その7


 都市と都市をつなぐ幹線道路は石畳、あるいは赤煉瓦によって舗装され、かなりきれいに整備されていた。

 特にバルデンハイムへ通じる道路は広く、都市に近づく程たくさんの人々が行き交っている。行商人、郵便配達人、そして冒険者などなど。

「固い地面は本当にありがたいね。道に戻るまでは最悪だったからなあ」

 回収した遺品を大きな袋に詰め込み背負って、コウガはバルデンハイムへ戻る道を歩んでいる。

 道路にたどり着くまではなかなか大変だった。ぬかるんでいる地面が多く、しばしば足を取られてはずっこけそうになった。泥まみれになるより早く整った道にたどり着いたのは僥倖だったといえる。

「日本の都会住まいだと、土の地面を踏みしめる機会がなかなかないですからねえ」

 先頭を行くチエが言った。

「まったくだ。チエは都会に住んでいたのかな」

「京都市内在住でしたよ。洛中出身どすえ」

 突然チエは京都弁を口にした。

「はーん。アイリは?」

「あたしは田舎の方さ。子供の頃から野山を駆け巡ってたから、慣れたもんだぜ。都会生まれのモヤシとは違うんだ」

 当てこするようにアイリは言う。

 チエは柔らかな笑みで受け止めた。

「頼りにしてますよ。こういう場所では、田舎育ちのイモ娘がいてくれた方が安心ですからねえ」

 二人は意味ありげな視線を交わした後、ニッと笑い合った。

「二人とも仲いいねえ。コンビを組んで結構長い?」

 コウガが問うと、チエが答えた。

「二年以上になりますかねえ。なんだかんだで続いてますよ」

「知り合ったきっかけは? 同時にアリカムナードに召喚されたとか?」

「おおむね同時期ではありましたけど、喚び出された場所は別々でしたねえ」

「そうそう。あれは……」

 説明しようとして、アイリが言葉を切る。

 バルデンハイム方面から、白装束の一団がこちらに向かって歩いてきている。人数は八人。

 その先頭に、金髪サイドテールの女騎士が立っていた。

 マイア・コゼンジである。

「チッ、アイリか。チエに……おっと」

 二人の後方にくっついているコウガの姿に気づいて、マイアはきっと眉をつり上げた。

「誰かと思えば、この間崖から突き落としてやったアホじゃないか」

 敵意にあふれる視線をコウガに叩き付け、しかる後アイリとチエに目を配る。

「ゴミ同士は引かれ合うとでも言えばいいのかな! ゴミは一カ所に集まっていてくれた方が、片付けやすくていいものな!」

「ああ? てめえ何寝言言ってんだ?」

 アイリがガンをつけながらマイアの目の前に進み出る。

「どけ、道の邪魔だ。さもなくば、斬って捨てるぞ」

 マイアは足を止め、腰の剣に手をかけた。

 アイリもすぐさまガントレットをはめ直し、構えにかかる。

 突如として殺気がふくれあがる。異様な雰囲気はあっという間に広がり、行き交う周囲の人々が注目し始める。

「もしかして以前から仲悪い?」

 コウガが問うと、チエは小さく頷いた。

「前から色々ありましてね」

「止めた方がいいよね。……まあまあまあまあ」

 コウガは二人を制するように滑り出て、マイアに笑顔を向けた。

「ここは天下の往来だろ。譲り合いの精神が大事だと思うよ」

「おまえも一緒に斬って捨てるぞ? というかよく生きているな。転落死したか、ミームに食われて死んだかと思っていたが」

「ご心配いただき痛み入る。というか俺のことをよく覚えていてくれたね。やっぱりアレかな。アナルバージンを奪った男のことは忘れられないかな?」

 声高にコウガが語ると、その場の雰囲気が一気に変わった。

 誰もが耳を疑い、目を見開いた。そして目の当たりにした――マイアが動転して顔を真っ赤にしたことを。

「お……お――おまえ! 何を言い出す!?」

「とぼける必要はないでしょ。野外で無理矢理ことに及んで悪かったよ、あの時は」

 コウガは事実だけを述べたつもりだったが、周りの人々はそれを勝手に解釈してざわつきだした。

「無理矢理だってよ……!」

「しかも野外で……? あのコゼンジ家の娘が……?」

「極光騎士団の隊長を……だなんて、あの異邦人何者だ……?」

「だあああ――ッ! 違う! 違うぞ! こいつの言っていることは全部嘘っぱちだ!」

 マイアは人々に向かって全力で訴え、コウガを怒りの視線で突き刺した。

「訂正しろ、このゴミ人間! 貴様の言っていることはすべて嘘っぱちだ!」

 コウガはとぼけて頭に手を当てる。

「訂正しろ? 一体何を? 事実しか言ってないけど……まさかマイアはアナルバージンじゃなかったとか?」

「違うッ! この男ぉぉ――ッ!」

 怒髪天を衝く勢いで絶叫し、マイアはいきなりコウガに斬りつけた。

「おわあ!?」

 大きく飛んで、コウガは斬撃を避けた。剣士スキルを取得していたのが幸いしたようだ。

「私の名誉を汚すことは許さん! この嘘つき!」

 怒りにまかせ、マイアはサーベルを掲げてコウガに詰め寄った。

 刃傷沙汰には慣れっこのアリカムナード人たちも、目の前で刃物を振り回されては逃げるしかない。マイアの「発狂」から逃れるべく、一斉に逃走を開始する。ある者は悲鳴を上げ、ある者は一目散に逃げようとして他者とぶつかり――大混乱が発生した。

 人々の渦に紛れ、コウガも逃げた。チエ、アイリとはぐれないようにしながら。

「おいてめえ、一体マイアと何があったんだ!?」

 逃げながら、アイリがコウガに問いかける。

「説明はあとにさせてもらえるかな!? 今は逃げ遅れると死にそうなんで!」

 混乱の渦の中心では、マイアが部下の騎士たちに両腕両足をつかまれてじたばたともがいていた。

「ゴミくず男! 殺してやる! 殺してやるぞぉぉ――ッ!」

 絶叫はしかしむなしく、その場の騒乱にかき消されてよく聞こえない。ほどなく、マイアの姿は人の波に隠れて見えなくなった。

「とにかく今は逃げましょう。回収した遺留品、放り出さないよう気をつけてくださいよ」

 指示を出しつつ、チエはバルデンハイム目指してひたすらに走った。半笑いになりながら。



 翌朝早朝。

 早くに目を覚ましたコウガは、特に理由もなくギルドの中庭へ出てみた。

 西の空はまだ暗く、雲一つない。きっと今日は快晴になるだろう。

 朝の爽やかな空気を胸一杯に吸い込む。

「日本の都会とは大違いだな。空気がおいしい、とはこのことか」

 さして感覚が鋭敏ではないコウガでも、アリカムナードの空気の方がはるかに清浄であることははっきりわかった。

 気分は悪くない。異世界にただ一人で放り出されたという身の上であるにもかかわらず。

 きっとなんとかなるだろう。根拠のない自信が、コウガの胸中にはあった。

 中庭をブラブラと歩いてみる。早朝からどこかに出かけようとしているパーティー一団がいるばかりで、あとは静かなものである。聞こえてくるのは時折吹き付ける風の音、遠くで鳴いている鶏の声くらいだ。

 卵料理が食べたいなあ、となんとなく思いつつ、さらに歩いていると――

「おはようございます」

 女子寮の方から、ラフな格好をしたチエが歩み寄ってきた。

「おはようございます……あ、チエか」

 いつも差しているかんざしを外し、長髪を垂れるままにしているので、一瞬誰だかわからなかった。そして何故か鞘に収めた長剣を片手につかんでいる。

 チエはコウガのそばまで近づくと、いつものようにニッコリと微笑んだ。

「どうも。昨晩も死んでましたか?」

「いきなりそんな質問か。こんな爽やかな朝に散歩をする爽やか人間であるこの俺にする質問かね」

 コウガは肩を落とした。

 チエはコウガをじっと見つめる。

「爽やか人間ともあろう方が、初対面の相手、しかも女性にカンチョーなんてねじ込みますかね」

「うっ」

 昨日ギルドに帰還した後、コウガはマイアとの出会いのエピソードを包み隠さずチエとアイリに語った。

 案外、反応は悪くなかった。

 アイリは「おまえ、ホンモノのバカだな!」と大笑いした。

 チエはあまり感想を言わなかった。笑いをこらえるのに必死だったからである。

「その時マイアがどんな顔をしたのか、是非とも見たかったですねえ……。しかし気をつけた方がいいですよ。騎士団をからかうなんて向こう見ずですねえ」

「仕方ない。アイリとマイアが一触即発になったのを体を張って止めたんだ」

「その結果があの騒動ですからねえ。将来、冤罪で逮捕されても不思議じゃありませんよ」

「騎士団の連中も心が狭いな。……その時は助けてくれるよな?」

「努力はしましょう。私に、マイアにしたようなことをしないと誓ってくれればの話ですが」

「いくらでも誓う。ただ参考までに聞きたいんだけど、もし仮にそういうことをしたら、チエはどうする?」

「決まってますよ。私だったら三倍返しします」

 びくり、とコウガはあたかも三倍返しを食らったかのごとくびくついた。

「そうか……。掘っていいのは掘られる覚悟のある奴だけか。よく覚えておく」

「ところで最初の質問ですけど、結局昨晩は死んだんですか?」

 チエは話題を元に戻した。

 コウガは首をかしげつつ答えた。

「ま、多分死んでたんじゃないのかな?」

「多分?」

「昨日は早めに寝たからね。深夜零時になったとたん仮死状態になって、一時になったあともそのまま睡眠状態だったんだと思うよ。自覚はなかった」

「レベル1になる時に一々目覚めない、ということですか。……一つ、お願いがあります」

 チエは手に握った長剣を持ち替え、柄をコウガに向けた。

「確認したいことがあるんです。衝撃波を放ってみてくれませんか?」

「衝撃波……?」

「ええ。それが一番手っ取り早い」

 一体何でまた? とコウガは疑問に思った。が、チエの表情は真剣である。

 なにかしら理由があるんだろう、と納得して、コウガは鞘から剣を抜いた。

 柄を両手で握り、構えてみる。

「…………?」

 言いしれぬ違和感を、コウガは覚えた。

「横になぎ払ってみてください。衝撃波を地面に刻み込む感じで」

 地面を指さしながら指示して、チエは一歩退く。

 違和感を覚えたまま、コウガは剣を構え、振り抜いた。

「せやッ!」

 スカッ、という擬音が出てきそうなほど、手応え皆無。

 剣先は地面をかすめたが、衝撃波の跡はまったくない。少し土埃は立ったものの、きれいに真っ平らだ。

「あれ……?」

 もう一度気合いを入れて撃ち放つ。が、結果は同じだった。

「なんだこりゃ。どういうこった?」

 コウガが途方に暮れる一方、チエは我が意を得たりとでも言いたげな表情を浮かべた。

「スクリーンを表示してください」

 指示通り、コウガはすぐさまスクリーンを展開。スキルスクリーンをざっと眺めて、すぐに違和感の正体に気がついた。

「あっ。取ったスキルがリセットされてるじゃないか!」

 剣士マスタリーも衝撃波スキルも灰色の文字に戻ってしまっていた。現在コウガのレベルは5、スキルポイントは10となっている。

「死ぬたびにいちいちスキルがリセットされるのか? めんどくさいなあ。データをロードするたびスキルの振り直しを要求するRPGとか、クソ仕様にもほどがあるじゃないの」

 コウガの呆れの表情は、しかしすぐに驚きに代わる。

 興奮を隠せないような体で、チエがガッツポーズを決めていたのだ。

「やっぱり……! 思った通りですね!」

 ガッとコウガの両手を取ると、顔を寄せて小声で語る。

「コウガ! あなたのこのユニークスキルのこと、他の誰にも絶対に話してはいけませんよ!」

「いやいや、そんな力説されなくても。一日一回死ぬスキルなんて、恥ずかしくて誰にもしゃべれないって」

「そうじゃないです! あなたのこのスキル、スキルポイントの振り直しができるんですよ!」

「そんなすごいことか……?」

 言葉の意味はわかる。だがチエがここまで興奮している理由がわからない。コウガは戸惑うしかなかった。

「すごいことですよ。どんなスキルでもゲットできるんですよ、ポイントが許す限り。無限の可能性ですよ、これは! 改めて言いますけど、私たちの仲間としてよろしくお願いしますね! もしよその人とパーティー組んだら、真夜中に死んでいるところを襲って殺しますからね!」

 満面の笑みを浮かべつつそんなことを言われ、コウガはますます当惑する。

「ああ……まあ……チエたちと別れるつもりはないよ」

 満足して、チエは身を引いた。コウガから剣を受け取り、鞘に戻す。

「いずれコウガにもわかりますよ。このユニークスキルの真の価値がね! このこと、私とコウガと、あとアイリの間だけの秘密、超秘密ですからね!」

「どんなことでもできる、って言ったよな」

「スキルポイントが許す限り、ですけどね」

「じゃあ例えば……ギルドメンバーになりたての俺が、王国中に名前を轟かせるような大仕事を成し遂げられたりするのかな」

 問うと、チエは意外そうにコウガを見つめ返した。

「へえ。この世界で成り上がる気満々なんですねえ」

「いやいや、試しに言ってみただけだけど……」

「やる気があるのはうれしいですねえ。わかりました、コウガの力を生かせる仕事を見繕ってみますよ。じゃ、またあとで!」

 チエは手を振り、うきうきとした足取りで女子寮に去って行った。

「……あんなに浮かれることがあるんだな、チエって」

 意外な思いに駆られつつ、コウガは呟いた。

「ああも大喜びされると、期待に応えられるのかどうか却ってプレッシャーだなあ。ま、いいけど」

 まったく実感のないまま、コウガも踵を返し、自分の部屋への帰途についた。

 腹の虫がぐうと鳴る。食堂からはコーンスープのいい香りが漂っていた。

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