その13
マニントン墓地は月明かりに照らされ、静けさに包まれていた。
バルデンハイムの城壁内ながらも人気のない外れに存在する墓地の一つである。敷地は土の露出した地面が広がり、ところどころに背の高い木がぽつりぽつりと生えている。墓地の広さに対して墓石の数は多くはなく、昼間でも非常に閑散とした印象を受ける場所だ。夜になるとあたりは静寂で満たされ、まさしく死の世界にまぎれこんでしまったかのような錯覚を受ける。
そんな風景の中を、ランバートは一人静かに歩いていた。
「……いた」
ほどなくして目的の人物を見いだす。
墓地の真ん中に突如黒い柱が立っているように見えた。
ペストマスクを装着した黒い柱が。
カーラは目だけを動かし、ランバートの姿を捉えた。
「…………」
無言のまま手招きする。
ランバートはおとなしく従い、カーラの正面に立った。
「足下に気をつけろ」
マスクの中でこもる声で言って、カーラは自分の斜め後方に視線を投げた。
黒い長方形の墓穴がぽっかりと口を開けていた。すぐそばには掘り出された土が山をなし、スコップが三本突き立っている。
「掘ったきりほっとくなんて、褒められたもんじゃないな。誰かが落ちたらどうすんだ」
と感想を述べてから、ランバートはカーラに相対する。
「で、なんだ? こんな遅くに呼び出しなんて。おかげで夜食にうどんを食べてしまった」
ランバートの表情は険しい。
「……調査をしている。話を聞きたい」
カーラはそう切り出した。
「先日から行方不明になっている者がいる。チエ・マルタマチ、アイリ・サガラ、そしてコウガ・セタ。聞けば先日、三人はおまえに何事か相談していたそうだが……」
「へえ。その三人が行方不明?」
初めて聞いた、とでも言いたげな顔を、ランバートはした。
「たしかに、三人から相談は受けた。うどん屋で会ってる。向こうがミーム狩りに誘ってくれたんだが、こっちは都合が悪くてね。俺が断って物別れになった」
「どこに行くつもりか言っていなかったか?」
「サールブロ方面に行ってみたいなんてことは言っていたが、具体的には……どうだろな」
ランバートは首をひねった。
前髪に隠れた両目で、カーラはランバートをじっと見つめる。
ランバートも無言で見返す。
しばしの間続いた沈黙は、
「……嘘だ」
カーラの一言によって破られる。
「嘘?」
心外だ、とでも言いたげにランバートは怒りの表情を作った。
「俺は本当のことしか言ってねえぜ。嘘だってんなら、証拠を出してもらおうか」
今にも殴りかからん勢いで身を乗り出すが、
「……勘違いするな。嘘を言ったのは私の方だ」
カーラのその言葉に、ランバートは落ち着きを取り戻す。
「な、なーんだ。勘違いさせるような物言いはやめてくれよ、死神さん」
緊張が抜けて、自然と愛想笑いが浮かぶ。
「……って、嘘ってのは何が嘘なんだよ」
ランバートはふと気づく。
カーラは少し間を置いてから、告白する。
「チエたち三人が行方不明と言ったが……実は」
さらに一拍置き、ぽつりと言う。
「今、おまえの後ろにいる」
ガシィ!
ランバートが息を呑むより早く、何者かの手がランバートの首裏を掴んだ。
「久しぶりだな、ランバートさんよ……」
手の主、アイリが低く、よく響く声で語りかける。
「…………!」
その声を聞いただけで、ランバートは金縛りにあったかのように動けなくなった。
「……話は聞かせてもらいましたよ」
墓穴の底から二つの手が伸びる。
手の主は、チエだった。墓穴をよじ登りながら、しっかりとランバートを見据える。
「! おまえもそんなところに……!?」
目を剥くランバート。冷や汗が異常な勢いで流れ始める。
「できるだけ近くで被告人の陳述を伺いたいと思いましたのでねえ」
墓穴から出たチエは、一緒に底に潜んでいたコウガに手を貸す。
「被告人の陳述……?」
「あなたは私たちを見殺しにしようとしました。だから裁きにかけるですよ。先ほどの嘘の証言で、有罪確定です」
「あたしらと一緒に岩塩マンを倒しに行ったことを言い忘れるなんて、随分冷たいよなあ?」
言いながら、アイリはランバートの首裏を締め上げる。
「がああッ! 違う、それは……! 離してくれ、これじゃまともにしゃべれない……!」
ランバートはもがくものの、アイリは手をまったく緩めない。
「言い訳なんざ聞きたくねーぜ。あたしらを見殺しにして、岩塩マンを倒した手柄を独り占めにしようとしたんだろ? 許すわけにはいかねーなあ」
「た……助けてくれよ! コウガ!」
腕を伸ばし、ランバートはコウガに助けを求める。
コウガは首を左右に振った。
「うどん好きに悪い人はいない、って信じたかったんだけどね……」
先ほどのランバートの「陳述」を聞いてしまっては、もはや弁護することなどできなかった。「裏切られた」、「こんな奴を信じた自分が間抜けだったのだ」「疑ってかかったアイリの方が正しかった」といった思いがコウガの胸中を去来する。
「……ギルドメンバーを裏切るのは重大な罪……仕置案件だ」
カーラの左袖口から、糸に捕まり垂れる蜘蛛のように、ひもの先端に結ばれた小型の銛が滑り落ちながら現れる。
ひょいと引き上げて右手で銛を掴み、ランバート目がけて投じる構えを取った。
「ヒィィ!?」
すくみ上がるランバートだったが、逃げることはかなわない。
「待ってくれ!」
アイリはカーラに鋭い声を投げる。
「これはあたしらが始末をつける。あんたは立ち会ってくれるだけでいい」
カーラはチエに目配せする。
無言のまま、チエは小さく頷いた。
「……マジか」
コウガは小さな声で呟く。眼前で処刑が行われようとしていると悟って、思考が止まる。
「おい! ちょっと、やめろ! 謝るよ、悪かった! 俺が間違っていた! 一時の誘惑にかられてつい逃げただけなんだよ!」
ランバートは命乞いしながら身をよじる。しかしアイリはびくともしない。
「うっかりで済まそうってか? 面白い冗談だな」
「……クソッ! このッ!」
許してはくれないと悟り、ランバートは実力行使による脱出を試みた。右足を持ち上げ、アイリを蹴り離そうとする。
「……見苦しい……!」
カーラが銛を投げ放った。
紐が波打って渦を描き、ランバートの右足を絡め取る。
ぐい、とカーラが力強く引っ張ると、
「おごぉ!?」
ランバートはバランスを崩し、開脚したままその場に尻もちをついた。
カーラは両手で紐をピンと引き、ランバートの動きを完全に封じる。
「冥土の土産に教えてやる……。冒険者ギルドには私とは別に、裏の死神がいる……そんな噂を聞いたことがあるだろう」
その言葉に、ランバートは一瞬困惑。しかし直後に全てを悟り、
「まさか……こいつが……!?」
「あたしがその一人だよ」
アイリは手をランバートのあごに回し、首を百八十度回転させた。
感情の消えた冷たい目で、ランバートを直視する。
ランバートの両目から、急速に生の光が消えていく。力も抜けていく。
アイリが手を離すと、ランバートの体はその場にぐにゃりと崩れた。
少し強い風が、墓地を吹き抜ける。しばし、場は恐ろしい程の沈黙に包まれた。
――殺した……!
ただ一人、コウガは内心でひどく動転していた。
目の前で人が一人殺されたのである。しかも手を下したのはアイリ。
落ち着いていられるはずがなかった。
「……力を抜いて」
ポン、とチエがコウガの背を叩く。
びくり、と体が大きく震えた。コウガ自身が驚く程に。
「ビビる気持ちはわかります。大丈夫ですか?」
「……なんとか大丈夫。ここに来る前にトイレに行っておいて本当に良かった」
「なら結構。後片付けを手伝ってくださいね」
「後片付け……?」
アイリが死体の脇の下に手を差し込もうとしているのを見て、コウガは察した。すぐさま歩み寄り、ランバートの足を掴んで持ち上げる。
二人でランバートの死体を持ち上げ、墓穴に放り込む。
コウガはスコップを手に取り、穴を埋め始めた。アイリとチエも、土の山にスコップを差し込み、穴の中へ放り込んでいく。
「……『裏の死神』って?」
作業しながら、コウガは問いかけた。
「ギルドの敵を処断するのは、カーラだけではないということです」
手を休めぬまま、チエは答えた。
「見える恐怖としてギルドに秩序をもたらすのが表の死神、カーラの役割です。しかし、見えていれば対処のしようもある、と考える手合いもいますのでねえ。そういった方々を掣肘するのが見えない『裏の死神』というわけです」
「ギルド内でも秘密なのか」
「ええ。ギルドメンバーを秘密に監査するスパイみたいなものですよ。それとは別に、上から暗殺依頼を引き受けることもありますけど。このこと、もし誰かに漏らしたら……」
「次は俺が穴に埋められる番?」
「丁重に埋葬して差し上げます」
口調は軽かったが、チエの目は真剣だった。
「気をつける。……えーと、つまり、ランバートをこうしたのは、ギルドの意思ってことでいいのかな」
「ええ。そのためにカーラの手を借りたんです」
「なら安心……していいのかな。それはいいとして、この国の法律的はどうなのよ?」
さらにコウガが質問を重ねると、
「ハア? 法律?」
チエはいきなり、強烈な怨みがこもった声をひねり出した。
突然の変化にコウガは驚き、思わず穴を埋める手を止めてしまう。
「……失礼しました」
チエは己を恥じるように小さく頭を下げた。
「もちろん、殺人は法的にアウトです。でも、先に殺されかけたのは私たちの方ですよ」
「まあね」
「ランバートを法に訴えて裁けるのなら、そうします。でも彼の行いを裁ける法があると思いますか?」
「それは……敢えて言うなら、未必の故意って奴なんだろうけど……」
「そんな法律用語がこの世界にあると思います?」
「……ないよな」
コウガはそう答えるしかなかった。
「この国の法はあまりにも未成熟です。まさしくザルですよ。法に頼っていては、こっちが殺されます」
「……だから俺たちで裁くってのか」
「違和感があるのはわかりますよ。特に、日本から来たばかりならね」
チエはスコップを土の山に突き刺し、手を止めた。
「でもアリカムナードで暮らしていれば、いずれわかりますよ。この世界の法は、私たちを守ってくれないってことをね」
口調はあくまでも丁寧。しかしその言葉には、隠しようのない怒気がこもっていた。
――何か実体験でもあるのか?
コウガはそう察したが、直接聞く気にはなれなかった。
十数分程で、一同は作業を終えた。
「結構」
カーラは短く呟き、三人からスコップを回収。背を翻し、挨拶もせずそのまま立ち去った。
「行こうぜ。眠くて死にそうだ」
アイリはカーラと反対側に歩き出す。チエが続き、コウガも追いかける。
少し行ってからアイリはコウガに歩調を合わせ、横に並んだ。
「気分はどうよ」
「問題ないよ。別に気にしちゃいない……誰かがやらなきゃならなかったんだ」
そう応じると、アイリは少しほっとしたような顔になった。
「あたしらはギルド内の仕置だけじゃなく、外部からの依頼も引き受けているんだ」
「まあ……そういう依頼もあるよね」
「おめーにも手を貸せなんてことは言わねえから安心しな」
「それは安心。経験がないことをいきなりやれって言われても困るからね」
思わず、コウガは大きなため息をついてしまった。
「君ら二人に拾われて運が良かったと思ってたけど、実はそうでもなかった……?」
コウガのつぶやきに、チエが含み笑いを漏らした。
「私たちの裏稼業については、しばらく黙っているつもりでいたんですけどねえ」
「遅かれ早かれこうなるだろうに、なんでまた俺を拾ったりしたんだ?」
「コウガ、ミームに襲われていたじゃないですか。それを見殺しにしていたら、その日丸一日くらいは嫌な思いを抱えることになったでしょうから」
「丸一日だけかよ。それを置いても、俺の扱いをギルドに預けるって手もあったはずだけど」
「それは、コウガのユニークスキルが気になったということもありますけど……直感ですよ」
「直感?」
「この人なら私たちの裏稼業の助けになってくれる、という直感です」
「そんなの見込まれてもうれしくないなあ……」
「所詮直感ですからね。当たってるかどうかはこれから次第です。それに表向き、私たちは単なるギルド所属の一冒険者ですから。冒険者仲間として期待してますよ」
チエはコウガの肩に手を置き、にっこりと笑った。
コウガは渋い表情を浮かべるしかなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます