第17話 一匹一断片一塵一原子たりとも
俺の兄貴のヒカルが殺された時、シロは心が壊れて涙さえ出なかったんだって。
感情が壊れて、ヒカルの後を追って死にたいと考えても体が動かなかったらしい。感情が全部透明で手応えの無いものになっちゃって、遠い所へ行ってしまったんだ。俺がいるって知って初めて、涙がやっと出て、ヒカルを殺したクロヒメへの憎悪や色んな感情が爆発するみたいに蘇ったって言っていた。
俺の自惚れじゃなかったら、俺はシロに愛されている。
俺の驕慢じゃなかったら、俺はシロに恋している。
セックスがしたくて、一緒にいたくて、もし許されるなら同じ時の同じ場所で手を繋いで死にたい。他の誰にもシロを渡したくないし、俺もシロだけの俺になりたい。正直な所、世界が終わっても、世界を終わらせても、俺はシロがいればそれ以上の幸せなんて無いんだ。泣きたいくらいに、満足なんだ。
――お母さん、俺、好きな人がいるんだよ。
「清」
うう、苦しい、何で。と思ったら俺はシロに凄い力で抱きしめられていた。シロは泣いていた。やべ、泣かせた。俺が焦った瞬間、キスされた。大丈夫だよ、俺はここにいる。俺の方からもう一度キスすると、シロはやっと離れてくれた。
そこで俺は気付く。
――ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああ!
観客が、野次馬がいた!
「若いね」
「青春だな」
「アツアツだな」
「見せつけてくれるねえ」
「ずるい」
「羨ましくなんか無い!」
「ふ、不純同性交遊罪だぞ!」
「そんな事を言っていたら一生恋人出来ないぞ」
いやヒロとか剣道サークルのみんなはともかく何で妙高先輩と睦月先輩がいるんだよ!
……と思ったがこの二人は真下にサークル室がある将棋サークルに所属していたから、きっと上が騒がしいのを注意しに来たのと様子見に来たんだろう。
時雨がペットボトルを床に叩きつけたり絶叫したりした所為だこの野郎!
「良かった」と安堵した声を出したのはヒロだった。「清君、もう無茶は駄目だからね」
「……応急処置だよ」
「うん、分かっている。 おかげで、みんな人間として生きているよ」
シロとヒロが駆けつけた時には、俺に意識はほぼ無くて、代わりにみんなは意識を取り戻しつつあったらしい。そこにキレている睦月先輩が「やかましい」と怒鳴り込みに来て、俺達が倒れている状況に驚いたものの、大騒ぎにする寸前に妙高先輩が止めてくれた。
シロが時雨を突き飛ばし、何も反応しない俺を抱きしめて慟哭する。ヒロがどう言ってもどう抑えようとしても駄目で、狂ったように、俺が意識を取り戻すまで、ずっと。
みんな、その有様に動けず、声さえ出せずに見ていた。
「ごめん」その間、時雨は部屋の隅で頭を抱えてうずくまっていた。泣いていた。「ごめん、ごめんなさい」
僕が壊した僕の幸せ。
みんなと一緒にいたこの場所。
みんなで作った思い出と信頼。
壊すくらいなら、僕が死んだ方がまだマシだったのに。
なのに、僕は、『良い子』である方が大事だったから。
そんな理由で僕が滅茶苦茶に壊した。
謝っても絶対に許される事じゃない。
死んでも許される事じゃない。
償う事なんて不可能だ。
僕が壊した、僕の幸せ、なのに何で涙が出るの?
何で僕がごめんなさいって言っているの?
清は俺を庇ってくれたのに。
僕が清を殺した。
「おい時雨。 歯、食いしばれよ」
俺はそう告げてから時雨の横っ面をぶん殴った。
「あッ!」時雨は倒れて、それから俺を見た。
「『良い子』なんか辞めちまえ。 完璧な八方美人なんざ棄てろよ。 一番大事なもの守ろうとして鬼になる覚悟がお前には無かったんだよ。 お前の胸ぐら掴んで恐喝する宗教信じて天国逝くより、守りたいもの守るために歯向かって地獄堕ちの何が怖いんだ?」
「……清」
「時雨、どうするかはお前が決めろ、だけどな、俺は神様や救世主じゃないから限度はあるんだぜ」
校門を出たら、うーたん先生がいた。
俺とシロが出てきたのを見て、舌打ちした。
「……透ちゃんが失敗するなんてね」
ああ。もう駄目だ。この人はもう殴ったって間に合わないんだ。
この人はあれだけ慕ってくれていた生徒達より、こっちを選んだんだ。
俺は悲しさ半分、諦め半分で言う。
「使徒バルトロマイ。 今日の駅前でのテロも大失敗したよ」
「!?」
「あのさー、青二才の俺はともかく歴戦錬磨の『イスカリオテ』を敵に回してアンタら生きていられると思ってたの? 俺はイスカリオテの長官に全民間人及び政府関連組織に危害を加えないならば何やっても俺らは知らんぷりするって言ってあげた。 怖いねーイスカリオテって。 俺らと違って『敵は赤ん坊であろうと皆殺し』なんだってねー。 流石『現代版異端審問官』って言われるだけあるよねー。 ……テロ決行犯は全員『神罰』ぶち当てられて地獄に叩き堕とされたよ。 アンタらの教会も粉々に片っ端から打ち砕かれて、救世主連中も必死に逃げてここまで来――たな!」
「ヒッ」と小さな悲鳴が聞こえた。少女が、数人の大人に囲まれて震えていた。女装した時雨に、どこか似ている。
「よう時雨
「イバラキ!」と少女は絶叫した。「殺せ、あのガキを殺せ!」
ガキって、どいつもこいつもちょっと酷くね?俺は少しだけ傷ついた。
「はいはい、お嬢様」とその美青年は前に進み出て、(酒呑のおっさんは双子の弟って言っていたけれど全然似ていない。似ていなくて良かったかも。)馬鹿みたいに巨大な太刀を抜いた。「殺人ならいくらでも。 他は極力お断り」
俺は、ただため息をついた。
「えーと。 ごめんね、今那智さんや健さん達は取り込み中なんだ。 だからさ、お前なんかのお相手をするヤツはいないんだよ」
「自殺宣言か、つまらんな! この世は殺人以外愉しい事が無い!」
「お前、随分とつまんない人生送ってきたんだね」
「そうだ! この世は徹底的につまらん、だからこそ愉しくする努力が必要なんだよ、なァ?」
「それは分かる気もするけれどお前なんかに賛同しても超惨めだから、俺はいいや」
「惨めだとォ?」イバラキが一気に気色ばんだ。
「うん。 お前は結局『殺人』に囚われて死んでも死んでも蘇らされて繰り返し使われる道具なんだもん。 使用済みオナホの方が壊れたら棄てられるだけマシ。 お前は死んだ後に何か残せるの? その点酒呑のおっさんはガチのリア充だよねー、美女と文通から始まる大恋愛の結果、見事結婚して可愛い娘ゲットしてさ、しかも今度は孫だって。 今三ヶ月だって。 そりゃお前なんか孫のために絶対にぶっ潰すって一大奮起もするさ」
「……」イバラキが無表情になった。
「鬼の矜恃も意地も棄てて、ただ殺人殺人殺人に突っ走る本当に可哀想なクソ餓鬼。 お前は本当の所、それを分かっているんじゃねえの? だから酒呑のおっさんの前に出てきた、違う? 自殺宣言? ――したのはお前の方だろうが!」
イバラキが、動いた。
「――だァまァれェエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエ――!!!!!!!!!!!」
鬼のような雄叫びを上げつつ、俺へと突進してくる。
「残さない」
イバラキは、音も立てずに消えた。
巨大な太刀だけが地べたに金属音と共に落ちた。
「一匹一断片一塵一原子たりとも三千世界に残る事を許さない」
シロが、燃えるような赤い目と、無垢な純白の髪をして、言った。
「残してなどやるものか、残してなど!」
「行こう、シロ」シロに愛されるゾクゾクするような快感、シロを愛している血だらけの欲望――このとち狂った『恋』のためなら俺達は天国も地獄も悪魔もあまつさえ神さえもぶち壊せると確信して言う。「どこまでも、いつまでも!」
一人、一人と消えていく。うーたん先生は消される寸前に呟いた。
「僕らは、救われるはずじゃ……だから、あんな事までしたのに……」
残ったのは三人だけだった。よぼよぼの老婆と、透子と、時雨にどこか似た代理人の青年。
俺は三人に近付いていく。
「来るな! 来るなぁあああああああああ!」青年は半狂乱で透子と一緒にどこかへ老婆を引きずって逃げようとした――所に、時雨が走ってきた。
馬鹿!進化薬はまだ抜けきっていないんだから、大人しくしていろよ!俺は焦った。
「もう止めろよ、父さん! 母さん!」
青年が、透子が、固まった。
「姉さんをもう自由にしてくれよ! 姉さんが何でも癒やせるからって、人の若返りもできるからって、あまつさえ死者さえも復活できるからって救世主って呼んでカルト教団を乗っ取ってさ! それが姉さんの命を削っているってどうして分からないんだよ! 姉さんはまだ一六才なのに、こんなお婆さんになってしまっただろうが! 何でだよ、何で父さんや母さんは僕達の家族なのに僕達の幸せを壊して笑っているんだよ! 僕を殴った友達の方がよほど僕の幸せを考えていてくれたよ!」
「とおる……」老婆が、喋った。
「刑務所入ろうよ、ねえ! 悪い事をしたんだよ! 僕達は! お願いだから、刑務所に入ろうよ……!」絶叫して、時雨は泣き崩れた。
「逃げろ、時雨!」俺は叫んだ。「ソイツらはもう、」
銃声。時雨が倒れて、血だまりが広がる。
「……お前の家族じゃないんだよ。 人の形をした、本物の悪魔だ」
「――その聖母と聖父だ」と妙高さんはおぞましいものを見た顔で教えてくれた。「毒にしかならない親、とでも呼べば良いのだろうか。 救世主達の実の親とはとても思いたくもない所業をやり、そして実質救世主達や教団を支配している。 あれはもう、人の形をした、本物の悪魔だよ」
「悪魔ァ!? お前達こそが悪魔だ!」と時雨の父親だった青年は拳銃を手に嗤った。
「そうよ! 私達は正しいのよ! 救われるのよ!」透子もけたたましく嗤う。
「……」老婆は、黙っている。
「姉さん、」時雨の、小さい声が、聞こえた。俺は時雨に駆け寄ってシロを見たけれど、首が横に振られた。そんな!「姉さん、おねがい、」
だれもすくわないきゅうせいしゅなんてもうやめて
ぼくのねえさんにもどって
「時雨! おい時雨! 時雨!!!!!」
俺は時雨を呼んだけれど、時雨は――!
そこに各方面を制圧し終えたルッジェーロや那智さん達が来て、止める間も無く悪魔共を処刑した。
でも、時雨は。
「とおる」
那智さんに手錠をはめられた老婆が、ふらっと時雨によろめくように近付いて、触れた。ぽたん、と水が滴った。
「ごめんね」
どさり、と老婆が横向きに倒れた。
ルッジェーロさん達が慌てて確かめた時にはもう、老婆は、ミイラみたいに干からびた死体になっていた。
「……アンタ、初めて誰かを救ったね」
俺が呟いた時、まだ意識を取り戻さない時雨が、うう、と小さく呻いた。
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