第5話 ことね3 バースデー

 ことねは、晴香との待ち合わせに遅れない様、8時45分には部屋を出た。48階のことねの部屋から、50階のフリースペースまではすぐだったが、どうせ用意が終わっているのだから、久しぶりのフリースペースで外でも眺めながら待とうと思ったのだ。


 50階のフリースペースと呼ばれる場所は、広さ200平米程の、ゆったりとしたソファーとカード式の自動販売機が置かれている場所だ。居室と違い、窓が広く、ゆっくりと外の展望が眺められる。イベント事になると、ここで色々な催しがひらかれる。

 去年のクリスマスは、明らかに高谷だと思われるサンタクロースが、ここでは数少ない子供達にプレゼントを配っていた。

 来週には、喉自慢カラオケ大会が開かれるらしい。そんなチラシがガラス張りの入り口ドア付近に張ってある。ことねはそのドアを押し開け、いつものようにお気に入りのココアを買い、一番窓に近いソファーに腰掛け、外を眺めた。

 目の前にはこの建物より10階分程低い、第二棟と呼ばれる建物が建っていた。窓は反射して、中の様子は全く見えない。その塔も、ここと同じ用途の施設であることは高谷から聞いている。

 そしてそれよりも若干低い第3棟、さらに少しだけ低い第4棟も奥に見える。左側には大きな橋の架かる川があるが、その川はここから確認出来る限り、ずっと右側の方まで続いている。

 この辺りの建物といったらこのタワー群のみで、あとは静まり返った公園やだだっ広い道路ばかりだ。橋の利用者も殆どがここの職員なのだろう。今は車が何台か見受けられるが、夜などは静まり返っている。橋の向こう側には工場の様なものばかりが建っているが、遠めにはあまり人の気配が感じられない。


ソファーから立ち上がり、何か面白いものが見えないかと目を凝らしていると、後ろから晴香の声がした。


「ハッピーバースデー、トゥーユー」


振り返ると、晴香が1本だけロウソクをさした小さなホールケーキを手に立っていた。


「お誕生日、おめでとう! さ、お願い事しながら吹き消して!」


ことねは少しだけ考えてから、ふっとロウソクを吹き消した。その時中庭の大きな振り子時計が九時を知らせる金を鳴らした。


「晴香、ありがとう……」


出会った頃から、ずっと自分を元気付けてくれる友を持った幸せを噛み締めて、涙が出そうになる。


「ささ、うるうるしてないで食べて食べて! なんてったって手作りですから。わざわざ昨日、調理場借りて作っちゃったんだから!」


 2人はソファーに腰掛け、目の前に広がる景色を眺めつつ、隣に並んでケーキを食べた。


 晴香の作ったケーキは、いかにも手作りのショートケーキといった風貌で、缶詰のフルーツの味がした。味は、たまにカフェで食べるケーキよりも、いくらか劣ってはいたが、何か胸の奥がぎゅっと締め付けられる様な、懐かしい感覚のする味だった。きっと昔に味わった事のある味なのだろうと、ことねは考えていた。晴香のように暖かく、良い香りのする女性が思い浮かぶが、その記憶ははっきりとは像を結ばない。きっとことねの母親なのだろう。


「あ、そうだ。高谷先生からcocoのライブ音源、誕生日プレゼントにもらったんだよ。後で部屋で一緒に聞かない?」


あまり昔の事を考えてはいけないと思い、ことねは晴香に言った。


「いいね! 聞く聞く! ってか高谷先生って凄い優しくない? 羨ましいよ~。だって、他の先生でそんなに優しい人居ないよね? ここに来る前にお金払ってるのはうちらなのに、なんか威張り腐っちゃって。いいな、ことねは高谷先生が担当で。しかも他の先生達と違って外見もすっきりしてるし、背は高いし。あたしも高谷先生がいいな~」


 晴香は口の周りについたクリームをティッシュで拭きながら話す。ぽっちゃりした晴香の、ものを食べる時の動作は、あらいぐまがりんごを川で洗っている時のような、見てる人を和ませるかわいさがある。


「格好が良いかは良くわかんないけど、確かに良い先生だとは思うよ。あたしは周りの人に恵まれてるね。晴香もいるしさ」


晴香はこちらを見て、にたーっと人懐っこい笑みを浮かべた。そして窓の方へ目をやった。


「ここからの眺めは良いよね~。ことねはさ、部屋が48階でさ、高いところにあるから、こんな眺め馴れっこになってるかもしんないけど、あたしは五階だからさ」


「え~、あたしはあんまり高いところは嫌だよ。自分で選ぶなら、48階とか選ばないと思うな~」


「そうなんだ……。でもね、噂によるとこの部屋割りって、ここに入る時に大金を積んだ人から上の部屋が割り当てられてるって聞いたよ」


晴香がいつものいたづらっぽい顔を浮かべる。


「だってなんとなく、上層階に住む人って品がある様な感じがするんだよね。ことねも、居住スペースの最上階にあたる48階に住んでるってことは、きっとここに来る前大金持ちとかだったんじゃない? で、あたしは五階だから、下の中ってとこかな。もしかしたらここに来る前のうちらは全然住む世界が違う二人だったのかもね。こうやって仲良く話す事もなかったのかもと思うと、ここに来て良かったのかも」


 ゴシップ好きの晴香は、いつもどこからともなくそんな噂話を仕入れてて来た。そしてそんな話をネタに二人で、ああじゃないこうじゃないと話しに花を咲かせていた。


「また、そんな嘘か本当か分からない話を、どっから仕入れてくるの? あたしなんて絶対お金持ちじゃないよ~。まあ、品はあるけどね」


 少しおどけて見せると、晴香は目を丸くして


「おお、今日は言いますなぁ」

と笑った。


 ことね達はしばらく他愛も無い話に夢中になった。ここを出たらどうしたいか、とか、今1番ほしい物は何かとか、結婚は何歳までにしたいかとか。

 今まで何度話したか分からない話だった。

 ことねは、外の世界でも、私達くらいの年代の女の子達は、きっと似たような話に花を咲かせているに違いないと感じていた。外の雑誌を呼んでも、たいてい書いてある事は、いつもことね達が話しているような事とさほど変わらず、似たりよったりだ。そんな話をしている時は、自分たちは、外の女の子達と変わらない、普通の人間だと実感が出来て嬉しかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る