現場検証

 遺体は五つ。住人は六人。遺体は既に警察に回収され、現在身元の確認中。犯行はおよそ深夜だったこと、外部から侵入を受けた形跡のないことから、遺体のないもう一人が犯人だろうということになっていた。先ほどバルテンといがみ合ったのは何だったのか、アパート内は消化試合の様相を呈している。

「さては楽そうな仕事を選んでもぎ取っただけか」

 共用の物置らしい部屋を検分しながらシャーロックが呟く。その部屋にはいくつかの大きなゴミ袋、掃除用具の他、解体された棚や縛られた本などが雑然とつめ込まれている。事件とはおよそ無関係に見えるためか、警察官が調べたふうはない。

「楽ですか?」

「楽だろう。ただの殺人、どう見ても今までの件とは無関係だ。手がかりなんかいくらでもあるだろうし、第一『死体が足りない』なんて情報、バルテンから聞いてねえだろ。こいつら隠してたな」

「そんな、警察同士なのに」

「ま、知ったこっちゃねえけどな。さて次の部屋行こうぜ」

 立ち上がって上機嫌にさえ見える足取りで進むシャーロックの後を、ワトソンは小走りに追う。

「先生は何を探しているんですか?」

「何って、犯人の手がかりだよ。決まってるだろ」

「でも、犯人はもう警察の人たちが探してるじゃないですか」

「そうだな」

「ガードナーさんだって亡くなってしまったかもしれないのに」

「それもそうだ」シャーロックは大袈裟に目を丸くし、それから相好を崩してワトソンの頭を撫でた。「君は頭がいいなワトソン、さすが私の助手だ」

「はぐらかさないでくださいよ」


 残った最後の部屋はアパートの中で一番荒れている部屋だった。明らかに争った形跡があり、ベッドは血だまりになっていた。明らかな殺人の痕跡にワトソンは身震いし、血の臭気から逃れようとハンカチを鼻に当てた。一方のシャーロックは平気な顔で部屋に入り、床の凹みや壁の傷、クローゼットの中身などを眺めて回った。

「さて、どう思うワトソン? 君の意見を聞かせてくれ」

 部屋を一周してワトソンの側に戻り、半ばお決まりのセリフを吐いてシャーロックは笑う。笑うというよりはただ唇の端を釣り上げただけで、目はまだ何かを睨んでいる。何かを見落としてはいないかと部屋中に視線を滑らせるさまは、野生の肉食獣が草原に動くものを探すようだった。そうしてシャーロックが探している「餌」はつまり、この事件を解決する鍵と犯人のしっぽである。

「ひょっとして先生はもう答えをご存じで、僕は試されているんですか?」

「まさか。確かに私は答えを一つ持っているが、君を試そうとしているわけじゃない。君の、私よりも8インチほど低い位置にある、私よりも30年ほど若いその目には何が見える? それが知りたい」

 ワトソンは困惑半分、改めて部屋を見回し、せめてシャーロックが興味を示さないであろうものを探した。幸い、シャーロックが部屋中をどう歩き、どこで屈み、何を見ていたかは概ね記憶している。

「花があります」

 シャーロックは片眉を上げ、あるな、と答えた。その部屋の窓辺には元花瓶とでも言うべき陶器の破片があり、花が落ちていた。ワトソンは背筋を伸ばし、顎髭を撫でる素振りをした。そうして自らが先生と仰ぐ私立探偵の姿を真似、自信ありげな声を作った。

「花はまだ新しく、しおれていません。花瓶は――そもそも割れていますけど――古ぼけていて、新品ではありません。けれど、この部屋と共有部のごみ箱、ごみの量は少なくありませんでしたが、どちらにも『その花の前に生けてあった花』を見ていません。であればこの部屋の住人は『習慣的に花を活けていて最近花を新しくした人物』ではなく、『たまたま花をもらったからと久しく使っていなかった花瓶を引っ張り出した人物』です」

「悪くない。それで、その話は事件とどう関係する?」

「事件に関係することは先生がご存知と思って」

 ワトソンが白状すると、シャーロックは満足げに顎髭を撫でた。

「いい目を持ってる。花か花瓶かどちらかに見覚えは?」

「あります。あるんですけど、どこで見たのか」

「どちらの話をしている?」

「花です。この花、ここに来る途中のどこかで見て、珍しいって思ったんです」

 ワトソンは口元に手を当て、朧な記憶を懸命にたどる。

「ふむ、――思い出したら聞かせてくれ。大いなるヒントになるかもしれない」

「ヒント?」

「こうも考えられる。この花は犯人を名指しする重大なる証拠品で、だが犯人が私と同じように花に疎い人間だったため、ここに残されたと。君の発見は犯人を変えないかもしれないが、犯人への近道にはなりうる」

 シャーロックは花を指していた人差し指をワトソンに向け、にんまりと笑った。

「君の慧眼に期待しているよ、ワトソン」

 Mr.シャーロック、と声が割って入ったのはその直後だった。ウィルソンと名乗った、例の厳しい大男がシャーロックの側に立つ。やはりかなり大きい。

「事件は解決した、お引き取り願いたい」

「解決?」

「行方不明だったウォリック・ガードナーの死体が上がった。自供の手紙も出た」

 差し出されたのは携帯電話の液晶だった。文面を書きだした文字列と、遺書そのものの写真が表示されている。シャーロックはそれを手に取って眺め、ワトソンにも同じく見せた。ワトソンはそれを見て首を傾げる。

「あの、これ」

 シャーロックが唐突に声を上げて笑い、ウィルソンがそれを見て眉を顰めた。

「何が面白い?」

「ひどい茶番だ」シャーロックはその口元を笑みの形に歪める。ただ、その目は少しも笑っていない。「アパートの住人は六人、死体が五つ。行方の知れなかったもう一人の住人、ウォリック・ガードナーの遺体がホテルで見つかった。あなた方は遺書の内容を鵜呑みにして解決とするおつもりですか? 私が先程ご覧に入れた依頼書とこの遺書を同一人物が書いたと?」

「五人も殺してこれから自殺しようとする男だ、筆致なんていくらでも崩れる」

「素晴らしい筋書きだ。作り話が上手でいらっしゃる」

「先生」

 ワトソンはウィルソンが青筋を立てたのを見て、思わずシャーロックの着ているスーツの裾を引いた。シャーロックは振り向かない。

「侮辱も大概にしていただこう」

「これは失礼を。――帰るぞワトソン」

 踵を返したシャーロックの背を、ワトソンは慌てて追う。振り返って覗き見たウィルソンは、既にこちらを見てはいなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る