その3
バルデンハイム。カーディニア王国の王都は、赤煉瓦の建築物がひしめく大都市だった。
もちろんその規模は現代日本の巨大都市には及ばず、遠景から眺めるとその全容がおおむね見て取れる、という程度のものではある。それでもこの世界、アリカムナードの都市としては最大級であるという。
バルデンハイムの大通りを、コウガはチエとアイリにつれられて歩く。
「きれいな街だなあ。予想以上にきれいだし、悪臭もしない」
多数の人々が行き交い、場所全体が活気にあふれている。建物も舗装も赤煉瓦、道の左右には緑色の街路樹が立ち並び美しい彩りを添えている。木の下にはベンチが据えられ、幾人もの人々が木陰でのひとときを楽しんでいた。
「実際の中世都市は、住居の窓から容赦なくウンコをぶちまける地獄のような場所だって聞いたことがあるけど、そんなことはなさそうだね」
「ここは上水道も下水道も整備されていますからね。先人たちの努力のおかげですよ」
とチエが答える。
「先人たちってのは、もとからこの世界に住んでいた人たちのこと? それとも……」
「召喚された異邦人たちの知恵と力によるところも大きいらしいです。アリカムナードには昔から多くの日本人が喚ばれているみたいですから」
「ふーん。日本人ばかり?」
「ええ。原因はよくわかっていませんが、異界門の出現範囲がある程度限定されているからではないか、という仮説はありますね。日本周辺とバルデンハイム周辺がつながっているようだ、という話です」
「真実は誰にもわからねえけどな。わかったところで帰り道を作れるわけでなし」
アイリも口を挟む。
「帰りたいと思う?」
コウガの問いかけに、アイリは首をひねった。
「さて、どーだろな。そりゃ来た当初は帰りたいって思ったけどさ。三年も経つと、すっかりこっちの流儀に慣れちまってね。戻ったところで、現代日本の生活になじめるのかどうか」
「意外にこっちの世界も居心地がいいってことかな」
「こっちでの流儀を理解できればな。おめーがそれを理解できるかどうかは、これから次第ってわけだ」
「理解できなかったら?」
少しの間コウガの顔をじっと見てから、アイリはぽつりと言った。
「死ぬしかねえんじゃねえの?」
「無慈悲だなあ。この世界はそんなに俺に対して冷たいのか」
「冷たさが心地よい、ということもありますよ。……さて、あれが目的地です」
チエが前方を手で示した。
道の突き当たりに、三階建てくらいに見える赤煉瓦の建物が建っていた。大きな構えで、どこかの大学のキャンパスに立つ学館のような趣である。
「あれが冒険者ギルドか」
「ええ。今からコウガにはギルド長に会ってもらいますよ」
「君が新たな来訪者か。じゃ、はいコレ」
ギルド長、藤村美桜はコウガの顔を見るや否や、書類とインクを差し出してきた。
書類の先頭には「冒険者ギルド入会誓約書」という題が大きな文字で記されていた。
「いきなり入会させるつもりですか」
驚くコウガに、ミオはにやりと笑ってみせた。
「そりゃそうだ。そのためにここに来たんじゃないの?」
ギルド長室は、なにやら学校の校長室のような雰囲気だった。大きなデスクが奥にあり、手前には応接用のソファと小さなテーブル。コウガはその小さなテーブルを挟み、ギルド長ミオと対面していた。
モデルを思わせる長身の女性だった。長い髪はやや茶色がかった黒、その顔には快活そうな表情が宿っている。見た目は二十代前半、十代でも通じるかもしれないが、ただの少女では決してまとい得ない落ち着いた雰囲気が年齢不詳感を醸し出している。
もっとも気になるのは、白地に黒い縦縞の半袖上着を羽織っている点だった。どう見ても野球のユニフォームである。
「この書類、実は某球団の応援団への入団申請書じゃないでしょうね?」
「そんなことはないよ。というか気になる、これ?」
ミオはユニフォームをつまみ、誇示した。
「特にひいき球団はないですけど、野球は好きなスポーツですね」
「それは好感度高いねえ。ホワイトタイガースのファンだったらもっと良かったんだけど。ま、その話はおいといて、ギルドに入る気はあるのかな?」
「参加すること自体は前向きに考えているんですけどね。でも、それなりの説明があるものだと思っていたんですが」
「説明してないの?」
ミオはチエに視線を振り向ける。
「はい。てっきりこの場で説明していただけると思ってましたから」
チエはミオの隣に座る女性に視線を振り向ける。
「では説明させていただきましょうか」
ミオの隣に座る女性が、自分の胸に手を当て小さく黙礼した。
「ゲルダ・アイスハウンドと申します。ギルド長ミオ・フジムラの秘書を務めています」
――苦手なタイプの人だな。
礼を返しつつ、コウガはそんな印象を抱いた。
見るからに厳格な事務屋という女性だ。蜂蜜色の髪を後頭部でひっつめ、隙なくスーツを着込み、眼鏡をかけている。「この女性の職業はなんでしょう?」というクイズを出せば十人中五人が「秘書!」、残り五人が「教師!」と答えるであろう程に、いかにもお堅く、頭の良い女性ですというたたずまいをしている。
「どこから説明しましょうか。まずは冒険者ギルドという概念から説明が必要ですか?」
「一般市民から様々な仕事を請け負って、冒険者に仕事を紹介する組織、ってことでいいんですかね?」
「合格点の返答です」とでも言いたげにゲルダは頷いた。
「ミアズマモンスター、略してミームと呼ばれる人類の敵が、アリカムナードには存在します」
「よく知ってますよ。ついさっき野原のど真ん中で出くわした。この二人がいなかったら、今頃俺はミームのウンコとして野原のど真ん中に転がっていたでしょうよ。あの怪物がウンコするならの話だけど」
と言ってから、コウガははたと気づき、質問した。
「というか実際あいつら、ウンコするの?」
苦い顔をして、ゲルダは一つ咳払いをした。
「ミームは普通の肉体を持つ他の獣とはまったく異なる存在です。人を襲うとしても食べるためではなく、ただ凶暴極まりないサガ故に人を襲うのです。そもそも彼らの体は瘴気から構成されていて、栄養分を取る必要はありません」
「瘴気?」
「英語でミアズマと言います」
横からチエが口を挟んだ。
「はーん。だからミアズマモンスターか」
「そういうこった」
隣に座るアイリが肘でコウガを小突いた。
「触った感触は肉そのものだ。力一杯ぶん殴ることもできる。だが、死ぬ時は瘴気に戻ってきれいさっぱりなくなるのさ。唯一、コアクリスタルだけを残す。あのミームをぶっ倒した後、あたしが拾った石っころがあるだろ」
「あーなるほど。結石みたいなもんか」
「よろしいでしょうか。それで……」
ゲルダが話を進めようとするところ、
「ちょっと待ってください」
コウガは挙手して発言を求めた。
「ミームの正体についてはよくわかりましたが、ウンコをするのかどうかというそもそもの質問には答えてもらっていませんよ。というか端的に言うと、貴方の口からウンコという単語が出るのを聞きたい……」
最後まで言わせず、アイリがコウガの後頭部を掴み、テーブルに叩き付けた。
ゴン! と良い音が響き、衝撃がその場にいた全員に伝わった。
「ほがあッ! ツッコミ厳しいなあ、君!」
頭を押さえ、コウガは嘆いた。
「おまえがアホなこと言うからだ!」
「それは認める。でもテーブルに叩き付けるのはどうかなあ。熱いお茶が出てたら火傷していた。……そういや、お茶とかいただけます? この世界にお茶があればの話ですけど」
けろっとして、コウガは飲み物を要求する。
「用意しましょう。忘れてましたね」
ゲルダは腰を上げ、立ち去った。
「すいませんね。こっちの世界に来てからいまだに飲まず食わずで、今なら自分の尿でもすすれそうな気分ですよ」
不意にアイリがコウガのあごを掴み、横へ九十度回転させた。
「おまえさあ。いくらなんでも下ネタ多すぎねえか?」
強烈に険しい視線を叩き付けながら問う。
「疲れてるせいかもね。疲れている時は人間の本性が出やすいから」
特にすくみ上がることもなく、コウガは答える。
「下ネタしゃべりまくるのがおめーの本性かよ」
「そう思ってもらってかまわない。下ネタは生きるよすが、下ネタは生きる希望ってね」
「あのなあ……」
「聞き流せばいいんですよ。いちいちツッコミを入れたら彼の思うつぼですよ」
コウガを挟んで反対側に座るチエがアイリに忠告した。それから、コウガの肩を軽く叩く。
「ただ、時と場所はわきまえていただきたいものですね。今はあなたのこれからを決める大事な話し合いの場ですよ」
「努力する。とはいえ無意識に漏れ出るものを止められるかどうか」
「私は別に構わないのですけどね。あちらの方がどう思っておられるか……」
チエの視線はミオの斜め上方、ソファの後ろで直立不動の体勢でいる人物に注がれる。
「…………」
応じて、その人物は目だけを動かし、コウガを見返した。
「ヒッ」
冷たい視線に射すくめられて、コウガは小さく悲鳴を漏らす。
何よりも目立つのは、口元を覆うマスクである。いわゆるペストマスクと呼ばれる、カラスのくちばしを思わせる長いマスクだ。覆われているのは鼻から下のみだが、外気に晒されている両の目もまた怖い。前髪で半分隠れているせいか、感情らしきものがまるで感じられない。
黒を基調とした衣装を着込み、背は高く、妙に細い。黒い柱がそこに突っ立っているかのよう。生物としての気配に乏しく、これまで一切口も聞かず、とにかく不気味な存在だった。
多分女性だろうなあ、とコウガは感じたが、自信は無い。
「カーラ・イシュタム」
親指で後方を指さし、ミオは紹介した。
「私のボディガード兼ギルドの死神だよ」
「死神?」
「ギルドの掟に反した冒険者を仕置にかけるのが彼女の役目」
「仕置……おしおきですか」
「そうそう、きっついおしおきよ。首の骨がポキンと折れる系の」
「…………」
ミオの言葉の意味をじっくりと理解した上で、コウガはカーラに問いかけた。
「失礼ですが、下ネタを聞いて気分を害されました?」
「……好きではない」
ペストマスクの内部は空洞なのだろう、声はこもっていて妙な具合に響いた。
「でしたら、以降慎みます。首の骨をポキンとされるのはあまり好きじゃないので」
「賢明ですね」
チエが論評を差し挟んだ。
ゲルダはトレイを持って戻ってきた。湯気と香りが立つ紅茶のカップをテーブル上に並べていく。
「あれ。カーラの分がないよ」
「……私は結構」
コウガの指摘に、カーラ自身が答えた。
「あらま。ボディガードの仕事中だから? 任務に忠実だね」
褒めると、カーラはすっと視線をそらした。
「今度は媚びを売ろうっていうんですか」
チエのつぶやきに、コウガは肩をすくめた。
「あのマスクをつけたままでどうやって飲むのかちょっと興味があったんだよね」
「不作法は許してやってよね。カーラはそういう役回りなんで」
ミオが率先してティーカップを取り、一口すすった。
「さて、話を元に戻すよ。ギルドはいつでも冒険者を大募集している。ミームを駆逐し、人々の平和な生活を守るためには、もっとたくさんの冒険者が必要なんだ。もちろん死ぬリスクはあるよ。でも、それに見合った報酬は保証する」
「ははあ……。金を稼ぐとなると、やっぱり冒険者になるのが手っ取り早いんですかね」
コウガの質問に、ミオは二つ頷いた。
「手っ取り早いには違いない。他にやりたいことがあるって言うんなら止めはしないけど」
「やりたいこと?」
「たとえば農業とか、鍛冶屋とか。そういった仕事も社会の礎だからね。もしくは、実業家としての手腕に自信があるなら、事業を興してもいい。食べ物屋とか」
「和食レストランを異世界に作って一儲け、とかですか。でも俺は料理は苦手でしてねえ。米を洗剤で洗って親を殺しかけたことがある」
「だったら冒険者をおすすめする。もちろん楽な仕事じゃないよ。命を危険にさらして稼ぐ肉体労働だ。死ぬこともあるし、痛い目にも遭う。ただ、障害は気にしなくていいよ。アリカムナードには回復魔法がある。たいていのケガはきれいさっぱり治せるから」
意見を求め、コウガはチエとアイリをそれぞれに見やった。
二人とも「好きにすれば?」と言わんばかりの適当なアイコンタクトを返してきた。
役に立たねえ、とコウガは思ったが、そこはそれ。自分の進むべき道は自分で決めるべきだろう。
「アリカムナードの人々を守りたい、なんてこの場で宣言するには早すぎる、というか実感がないですけどね。でも、ミームに襲われたところをチエとアイリに助けてもらって、冒険者という職業の重要性はよくわかったつもりです。加えて、二人から『命を助けてやった報酬をよこせ』とせっつかれて、手っ取り早く金が要るという事情もありますので……」
「ンなこと言う必要ねえだろうが」
「まるで私が守銭奴みたいに聞こえるじゃないですか」
アイリとチエはほぼ同時にコウガを左右から小突いた。
「ツッコミは誰か一人が代表して入れてくれよ。とにかく、やります。サインさせていただきます」
最初に手渡された書類をテーブルに広げ、コウガは己の名前を書き記した。
「漢字で名前を書いてしまったけど、いいんですかね。こちらの世界の言語は……」
ペンを握ったままコウガは問う。
「いえ、かなり昔からアリカムナードの共通語は日本語です。古くから日本人が来ているせいで、土着言語を駆逐してしまったらしいのです」
書類などを受け取りながら、ゲルダが答えた。
「へえ。こっちの言葉は古代語と化しているってこと? それっていいのかな」
「いいもなにも、アリカムナード人が日本語をしゃべっているんだから仕方ない」
ミオがニッと笑ってみせた。
「言語を学ぶ手間が省けて楽だし、いいことじゃない。さて、ギルドに入る以上、一つ誓いを立ててもらうよ」
「誓いですか。トイレで用を足したら手を洗う、とか?」
「それも大事だけど、もっと大事なことがある。すなわち、ギルドと仲間を裏切らない」
「当然のことですね。安心してください、俺は身内と友達は絶対裏切らない品行方正な人間ですよ」
「結構。私たち一人一人の力は小さいからこそ、心を合わせて活動しなきゃならない。裏切りは絶対に許されない行為であって、その際には然るべき制裁を下す」
「制裁について具体的におたずねしてもよろしいでしょうか」
「カーラが最期を看取ってくれる」
ミオはカーラを指さした。
カーラは特に反応せず、魚のような目でコウガを見るばかりだった。
「わかりやすいお答え、ありがとうございます。決してギルドを裏切らないと誓います」
右手を軽く挙げ、コウガは誓いを立てた。
満足げにミオはうなずき返した。
「それじゃ、冒険者として生きていくための基礎知識について学んでもらおうか。よろしくね、ゲルダ」
水を向けられ、ゲルダは腰を上げた。
「はい。場所を変えましょう。中庭に来てください。チエさんにアイリさんもつきあっていただけますね」
「彼を連れてきた責任の一端くらいは負いますよ」
「しゃーねえなあ」
チエとアイリもソファから立ち上がる。
――さてはて、どんなことになるのやら。
不安と期待が入り交じった妙な気分になりながら、コウガは紅茶を一息に干した。
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