調査
見て回ったのは直近――昨日の分を含めて三つの現場だった。現場のそれぞれでカーブミラーが割れていることを確認し、庭木の枝が伸びていることを認め、現場に残った足跡を一通り調べてシャーロックは満足気に笑う。
「さて、どう思うワトソン?」
「同じ靴跡が二組あります。踵の形もサイズも同じ、片方はあちらの道から来て片方はこちらから。そしてまた来た方向へ引き返しています」
「そうだな」
沈黙に先を促されて、既に言葉を言い尽くしたワトソンは少し慌てた。
「あと、――ええと、被害者の方の証言では、鏡に写った自分のような、そっくりそのままの男に刺されたとのことでした。……あの、すみません、情報が増えてない気が」
ワトソンが白旗を揚げると、シャーロックは片眉を上げて口をへの字に曲げた。
「いいやワトソン、それは大きな誤りだ。情報は増えている。想像でしかなかったドッペルゲンガーに足跡という目に見える根拠がついたわけだからな」
「う」
「想像と推理を履き違えるな。被害者の証言を鵜呑みにもするな。疑わしきは確かめるべきだ」
もっともだ。ワトソンは項垂れる。
「まあ、君は午前中に大事なヒントを提示してくれたからな、それだけでMVPだ。実際合ってたしな」
「さっき仰ってた『嫌なこと』って、何です?」
事務所に戻ってコートを脱ぎ、コーヒーを沸かしながら訊くと、シャーロックは「そんな気になるか」と苦笑いした。
「あんま面白い話じゃねえぞ?」
「そうやって渋られると余計に気になります」
ワトソンが言うと、それもそうかとシャーロックは笑った。笑い、顔を曇らせ、頭を掻いて、また笑った。
「軍に居た頃、だからもう20年くらい前か、移民の連中と宗教上の対立から小競り合いになったことがあってな。最初は宗教的な住み分けの話だったんだが、合併だ何だ揉めに揉めて、そのうち人種差別になっていって、それもヘイトスピーチとかデモ行進で済んでるうちはよかったんだが、そのうちテロじみたことやりだしたんで鎮圧っつって駆り出されて」
シャーロックはそこで言葉を切った。何かを思い出すように手のひらを見つめ、拳を作ってため息をつき、がりがりと頭を掻いた。
「あの記者、そいつらと訛りが似てるんだよ。聞いてると気が滅入る。何もあの記者が悪いってわけじゃねえんだが、正直あんまり聞きたくねえ」
途切れた言葉の間に何があったのかは、ワトソンにとっても想像に難くはなかった。テロ集団に対する武力弾圧、その中で何が行われたのかも。
「先生は、――その、志願兵だったんですか?」
「俺はもともと孤児なんだよ。中将に拾われて軍で育った」
「どうして探偵に?」
「あのまま軍にいりゃあそれだけ職位も上がってくからな。嫌いなんだよ、責任とか威厳とかそういうの」
シャーロックは椅子に背を預け、机に足を投げ出した。ワトソンからコーヒーを受け取り、それを飲む。
「……なんだか、急にたくさん情報が入ってきて」
「忘れろ。我々の仕事にはほんの少しも役立たない。今考えるべきはドッペルゲンガーだ」
シャーロックがひらひらと手を振る。そう、今考えるべきは依頼の事件だ。二組の同じ足跡、見通しの悪い現場。同じ姿、同じ利き腕、脈絡のない被害者像。
目の前の事件に集中しようとして果たせず、ワトソンは頭を掻く。シャーロックの過去、孤児、軍、中将、宗教対立、テロ弾圧、記者の訛り。一日のうちに入ってきた多量の新しい情報。
「うー……」
ワトソンが低く呻いたのを聞いてシャーロックが笑う。
「情報の取捨選択は大事だ。覚えるべきを覚え、それ以外は忘れる。精進せよ」
「はい……」
ワトソンが紙とペンを弄び呻いていると、ごつごつと扉がノックされた。時計を見る。来客の予定はない。返事をしながら扉を開くと、レインコート姿の大男が立っていた。男はワトソンを一瞥し、シャーロックへ視線を滑らせた。
「Mr.シャーロック、依頼の資料をお持ちしました」
「ありがとうございます」
シャーロックは男から封筒を受け取る。男の声は低く、抑揚がない。陸軍のバッジが透けて見えるものの、レインコート越しに歪んで階級までは読み取れない。
「マイルズ大将より、確認が終わったらすぐに処分するようにと」
「もちろん、厳重に」
簡単なやり取りを終えると、男は軽く会釈して踵を返した。
「何です、それ」
シャーロックが封筒から取り出したのは紙の束だった。その束を、シャーロックは今朝警察から預かったドッペルゲンガーの被害者の資料と合わせて机に並べる。
「軍の機密資料だ」
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