第18話 結4 告白

 次の日、隔日の予定で組まれている問診の無い日は、午前中からカフェの仕事が入っていた為、結は夕方6時には仕事を終え、同僚と食事を取りに31階のレストランに来ていた。


 店長や先輩と、コーヒー談義に花を咲かせ、ワインを少々飲んでいた。夜九時になったころ、結は同僚たちとレストランを後にした。

 皆でエレベーターの方へ向かって歩いていると、同じ31階にあるフリースペースエリアで、寛ぐ見慣れた背中が、結の視界に入ってきた。

 高谷が窓に向かって置かれたソファーに1人で座っていた。


「すみません。私ちょっと寄って行くところがあるんで、お先に失礼します」

 結は同僚達にそう告げると、ちょうどやってきたエレベーターに乗り込む皆を見送ってから、フリースペースに向かった。


「高谷さん」


 そう言って、窓の外、遠くを見つめる高谷の顔を覗き込んだ。帰る所だったのか、いつもの白衣は着ておらず、ソファーの横にはバックと上着が置いてあった。


「ああ、結ちゃん!」

 高谷は突然の結の出現に驚いた様子だった。


「どうしたんですか。こんな遅くにまだここにいるなんて」

 結が尋ねる。すると高谷は上機嫌そうに答えた。


「いや、ちょっと気分が良くてね」

 どうやら高谷もお酒が入っているようだ。


「高谷さん、飲んでます?」

 そう言いながら、結は隣のソファーに腰掛けた。

「ちょっとね。良いんだよ。もう職務外だし。一般利用者としてバーを利用しただけ」

 顔にあまり出ないタイプの様だが、口調から、1杯で無いことは感じ取れた。

「そんなに飲むなんて、どんな良い事があったんですか?」


 高谷はにこりと口角をあげると言った。

「秘密です」


 秘密と言われると、結はどうしても知りたくなった。

「教えてくださいよ。私、絶対誰にも言わないし」

 高谷は困った顔をした。しかし少し納得した表情に変わると、口を開いた。

「まあ、明日話そうと思ってましたし、絶対周りの人に話しては駄目ですよ。それがここの決まりです」

 結は『ここのきまり』のフレーズが少しひっかかったが、話してくれそうな勢いの高谷の腰を折らない方が良いだろうと思い、大きく頷き、話の先を待った。


「結ちゃんの、ここを出る為の第一次審査が通ったんだよ」

「え、私のですか?」

 結は思いもしない答えに、驚きを隠せなかった。


「そう。僕ももうそろそろ良い時期なんじゃないかなと思って、申請を出してみてたんだけど、一次、無事に通ったんだよ。結ちゃん、人一倍努力してたから嬉しくてね」

 高谷が人一倍努力していると思ったのは、結がヨガに通ったり、コーヒーの勉強をして仕事を頑張っていた姿を見て言っているのだろうと思った。しかしそれは、高谷に認められたいという思いが強く、できたことだ。しかし、その思いをどう言って良いのかが分からなかった。


「あ、ありがとうございます。でも、これからも結構かかるんですよね?」

 結は尋ねた。

「そうだね、何度か外出してみたりとかあるけど、早くいけば、3ヶ月くらいで出られるんじゃあないかな。」


 3ヶ月という言葉を聞いて、少し焦った。

 それは3ヶ月で高谷と会う理由が無くなってしまうという事だと気付いたからだ。

 高谷の方は結が喜んだ顔をするのを待っている様な素振りで、結の顔を覗き込んでいた。しかし結は突如自分の初恋のタイムリミットを告げられ、今まで一歩踏み出せずにいるこの状態を、今こそ脱するべきタイミングなのでは無いかと考えていた。

 あまり嬉しそうな様子を見せない結に、高谷は段々と怪訝そうな表情を浮かべる。

 

結はそこで決心した。

「高谷さん……」


高谷がもとより下がり気味の目を、より一層下げ、優しげな表情でこちらを見た。


「高谷さん、ここを出ても、私と一緒にいてくれませんか?」


 突然の意外な申し出に、高谷は瞬時に意味が理解できないらしく、先程までとろんとしていた目を、少し見開いて結をみたまま硬直してしまった。


 「私、高谷さんがいたからここまで頑張れたと思うんです。ここを出て、もし高谷さんが私の生活からいなくなったら、どうなってしまうか……。

 突然血迷ってると思われるかも知れませんが、ここへ来てからすぐ、ずっと思っていたんです。高谷さんの事が好きなんです。私の事なんて、子供としてしか見れませんか?」


 高谷は、こちらを見たまま、まるで一時停止ボタンを押された映像の様に固まってしまっていた。よほど驚いたのだろう。表情もほぼ無表情だ。その後、まるでロボットの様に体と首を窓側へ向けたと思うと、すっと立ち上がった。


「ちょっと、考えさせて…」

結の顔を見ることも無くそう言うと、ソファーにかけてあった上着とバックを手に取り、

「それじゃあ」

 と言ってフリースペースを出て行ってしまった。

 結は1人残され、泣きたい気持ちを抑えていた。

 やはり言うべきではなかったのだろうか。酔いも一気に冷めてしまった。


 窓の向こうを見ると今にも雪になりそうな、白い雨が降り出していた。結は冷たくなった窓に手を当てて、外の気温を感じとろうとした。

 1年中空調管理されたこの場所では、四季もあまり感じ取れない。

 季節は11月も終わる頃だった。

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