その12


「うむむ……」

 目覚めた時、コウガがまず感じたのは自分が横たわっている場所の硬さだった。

 ――岩塩の上に寝てればそりゃ体も痛くなるよな……。

 寝ぼけ眼でのんきに考える。

 少ししてから状況を思い出した。

「ぬあああッ!?」

 勢いよく跳ね起きる。

「……生きてる!」

 ケガ一つ負っていないことを確認する。五体満足だった。

 ということは二人が守ってくれたのか、とすぐ横を見上げる。

「……やっと目を覚ましてくれましたか。こんな時に寝ていられるとは大したタマですねえ……」

 しゃがみ込んだチエが、苦しい声を絞り出すように言った。

 見るからに消耗していた。表情に冴えがなく、冷たい空気の中にもかかわらず汗が顔を伝っている。

「毎晩十時間寝ないと調子が出ないタチなんで。状況は?」

「どうにか二人で頑張ってますよ……」

 チエは後方に顔を向ける。

「おのれら一体何匹いるんだ! いい加減打ち止めになりやがれッ!」

 半ばやけくそ気味に叫ぶアイリの声が轟く。

 複数存在するドームへの入り口は、ことごとく砕かれた岩塩の山によって塞がれていた。

 が、たった今この瞬間、とある坑道を塞ぐ山が大きく崩れ、向こう側からミームが姿を現した。

「アイリ!」

 チエが叫ぶとともに、穴が空いた坑道目がけて火の玉を放つ。

 一直線に飛んだ火の玉は岩塩の破片を直撃、より派手な音を立てる。

「今度はこっちかよ!」

 音に気づいたアイリがすっ飛んでいき、侵入してくるミームを殴りにかかった。

 ミーム一体一体はさほど強力ではないと見え、アイリはちぎっては投げる勢いでミームを潰し、次から次へとコアクリスタルを量産していく。

 とはいえ、一つの穴を潰しきった頃には、また別の坑道が崩れてミームがなだれ込んでくる。そのたびにアイリは走らされ、体力を削られる。その声、立ち振る舞いには疲労の色が濃い。

「リアルモグラ叩きですよ。仕留め損ねるともれなく死ぬって条件付きの」

 含み笑いをチエは漏らした。もはや笑うしかないという体だ。

「悪い。俺が思いっきり足を引っ張ってしまってるな」

 コウガは謝るしかなかった。自分ではどうしようもないこととはいえ、重い責任感が両肩にのしかかる。

「とにかく、立てますね?」

 チエはコウガの手を取り、立たせてやった。

「大丈夫、動けるよ」

 実際のところは寝起き特有のけだるさに包まれてもいたが、そんなことを口にしている場合ではない。

「なら結構。アイリと合流して、どこかの坑道から強行突破を図りますよ」

「強行突破? それは……脱出ルートがわかってる?」

「いえ、それはまったくわかりません。勘で行くしかありません」

「となると、それはどうかな。坑道内で道に迷って、三人ともミームに食われるエンドが待っているだけのような気がする」

「でも、他に手がありますか?」

 問い返されて、コウガは瞬時に思索を巡らせ、

「……あると思う」

 ややおぼつかない口調で答えた。

「今の俺はレベル1、スキルポイントが2ある。クライミングスキルレベル1を取得して、降りてきた縦穴を素手で登る」

 無言のまま、チエは両目を見開いた。

 短時間検討し、すぐさまアイリに呼びかける。

「……アイリ! ちょっとこっちへ!」

「お、コウガ、やっと起きたのかよ! このアホが!」

 気づいたアイリは、少しほっとしたような表情を浮かべつつ罵倒した。ミームの攻め手が小休止したタイミングで、チエのそばまで戻ってくる。

 チエが手短に事情を話すと、アイリの表情は曇った。

「コウガがあたしたちを助けるために戻ってくるって保証はあるのか?」

「ない」

 コウガは即答した。

「アイリが力任せに登るという手もある。さっき、デュラハンの首を見つけた時みたいに。ただしそうなると俺とチエが下に残ることになって、正直身を守りきれるかどうかわからない。だから、戦闘力としてはゴミであるところの俺が上に行くのが一番理にかなっている。だろ?」

 言われてみればたしかに、自分だけが生き残ろうとしていると思われても仕方がない。

 それでも信じてもらうしかない。コウガは言葉を重ねる。

「必ず戻ってくると約束する。第一、巨乳美少女二人に恩を売る大チャンスだ。俺がこれを見逃すと思うのか」

 チエ、アイリともにあきれ顔になった。

 こりずにコウガは続ける。

「それに、俺の命を救ってくれた二人に借りを返すことにもなる。みんなで生還できたら、その時の謝礼、チャラにしてもらっても構わないだろ?」

 フッ、とチエは小さく笑みをこぼした。

「そうですねえ。貸し借りゼロになるのはつまらないですけど、貸しをあの世にはもっていけませんものねえ」

「それもそうだ。……信じていいんだろうな」

 アイリはコウガを睨みつける。

「もちろん。今の俺に投資したら必ず儲かるよ」

「逆にうさんくせえだろうが!」

 バシイ! とアイリはコウガを叩き、縦穴のある坑道へ押し出した。

「いいさ、信じたぜ! この坑道を維持して、てめえが戻ってくるのを待ってるからな!」

「必ず戻ってくる!」

 押された勢いのまま、コウガは坑道の奥へ駆け込んだ。

 落ちたロープを回収し、ぐるぐると大きな輪にまとめ、肩にたすき掛けする。

 縦穴の直下で立ち止まり、スキルスクリーンを展開。クライミングスキルレベル1を取得する。

「できればもっとレベルを上げたいところだけど、そんなに待っていられないからな……」

 スキルを取得したとはいっても所詮レベル1。必ずしも縦穴を登り切れるとは限らない。滑落、大怪我のリスクはある。

 それでもやるしかない。

 頭上を見上げる。壁のわずかな凹凸を足がかりに、コウガは縦穴の中へ体を滑り込ませた。

 穴は狭く、逆に好都合だった。手足を伸ばして突っ張らせ、背中を力一杯壁面に押しつけてやれば、穴の途中で静止することもできる。その体勢からずりずりと手足、背を摺り上げていけば、ゆっくりながらでも登れる。

 もっとも、ゆっくりしてはいられない。クライミングスキルレベル1が出せる範囲の速度で、コウガは縦穴を登っていった。


 一心不乱にコウガは穴をよじ登り続ける。手足や背中が痛くなろうと、気にしている場合ではない。

 時折、壁面からポロポロと小石が落ちてくる。縦穴は古く、岩壁は少々もろくなっているようだった。このタイミングで崩落が発生したら、大きい岩が頭上に降ってきたら、回避のしようがない。

 事故が起きないよう、ただ祈るしかなかった。無言のまま、呼吸を整えつつ、ひたすら登る。

 祈りの甲斐あってか、ついに頭上に夜空が見え始めた。

 ――よっしゃ、いける!

 コウガの心ははやり、手足の動きも速くなる。

 と――コウガの手が、何かに触れた。掴んでみて、その正体を悟る。

「ロープか。俺たちが降りるのに使った奴か……?」

 体を持ち上げ、視認する。地上から垂れているロープが、鋭い断面を晒しながら揺れていた。

 刃物で断たれたと思われる断面だった。重みで自然に切れたのでは、決してない。

 何者かが意図的にこのロープを切断したのだ。

 ――ランバートがいるはずなのに、何が起きた?

 疑問がわき上がるが、今は地上への脱出が先だ。

 ロープをぐっと握ると、頑丈な手応えが返ってきた。ロープの反対側は幹にくくりつけられたままのようだ。

 両手でロープを掴み、体を引き上げる。すぐに縦穴は終わり、コウガの頭が地上に出た。

 さらに手を伸ばして下生えをがっちりとつかみ、上半身を、そして下半身を引き上げる。

 しっかりとした大地が、コウガの体重を支えてくれる。全身を投げ出し、大地のありがたみを実感する。

 地上では穏やか風が吹き、天には星々が輝いていた。こんな当たり前の光景を、ともすると二度と見ることができなくなっていたかも、と思うと肝が冷える。

 が、感慨にふけっている暇はない。

 身を起こし、あたりを見渡す。ランバートの姿はどこにもない。何者かに襲われた気配、格闘などの痕跡もない。

 担いできたロープを改めて観察する。断面はやはりきれいだった。

 途中で切れているということは、おそらく坑道まで垂らすには長さが足りない。

 断面同士を結び直すとしても、十分な強度を得るためにはある程度長さを犠牲にしなければならず、きっと短くなってしまう。

「となると、助けを呼びに街まで戻るしかないのか……?」

 いや、それでは時間がかかりすぎる。

 何か手はないのか。

 焦燥に駆られながら、コウガは周囲を見渡して――

「……これはどうだ!?」

 もっとも手近にあるツタを掴み、引っ張った。バリバリバリ、と絡みついている枝葉を砕き折る音がする。

 複数のツタが絡み合っていて、人間二、三人程度の体重ならば十分に支えうるように見えた。ここに来る途上でのランバートの言葉も思い出す。

「時間がねえ! やってやる!」

 コウガは心を決め、ロープ作りを開始した。

 力ずくでツタを引っ張り、手元に引き寄せる。

 ツタはかなり長く伸び、引っ張っても引っ張っても終わりが見えない。ある程度引っ張ると、どこかにかなり強固に絡みついているのか、動かなくなってしまった。

「クソッ! このッ!」

 力任せに引いても、びよんびよんとたわむのみで、それ以上の進展がない。

 こりゃ力任せではどうにもならない、とコウガは判断。

「こんな時に役立つスキル、何かないか!?」

 スキルスクリーンを展開。ツタを引っ張りつつ、一覧を高速で流し読みする。

 ほどなくして、あるスキル名がコウガの目を捉えた。


 除草


「こんなスキルあるのかよ……。庭師も立派なクラスか」

 残ったスキルポイント1を除草スキルに即座に投入。改めてツタを引っ張る。

 ズズズズズ……とツタが枝葉から離れ行く手応えが返ってくる。あれだけ強固だったツタは、あっという間にコウガの手元に引き寄せられた。

 適当なところで引きちぎろうと試みる。が、複数本よりあわさったツタは頑丈で、ちぎれない。

「えーと……ナイフ!」

 コウガは懐中から小さなナイフを取り出し、十分な長さにツタを切り取った。

 一端を幹に巻き付け固く結び、一端を穴に投入する。

 ツタを両手でがっちりとつかみ、全体重をかけて引っ張ってみる。強い手応えが返ってきて、ちぎれる様子はない。

「なーるほど、ランバートの言ったとおり頑丈だな、こりゃ」

 呟きつつ縦穴に飛び込もうとして、踏みとどまる。

 結局ロープが切れた理由――というか、何者がロープを切ったのかは謎のままである。

 その何者かがまだその辺に潜んでいて、コウガが降りた瞬間にロープをまた切ったりしないだろうか?

 そんな疑問にかられ、足が止まった。

 もう一度、コウガは周囲の気配を探る。

 聞こえてくるのは風の音、風に揺すられる枝葉の音のみ。近くに誰かが、あるいはミームがいるとは思えなかった。

「……時間もないし、やるしかないね。切られたら切られたで、もう一回登ってくるまでよ!」

 心を決めて、コウガは穴へ飛び降りた。


 ツタは十分に長く、穴に落としたその先は十分にあまり、岩塩の地面に渦を巻いていた。

 そして、既にチエが待機していた。

「状況は!?」

 坑道に戻ってきたコウガが尋ねると、

「まだ生きてますよ! よく戻ってきてくれました!」

 チエはコウガに飛びつき、頭を撫でた。興奮のせいか力が強く、コウガにとっては痛いだけだったが。

「アイリ! 脱出します!」

 ドームへの入り口で、アイリは奮闘していた。チエの声に振り向き、コウガの姿を確認して、

「お、よくやった! あたしがしんがりを務めるから、さっさと登っちまえ!」

 笑顔を浮かべながら、飛びついてきたミームを振り払い、踏みつける。

「チエ、先に!」

 コウガは立ち位置を入れ替え、チエをツタのもとに押しやった。

「スカートの中を見たら蹴り落としますからね!」

 チエはツタを掴み、昇りはじめた。

 チエがある程度登った後、コウガはもう一度壁に手足と背中を当て、登りはじめた。できるだけツタに負担をかけず、アクシデントが起きた時だけ頼るつもりで。

「アイリ! 適当に切り上げて君も……!」

 コウガは呼びかけ、

「おうよ! てめえを守るために囮になって死ぬなんて、冗談じゃねえからな!」

 アイリは叫び返し、ツタにしがみついた。優れた腕力を生かし、登りに登る。

 縦穴の底にミームたちが殺到する。しかしミームのほとんどは四本獣で、ロープを登って追いかけるなどいう器用な真似はできなかった。吠え声、うなり声を上げて威嚇を続けるものの、それ以上はどうしようもなかった。


 約十五分後。

 最後に縦穴を登り切ったアイリが全身を地上に引きずり出した。

 直後、黒い塊が穴からぶわっと飛び出した。黒い翼をはためかせたコウモリ型のミームが牙を剥き、アイリに襲いかかる。

「……うぜえ!」

 怒りに任せ、アイリは角度の高い後ろ回し蹴りを繰り出した。さして大きくもないミームは一発で吹き飛び、クリスタルと化した。

「その穴、塞ぎましょう!」

 チエが呼びかけ、

「言われるまでもねえよ!」

 アイリは勢いそのままに、縦穴入り口のへりに拳を叩き下ろした。地面が砕けて崩落し、大小の破片が穴の底へと落ちていく。

 四発、五発と連打して砕いた岩を送り込む。縦穴の途中、クランク状になっているところに岩がたまり、穴を塞ぐ。

 三人で穴を囲み、一応の迎撃態勢を取る。だが、後続のミームがやってくる気配はなかった。

「……もう、大丈夫だろ」

 アイリは緊張を解くと、べたり、とその場に腰を下ろした。

「ケガはないか?」

 コウガが歩み寄ると、アイリは右拳で自分の左肩を叩いた。

「あのザコどもがあたしに傷一つでもつけられると思ってるのかよ」

 言い返してから、ニッと笑う。

「お互い、生き残れたな」

「君らはこんな冒険を毎度毎度繰り返しているのか」

「こんなピンチに陥ったのは久しぶりだぜ。普段はもう少しきれいに済ませるって。ま、でかい敵に勝つには、このくらいのリスクはあって当然よ」

 アイリに笑顔につられ、コウガの顔も自然とほころんだ。

「こんな冒険に巻き込まれるなんて、運がいいやら悪いやら」

 ただ一人、チエだけは険しい顔つきをしていた。いまだに幹に結ばれたままのロープの断面をじっと観察している。

「たしかに、何者かが刃物で切ったとしか思えないですね。そして、ここにいるべきはずのランバートがいない」

 はあ、と深いため息をついて、断言する。

「ランバートがロープを切ったとしか思えませんね」

「……マジ?」

「それで簡単に説明がつくでしょう? 私たちが坑道から脱出できずに死んだ後に戻ってきて、何食わぬ顔でデュラハンのコアクリスタルを回収すれば、ランバートがデュラハンを倒したということになる。私たちの冒険の成果をかすめ取ろうとしたんですよ」

 そう語るチエの表情には、おおよそ感情というものがなかった。

「ほれ見ろ! だからあいつは信用できねえって言ったんだよ!」

 アイリが力強く言い立てる。

 無言のまま、チエはため息をついた。その態度にははっきりと「有罪」というニュアンスがこもっていた。

「決めつけるのは早いんじゃないの」コウガが反対意見を述べる。「なんか事情があるかもしれないだろ。ランバートから話を聞くべきじゃ?」

「無駄だぜ」アイリがコウガをにらむ。「結果が全てだ。野郎はあたしらを見殺しにした。殺されかけて黙っていられる程、あたしは大人じゃねえんだよ」

「それにしたって、同じギルドの仲間だろ? 少しは信じてもいいんじゃないの」

「それがなんだってんだ。ギルドの中にも信用ならねえクソ野郎は山程いるぜ。奴らを無条件に信じていたら、命がいくつあっても足りねえぞ」

 到底アイリを説得できるとは思えず、コウガは視線でチエに助言を求めた。

「いえ……私は、ランバートから話を聞いた方がいいと思います」

 意外にも、チエはそう言った。

「マジかよ、チエ」

「いえ、私もランバートはクロだと思いますけどね」

「あいつがクロだったら、嘘しか言わねえだろ」

「でしょうね。だから人の手を借りるんですよ」

 チエのその一言に、アイリは喧嘩腰な態度を改め、おとなしくなった。

「……何か考えがあるみてえだな」

「ええ、まあ。一応、被告人には陳述をさせるべきでしょう」

「……それがいいんじゃないのかな」

 コウガが口を挟んだ。

「それにしても『陳述』なんて、裁判風の言い回しだね」

「それはそうですよ。これは仕置案件ですから」

「仕置……?」

「はい。おしおきじゃなくて、仕置です。有り体に言うと、処刑するってことですよ」

 チエの口ぶりには何のすごみも気負いもなかった。

「クロであれば、ランバートを殺します。この仕事を引き受けた私の責任において」

 そう宣言して、チエはコウガの目をじっと見つめる。

 チエの目にはなんの感情も読み取れない。ただ、冷たかった。

 翻り、コウガはアイリを見やる。

「チエ一人に責任を負わせる気はねえよ」

 アイリの目に宿る光は、チエのそれと酷似していた。

 コウガは何も言い返せなかった。

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