第19話 理香3 鍵
理香が目を開けると、朝の7時25分を示す、味気ないデジタル時計の文字がうっすらと目に入ってきた。
ああ、またいつの間にか寝てしまったのだ。
体を起こしながら、昨日の夜の出来事を思い返した。
そして再び首をうな垂れて落ち込んだ。
バーで暴れて、また高谷に迷惑をかけてしまった事を思い出した。こんな問題は一度や二度ではない。その様な問題を起こす度、この施設から離れられなくなっている事を理解はしている。
理香は、体も気分も一掃しようと思い立ち、立ち上がってシャワーを浴びにバスルームへ向かおうとした。その時一歩踏み出した足が何かを踏んだ。
「イテッ」
理香は思わず声を出し、足元を見た。
そこには小さな鍵が落ちていた。
昨日、玄関で拾った、見慣れない鍵だった。理香はその事を思い出し、その小さな鍵を手にとった。
特徴的で複雑な形をしたそれを、良く見回した。理香は、今時カードキーじゃ無いなんて珍しいと思った。実際ここの施設で、カードキーか、生体認証、暗証番号以外は見たことが無かった。しかし、これが鍵だと分かったのは、過去の記憶の断片からだろうか。どこの鍵かは、いくら考えても分からない事だった。しかしどこかで見たことはある気がする。もしかしたら、昔の鍵の形を模した、キーホルダーとか、アクセサリーだとかいう可能性も大いにある。
考えてもどうにもならない事を悟ると、その鍵をベッドのサイドテーブルに置き、理香はバスルームに向かった。
理香がバスルームを出ると、朝の8時が来ようとしていた。理香は慌てて身支度をした。昨日のジーパンに、その辺にあったロンTを着た。床に散らかった服や本は、まとめてクローゼットに放りこんだ。次にドライヤーで髪を乾かしていると、部屋のチャイムが鳴る。今日は高谷が問診に来る日だった。
理香が玄関のドアを開ける。昨日の夜の騒動の申し訳なさがこみ上げ、つい必要以上に深くお辞儀をしてしまった。
「おはようございます」
まるでデパートの店員の様な深く、綺麗な礼に、高谷は少し吹き出してしまう。
「おはよう。昨日はあれから大丈夫だった?」
高谷が部屋の中の方へと足を進めながら、理香に尋ねる。
「ええ、大丈夫です。というか、あれからすぐ寝ちゃって。今って感じです」
理香は半乾きの髪の毛をかき上げながら答える。
「相変わらず、乱雑だね」
部屋に入ってきた高谷は、いかにも慌てて表面だけ片付けた部屋を見回しながら言った。
「乱雑って程でも無いですよね。ちょっと最近荒れてたから……。すみません」
「いやいや。こちらこそ言い過ぎたかな。あ、これいるかい?」
高谷は白衣のポケットから缶コーヒーを出した。
自分だけ飲むのが悪いと考えるからなのか、問診の時は大抵、自らの分と、理香の分、二つの缶コーヒーを買ってくる。起きたばかりの理香にはとても有難い代物だった。
「ありがとうございます」
理香はまた深々とお辞儀をした。
いつもとなんら変わらない問診が終わり、高谷は早々に問診を切り上げようとしていた。
「先生、なんか急いでる?」
いつもと違う様子に理香が尋ねる。
「あ、実は緊急の全体会議があるんだよ。この後」
高谷は立ち上がりながら言うと、
「それじゃあ、また明後日」
そう言って部屋を出て行こうとした。
その時、パッと翻した白衣の下のジーパンのポケットに無理やり詰め込んだキーケースが見えた。
そしてそこから飛び出た、小さな鍵には見覚えがあった。理香はハッとした。どこかで見たことがあると思っていた玄関に落ちていた鍵は、いつも高谷が持っている鍵だったのだ。理香は慌てて高谷を呼び止める。
「先生!」
いきなり呼び止められ、高谷は振り返る。
「何? どうした?」
「あ、何か、ポケットから何かが落ちそうだよ」
理香はジーパンを指差しながら言った。
「ああ、そう? ありがとう」
高谷は、たいして落ちそうでも無いそれをぐいぐいポケットんい押し込んだ。
「それって、何なの?」
怪しまれないように、理香は自然に聞いた。しかし、その時少し高谷の顔に緊張感が走ったのを、理香は感じ取った。
「いや、なんでもないよ。面白い形のキーホルダーだろ。じゃあ行くから」
そう言って慌てて高谷は部屋を後にした。
「キーホルダーって……?」
理香は呟いた。例えば古い車の鍵や、鞄の鍵、自転車の鍵なら、そう言えばいいのに、あえて隠すのは、何か知られたく無い理由があるのではないか、理香はそう感じていた。顔を上げ、雑然とした部屋を見回すと、何か脳みその中も、ごちゃごちゃと情報が整頓されていない感覚に襲われた。
「よし!」
理香は小さく気合を入れると、部屋の片づけをする為に腕まくりをした。まず、シンクに溜まったお皿を洗った。そして床に散らかった本を本棚に戻し、服を洗濯機に放り込んだりした。その様な作業をテキパキと行いながら、なぜ高谷が鍵に関してあの様な態度だったのかを考えていた。
同じものがこの部屋にも落ちていて、彼もそれを持っていると言うことは、やはりこの施設以外の場所のものとは考えにくい気がした。しかも私に知られたくない場所の鍵、もしくはそういったものが入っている場所の鍵……。
理香に思い当たる場所は、一箇所しか思いつかなかった。
それは一階の事務局だった。
理香は時計を見た。先程高谷が出て行ってから、20分しか経っていなかった。きっと医師たちはまだ会議中だろう。今が事務局の様子を伺うチャンスかもしれない。
理香はそう思うと、取り掛かっていた床の雑巾がけをそのままの状態で中断し、ベッド脇のサイドテーブルに置いた例の鍵と、この部屋のカードキーを手に取り、急いで部屋を出た。
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