呪いの館

依頼

「バルテン警部はいるか? つないでくれ」

 男は通りかかった事務官と思しき職員に開口一番でそう言った。職員は怪訝な顔をする。目の前にいるのは髪を後ろになでつけ、髭を整えた中背のスーツ姿の男だった。年の頃は四十代半ば、お世辞にも人相がいいとはいえない。スーツを着ているから詐欺師のようにも見えるし、そうでなければケチな窃盗犯に見えただろう。

 男が連れているのはまだ年端の行かない少年で、こちらは好奇と不安の交じる目であちこちを見回している。

「失礼ですが、どちら様ですか?」

 職員が問うと、男は不遜なまでにくっきりとした笑顔を作った。

「名探偵シャーロックが呼んでると伝えりゃわかる」


-----


 話は数日前に遡る。シャーロックのもとに、一通の手紙が届いた。寝起きのままの乱雑な髪と適当に着たのであろうよれたシャツ、無精髭が生えたままのシャーロックは立ち姿だけを正している。「シャーロック・ホームズの生まれ変わり」を名乗るこの奇妙な男の元にワトソンが身を寄せ、「助手だから」というだけの理由でワトソンと呼ばれるようになって一ヶ月が経つ。

「さてワトソン君、この手紙の送り主はどんな人だと思うかね?」

 届いた手紙を指先でつまんで、シャーロックはワトソンに問う。白無地で飾り気のない封筒には、同じく飾り気のない、もっともベーシックな切手がまっすぐに貼られている。ブロック体の文字が同じ大きさで等間隔に並び、それが一層無機質な印象を強くしていた。ワトソンと呼ばれた、まだ少年と呼んで差し支えのない年齢の助手は、その手紙を受け取って差出人を確認した。

「ええと、ウォリック・ガードナーさんです」

「そういう話をしているのではない。年齢は? 住まいは? 身なりはどんなふうだと思うかね?」

「この手紙から読み解けってことですか?」

「もちろん」

 困惑するワトソンを見てシャーロックはシャーロックは意地の悪い笑みを浮かべる。ワトソンは手紙と封筒を何度か見比べ、沈黙に耐えかねたように口を開いた。

「ええと…字が几帳面で、予めわざわざ手紙を送ってくるくらい真面目な人です。でも、そんなにお年は召していないと思います」

「若いと思ったのはなぜだ?」

「筆致で、なんとなくです。――真面目な方ですから、僕達に会いに来るとき、きっときちんとしたスーツを着ていらっしゃると思います。髭をそって、髪を整えて」

「悪くない。第六感も大切だな」

「だから先生もそうなさってください」

 シャーロックは一度目を丸くし、それから相好を崩してくつくつと笑った。

「とんだ藪蛇だった。私の気に入る答えを知っているな、ワトソン」

「せっかく予めご連絡を頂いているんですから、掃除もしましょう」

「それはもちろん、約束しよう」

 シャーロックは仁王立ちで睨む視線を投げてくるワトソンに手を延べ、手紙を受け取る。裏と表を一度ずつ見、髭を撫でて「送り主は20代の男性だろう。気の小さい男だが、思い切りはある。それなりに大きい会社の出世頭だろう。銀行員かもしれないな。友人は多くなさそうだ」と言った。

「どうしてですか?」

「ペン先が潰れている。筆圧が強いな。字は大きくないが、この手紙を慎重に書いたという証拠にしかならない。どちらにせよ、几帳面で真面目というワトソン君の読みは自明だろう。慎重で気が小さいから丁寧な手紙をわざわざ書き、思い切りがあればこそ送って寄越した。送って寄越す前に相談する友人のひとりやふたりがいれば、普通はうちじゃなく警察に相談すべきことのほうが多い」

 ジョークとも自虐とも真面目な指摘とも取れる発言にワトソンは答えあぐね、「銀行員と思ったのはなぜですか?」とだけ訊いた。シャーロックはうんざりした笑みを浮かべ、手紙をデスクにほとんど投げるようにして放り出した。

「文面が単調で退屈だからだ。督促状によく似ている」

「そういえば昨日も来てましたよ、督促状」

 シャーロックという男にはどうやら計画性というものが備わっていないらしいことを、一ヶ月の間にワトソンは理解している。後先を考えない暴力的なまでの行動力があればこそ解決してきた事件も多いのだろうが、実生活においては現在に至るまでどうして暮らしていたのだと首を傾げたくなるほどだった。

「この仕事に期待しよう」

 シャーロックは大きくあくびをし、カップに残っていたコーヒーをぐいと煽った。

 手紙にある日付はそれから二日後のもので、依頼人は手紙にあった時間ぴったりに事務所の扉をノックした。几帳面に足が生えたような男だった。


 「シャーロック探偵事務所」と胡散臭い看板のついた事務所の扉は、建物自体が古いせいか開閉の度に断末魔のような音を立てる。腕の中の猫が驚いて逃げようともがくのを、ワトソンはどうにかなだめてその扉をくぐった。直したらいいのではないかと一度進言したことがあったが、シャーロックは「鳴る戸は長く持つって言うだろ。防犯だ防犯」と笑って、結局そのままになっている。

 実際のところ、直す資金もおそらく無い。シャーロックが請ける依頼の代金は半分が生活費に消え、もう半分もどこかへ消えてしまう。多少――多少どころではないのだが――大仰に鳴ったところで、まだ機能している扉に金をかけるつもりもおそらく無いだろう。

「ただいま戻りました」

 声をかけた室内に、出て行くワトソンと入れ替わりで訪れた客人の姿はなかった。シャーロックもまた、何かを眺めて顔を上げない。依頼を受けて探し出した迷い猫を飼い主の持参したゲージに入れ、シャーロックの手元で空になっているポットにコーヒーを淹れ直す。こうなっては話しかけても無駄だ。思考モードに入ったシャーロックはちょっとやそっとの物音では、あの古い扉の悲鳴くらいではそこから戻って来ないとワトソンは既に知っている。実際にシャーロックが沈殿していた思考の底から戻ってきたのは、それから二時間近くが経ってからだった。

「ワトソン、いつ帰ってきた? モリィは見つからなかったのか?」

「二時間くらい前です。モリィはさっきトーマス夫人が連れて帰りましたよ。依頼料とお礼のお菓子、そこにあります」

 ワトソンが指した先には封筒に包まれた依頼料と、トーマス夫人お手製のマフィンが置いてある。モリィはよく脱走する猫で、ワトソンは既に二度、脱走したモリィを捕獲している。いつもごめんなさいねえ、この子やんちゃで困ってるのよ、という夫人の口ぶりから察するに、どうやらモリィはこの事務所のお得意さまである。

「気付かなかった。悪いな」

「随分考えこんでたみたいですけど、依頼、どういう話でした?」

「んーとなあ」

 シャーロックはがりがりと頭を掻き、説明を始めた。

 依頼の概要は「親友が殺されたのでその犯人を探して欲しい」というものだった。なぜ警察に行かないのか聞き返すと、警察では自殺と処理されてしまってそれ以上調査してくれないのでここに来たのだと言う。なら自殺なのだろうと言うとポケットから人名が幾つかリストされたメモを取り出した。シャーロックは依頼人が置いていったメモをワトソンに見せる。

「このアパートでは頻繁に自殺者が出ている。三年で六人。尋常じゃないペースだ」

 三年で六人。ワトソンは小さく繰り返す。

「その全員が自殺、ですか」

「正確には『自殺と処理された』だな。曰く『呪いのアパート』だそうだ」

「呪いのアパート……」

 確かに不自然だが、それがなぜ「殺された」という結論に至ったのか問うと、依頼人は「自分にさえ相談せず一人で死ぬはずがない」と言う。自分は彼の親友で、死ぬ直前に会った時も彼に変わった様子は無かった。自殺を考えるくらいなら自分に話さないはずがない。だからこれは自殺ではなく、自殺に見せかけた殺人だと強固に主張した。依頼人の態度は一貫して落ち着いていたが、他人の意見を聞き入れようとする様子は一切無かった。

「ありゃ自分が思った通りの結論しか受け付けないタイプだな、めんどくせえ。友達いねえわけだよ」

「あの、でも、連続殺人とかって可能性は無いんですか?」

「大家は八十歳も近い老人で、しかもこのアパートには暮らしていない。三年の間に、まあ六人は死んだわけだが、住民全員が入れ替わってる。連続殺人としても内部に犯人がいるとは考えにくいし、外部犯ならばこのアパートの住人がこれだけ頻繁に殺されることに理由が付かない。第一、近頃それに類する連続殺人犯は出ていない。自殺にしては頻度が高すぎ、他殺にしては被害者が偏りすぎだ」

 ひとつのアパートの人間を執拗に狙う理由、とワトソンは考えを巡らせる。たとえばそれが――大家の犯行とは考えにくいにしろ――快楽犯の連続殺人だったとして、だとすれば頻度が低すぎる。三年で六人。偶然にしては高すぎ、狙ったにしては低すぎる頻度。ひとつひとつの風化を待って犯行を続けているとすれば、そもそもこのアパートに固執する理由がない。

「不可能じゃねえけど、不可解ではある」

「呪いのアパートとまで言われてそんなに人が死んでいるのに、どうしてそこに住む人がいるんでしょう」

「曰く『家賃が安くて交通の便がいい、貧乏な学生が済むには破格の条件』なんだそうだ。だとしてもこんなところに住む人間の気がしれないがな。どちらにせよ、このリストに挙げられた人間とそれぞれが死んだ時にアパート内部に居た住人、当時の状況やらを調べるしかない。警察の資料庫に入れてもらえるよう交渉しよう。ツテがある」

 ツテとはつまり「バルテン警部」にあたる。シャーロックの昔なじみで、信頼の置ける男だという。無表情で無愛想で強面で口が悪い朴念仁、と、指折り数えながらひと通りこき下ろし、でも悪いやつじゃねえからとフォローじみたことを付け足した。

「……本当に呪いだったらどうしましょう」

 言われてシャーロックは片眉を上げる。ワトソンの表情は暗い。

「らしくないな、ワトソン。呪いなんてものは実在しない。この世界で起きる全てのことには正しく理由と説明がつく」

「でも」

 珍しく言い募られて、あ、とシャーロックは小さく声を上げた。

「まさかお前、この前見た映画まだ引きずってんのか?」

 その通りだと言わんばかりにワトソンが口を噤んで、シャーロックは小さく吹き出した。数日前に暇を持て余して二人で見た映画は、ミステリと銘打っておきながら最終的に呪いと心霊現象、降霊術、ご都合主義のオンパレードだった。ホラーと銘打っても三流としか言えないそれはシャーロックにとって興醒め以外の何物でもなかったが、ワトソンにとっては後味の悪い恐怖を残すものだったらしい。

「悪かったよ、俺もまさかあんなオチだと思ってなかった」

「絶対、絶対真犯人がいると思ってたのに――あんなのってないです!」

 シャーロックはおかしくてたまらないというふうに喉を逸らして笑い、ワトソンの手元で空になっているカップにコーヒーを注いだ。ついでとばかりトーマス夫人手製のマフィンを取り出し、ひとつをワトソンに手渡して自分の分をかじる。

「安心しろワトソン、あれは現実でもないしミステリでもない。あんなもんをミステリと言ったらヴァン・ダインが憤死する」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る