その6


 バルデンハイムを囲む城壁から数百メートルも歩けば、そこはミームの領域である。

 街と街をつなぐ街道上など、歩く場所を選びさえすればミームに遭遇する可能性は非常に低い。故に普通の人間はできるだけ大きな道を歩き、外れたところへさまよい出るような真似はしない。

 一方で、人気のない荒野へとやたらと行きたがる、普通でない人種も存在する。

 それが冒険者である。


「おらァァ――ッ!」

 アイリのキックが、オオカミ型ミームの顔面に炸裂した。

「ギャウアンッ」

 クリーンヒットを受けたミームは、宙を飛びながらその身をばらけさせ、塵状に散らばっていく。

「ほらよ、っと!」

 アイリは踏み込んで、塵の中に素早く手を突き入れた。

 塵が完全に消え去ると、あとに残ったのはアイリの拳。

 拳をぱっと開くと、その中にはコアクリスタルが残っていた。

「これでよし、と」

 周囲を見回し、援軍が来ないのを確認してから、アイリはコアクリスタルを腰のポーチの中に放り込んだ。

 そして、百八十度ターンし、距離を置いて付いてくるチエとコウガに声をかけた。

「おまえら、いつまで離れてるんだよ!?」

 チエとコウガはお互い身を寄せながら、アイリと十分な距離を取っていた。

「いやー、近づいたらぶん殴られるかと思うと、これ以上は……」

「まったくですねえ。護身のためには、今まで培ってきた友情を犠牲にするのもやむを得ないです」

「謝ってんだろうが、昨日の晩のことはよお! 寝てる間に自動的に体が動いただけで、悪意はねえよよ!」

 両手を大きく振り、アイリは力一杯訴えかけた。

「悪意の有無は関係ないよ。アイリの謝罪も受け入れた。ただ、自動的に気配を察知して攻撃されるとなると、近づけないって話でね」

「寝てる時の話だろうが!」

「それはどうでしょうねえ。ほら、背後に立つと自動的に攻撃する人とかいるでしょ?」

「あたしは漫画の主人公じゃねえよ! てめえら、つるんであたしをいじめやがって! というかてめえら、なんで仲良くなってんだよ!」

「そりゃ当然。俺たちは一晩を同じ部屋で過ごした男女だぞ。仲が良くならないわけがあるか」

「それは語弊がありますね。私はあのあと自分の部屋に戻り、コウガは別のゲストハウスで寝たんですから。半晩というべきですよねえ」

 細かくチエは訂正し、あたりを見回した。

「そもそも、おしゃべりに興じている場合ではありませんよ。どこから次のミームが現れるかわかったものじゃないですからねえ」

 三人はバルデンハイムから数キロ離れた平原を歩いていた。昨日コウガと出会った場所と似たような景色に包まれた、人里離れた場所だ。

 もっとも、先日とは決定的に異なる点が一つある。

「この黒い霧はなんなの。近くに有害物質を全力で燃やしている工場でもあるのかな?」

 薄暗い霧があたりに垂れ込め、コウガたちの視界を徐々に狭めつつあった。

 においはないが、普通の霧と異なりまったく湿り気がない。水蒸気とは異なる何かが漂っているようだ。

「工場なんてあるわけねえ。というかこの黒い霧、昨日も見てるだろ」

 ずかずかとアイリが歩み寄ってきた。

「昨日も……?」

 言われて考え込み、コウガはふと思い当たる。

「……そうか。ミームが死ぬ時に出す塵に似ている……」

「そういうこった。この瘴気はミームの原料なんだよ」

 アイリが言うと同時に、コウガは思わず鼻と口を塞いだ。

「肺の中からミームが出てくるなんてことはねえから、安心しな」

「それはよかった。ここから息を止めてバルデンハイムまで戻るはめになったらどうしようかと思った。とはいえ、深呼吸する気にはなれないなあ」

 これまでの道中を思い出す。バルデンハイムから離れれば離れる程に、瘴気は濃くなっているように思われた。

「これは何なの。そもそもミームって……ミアズマモンスターって何?」

「行きながら話しましょう」

 閉じた扇子を片手に、チエは歩き始めた。コウガとアイリもそれに続く。

「そもそもアリカムナードは、晴れ渡っているエリアより、瘴気に包まれているエリアの方が圧倒的に多いんです。人類の生活領域は、瘴気が晴れているごくわずかなエリアだけなんですよねえ」

「瘴気の中は住めないんだね」

「住もうと思えば住めますよ。瘴気自体に毒性はないですからねえ。でもこの通りの黒い霧ですから、日の光が遮られて農作物は育たないし、どこからミームが飛び出してくるかもわからない。かなり厳しいでしょうねえ」

「瘴気はどこから出てくるの。自然現象? それとも……?」

「クリフォトの木というのがあるんですよ」

 閉じた扇子でもって、チエは前方を示した。

 十数メートル向こうに、木の影のようなものがぼんやりと浮かび上がっていた。

 細めの木が五、六本絡み合っているようだった。複数の幹が不気味にねじ曲がって、全体的に薄気味の悪いフォルムをなしている。瘴気が濃すぎてディティールまでは視認できないが、妙に本能的嫌悪感をかき立てられる。

「あれがクリフォトです」チエは説明を重ねる。「あの木がそこかしこに生えて、瘴気を放っているんですよ。それにあの実」

 クリフォトには二つ三つ果実のようなものがなっていた。果実と呼ぶには、あまりにも大きなものが。

「奇妙な果実だね」

 コウガが呟いたちょうどその時、果実の一個が枝から離れ、どさりと音を立てて地面に落ちた。

 それはわずかに地面を転がると、自ら蠢きはじめた。さながら、生まれ落ちたばかりの子鹿のように。

「うわあ。まさかアレが……」

「その通り。あれがミアズマモンスターですよ」

 はじめは不定形だったそれは、蠕動しながら形をなしていき、徐々に狼の姿をとりはじめた。

「あのクリフォトはオオカミ型のミームを産むタイプみたいですねえ。昨日倒した大物は、あのクリフォトを守るガーディアンだったと思われます」

 落ち着いて語るチエとは対照的に、コウガはミームの気持ち悪さを目の当たりにして浮き足立っていた。

「うわ、うわわ……。あんなの、退治しなきゃ。というか、孵化しきる前に――孵化って言っていいのかどうかわからないけど――とにかくさっさとやるべきじゃ?」

「もちろん!」

 アイリが先頭を切って躍り出た。ミームが体勢を整えきらないうちに接近、ローキックを叩き込む。

 ミームは言葉にならない悲鳴を上げて、どちゃりと地面に落ちた。

「先手必勝だ!」

 アイリはミームを踏みつぶす。生まれたばかりのミームはあっさりと瘴気に還り、霧消した。

 さらにアイリは木の枝に残る果実を次々叩き落としていく。どれもこれも力なく地面に落ち、そのまま霧と化していった。

 最後には、ねじ曲がった幹と数本の短い枝ばかりが残された。

「これでしばらく、ミームが生まれる恐れはありません」

 のんびりした歩調で、チエはクリフォトのそばに歩み寄った。

「でもこの状態では、いずれまた果実がなり、ミームが生まれはじめます。その前にクリフォトそのものを伐採する必要があるわけですねえ」

 くるりと踵を返し、チエはコウガの腰に提げた剣を示す。

「というわけで、伐採してもらいましょうか」

「伐採ねえ……」

 左の腰に提げている剣の柄に、コウガは手をかけた。

 ギルドから貸与された剣士としての装備に、コウガは身を包んでいた。

 矢面に立って戦う役目である以上、金属鎧でがちがちに身を固めることを予想していたのだが、実際は軽装だった。金属なのはブーツと服の下に着込んだ鎖帷子のみ、あとはジャケットにズボン、革手袋という身軽さである。

「ミームと戦うのはフィールドワークですからねえ。重い鎧をつけて一日三十キロでも歩けるというなら、着込んでもらっても構いませんよ」

 そうチエは語った。もちろんコウガにそんな体力はない。

 鞘からすらりと長剣を抜く。がっしりと重く、刃も鋭利。敵を傷つけるために作られた武器だ、という事実の重みをも感じる。

「伐採って、普通は斧でしょ」

「まあまあ。まずは普通に斬りつけてみてください」

 チエに言われるまま、コウガは剣を構え、クリフォトと向かい合った。

 一呼吸してから、

「はああ――ッ!」

 力一杯、袈裟懸けに斬りつけた。

 ガス、と鈍い音を立て、剣は幹に浅く食い込んだ。

「このッ」

 引き抜き、もう一度叩き付ける。最初に作った切り口とは別の場所に当たり、またも浅い切り口を作る。

 さらにもう一回。今度は最初の切り口にうまいこと当たったが、一センチ程も食い込まない。

「こりゃ大変だ。このままじゃ木が倒れるまで一年はかかるぞ」

「これが、スキルを何一つ持たない人の限界なんですよ。一旦手を休めて、スキルスクリーンを表示してください」

 チエの指示通り、眼前にスクリーンを表示する。

 これまたギルドから貸与された、戦士用のスキルばかりを抽出し表示する指輪である。

「まず一番上、『ソードマスタリー』というスキルを取ってください」

 少し考えてから、コウガは「ソードマスタリー」と表示された文字をタッチした。


「ソードマスタリーレベル1を取得します。よろしいですか?」


 との文字列がポップアップウィンドウに表示され、「はい」「いいえ」の選択肢が現れる。

「はい」をタッチすると、ソードマスタリーの文字が灰色から白に変わり、レベル1という文字が追加された。

「RPGでよく見るやつを、こうして現実で目の当たりにするとはね。もしかしてここはゲームの中の世界だったりするのかね」

 コウガは感想を漏らした。

「そうなのかもしれません。でも確かめる術はありませんよ。大切なのは、私たちが受ける痛みは本物だし、死ねば無に還るということです。アリカムナードに死者を蘇らせる術はないらしいですから」

「ないの? RPGなら普通あるでしょ、そういうの」

「どこかにはあるかもしれませんよ。証明はできませんからね。でも世間一般にはないことになっていますし、私もそんなスキルは見たことないです」

「そうか。じゃあ、死なないように気をつけないとな」

「それが賢明です。さ、もう一度斬りつけてみてください」

 コウガはもう一度クリフォトと対峙し、構える。

 おや、と思った。

 剣の構え方が先ほどより様になっている、と自覚する。

 これならさっきよりうまく斬れそうだ、という根拠なき自信の下、力一杯クリフォトに斬りつける。

 ざくり、と一撃で五センチ近く刃が食い込んだ。

 二撃目は一撃目と完全に同じ場所に入り、大きな食い込みをさらに大きくした。

「すげえ! スキル取るだけで明らかに腕前が上がってる!」

「これがスキルシステムのいいところですよ」

「なーるほど。ということは、レベル2レベル3とつぎ込めば、もっと楽に伐採ができる……」

「そいつはよく考えてからにした方がいいぜ」

 アイリが言葉を割り込ませた。

「前に言ったとおり、スキルポイントは貴重なんだからな。ポイントでゲットするのはスキルレベル1だけにして、あとは修練を積んでレベルを上げていくのが賢いやり方だぜ」

「そういうものなのか」

「冒険で役立つスキルは山程ある。少しでも冒険ってもんがわかってくれば、アレが欲しいコレが欲しいってなるさ。スキルレベル2以上をポイントでゲットするのは、よほど緊急の用事がある時だけだぜ」

「なるほど。そもそも、スキルポイントに余りがないとどうしようもないよね」

「だからスキルポイントは完全に使い切らないで残しておくもんさ。ま、おめーの場合はちょっと特殊だけどな」

 アイリはコウガのスキルポイント項目に目をやる。現在は午前十時過ぎ、コウガのスキルポイント残量は19となっていた。

「さすがに、こんなに大量に余らしている奴は見たことねえ」

「使われないスキルポイントはただの無駄ですからねえ」

 チエが口を挟むと、アイリは繰り返し頷いた。

「スキルポイントは振り直しがきかねえんだ。よく考えて、他のギルドメンバーからよく話を聞いて、役立つスキルを取れよ。死にスキルにポイントを無駄遣いしたら、それこそ死にたくなるからな」

「……その言葉、死にスキルを所持していることが判明した俺にはかなり効くね」

 はああ、とコウガはため息をつき、肩を落とした。

「それなんですけどね。もしかしたら、そこまで悲観する必要はないかもしれませんよ」

 と、チエが妙なことを言い出した。

「そりゃま、23時にレベル23になれるってのは悪くないかもしれないけど。俺も基本的には一日十時間寝たいタイプなんだよね」

「そうではなくてですね……」

 何か説明しようと仕掛けて、チエは言いよどむ。

「……いや、まだ仮説段階というか、確信は持てないんで、……気にしないでくださいよ」

「気になるね」

「期待を持たせておいてがっかりされるのも嫌ですからね。それより、クリフォトはまだ倒れていませんよ」

 チエはクリフォトを指さす。斬撃による傷は大きいが、幹そのものを倒すには至らない。

「時間をかければ倒せるでしょうけど、時間がかかるし、なにより刃がぼろぼろになりそうです。そこでこのスキルを取ることをおすすめしますよ」

 コウガのスキルスクリーンをスクロールさせ、「衝撃波」の項目を示した。

「おっ。これはかまいたち的なもので敵を攻撃するとかいう、よくあるやつかな」

「想像通りです。大抵の剣士が取得する鉄板のスキルですよ。これなら取って後悔することはないでしょう」

「その言葉信じるよ」

 コウガは衝撃波レベル1を取得した。

 再度クリフォトに向き合い、刃先がギリギリ幹をかすめる程度に剣を振り抜いてみる。

 ざっくり、と幹が深く裂けた。

「うおお! すげえ! 手応えないのに深く斬れてる!」

「そうそう、その調子です。伐採をさっさと済ませてくださいよ」

「言われるまでもない。だんだん楽しくなってきたぞ」

 コウガは衝撃波射出を繰り返す。

 裂け目に正確に衝撃波を当て続けるうち、ついにクリフォトは自重に耐えきれなくなった。ミキミキ……と音を立て倒壊。地面を盛大に叩き、枝葉や草を舞い上がらせた。

「なかなか筋がいいですね」

 チエが扇子を差し出した。ボッ、とその先端に魔法の炎を灯らせ、撃ち放つ。

 大地とのつながりを失ったクリフォトは炎上した。あっという間に全体に炎が回り、赤く黄色い壁を作る。

「これで一本、邪悪の木が打ち倒されたわけか……っと」

 不意にめまいを感じ、コウガはその場に尻もちをついた。妙な脱力感に囚われ、ぼーっとする。

「おっ。衝撃波を撃ち過ぎたな」

 にぃ、とアイリが笑う。

「……撃ち過ぎ……?」

「ゲームが好きならわかるだろ? 特殊な技を使うにはメンタル消費が必要なのさ」

 コウガはステータススクリーンを開いた。たしかに、メンタルバーが残量わずかになっていた。

「あー。衝撃波を撃つたびにメンタルを消費してたわけね。盛りの付いたサルみたいに無限には撃ち続けられないわけか。……メンタルバーには数値がないな」

「ライフとメンタルには細かい数値設定はねえよ。実感でわかるからな」

「これはほっときゃ元に戻るかな……?」

「ああ。時間経過で回復する。そのままじっとたき火に当たってな」

 アイリの言うとおり、コウガはおとなしくその場に座り続けた。

 炎はクリフォトを燃やし尽くす。焼失と連動するかのように、周囲の瘴気が薄くなっていく。クリフォトがあらかた灰になったころには瘴気は半分程の濃度になり、視界が大きく開けた。

「クリフォトがなくなればこうなります。こうやって、人類は居住可能区域を増やしていっているんですよ」

「なるほど……」

 コウガは立ち上がり、遠くを見やった。平原の遙か向こうには、いまだに残る瘴気が黒い壁となって立ちふさがっている。

「昔から人類とクリフォトは一進一退の攻防を繰り返しています。だからあの黒い壁の向こうには先人の遺跡があるかもしれないし、カーディニア王国とは異なる共同体が存在するかもしれないんですよ」

「はーん。夢があるんだかないんだか」

「少なくとも、そこにいるのは夢を見られない体になってしまっているな」

 アイリは横手を指さした。

 十数メートル向こうに立つ一本の高い木の根元に、死体が一体転がっていた。この距離でも既に白骨化していることが見て取れる。

「過去にこの木に挑み、返り討ちに遭った冒険者でしょうね」

 チエは両手を合わせ、祈りを捧げた。

「あのような人を見つけてあげるのも私たちの仕事です。私たちだっていつあのような姿になるか、知れたものではないですからねえ」

「…………」

 コウガは何も言えなかった。

 無言のままアイリは死者目がけて歩き出す。チエもその後に続く。

「どうするの。その場で埋葬?」

「そうですねえ。遺骨はこの場に埋め、遺品は持って帰ります。身元が割り出せるなら遺族に返し、わからないようなら売却します。この売却益がなかなか馬鹿になりませんでねえ」

「……因果な商売だなあ」

 呆れつつも、コウガは死者を弔うために二人の後を追った。

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