その10


 満月の光の中に浮かび上がる獣道を、コウガたちは登っている。ランバート先導の下、静かに歩み続けていた。

 既に深夜二十三時、そして死せる都市サールブロの近くである。付近を歩く人間が他にいるはずもなく、周囲は恐ろしく静まりかえっていた。聞こえてくるのは風の音、獣の鳴き声くらいである。

 道のりもなかなかに険しい。足下を覆う草むらは深く、周囲は森。低木にも高木にもツタがまとわりつき、枝葉を一つのこんもりとした山へと変えていた。

 このツタが獣道まで降りてきて歩行の邪魔をするのだからうっとおしい。コウガは何度も足を取られては先を行くアイリの背中に抱きつきかけ、

「変なところを触んじゃねえ!」

 そのたびにアイリに殴られていた。

「こっちだって好きでアイリに触ってるんじゃないんだって。ツタが悪いよツタが」

「その割にはこけるたびにあたしの胸に手を回してくるよな?」

「そりゃ、出っ張ってるところにすがりつきたくなるのが人間の本能ってやつでしょ」

「おめー、次に変なことしてきたらツタで締め上げるかんな?」

「変なこととは具体的に……?」

「うるせえな! テメエで考えろ!」

「……二人とも、これから命を賭けた戦いに臨むというのに、よくもまあイチャイチャしてられますねえ」

 コウガの後方を歩いているチエが、先を行く二人に声をかけた。

「イチャイチャしてるように見えんのかよ!?」

 半ギレ状態でアイリが言い返す。

「俺も異議を唱えたい」コウガも冷静に言い返す。「アイリが俺を一方的にボコっているだけなのに、なぜイチャイチャしていると言えるのか。まさかアイリは鉄拳で殴ることが愛情表現とかいう変わったいきものなのかな?」

「ンなこたねえから安心しなよ。あたしが他人を殴るのは、単純にむかついているからだぜ」

 アイリはコウガの襟首を掴もうとした。

「そろそろ静かにしてくれないかね。野良ミームに見つかりでもしたらどうするんだ」

 先頭を行くランバートが、呆れ気味に言った。

「ま、ツタには気をつけなよ。ここいらのツタは勝手によりあわさる性質があってな。かなり頑丈になる。腕力だけでちぎるのは難しいぜ。でもその割にはあっさり刃物で切れるんで、色々な用途に使われる。首つりロープとかな」

「それはいいことを聞いた。もし俺が一文無しになっても、ロープを買う金を心配しなくていいらしい」

 コウガのつまらないジョークを笑う者は、一人もいなかった。

 上り坂の勾配が徐々に和らぎ、ついに丘の上に到達する。ここまで来ると草の深さもいささかマシになり、周囲が見渡しやすくなっている。

「気をつけろよ。そっち側は崖になっているからな」

 ランバートの警告を受け、コウガはその方向を見やる。満月の明かりの下でも、地面が急に途切れているのが見て取れた。

 その向こうに広がっているのは、サールブロの全容だった。

「おお……、こりゃすごいや」

 死せる無人の街並みが、死せる太陽のようなほの暗い輝きを受けて広がっていた。

 人工的建築物が広がる一帯は完全な静寂に包まれ、人の気配はまるでない。石造建築物が多く、今でも普通に住めそうに見えるだけに、違和感はいや増す。

 見ているだけで薄ら寒くなる、異様な光景だった。

「死の街ってのはこのことか」

「今はミームの遊び場ですねえ」

 コウガのつぶやきに応じ、チエが言った。

「俺たちが岩塩マンを退治できたら、この街も蘇るのかね」

「そうでしょう。きっと、かつてサールブロに住んでいた方々は私たちに感謝するでしょうねえ。その証として謝礼をいただけるかも……」

「チエは金に汚いなあ」

「金勘定がしっかりしていると言って欲しいですねえ。捕らぬ狸の皮算用にならないよう、まずは仕事に専念しましょうか」

「……ここだ! これが縦穴だぞ!」

 ランバートが足を止め、コウガたちを呼び寄せる。

 草むらの中に、突然ぽっかりと黒い穴が空いていた。気づかずに通ったら誤って転落してしまいそうだ。サイズは人が二人同時に入ったらつっかえそうな程度で、思いの外狭い。

 チエが照明魔法を唱え、光の玉を空中に現した。

 光の玉を、穴の中へ投入する。しばし沈んだ後、光球は穴の底にぶつかった。そこから穴は曲折しているらしく、チエが起動を調整してさらに奥へと送り込むと、光は見えなくなった。

「かなり深いから気をつけろ。岩塩マンと戦う前にケガでもしたら目も当てられない」

 言いつつ、ランバートは持参したロープを穴のそばに立っている木の幹にくくりはじめた。手慣れた様子で変わった形の結び目を作り、直径三十センチほどの幹に固定。そして余ったロープを穴の中へと放り込む。

「これでいい」

 ランバートはロープを力一杯引っ張って、びくともしないのを確認した。

「底についたら、広くなっている方に行け。すぐにドームにたどり着く。俺はここで待機しているから、なにかトラブったらすぐに戻ってこい」

 ランバートの助言を受けて、三人は大きく頷いた。

「必ず、デュラハンのコアクリスタルを持ち帰ってみせますよ」

 チエは力強く請け負った。


 縦穴を下る程に気温は下がっていき、底についた頃には思わず自分を抱きしめたくなるくらいに寒かった。

「真夏の避暑地にちょうど良さそう」

 空気は乾燥し、からっとしている。ここだけ季節が異なっているかのようだった。

「まったくだぜ。こんなことならもう少し厚着してくりゃ良かった」

 アイリも自分の身をさすりながら後悔を口にする。

「チエにさっさと降りてもらわないと、風邪引くかもね……」

 最後に降りてくるチエの姿を見上げようとして、

「見るんじゃねえよ」

 アイリが強引にコウガの首を掴み、明後日の方向を向かせた。ごぎり、となかなか派手な音が響いた。

「ぎゃッ! 何するんだよアイリ! チエのスカートの中を覗きたいなんてこれっぽっちも思ってないのに!」

「思い切り言ってるじゃねえか!」

「……二人とも、静かにしていただけませんかねえ」

 ロープを揺らしながら、チエが降下してきた。二人をたしなめつつ、着地する。そして寒さに身を震わせた。

「待ってた」首を撫でながらコウガが言った。「もう少しで凍死するところだったよ」

「たしかに、恐ろしく寒いですねえ。遺体安置所にいいかも」

「……なかなか穏やかじゃない発想だね」

「実際問題、先人たちの遺体が腐りきらずに残っている可能性もありますから、足下には十分注意してくださいよ」

 言いつつ、チエは周囲に視線を配る。

 三人は坑道の途中に降りてきていた。ランバートの言ったとおり、一方は狭まり、一方は広がっている。

 広がっている方へ歩いて行くと、すぐに開けた場所へと出た。

「おお……」

 コウガが思わず声を漏らす。

 地の底に掘られたドームは思いの外巨大で、さながら大型プラネタリウムのようだった。

 暗視魔法で強化された視力が、岩塩の中に混じるキラキラと輝くものを見いだす。それこそプラネタリウムに映し出された星々の群れのようである。

 もっとも、中央に陣取っているのは投影機ではなく、クリフォトである。歪み、狂ったように伸びる枝が影となり、宇宙空間にひび割れのような闇を作り出していた。

 そしてクリフォトの根元に、一体のミームが座り込んでいた。

「たしかに、首のない騎士だな」

 デュラハンと名付けられたとおり、頭を持たない人型の怪物だった。体表は白地にほんのりとした赤色が垣間見える岩塩に覆われ、さながら騎士の鎧のようにミームの全身を守っている。

「岩塩を食い過ぎでもしたのかねえ、あの姿。ああはなりたくないもんだ」

「なるわけねえだろ」

 小声でアイリがツッコミを入れる。

 デュラハンは腰を下ろしてクリフォトにもたれていた。すぐそばには幅広の大剣が転がっている。これは岩塩でもミームでもなく、材質は鋼のように見える。打ち負かした冒険者から掠奪したものを愛用しているのかもしれなかった。

「あいつ、死んでるんじゃないかなあ、もしかして」

 一縷の希望をコウガは口にしたが、

「それはないです」即座にチエが否定する。「よく見てください。デュラハンの首の断面のところが黒くなっているでしょ」

 指摘通り、岩塩の鎧の最上部、本来なら首があるべきところにぽっかりと穴が空き、ミーム特有の黒い色が見え隠れしている。

「あそこを狙えばいいのかな」

「それが一番良さそうですね。角度的に難しそうですけど……それよりコウガ、最後のスキルポイントを振り分けてくださいよ」

「そうだった」

 コウガはスキルスクリーンを展開した。

 助言通り、スキルポイントはハンマーマスタリーレベル5と岩盤掘削レベル5のみに振り、不意打ちと忍び足は未取得のままにしている。

 残るスキルポイントは16。一方をレベル3、もう一方をレベル4にすることができる。

 いずれのスキルをより高くするか。コウガが判断すべき事案である。

「……デュラハンって首がないよな」

 思案しつつ、ふと口にする。

「当たり前だろ」とアイリ。「兜被ってたらデュラハンじゃねえ」

「首がないってことは目がない。耳もない。見えない聞こえない状態で、どうやって敵を察知するんだ?」

 突然わいた疑問は、しかしチエにもアイリにも真面目に受け取られなかった。

「それは……気配かなんかを感知するんじゃないんですかね」

「野生の獣と同じ理屈なんじゃねえの」

「いや、野生の獣だったらにおいに敏感だから、って可能性もある。でもデュラハンには鼻もないよ」

「なんだよコウガ。今更ビビったのか?」

「慎重になって当然だろ。気配とかいうあやふやなものに反応するのだとしたら、忍び足スキルをとっても意味がないんじゃ?」

「…………」

 一理ある、とチエとアイリは顔を見合わせる。

「少なくとも、通常のミームに忍び足スキルは通用しますよ。予行でうまくいったでしょ」

「むう……。じゃ、先輩方の言葉を信じてみますか」

 コウガは心を決めた。

 さしあたり、忍び足スキルも不意打ちスキルもレベル3を取得する。うまく接近できるなら仕掛ける寸前に不意打ちをレベル4にすればよし、近寄りきれないと見たら忍び足の方を上げればよい。

 肩にハンマーを担ぎ、コウガは前進を開始した。

 足下の地面も岩塩である。表面は恐ろしく堅い。油断すれば足音が高らかに響いてしまう。

 よく見ると、ところどころにへこみがあった。まるで、大剣の刃を思い切り叩き付けたような。おそらく、デュラハンと冒険者たちとの激闘の痕跡なのだろう。

 いくつかのへこみは、足を取られる可能性がある程に深い。コウガは細心の注意を払って歩を進める。

 ところが。

 デュラハンの背中まであと十メートル程まで間合いを詰めた頃。

 突如、デュラハンが後方へと左腕を振り抜いた。

 闇の中を縫うように、投げナイフがコウガに迫り来る!

「!?」

 咄嗟にコウガは体を床に投げた。

 一瞬後、コウガがいた場所をナイフが通り抜けていく。ナイフはそのまま一直線に飛んでいき、チエたちを襲う。

「こいつッ!」

 ガントレットをはめた右腕を振り上げ、アイリがナイフをつかみ取った。ナイフはその辺の武器店で売ってそうな代物。冒険者の遺品を利用したものと見える。

 デュラハンは重い腰を上げ、大剣を杖代わりにしながら立ち上がった。ゆっくりした足取りで振り返り、コウガたちと相まみえる。

 巨大な騎士だった。首から上がないにもかかわらず、身長は二メートルをゆうに越えている。腕も足も恐ろしく太く、表面は滑らか。自然という名の芸術家によって磨き上げられた鎧は、容易には貫き通せないように見える。

 もちろん目も耳も鼻もない。にもかかわらず、デュラハンはコウガたちのことを認識していた。

 もはや不意打ちもクソもない。コウガは足早にチエたちのもとまで引き下がった。

「おいこの野郎! しくじりやがったな!?」

 アイリの叱責に対し、コウガは反論する。

「しくじってないって! あんな距離で気づかれるとか想定外だ! やっぱりなんか別の方法でこっちの気配を察知してるんだよ!」

「文句言ってる場合じゃないですよ!」

 チエが鋭く警告する。

 デュラハンは大剣を担ぎ上げると、大股に歩き始めた。

 一歩、二歩、三歩と一気に間合いを詰め、コウガたちの頭上に大剣を振り下ろす。

「…………!」

 コウガは右へ、チエとアイリは左へ飛びすさった。

 直後、大剣は岩塩の床に激突し、大きな音を立てた。頑丈な床に刃先が食い込む。

「この野郎ッ!」

 アイリが素早く踏み込み、大剣を握るデュラハンの手にストレートパンチを叩き込んだ。

 ゴスン、とクリーンヒットの音が響く。

 だが、びくともしない。

 表面にわずかなへこみをつけただけ、デュラハンはまったく動揺しなかった。

 デュラハンは大剣を横にひねり、なぎ払う。

 アイリは地面を蹴って飛んだ。

 足下を狙う大剣の剣身にうまく着地、そのまま柄、腕へと駆け上がり、肩口を足がかりにして大ジャンプ。

 空中できれいな一回転を決め――

「……のらァァ――ッ!!」

 渾身のかかと落としを、デュラハンの首の断面に叩き込んだ。

 見事な一撃だったが、

「…………ッ!」

 跳ね返されたのは、アイリの方だった。

 デュラハンは軽く身をよじる。それだけでアイリの体勢が崩れる。

 アイリは空中で姿勢を制御し、両手を地面につきながらもどうにか着地。

「アイリ!」

 チエが援護射撃。火の玉を連発し、デュラハンを牽制する。

 拳大の火の玉がまとめて数個、デュラハンの胸部を直撃。燃えはしないものの、濃い煙を上げる。通常の相手ならば視界をふさがれるところだが、デュラハンには視界がない。

 煙を裂き、デュラハンは大剣を振り下ろす。

 頭上を襲われたチエは反応が遅れ――

「チエ!」

 アイリが半ば体当たり気味にチエを抱きかかえ、真横に飛んで逃げた。大剣は大きな音を立てて地面に激突、新たなへこみを刻みつける。

「おめーは鈍くさいんだからもう少し下がってな!」

 チエを引き起こしながら、アイリが怒鳴る。

「鈍くさいとは失礼ですねえ! 人並みの運動神経はあるつもりですよ!」

 チエは言い返しつつ、助言に従ってデュラハンと距離を取った。

 デュラハンは姿勢を起こし、もう一度アイリに剣を向けようとして――

「そりゃああ――ッ!」

 コウガのハンマーが、デュラハンの左ふくらはぎを狙った。

 ゴガン! とハンマーは激突。しっかりした手応えが返ってきた。が、

「…………」

 なんら動じず、デュラハンは馬のように蹴り上げた。

「おわあ!?」

 全力で体を反らし、コウガは直撃を避けた。ハンマーを引きずりつつ数歩後退、改めて対峙する。

 ハンマーマスタリーレベル5の一撃を加えたはずだったが、デュラハンの左ふくらはぎに視認できる傷は残っていなかった。

「マジかよ。今のでダメージゼロって……!」

 顔から血の気が引くのを、コウガは感じた。

 心の中で希望の光が急速にしぼみ、代わりに死の影がふくれ上がっていった。

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