第1話 コウガ、異世界に喚び出されて死亡する
その1
ふと気がついたら、瀬田光河は異世界に召喚されていた。
まず、コウガは突然光に包まれた。オーロラのような緑、赤、紫と変色を続ける奇妙な輝きの光である。足下には光の線が複数絡み合い、円を基調とした複雑な模様を作り出している。
――サモンサークルってやつだな。
コウガは現代日本を生きる普通の高校生である。中世ファンタジー的世界観についてはゲーム漫画アニメなどで慣れ親しみ、歴史や神話についても人並み以上程度には通じている。そのためかパニックに陥ることもなく、身の上に起きていることをある程度客観的に把握することができた。
程なく光は弱まっていき、かわりに周囲の風景が目に入る。
石造建築物の廃墟跡のようだった。といっても朽ちた石柱、石壁がいくつか並んでいるだけで、実質は緑一色の草原だ。ところどころに黄色や紫の花が固まって咲き、天然のお花畑を形作っている。
遺物の風化具合は素人目にも激しく、かつての姿を想像するのは難しい。
「……そこの少年! 異邦人だな!?」
そして、周囲を五人の騎士に囲まれていた。
「異邦人……?」
声の主を、コウガは見上げた。
五人の中でただ一人騎乗している女騎士が、コウガを見下ろしている。
乗っているのはただの馬ではない。ユニコーンである。
全身美しい白い毛に包まれ、額からは立派な一本角が生えている。白い馬に適当な角をくっつけたとは思えない。正真正銘、皮膚の下の頭蓋骨から伸びているとしか思えなかった。
ユニコーンを見せられてしまっては、反論のしようもない。ここは異世界に違いなかった。
「異世界から来たのだろう、少年。名はなんと言う?」
女騎士は馬を下りながら語りかけてきた。がちゃり、と着地とともに金属のブーツが音を立てる。
金髪をサイドテールにくくった若い女性だった。もしかしたら成人に達していないかもしれない。着用している白基調のコートは鎧の上から羽織る貫頭衣、サーコートというやつだ。もっとも見た目の年齢なりのほっそりとした体のラインが垣間見えるのでサーコートの下は軽装、鎧は着ていないだろう。
兜も着けず、その整った顔立ちを外気に晒している。表情は険しく、ゴミでも見るかのような目でコウガを見つめている。
――『高慢』という単語を人の形にしたみたいな奴。
それがコウガの第一印象だった。こういう相手を見ると、おちょくらずにはいられない。
「瀬田光河と言います。そちらは?」
まずは普通に名乗って、聞き返す。
女騎士は右手を胸に当てた。
「これは失礼した。我が名はマイア・コゼンジ。所属は――」
「処女ですね!」
素早くコウガは声を上げた。
突然のことにマイアはぽかんとした。
「処女なんですね、あなた!」
繰り返し指摘して、コウガはユニコーンを指さした。
「ユニコーンって、処女に心を許す一方で、非処女は容赦なく蹴り殺すんでしょ? ということは、ユニコーンに乗っているあなたは処女ってわけだ。違いますか?」
徐々に理解が追いつくとともに、マイアの顔は怒りで真っ赤になっていった。
「……答える必要があるのか?」
絞り出すようなマイアの声に、コウガはあくまでも脳天気に、何の悪意もなく答える。
「いえ別に。事実としてはっきりしているわけですから。さすがのこの俺も、今すぐこの場で処女膜を出してみせろなんて下品なことは言いませんよ。えーと、で、なんでしたっけ? 話に割り込んじゃいましたね」
しばし、マイアはコウガを殴り倒すべきか否か真剣に考え込んだが、かろうじて理性が勝った。大きく咳払いして心を落ち着けた後、自己紹介をする。
「……我が名はマイア・コゼンジ。所属は極星騎士団、その第六隊の隊長を務めている――」
「騎士団所属! やっぱり女騎士だ!」
コウガは大きな声で言い立てた。
「確認したいんですけど、やっぱり女騎士ってアナルが弱いんですかね?」
マイアは絶句した。
沈黙に乗じ、コウガは言い立てる。
「あら。まさかこちらの世界にはアナルなんて言葉は存在しない? まあたしかに、正確にはアヌスだしね。つまり何かというと、尻の穴のことなんだけど――」
「説明されるまでもない」
小さな声で、しかしはっきりと、マイアは言った。
「じゃあ良かった。一般的に女騎士はアナルが弱いなんて言われているけど、実際のところはどうなのか、いつか会えたら是非聞いてみたいと思っていたんですよ。まさかこうして機会を得ることができるなんて、夢のようだなあ! で、――」
マイアはいきなり腰の乗馬鞭を引き抜き、コウガの口を全力で叩いた。
「あづあ!?」
目が白黒するような不意打ちだった。激痛に悲鳴を上げ、その場にもんどり打って倒れる。右へ左へ転がって痛みを発散し、やっとのことで身を起こすと、
「次にくだらない質問をしてみろ。物理的に口が利けなくなるようにしてやる」
鋭い刃がコウガの喉元に突きつけられていた。
サーベルだった。瞬時に鞘から抜き放ち、その刃をぴたりとコウガにつけている。
「くだらない質問なんて、そんな。俺にとっては重要な質問だよ――」
コウガの抗議に、マイアは刃で首筋を撫でることで応じた。金属の冷たさがコウガを震わせる。
「――はい。口を閉じさせていただきます」
素直にコウガは折れた。
コウガの様子を存分に見極めてから、マイアは剣を収めた。コウガは口元を押さえながら立ち上がる。
「……さて。私たちの任務は、異世界から迷い込んできたおまえたちみたいな存在を発見し、保護することだ」
マイアの声はやや不自然だった。隊長としての威厳を装うため、無理して低い声を放っているという風である。
「発見に保護? 人を野生動物みたいに言うね。俺はあなた方に喚び出されてここに来たんじゃないの?」
「誰かがおまえを意図的に喚び出したのではない。そちらの世界からこちらの世界へ、一方通行の異界門が開くのは、自然現象のようなものなのだ」
「自然現象!」
「局所的大雨、雷、竜巻のように、異界門はありとあらゆる場所に現れる。そして大抵、異界の人間をこちらの世界に喚び出す。おまえも門に呑まれた不幸な人間の一人というわけだ」
「あらまあ。しかも一方通行? 元の世界には戻れないってこと?」
「元の世界に戻れた人間の話など寡聞にして知らぬ」
「ってことは、来週のアニメも見られないし、来月の小説新刊も読めない……?」
「……? 何のことを言っているかよくわからんな。というか、まずは親兄弟に二度と会えないことを嘆くところではないのか?」
「それもそうだ。親……はつらいな。兄弟姉妹も……」
コウガは少し考え込んだが、すぐに頭を左右に強く振り、考えを追い出した。
「……悲しむのは後回しだ。それより、縁もゆかりもない別世界に連れてこられて、一体どうやって生きて行けって言うんだよ」
「だからこそ、の私たちだ。私たち騎士団はおまえたちを保護し、生きる糧を与えてやることを務めとしている。私たちと一緒に来い」
そう行って、マイアはコウガに手をさしのべた。
コウガはためらった。
普通ならば、この手を喜んで取り、ホイホイとついて行くところだ。
だが、都合の良さがコウガに二の足を踏ませる。
加えて、マイアを筆頭として、騎士たちの高慢な態度が引っかかる。まわりを囲む四人の騎士たちも、露骨な見下しの態度を隠そうともしていなかった。
――俺がいきなり下ネタトークを披露したせい、ってだけじゃ説明付かないよな。
屈辱に耐えて受益するか、益を捨てて心のままに行動するか。
短時間で、コウガは決心した。
「ありがたい話だね。とはいえ……一つ条件がある」
「条件?」
「おいおまえ! 条件がつけられる立場だとでも思っているのか?」
騎士の一人が一歩踏み出しかけたが、
「まあ待て!」
マイアが制すると、騎士はおとなしく引き下がった。
「聞いてやろう。条件次第では受け入れてやってもいい」
と、マイアはコウガに言った。
「すいませんね。条件というのは――」
と言いかけて、コウガはマイアの後方に視線を投げた。
「――って、アレ、新手の異界門とやらじゃないんですか?」
と言いつつ、何もないところを指さした。
「なに……」
マイアも他の騎士たちも釣られて、何もない一点に目を向ける。
その隙に、コウガはすっと身を小さくして素早くマイアに接近。
両手を組み、両人差し指だけは伸ばし――
マイアの尻にカンチョーをねじ込んだ。
「フギャアアァァ――ッ!?」
絶叫。
その叫びは、数キロ四方に鳴り渡っただろう。
マイアは直立したまま、五十センチは宙に浮いた。
ゆうに数秒滞空した後、着地。膝が砕け、転倒。
尻を押さえる妙な体勢でうずくまり、けいれんする。
「な――」
四人の騎士たちは色めき立ち、コウガを取り囲んだ。しかし何が起きたのか見ていないので理解できず、警戒したまま立ち尽くす。
ただ一人、コウガは脳天気なままでいた。
「女騎士は本当にアナルが弱いのか、実験してみたかったんですよ。これが条件です。いやー、たしかに弱いようで! そりゃ不意のカンチョーは誰しもビビるけど、ここまでいい反応とはね! つまり『女騎士はアナルに弱い』という俗説は証明されたことになるね! いやー満足!」
一人語った後、コウガはマイアに視線を落とした。
「条件は以上です。さ、今度は俺が約束を果たしますよ! どこへなりと連れて行ってください。三食と寝る場所は保証されるんですよね?」
問いかけに、マイアは答えなかった。
ゆっくりと身を起こし、立ち上がる。
全身を払い、草や土埃を落とした後、するりとサーベルを抜き直し、
「――殺してやる」
一歩大きく踏み込んで、斜め下からの一閃を放った。
「おひゃあ!?」
コウガは全力で飛び退き、サーベルに空を切らせた。
運が良かった。あと五センチでも立ち位置が近かったら、ざっくりと胴体を縦に裂かれていたことだろう。
「待ってくれよ! 冗談にも程がある――」
「やかましい!」
マイアは飛び込み、力任せの斬撃を叩き付ける。
「うおおおおッ」
地面に身を投げ、コウガは再び直撃を回避した。右肩を強く打ち、しかし痛がっている暇はなく、半ば這いながらマイアの姿を視界に収める。
マイアの顔は怒りで深紅に染まり、その両目は異様な輝きで満たされていた。
「動くな、そこに座れ! 生まれてきたことを後悔させてやる……!」
「後悔したくないです!」
どうにかコウガは起き上がった。
「ちょっとしたおふざけで殺されるとか、割が合わないにも程がある! 周りの人、誰かこの人を止めてくださいよ!」
コウガは助けを求めた。が、騎士たちに動く気配はない。マイアのあまりの激情に戸惑っている。
――これは真剣にまずいぞ!
コウガは逃走を開始した。踵を返し、騎士たちの間をすり抜け、全力で走る。
「待てェェ――ッ!」
マイアは全力で追いかける。騎士たちもそのあとに続く。
追いかけっこはしかし、短時間で終わった。
追っ手を気にしすぎた結果、コウガは前方の地面が途切れていることに気づかなかった。
「……あっ……!?」
唐突に草地は途切れ、赤い土が露出した急斜面が現れる。
コウガは急斜面に全力で飛び出し、華麗に転落した。
「おわああぁぁぁぁ…………!」
派手な土煙を立てながらの大回転。すごい勢いで転がり落ちていく。
「待てと言っている……!」
マイアも追いかけて急斜面を滑り降りようとしたが、
「危ないですよ、ここを降りるのは!」
騎士たちが腕や足をつかみ、強引に引き留めた。
「離せ! この! 貴様らッ!」
全力で体をねじり、マイアは逃れようとしたが、男四人に一斉に押さえられてはどうしようもなかった。
「隊長が手を下すまでもないでしょう!」
「ここから転げ落ちただけで結構なダメージです。あとはミームどもが勝手に始末してくれるでしょうよ!」
騎士たちに説得されて、マイアは落ち着きを取り戻していった。抵抗をやめ、全身から力を抜く。
「もういい。放せ!」
騎士たちはマイアの拘束を解いた。
マイアはゆっくりと斜面ににじり寄って、のぞき込む。改めて見ると、結構な斜度と高さだった。軽度の高所恐怖症ということもあって、マイアはわずかに縮み上がる。
比較的最近に土砂崩れでも起きたのだろう、局所的に土の地面が露出し、ごつごつした岩がいくつも顔を覗かせている。
そのど真ん中に、コウガはうつぶせで倒れていた。わずかに手足が動いているのが視認でき、どうやら死んではいないようだが、すぐには立ち上がれない風だ。
マイアはさらに向こうを見やる。地面の露出は途切れ再び緑の草原となり、その奥には深く黒い森が壁のようにそびえていた。
どんなバケモノが隠れ潜んでもいてもおかしくない、大きなうっそうとした森だ。
「……結構。降りていって、我々までミームどもに襲われては世話ないな」
マイアは肩をすくめると、くるりと斜面に背を向けた。
「引き上げる! 今日の異邦人は性格に難あり、加えて反抗したので叩き伏せたということにする!」
騎士たちに呼びかけつつ、手を振って撤退を示す。
騎士たちはコウガに一瞥をくれることすらなく、マイアに従ってその場を立ち去り、王都バルデンハイムへの帰路についた。
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