行われている様な気が全くしなかった。
こんなにドアの近くにいて全く人の気配が感じられない。
理香は勇気を出し、自らを鼓舞すると、ゆっくりとドアを開いた。
やはりそこに百人の医師はいなかった。
そこにあったのは、一階とは打って変わって、薄暗い地下へと下りる、細い階段だった。それも、その階段は相当長い様に思われた。今までこんな場所のことは、見た事も、聞いた事も無かった。
理香は下に行ってどういった場所なのか、確かめたい衝動に駆られた。
しかし、警備員を足止めしている彼がこれ以上粘れるものなのかもわからない。そしてこの場所へ進むと、もう戻って来れない気がした。地面にぽっかりと空いた穴の様なその暗い階段は、理香を暗く冷たい場所へ引きずり込もうとしている。その時、階段の下から声が聞こえてきた。
「いやぁ、やっぱりゼロでの会議は気分が落ち込むわ~」
どうやら、会議が行われていたのはこの下だった様だ。何人かが戻ってくる様だ。理香は慌ててドアを閉める。
「五百人が一気に集まると、迫力あるなぁ……」
声の主は階段下まで来ているようだった。
理香は警備員がまだ戻って来ていない事を確かめると、小走りで出口のドアの方へ向かった。
会議室と書かれたドアの鍵を閉めるのを忘れた事に気づいたが、もう戻っている余裕は無い。理香は会議室のドアが開かれるのと、ほぼ同時に事務局のドアを出た。
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