解決

 結局、シャーロックが床を這い出て事務所まで降りて来たのは翌9時近くなってからだった。ワトソンは普段より濃く淹れたコーヒーと朝食とをテーブルに並べ、シャーロックはそれに礼を言う。

「僕は起こしましたからね、8時から10分ごとに5回」

 ワトソンが釘を刺すと、シャーロックは大あくびをしながら「いや、覚えてる。悪かったな世話かけて」と答えた。

「それも僕の仕事みたいですから。思いつきましたか、犯人を探す方法」

 ワトソンが問うと、シャーロックは新聞を広げ、コーヒーを飲みながら「勿論。既にバルテンに伝えてある」と答えた。

「あとは警察が犯人を捕まえれてくれりゃ俺の仕事は終わりだ」

「伝え……まさか電話したんですか? あの後、何時だか知りませんけど、深夜ですよね?」

「電話口で文句言われて時計見たら3時過ぎてた。電話越しなら殴られやしないがな」

 シャーロックに悪びれた様子はない。22時過ぎまで働いてようやく眠りに就いただろう人間を、午前3時に電話で起こしておいて。

「先生ってたまに理不尽ですよね」

「仕事熱心だと言ってくれ。――見ろワトソン、ロンドン警視庁の大失態だ」

 投げて寄越された新聞には、先の事件の解決記事が大々的に掲載されていた。不可解な点などひとつもない、ただ残忍で明瞭な事件として。

 犯人はウォリック・ガードナー、郊外に住む地方銀行員の男で、動機は親友の自殺によるアパート住人への逆恨み。ホテルに残された簡単な遺書の文面がほとんどそのまま掲載され、遺族を悼むウィルソン担当警部のコメント、彼とロンドン警視庁への賛辞がそれに続く。

「どこぞの田舎警察を無能扱いしておいてこの有様だ。明日には大恥をかくだろう、可哀想に」

「バルテン警部には何と伝えたんですか?」

「答え合わせは明日、君が帰ってきてからにしよう」

 言いながらシャーロックはトーストに齧りついた。「どうせなら材料が全て揃ってからの方がいい。もしかしたら午後にでもあの仏頂面から連絡が来るかもしれないけどな」

 ワトソンは不満に声を上げたが、それは全く黙殺された。バルテンから連絡が来ることはなかった。

 この日は起こしても起きなかったはずのシャーロックは翌朝ワトソンより早く起床し、朝刊を気にするワトソンからそれを取り上げて「さっさと学校行ってこい」と笑った。

「朝刊読む時間くらいはあります」

「どうせ大したことは書いてなかった。帰ってきたら一から十まで説明してやるからそれまでの楽しみにとっとけ」

 頭を撫でるというよりは掴み揺さぶられるようにして窘められ、ワトソンは渋々学校へ出かけた。その日一日、どうにか事件のことを意識的に頭から追い出して過ごして事務所へ戻ると、シャーロックはワトソンにコーヒーを差し出してにっと笑った。「お楽しみの時間だ」


「順を追って話そう。ガードナーは親友であるチャールズ・ブラウンの自殺を知り、『自殺するはずはない』としてその真相を調べた。そしてどういう手順を踏んだかは知らないが、あのアパートで連続して不審死が起きていることを発見し、殺人に違いないと思い込んで私の元を尋ねた。ここまではいいな?」

 確認されてワトソンは頷く。

「その三日後にアパートで殺人が起き、私はバルテンから住人六人の名前のリストを手に入れた。そこにはガードナーの名前があった。私にアパートの不審死の真相を暴けと依頼した張本人がそこに住んでいるのは不自然だ。死体の身元確認は警察に任せるとして、都合のいいことに私はガードナーの手紙を持っている。アパートを契約していたのがうちに来たガードナーと同一人物かどうか確かめる手がかりがある。あのでかい警官がバルテンを追い出してくれたのは非常に好都合だった。顎で使える警官の手が空くわけだからな。頼んで大家を尋ねさせ、外見を聞き出し、契約書のコピーを手に入れた。

 一方で現場だが、物置部屋があったのを覚えてるか? あの物置部屋に解体された本棚と多量の本があったのは見ただろう。本棚を設置していた形跡は最後に見た部屋にあったな。あれだけ床が凹んでいるんだ、本は大量にあったはずだ。埃や血飛沫の様相からして解体されたのは犯行後、つまりいくらかの本が持ち出されたことは想像に難くない。わざわざ本棚を解体したのは本を持ち出した不自然なスペースを疑わせないためだろうな。犯人は全員を殺害してから、少なくとも本棚の解体をし、正しく物置へ運んでいる。外部犯ではありえないな。

 次に、君が見つけた花だ。件の家で花をもらった人間、あれが犯人だという確証はなかったが、現場から何本か持ち去られていたこと、大家の証言するガードナーの特徴と似通っていたことから犯人だろうと結論した。わざわざ譲り受けた三本のうちアパートに一本、ホテルに一本を置いた。まだ数が合わない。となればもう一本は犯人がまだ持っているか、そうでなければブラウンの墓にでも備えられていると思うべきだろう。『復讐は完了した』、つまり餞だな。ガードナーもまた、あるいはガードナーこそが、犯人にとっては復讐の対象だった。犯人はガードナーに罪を着せて殺害した。ガードナーがうちに来たのは犯人にとって誤算だったな。その誤算さえ無ければ、つまり私さえこの事件に関わっていなければ、新聞の通りに事件は解決、晴れて完全犯罪が完成していただろうに。

 犯人はブラウンと親しかった。こんな綿密な計画を立てて復讐に走る程度にはな。ガードナーもまた犯人からの呼び出しに応じ、あっけなく殺されている。であればと思ってブラウンとガードナーの携帯の発着履歴を調べさせた。面白い名前が出てきたよ。――ケビン・ルーカス。ブラウンの死体の第一発見者だ。身柄さえ確保されてしまえば、あとはアパートの大家に確認を取るなり筆跡を鑑定に出すなり裏付けの取りようはある。一両日はかからなかったな」

 説明を聞いてみると、何に混乱していたのかわからなくなるほど簡単な話に思えた。ワトソンは自身の持っていた疑問を思い出そうとして首を傾げ、ひとつ解決していないものを思い出す。

「持ち去られた本は何だったんでしょう」

「バルテン曰く、遺書のリストだったそうだ」

 遺書のリスト。ワトソンはオウム返しにつぶやく。

「大規模な自殺幇助と嘱託殺人。あるいはスパンの長い集団自殺だ。タチ悪い。ブラウンの遺書に自分の名前が載ってること、アパートで死んだ住人の分すべてがあることを知っていたんだろうな。ランダムに数枚持ち去るだけで十分だっただろうに。新聞も見るか」

「見ます」

 ワトソンが伸べた両腕の中にひょいと新聞が投げ込まれる。見ると、紙面の隅にケビン・ルーカス逮捕の記事が載っていた。昨日の解決宣言から一転、真犯人が逮捕されたことに触れ、警察内部の確執や体制の問題についても触れられていた。一方事件そのものに対する詳細は殆ど無く、シャーロックの名前は一度も登場しなかった。

「先生の名前、全然書かれてないじゃないですか」

「うん? そりゃそうだろう、俺が逮捕したわけじゃねえんだから」

「でも、先生が犯人を見つけたのに」

「だが手錠をかけたのは彼らだ。『実際の行為など取るに足らぬもの』、俺は謝礼貰えりゃそれでいい。後でめでたく名誉回復を遂げた田舎警察にせびりに行こう」

 こともなげに言うシャーロックを見て、だからかとワトソンはひとり納得した。シャーロックがいくら事件を解決しても「手錠をかけたのは彼ら」であって、その功績が大々的に知れ渡ることはない。だからシャーロックはいつまでも無名の私立探偵のまま、一方で彼の昔馴染は破格の昇進を遂げているのだ。あるいはそれが気に入らないから、バルテンはシャーロックを邪険に扱っているのかもしれない。

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