第6話 ことね4 冒険

 気が付くと時間は11時になろうとしていた。


「もうそんなに話したっけ?じゃあ、うちに来て高谷先生からもらったやつ聞かない?」ことねが言った。


「ちょっと待って。あと3分だけ……」


 そう言って晴香は辺りを見回した。


「どうしたの……?」


「あ、来た来た。あのね、もうひとつプレゼントがあるんだ」


 晴香はそういうと、ことねの耳元で囁いた。


「静かについてきてね」


その時、ガラスドアの向こうを、高層階で良く見る、50歳くらいの巡回警備員の男性が通り過ぎた。彼が通り過ぎるのを見送ると、晴香はあまり音を出さずにその後を追いかけた。


「え、ちょっと!」


 ことねは慌てて、手に持っていた空き缶と、ケーキの紙皿を近くのゴミ箱に投げ入れると、晴香の後を追いかけた。


 2人で警備員の後を追いかけると、警備員は大きな鉄のドアの前で立ち止まった。火事など、万が一非常時の時は使いなさいと一度だけ説明を受けた事のある、非常階段と書かれた大きなドアだ。彼は腕時計をチラッとみると、力を込め、そのドアを押し開けた。

 そのドアがゆっくりと閉まる直前、中を確認しつつ、晴香とことねもそこへ滑り込んだ。


 中は他の場所よりも薄暗く、ひんやりとしていた。ことねは、この棟の中で来たことの無い場所が珍しく、きょろきょろと辺りを見回してた。

 薄暗い中、目をこらして見ると、先程の警備員がまた先程と同じ様なドアの前で鍵を差し込んでいるところだった。彼が鍵を開け、その扉を開くと、隙間から溢れんばかりの光が暗い階段内に差し込んできた。


「ことね、ことねにちょっとだけ外の世界を味合わせてあげるね」


 そういうと晴香はことねの手を引き、そのドアの方へ静かに小走りした。そして閉まりそうなドアノブにギリギリ手をかけ、警備員にばれない様に、ゆっくりと扉を開いた。


 扉を開くと目に入ってきたのは、頭上一面に広がる青空だった。


今だかつて、視界をここまで空に埋め尽くされたことは無い。2人は警備員を避ける様に、メーターボックスと思われる鉄製の大きな箱の陰には隠れた。出来るだけ小さな声でことねが話しかける。


「晴香、ここって……」


「そう、ここはこの建物の屋上。 緊急用ヘリの発着所らしいんだけど、この時間に警備員が巡回するのを知ってさ。どう、初めての外の空気!」


晴香は小さく鼻で深呼吸した。ことねもその真似をする。空調されていない空気をこんなに吸い込むのは初めてだった。少し潮の香りがする気がした。


「なんか、外の空気って色々混じってんだね。 おもしろい!」


 ことねと晴香は興奮しながら空を見上げた。


「空だって、こんなに広いんだよ。鳥になった気分!」


晴香はそう言って両手を広げたが、さすがにメーターボックスから体がはみ出しそうになり、ことねに手を押さえられた。2人は声を押し殺して笑う。


「あのおじちゃん、5分で一回りして帰ってきちゃうんだよね。締め出されたりしたら大変だから、そろそろ行かないと」


 晴香はそういうと顔をチラッと出して警備員の位置を確認し、少し待って大丈夫そうなタイミングでドアの方まで駆け寄った。

 警備員はまだドアとはだいぶ離れた場所で手すりの緩みなどをなんとなく確認しながらゆっくりと巡回している。ことねもそれを確認すると、晴香が手で押さえているドアの隙間から建物の中へ体を滑り込ませた。

 

ドアを閉めると、2人は高揚した気持ちを整えてから、足早に非常階段を後にした。建物内に戻ると、晴香が言った。


「あ~、面白かった。ドキドキした~。ことね、15歳おめでとう! 今後本当の外の世界に出る事になっても、ずっと宜しくね」


ことねはしっかり晴香を見ながら大きく頷いた。ことねの心臓はまだ大きく脈を打っていた。

 言われるがままに付いていったが、本当は外に出る事に少し恐怖心があったのだ。

 しかし晴香と一緒なら大丈夫だと思えた。ここへ来て初めて笑った時のように、晴香と一緒なら初めての事も、恐くないと思えた。

 そして、さっきろうそくを消しながら願った事を思い出した。

 「出来ることなら、ここを2人一緒に出て行けますように・・・」


しかし実際は、この後彼女がここを出る事はなかった。


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