調査.1
「5分で終わらせろ」
取り次がれて現れたバルテン警部は、眉間に深いシワを刻んだまま短く告げた。くすんだブロンドの髪、鋭い目つき、その下にくっきりとした隈。低く抑揚のない声は、初対面のワトソンには少なからず畏怖を抱かせた。シャーロックが昔なじみだと言わなければ、悲鳴すらあげていたかもしれない。
「そりゃお前、無茶な注文だな」
シャーロックはへらりと笑って答える。その様子が普段と変わらないところを見ると、バルテンもまた普段に比べて特別に不機嫌というわけではないらしい。
「事前連絡もなしに急に現れて無茶を言っているのはどちらだ」
「まあまあ、俺とお前の仲じゃねえか」
「残り4分」
腕時計を眺めてバルテンが言い、まだ一分経ってないだろうとシャーロックが反駁する。見たところバルテンはシャーロックよりも十歳以上は年下で、およそ三十過ぎといったところだろう。警察内部の仕組みをよく知っているわけではないが、年齢の割に破格の昇進をしているのではないかと思う。
「ちょっと調べてることがある。資料庫を見たい。こちらの情報は洗いざらい開示する」
シャーロックが差し出したメモは、その前日に件の依頼人が差し出したそのものだ。バルテンはそれをひと通り眺めて、シャーロックに突き返した。
「無理だな。以上。帰れ」
「そこをなんとか」
「自分の立場がわからないのか、シャーロック?」
「無名の私立探偵だってわかってるから、他の誰でもなくお前に頼んでるんだよ。お前なら俺を信じてくれるだろ?」
もともと深いバルテンの眉間の皺が更に深くなる。これはだいぶ怒らせたのではないかと固唾を呑むワトソンを横目に、シャーロックは「お、効いた?」と笑いを含んだ声を上げた。
「呆れてものも言えないだけだ。どうやら随分自分に都合のいい頭を持っているらしいな」
「人間四十云年も生きりゃ図太くなるもんだよ。お前も後十年すりゃわかる」
バルテンはそれを聞いて深々とため息を付き、傍らの部下を呼んだ。サミュエルと呼ばれた部下の方は、バルテンと殆ど変わらない年齢の男だ。眉が濃く髪が短く、顎と首がこれでもかと太い。
「この男を見張っておけ。妙な動きをしたら引き金を引いていい。私は予定がある」
去っていく背中を見送りながら、ワトソンはシャーロックに小さく耳打ちをする。
「先生、随分嫌われているみたいですけど、あの方になにかしたんですか」
「これと明言するには心当たりが多すぎるな」
シャーロックは喉で笑って、先を歩き始めたサミュエルの後を追った。ワトソンもそれに続く。
シャーロックはバルテンを信頼している、本人曰く。そしてバルテンもまた、ある程度シャーロックを信用している。資料庫に入ることを許可したのは警察と私立探偵の関係性における信頼が確立されているためで、それを渋ったのは個人的な信頼が欠けているせいだろうとワトソンは一人考えを巡らせる。
「ワトソン、悪いんだけど頼んでいいか?」
「はい?」
珍しく弱った風の声に訝りながら手元を覗き込むと、シャーロックはコンピュータを指して「俺これ苦手なんだよ」と言った。資料庫は広く、その中に所狭しと高い棚が並び、それぞれに夥しい量のファイルが詰まっている状態だった。ラベルが番号範囲で書かれているところを見ると、おそらくすべてが発生順に並んでいる。シャーロックが指したのは見たところ、資料庫内の資料を管理している検索用端末らしかった。
「苦手って、検索ワード入れるだけじゃないですか」
覗き込んだ画面はまったく複雑とは言いがたいものだった。検索ワードを入力し、検索ボタンを押すと該当する事件の事件番号が一覧で表示される。たったそれだけの機械に得手不得手の入り込む余地があるのか甚だ疑問だったが、当のシャーロックにふざけたふうはない。頼むと言われれば断る理由もなく、ワトソンは手元のメモにリストされた名前を画面に打ち込んでいく。シャーロックはどうも、情報端末のたぐいがあまり得意ではないらしい。携帯電話は通話機能しかついていないような型遅れのものを持っていて、それも実際に使用している場面は見たことがない。
名前、西暦、地域で抽出した資料番号をメモに書き写し、必要な資料を棚から選び出す。便利な時代になったよなあと間延びした感想を呟くシャーロックに、恩恵得られてないじゃないですかと軽口を返しながら資料をめくる。
レイチェル・ミラー。学生。死因、服毒自殺。部屋に置かれていた遺書を同アパート住人であるディラン・カークリンが発見。享年19。死亡時刻、現場にはディラン・カークリン、エマ・スコット、ロブ・ピルキントンの三名がおり、他の住人は外出していた。食事中に苦しみ出し、嘔吐痙攣の後に死亡。なお、使用された毒物は遺書と同じく本人の部屋から発見されている。
リチャード・ブラウン。会社員。死因、一酸化炭素中毒。遺体の傍らに遺書を発見。享年23。死亡時刻は深夜で住人全員がアパート内にいたものの、現場に荒らされた形跡はなく、当人がベッドに横になって死亡していたことから自殺と断定。
「あれ」
ディラン・カークリン。会社員。溺死。足を滑らせて川に転倒したもの。享年22。
その調書はリチャード・ブラウンの事件調書の直後にある。見つけたのは偶然だった。慌てて書き留めてから、検索端末にエマ・スコットの名前を打ち込む。――エマ・スコット。学生。転落死。死亡直前に行動をともにしていたアレン・サーグッドの証言、および自宅にあった日記から遺書と思しき文章が見つかったことから自殺と断定。ほぼ想像通りの調書を見つけ、ワトソンは慌ててシャーロックの元へ駆け寄る。シャーロックは調書の束を手に、眉間にしわを寄せて顎鬚を撫でていた。
「先生、これ」
「こっちもだ」
そう言ってシャーロックが指した箇所には、かつてそのアパートで住人が自殺した時の調書と、その時アパートに住んでいた人間の死亡記録があった。
「三年で六人の住人が自殺。自殺の他にも――たとえ引っ越したあとでも、このアパートに住んだ人間は高い確率で既に死んでる。どれも異状死だ」
呪いのアパート。かつて聞いた言葉がワトソンの肌を粟立てる。
「まさか、本当に」
「ありえない。呪いなんてものは存在しない。安心しろワトソン、俺が断言する」
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