その5


「それにしてもすごいよ。天蓋付きベッドの実物なんて初めて見た」

 正直な感想を、コウガは口にした。

 冒険者ギルドのゲストルームは二間一続きのスイートになっており、客間もベッドルームも一人では持てあますほどの広さがあった。

 部屋の照明は電気の明かりでなく、宙にふよふよと浮かぶ魔法の照明である。電気照明程の光量はなく、部屋は薄暗いものの、それがかえって雰囲気を醸しだし、ベッドを豪奢なものに見せている。

「こう……いかにも王侯貴族がお休みになりそうな、立派なベッドだね。俺みたいな一般市民が寝るなんて恐れ多い感じがする。いい夢見られるかな?」

 コウガはチエに意見を伺ってみた。

「どうでしょう。あとでアイリに意見を伺ってみたらいかがですかねえ」

 チエはベッドの上に視線を注ぐ。

 そこにはアイリが横たわり、思い切りいびきをかいていた。

「これは俺が寝るベッドじゃないのかな」

「アイリは夜が弱いんですよ。一日十時間寝ないと力が発揮できないタチだそうで」

「気持ちはわかる。でもだったら自分の部屋で寝ろって話でしょ。というか、俺の寝床で勝手に寝ているということは、俺に何をされても文句は言えないということ……」

 ベッドへの侵入を、コウガは試みた。上半身を乗り出して覆い被さろうとすると、

「……フンッ!」

 アイリの裏拳が、コウガの側頭部にクリーンヒットした。

「がッ!?」

 ひるんだところに、アイリは足の裏をコウガの胴に押し当て、力一杯蹴り上げる。

 コウガは数メートル宙を飛び、壁に激突した。派手な音とともに床に落ちて、

「あが……! うがががッ」

 その場で悶絶した。

「アイリは眠りを邪魔する相手には容赦しませんよ」

 はあ、とチエは小さくため息をついた。

「おおお……。起きてるんじゃないのか、アイリの奴……!」

 やっとの事で身を起こし、コウガはベッドを見やる。

 相変わらずアイリは豪快な寝息を立て、深い眠りについたままだった。

「……何かあったのですか。大きな音がしましたが」

 客間に続くドアから、トレイを持ったゲルダが入ってきた。苦しげなコウガを見やり、わずかに驚きの表情を見せる。

「大したことありません。いつも通り、アイリの寝相が悪いんですよ」

 チエが説明すると、ゲルダはすぐに納得した。小さなテーブルにトレイを置き、

「オレンジジュースです」

 と、トレイ上のコップをコウガに手渡す。

「……こりゃどうも」

 コウガはコップを手に取り、ジュースを一口含んだ。

「……お。うまいな。いいですね、これ。ガバガバ飲めそう」

「たくさん飲んでおくといいですよ。末期の水になるかもしれませんから」

 しれっと言って、チエもコップを傾ける。

「嫌なことをおっしゃる。とはいえ現実か。いやーもう、これから一時間も経たずに死ぬかもしれないと思うと恐ろしい恐ろしい」

 少しも恐ろしげに思っていない風に言うと、コウガはチエをのぞき込む。

「少しは慰めてくれてもいいんじゃないの。主に、肉体的に」

「肉体的に、ですか」

 チエは扇子を取り出すと、床に敷かれたカーペットを示した。

「そこに座っていてください」

 言われたとおりに、コウガは腰を下ろした。

 チエもゲルダもコウガを見下ろすソファに座ったまま、身じろぎ一つしない。

 しばらくの沈黙の後、コウガはおずおずと尋ねた。

「えーと、俺にどうしろっていうのかな?」

「どうもしませんよ。もしコウガが亡くなった場合は、そのカーペットに遺体をくるんで運び出します。その方が肉体的に楽ですよねえ?」

「これっぽっちも慰められてない……」

 がくり、とコウガは床に両手をついた。

「俺の命はあと何分なんだ? 正確に知る方法は……あ、そうだ」

 ポケットの中からスマホを取り出す。異世界において電波が受信できるはずもなく、存在を脳内から追い出していたが、少なくとも時間はわかる。

 しかし、チエは無慈悲な指摘を行った。

「時間、ずれていると思いますよ。地球の一分とこちらの一分は長さが異なるらしいので」

「マジ?」

「一分六十秒、一時間六十分、一日二十四時間という単位構成はアリカムナードでも一緒ですけどね。惑星の自転速度が少々遅いから、一日が地球のそれより少々長いんです。だから、地球から持ち込んだ時計はどんどん狂っていきますよ」

「あらまあ。でもよく考えたら、地球と完全一致している方が不自然か。じゃあ、アリカムナードで正確な時間を知るには……?」

「振り子時計などがあります」ゲルダが言った。「ギルドにもいくつかありますが、さすがにこの部屋にはないですね」

「携帯できるサイズの……ゼンマイ時計とか、ないの?」

「小型のゼンマイ時計もありますけどね。最近、最新のものが開発されたと聞きました。時間のずれを一時間につき約十分にまで抑えることができた、という画期的なゼンマイ時計が」

「一時間十分ずれで画期的か……」

 思わずコウガはカーペットの上に寝転がった。

「つまり、俺は運命の時を黙って待ち続けるしかないわけか。いつその瞬間が来るかもわからずに」

「そういうことになりますねえ」

 他人事のように言い、チエはコップを傾けた。

 コウガは頭を抱えた。

「参ったな。女を抱くこともなく死ぬなんて悲しいなあ。チエさん、今日会ったばかりの相手に頼むのは失礼だとわかってるけど、俺に抱かれてくれない?」

「遠慮させていただきますよ。そもそもそんな時間、もうないと思いますけど」

「ヘーキヘーキ。俺が本気を出せば三十秒で終わるから」

「ブッ」とゲルダが吹き出した。

 咄嗟に背を丸めて顔を隠したが、両肩が壮絶に震えている。今のコウガの言葉がかなり受けたらしい。

 追い打ちかけよう、とコウガが次の言葉を言いかけた瞬間。

 ぷつり、と何かが途切れるような音がして、視界が暗転。

 全ての感覚が遮断された。




「……はっ」

 次に気がついた時、コウガはカーペットの上に横向きに寝ていた。

 そっと身を起こす。しばらく寝ていたようで、顔の右半分から血の気が引いていた。下敷きにされ、押しつぶされていた血管に血が再び巡り出す感覚を覚える。

 あぐらをかき、姿勢を正す。

 チエとゲルダは床に正座し、コウガをじっと注視していた。

「……おはようございます。今何時?」

「正確にはわかりませんけど、午前一時くらいじゃありませんかねえ。痛いところとか調子がおかしいとか、体に異常はありませんか?」

 チエに問われてコウガは立ち上がり、軽く腕を振り回して、その場で足踏みしてみた。一時間程昼寝したかのようなだるさがあるだけで、他には何ともない。

「なさそう。意識がない間の俺ってどんな風だった? 死んでた?」

「脈もなかったし、呼吸もしてないし、明らかに死んでいました。というか本当に大丈夫なんですか? 普通、一時間も呼吸が止まっていたら脳が死ぬと思うんですけど」

「多分大丈夫。一から十まで指折り数えられるし、右左もちゃんとわかるぞ」

「ならいいんですけど。どれだけゆすっても目を覚ましませんでしたし……」

 はっとコウガは息を呑み、自分の体を抱きかかえた。

「まさか俺の意識がないのをいいことにあんなことやこんなことを……!?」

「何一つしていないので安心してください」

「そうか。そりゃ残念」

「ただ……どんなことでもやろうと思えばできたでしょうねえ」

「例えば?」

「寝首をかくとか」

「…………」

 真剣に、コウガは自分の体を抱きかかえた。

「もし仮に俺を殺そうとする奴がいたら、深夜零時から一時の間を狙えばいいってことかな」

「簡単に始末できますね。長生きしたければ、ユニークスキルについてみだりに人に語るべきではないでしょうね」

「なんとまあ。このことは秘密にしてもらえるよね」

「もちろんですよ。もちろんですとも。決して、決して誰にも言いませんよお」

 そう言って、チエはにっこりと微笑んだ。

「……思いっきり金玉を握られてしまったような気がするな」

 コウガは背筋に寒気を感じたが、すぐに開き直った。

「ま、しゃーない。巨乳美少女に金玉を握られていると考えれば悪くない」

「下品な言い回しはやめていただきたいですね。それより、ステータススクリーンを出していただけますか」

 ゲルダに言われて、コウガは手を振りスクリーンを表示した。スクリーンはそれ自体が光を放ち、暗闇の中にあっても問題なく文字が読めた。

 コウガのレベルは1になっていた。

「午前一時になったからレベル1。これは逆に考えたら、コウガのレベル数で現在の時間が計れるということですねえ」

 チエの指摘に、コウガははたと膝を打った。

「なーるほど。これで少なくとも、三時のおやつのタイミングに困らず済むわけだ。とはいえ……異世界に召喚されてゲットしたせっかくのスキルが、自分だけの特別なスキルがこれって、ハズレくじじゃないか。文字通りの死にスキルなんて、いくらなんでもひどすぎやしませんかね」

「それは……」

 ゲルダは言いよどむ。いかに励ましたものか言葉がみつからない、という風だ。

 一方、チエは同時に出現したスキルスクリーンを凝視していた。全てのスキルが並ぶ雑然とした一覧を、スクロールさせながらじっくりと眺める。

「そっち見てもなんにもないでしょ」

「ええ……その通りですねえ。何にもない」

 チエはスクリーンから視線を外し、宙をさまよわせた。

「これは……もしかするとですねえ……」

 自分の頬を撫でつつしばし考え込んで、ゲルダに向き直る。

「明日以降、彼を冒険に連れて行ってもいいでしょうか?」

「いきなり実地訓練ですか? 早過ぎはしませんか? まあ……ある程度のレベルからスタートできるわけですから、あなたたちのサポートがあればなんとかなるとは思いますけど」

「確認したいことがあるんですよ。もしうまくいけば……彼を私たちのパーティーに組み込みたいです」

「ほう」

 意外だ、とでも言いたげにゲルダは眉をつり上げた。

「それはつまり……」

「適性があると思います。深夜にレベルが最高になるあたりなんて、うってつけとは思いませんか? ま、すぐにどうこうとは思いませんけど……」

「待って。当の俺の許可もなしに勝手に話を進めるのはやめてくれよ」

 コウガが口を挟むと、チエはコウガに向き直った。

「コウガのこと、ある程度面倒を見たらギルドに任せようと思っていましたけど、気が変わりました。パーティーに男手が欲しいと思っていたところでもあるし、これも何かの縁でしょう。一緒に組みませんか?」

「あらま。一緒に冒険?」

 積極的なオファーが来るとは意外だった。

「もし俺がうんと言ったら、昼間に助けてくれた報酬を割安にしてくれるとか……?」

「しないですよ。ただ、謝礼の支払いが手っ取り早くなるでしょうねえ」

「冷たいなあ。でもいいよ、承諾する。どうせパーティーを組むなら、むくつけき筋肉男どもより美少女の方がいいに決まってる」

 真剣な表情で、コウガは言い切った。

「美少女と言われて悪い気はしませんねえ」

 チエは手をさしのべ、コウガはその手を取った。

「ところで、アイリの許可は要らないのかな」

「大丈夫でしょう。文句は言うでしょうが、なんだかんだで受け入れてくれると思います」

 そう言うとチエは扇子を広げて口元を隠し、あくびをした。

「夜更かしは美容の敵ですねえ。目的は果たしたことですし、そろそろ寮に戻るとしましょうか。アイリ、そろそろ帰りますよ……」

 いまだにベッドで眠り続けているアイリを、チエは起こそうとした。

「大丈夫かよ。アイリの奴、また暴れるんじゃ……」

「あれはコウガが相手だったからですよ。私に攻撃するはずが……」

 チエの声は、アイリの攻撃によって途切れた。

 裏拳からキックの二連コンボ。

 いずれもクリーンヒットし、チエは吹き飛んだ。一時間前のコウガとまったく同じ軌道で。

「…………!」

 咄嗟にコウガは床を蹴り、チエと壁の間に割り込んだ。

「ごっは!?」

 衝撃に肺が押しつぶされ、変な声が漏れる。

 チエもろとも床に崩れ落ちる。

「うむむ……」

 チエはしばしの間うずくまっていたが、やがてゆっくりと身を起こした。

「クッション役、ご苦労様です……コウガ」

「そりゃどうも……」

 コウガは四つん這いにまでなったものの、思いの外ダメージは大きく、そこからなかなか起き上がれなかった。クッション役を務めたのはチエのおっぱいの方だ、と返したかったが、長台詞を語る余裕がない。

 はあ、とゲルダは頭を抑えた。

「どうやらコウガには別の部屋を用意した方が良さそうですね」

「俺も……そう思います……」

 コウガは心の底から頷き、苦しい息を吐き出した。

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