第16話 教団

 「よう、清坊!」と酒呑のおっさんは俺を見るなりソファから立ち上がって、ガシガシと頭を撫でた。凄い力で撫でられたので、俺は首がもげると覚悟した。

「義理父さん、まあそのくらいで」と長門が止めてくれなかったら本当にもげていた。多分長門ももげる寸前まで行ったのかも知れない。

「それで、一体何があったんですか?」ヒロがお茶を持ってきて、言う。

「端的に言うぞ」いきなり酒呑のおっさんの顔が鬼みたいになった。「イバラキが生きている」

「「!!!!」」

虎弥さん達が驚愕した。特に那智さんは真っ青になって言う、

「あの悪鬼は、渡辺の一族郎党が是を非にしてでも殺した、はず、じゃ」

「分からん。 確かにヤツは死んだ。 俺も確認した。 だがな、ヤツは昨日俺の目の前に現れた」

「イバラキって、一体……?」俺が訊くと、

「……かつて、殺人行為にしか生き甲斐を見いだせない快楽殺人『鬼』がいたんだ。 あまりにも度が過ぎていたから、『鬼殺し』の渡辺一族郎党が多大な犠牲を払って討伐した……」那智さんはそう言ってから、首を左右に振った。

「だが生きていたんだ。 間違いねえ、あれはイバラキだ。 俺の不出来な弟だ」

酒呑のおっさんは忌々しそうに、断言した。

「何のために今になって、出てきたんですか?」ヒロが訊くと、

「『イーヴィル・エヴァンゲルズ』と言う武装新興宗教の教団と手ェ組んで、テロを起こすつもりなんだとさ。 人殺しの企みを、楽しそうにほざきやがった」

「なるほどな」と健さんが頷いて、「酒呑のおっさんよ、今度こそイバラキを自分の手で殺すつもりか」

「ああ。 あの時は俺も若かった。 双子の弟だからって最後の最後で甘ったれたんだァ。 その結果何が起きたか……。 この世にはな、殺すしか示しが付かねェ事もある」

「……俺達への依頼は?」俺が訊ねると、酒呑のおっさんは顔を改めて、

「テロの方をどうにかしてくれ。 イバラキは、俺が始末する」


 大井刑事は俺を『この女の敵のクソガキが』って感じの軽蔑の目で見ていたけれど、ちゃんと資料をくれた。

『イーヴィル・エヴァンゲルズ』

最初は比較的普通の、と言うのもちょっと奇妙だけれど、小さな新興宗教の教団だったそうだ。

それが、『教主』が変わった後から段々異常性が酷くなっていったのだと言う。

ネットに過激な書き込みをしたり、家族内がそれで揉めて警察が呼ばれたり、それまでには無かった『祈祷』をやり、『寄付』を求めるようになったり……。

そして、警察にここまで警戒される致命打になったのが、前教主からの古い幹部が殺人の後に自殺した事だった。

彼女は何かと今の教主に楯突く前教主を拷問してから殺し、自らもガソリンをかぶって焼死した。それで郊外の古い空き家が火事になりかけて、消防車出動の騒ぎになって、発覚した。

『彼女は敬虔な信徒でした。 必ず神様は救って下さいます』

教主の代理人の青年はそう言って、事情聴取する大井刑事らに向かって微笑んだのだと言う。

「……ぞっとしましたよ」

その時の事を思い出したのか、大井刑事が呟いた。

「俺はヤクザや強盗殺人犯や、色んな犯罪者の目を見てきました。 だが、あんな目は生まれて初めてでした。 あの男は、『』でも『』でも無い――『』って信仰した目だった。 あの女は自殺じゃない、他殺です。 だって神とやらを信じている人間が、あんな絶望と苦痛に歪んだ顔で死ぬなんて思いたくない……少なくとも俺は、そう思っています」

「で、おっさんはどうしてあの時コンビニにいたの?」

俺が訊くと、

「新しく幹部になったヤツをコンビニの駐車場から見張っていたんだ。 そうしたらお前がコンビニに来たから、『よう機関長様』って挨拶くらいはしておこうと思ってな……」

俺はショックだったけれど、覚悟して言った。

「うーたん先生が幹部の一人になったんだね」

「ああ。 葵卯月、かなり上の幹部……いや、側近になったらしい」

「そっか。 おっさん、気を付けなよ。 

「!!?」

「だってこの資料、一番肝心な所が抜けているもん」

「な、どこだ!?」だから情報提供者の首根っこを掴んで揺らすなって、おっさん。

「『武装している可能性がある』、こんな肝心要の情報を、万が一の可能性であったとしても警察組織がここに書かないなんて明らかにおかしい」

「……ッ!」

「気を付けなよ、おっさん。 おっさんの焼死体なんて俺は絶対にゴメンだからね」

「……ああ」

大井刑事は少し黙ってから、頷いた。


 「嫌だなあ」俺は『丑寅探偵事務所』のダイニングで呟く。「何であんな見るからに『善人!』って人がよりにもよって嫌な宗教に染まっちゃうのかなー」

クツクツと煮えているシチューと家庭菜園直送のトスサラダを運んできたヒロが答えてくれた。

「善人だからだよ、清君」

「何で?」

「虎弥さんみたいに性格がねじ曲がっていて腹黒で狡猾でしぶとい人は基本的に宗教には染まりにくいもの」

「そこまで言うか。 お、このドレッシングに合うワインは……」虎弥さんはワインボトル片手にご機嫌だ。今夜のお友達を選んでいるらしい。

「あー……確かに、そうかも」

「性格が真っ直ぐで疑う事を知らなくて自己犠牲的に優しくて弱い人ほど、ね、善人でしょ?」

「……うん」

「本当の神様ってね、人間を救うために存在しているんじゃない。 元来の神様は存在性だったり、霊力だったり、とにかく種類は違うけれど『強いもの』だった。 そして、人間は『強いもの』を畏れ、『神様』と名づけて崇めた。 だけど、そうじゃない神様も、人間は創ったんだ――いわゆる神様さ。 ここまでは神様と人間のお話だ。 でも、人間は神様と関わる内に宗教を生み出した」

「宗教そのものは俺だって嫌いじゃない」健さんが不意に言い出した。「神様を信じるって大事なこと、楽しい事、素晴らしい事、そう唱えるのは良い事だと俺も思う。 ……だけど実際はどうだ? 神様を信じないヤツは地獄に堕ちるだの何だの。 信仰をちっとも讃美せずに、金にうるせえ拝金主義で教義とやらを狂気じみた凶器みたいに振り回しやがってさ。 どっかの宗教じゃ、よく『善人』を『迷える子羊』って言うがな、善人はそうさ、正に子羊なんだよ。 俺らみたいな、子羊だって喰って生きていけるような、腹黒くてしぶとい狼は、宗教の方から解雇通知が届くんだよ」

「……。 ねえ、何とかして宗教、辞めさせられないかな」

うーたん先生、あんなに生徒から慕われていたじゃないか。

「かなり難しい。 こればかりはその道のプロだって必ず成功する、と言う訳じゃないからね」

シロはそう言うと、さ、冷めない内に食べよう、と俺達を促した。


 『第〇課』が壊滅した。この情報が届いたのはその夕食の真っ最中だった。馬鹿な、と虎弥さんが血相を変えて白鳩の式、初春さんに詰め寄る、

「一体どこの何の仕業なんだ!?」

『……落ち着け、虎坊。 「第〇課」、俺様は多少舐めていたが、ヤツらは相当有能だな、あの人でなしに襲われて命があったんだから。 介入しようとした俺様に向かってアイツは笑ったさ、酷くつまらなさそうに嗤ったんだ。 足下には血まみれでぶっ倒れている刑事達がいるって言うのに』

初春さんは、そこで忌々しそうに、

『「イナズマ」さ』

と反吐でも吐くように言った。

『アイツが鬼無里の副長フクオサ茨木イバラキ童子になるはずだったなんてな……鬼の連中、古来身内に甘いのは知っていたが、ゲロゲロの甘ちゃんだぜ。 そしてアイツは恐ろしい情報を俺様に言った。 まだ不確定だが、とんでもない情報だ』


 『「進化薬」の原材料には必ずしも「吸血鬼」のみが必要必須ではない。 人外の者の体なら、多少工程を変える必要はあっても全て原材料になり得る』


「何だとぉ!?」

咄嗟に逃げようとした初春さんの首をとっ捕まえて健さんが怒鳴った。

「どう言う意味だ! 初春さんよ、それはどう言う意味なんだ!」

『グエッ!』首を絞められて喋れない初春さんを、ヒロが健さんから解放した。

「落ち着いて健さん!」

『ゼヒー、ヒー、ハー、この俺様に何て事をするんだ……』初春さんは目を回していたが、『良いか、進化薬の一番の目的は何だ? 、だろう? かつてある女が人魚を喰った時、その女は不老不死になった……形は違えど、これと同じ事例さ』

「最悪だ……」と虎弥さんは目を覆った。「――信濃の存在で全てが既に立証されていたのか」

「『第〇課』が壊滅した今、『彼ら』は非常に危険な事態に直面しています。 急いで非常事態宣言を出しましょう」

シロがそう言って、俺達も頷いた。


 「どうして君は言わないの?」トイレに行こうとしたら、渡り廊下で時雨が俺を呼び止めた。「少なくとも、言いふらずぞって僕を脅せば良いのに」

「俺、お前の事好きだから、そう言うのしたくないよ」俺は答えた。「お前は良いヤツだもん。 僕の事なんてろくに知りもしない癖に、って思うかも知れないけれど、俺の知っているお前は凄く良いヤツだから。 だから俺は言わないし、黙っている」

「……」

「それだけ。 あ、脅されているならシロに相談しなよ。 絶対、助けてくれるからさ」

「別に」とだけ時雨は素っ気なく言って、先にサークル棟の方へ行った。


 「朗報だ」と那智さんがヒロのいない隙を見計らって――男子トイレに出現した。「イバラキの居場所が見つかった」

「那智さん、いくらヒロが怖いからって俺がパンツに手を突っ込んだ瞬間に出てこないでよ!」

しかもここ、繰り返すけれど男子トイレだから。でも俺の方が恥ずかしいよ!

「済まない、だが私は本当にヒロ君が恐ろしいんだ」

「いくら出刃包丁で追い回されるからって……」

「私の枕にその出刃包丁が突き刺さっていた」

「……ホラーだ」

「お気に入りのハムちゃんのぬいぐるみもその傍らで惨殺されていた」

「ヒロならそう言う事、ガチでやるよね」

「彼といると何より私のメンタルが悲鳴と共に一瞬で削られるから駄目なんだ」

「イバラキは平気なの?」

「ヒロ君に比べたら何とでもなる」

「虎弥さんに連絡はした?」

「ああ。 もう全ては手配済みだ。 君の承認だけが、残っている」

「良いよ。 『第〇課』の仇討ちだ」

「御意に」

そして那智さんは姿を消した。

俺はようやく出せるものを出しながら、思った。

(……どうしてイバラキが蘇ったか、だな)


 どこの学校にもいるんだろうな、こんなクソ教師。

大和は国語がどうしても苦手で、俺よりも凄く頑張っているのに、今回のテスト、国語だけ誰よりも結果が悪かったんだ。でも他の教科は、本当に成績良いんだ。

だと言うのに、この国語教師『ヒステリーババア』は、鬼の首でも取ったような態度で、

「コイツには頭が悪くなるばい菌が付いているから触っちゃいけません!」

……小学生かよ。

たまたまシロが欠勤した他の国語教師と入れ替わったからって、何でヒステリーババアが意気揚々とウチのクラスに国語のテストを返しに来るんだよ!

大和はうつむいて震えていた。

母さんが死んで、俺が小学校で虐められた時は、誰も助けてくれなかった。

俺は何だか凄く、凄く怒れて、思いっきり音を立てて席を立ってやった。

クラス中の注目が俺に集まる。

「何よ! 座りなさいよ!」

ヒステリーババアが何か叫んでいる。好都合だ。俺は大和に近付くと、その背中を、どん、と叩いた。大和が俺をまん丸の涙目で見た。

「はーい、ばい菌に感染して、俺も頭が悪くなりましたー!」

俺がふざけて大声で言ってやると、ブーッっとクラスのあちこちから吹き出す音がした。

「何よ! 教師に対してその態度は、な、な、何なのよ!」

「頭が悪いので日本語ワカリマセーン」

大和も吹いた。

ヒステリーババアはキーキーとしばらく猿みたいに喚いていたが、俺が相変わらずに立っていると、教壇を足蹴にして、教室を出ていった。

「ごめん」大和が小さい声で言う。「ありがと」

「良いって。 あんなの、気にすんな」

やがてヒステリーババアがうんざりした顔の体育教師『ゴリラ』を連れて戻ってきた。

「アイツよ、アイツが授業妨害したのよ!」

「あー、はいはい、君だな? こっちへ来なさい」


 ……で、俺は生徒指導室に連れて行かれました。

「そうか!」と俺があった事をそのまま話すとゴリラは豪快に笑った。「そうかそうか! まあ茶でも飲んでけ! な!」

バシバシと肩を叩かれつつ俺はお茶を飲んだ。……ほうじ茶、美味しい。

「いやーそうか! はっはっはっ! 若いな!」

ゴリラは語彙が筋肉より足りないからゴリラって呼ばれているだけで、良い先生だ。俺は軽く叱られた(一応あんなのでも教師だから気を付けろ、って)後は、雑談で時間を潰すことになった。ヒステリーババアのいる教室に今戻ったらまずいもんね。

「そう言えば、君はシロ先生の弟だったな!」

「はい」

俺が肯定するとゴリラは顔を改めて、

「こんな事を言ったら、あー、君は私を変態だと思うかも知れないが、シロ先生はとんでもなく美形だな」

「それは、言われ慣れています」

でも少し、俺は身勝手極まりない、ワガママな理由でゴリラの事が嫌いになりそうになる。ゴリラは何にも悪くないのに、だからこそ嫉妬しそうになる。

「そうかそうか。 だが私は時々怖くなるんだよ、シロ先生が、あー、何だ、人間離れした美形だから、もしかしたら、あー、本当に人間じゃ無いのかも知れない、と感じる事があって」

「えー、先生、ちょっと冗談キツいですよー」

「あー、どうもすまんな」


 本物の王子様が出た!俺の初見はそれだった。

「ルッジェーロ・ディ・アルタヴィッラだ。 教皇庁直属極秘検邪聖省『イスカリオテ』の長官を務めている」

すげー、離れていても何か良い匂いするよ。雰囲気までヴェルサイユ風にキラキラしている。宮殿とかシャンデリアとか天蓋付きベッドとか肖像画とか薔薇とか超似合いそう。俺が王子様オーラに感動していたら、シロに突っ込まれた。

「あのね清君、『イスカリオテ』と言ったら泣く子も暴力で黙らせてきた教皇庁の切り札なんだよ。 神の敵を悉く踏みつぶしてきたんだ。 ここに長門さんがいなかったら、私達だって彼の攻撃対象だった」

「あっ、うん」この王子様がそんな事するなんてちょっと駄目だ、今は想像できない。社交ダンスとか華麗に優雅に踊っていそうなのに……。「ごめん」

「いやいや」と言ってくれたのは長門だけだった。「にーちゃんは絶対、就職先を間違えたんだよ。 にーちゃん俳優になれば良かったんだよ。 頭も良いしイケメンなんだからさ」

「レオ、人前で私をにーちゃんと呼ぶな!」と王子様は怒った。

「あ、ごめん、にーちゃん」

「レオ!」

長門は少しだけ甘えたような顔をしているが、その口を『にーちゃん』はばっと手で塞いで、

「では、私がこの国に来た理由を端的に説明しよう」

「教皇庁で魔術系のテロがあったのは聞いています」虎弥さんが言った。「その犯人もしくは背後組織がこの国に潜伏しているようですね」

「そうだ。 そのために『イスカリオテ』が事件を隠蔽せざるを得なかった」

 よりにもよって教皇本人を狙ったテロが、つい先日、教皇庁で起きた。負傷者はいない。全員、巻き込まれた『普通の』人間は死んだからだ。

毒ガスによるテロだった。でも、通常の(この言い方も変だけれど)毒ガスじゃなかった。『進化薬』を霧状にして、ばら撒いたのだ。犯行声明はネットに書かれていた。

 『人類天使化計画』

普通の人間は皆殺しにして開眼した人間だけの世界を作ろう。

そうすれば人間は全ての罪から救済される。

だって罪は無力な普通の人間のものだから。

 要するにそう言う事だった。

本をろくに読んでないヤツがこの世界にはまだまだ多いらしい。つか、どこの中二病患者が回復しないでそのまま成人したんだろうか。

どちらにせよ、俺に言わせればくるくるぱーの愚行であって、その愚行で人が死ぬ、なんて事態は見過ごす訳には行かなかった。

「それで臨時に我々と共同戦線を張る、か。 ……教皇庁にしては珍しいくらいに寛容な態度ですね?」虎弥さんは少し疑わしげに言った。「いや、異様です」

「あの悪魔共は許すまじき事に猊下の御命を狙ったのだ。 死罪だ。 まだ貴様らは異端者だとは言え、ここまでの悪事は働いていない! ――貴様らを殺すのは最後の最後で構わん。 これは猊下の勅命である」

にーちゃんはそう宣言して、両手でドカンとテーブルを殴った。

「俺も異端者なの、にーちゃん?」長門が少しとぼけた事を言う。「俺が異端者だとにーちゃんは俺の事嫌いになるの?」

「レオ! お前はちょっと黙っていろ!」とにーちゃんはまた怒鳴った。

「俺にーちゃんの事も大好きなのに、悲しいなー」

「ぐっ……」

あ。俺は今更気付いた。長門のヤツ、故意犯だ。これ、全部わざとだ。だけどにーちゃんは全然分かっていないみたい。長門の良いように操られている。多分、ずっとこうだったんだろうな。当人もにーちゃんとして頼られ慕われて満更でもなく、って風だし……。長門すげー。

「ともかく、だ! この事件の主犯及び関連組織を撲滅するぞ!」

「うん」と俺が了解した時だった。

にーちゃんがいきなり阿修羅みたいな顔をして、長門を背後に庇い物騒な長槍を構えたのは。

「誰だ!」と雷鳴みたいな大声でにーちゃんが怒鳴った。

「清君、どう言う事だ」と那智さんの冷たい声がした。でも姿はどこにも見えない。「何故あのイスカリオテの長官がここにいるんだ」

「あの教団に教皇狙われたから俺達と一時的に共同戦線張るんだって。 今の所は敵じゃないから、大丈夫だよ」

俺が答えると、全身血まみれの那智さんが、左腕が付け根から無い、満身創痍の酒呑のおっさんを抱きかかえるようにして出現する。誰か、悲鳴を出さなかった俺を褒めて。長門はしっかりと悲鳴を上げていたから。

「おい!」と健さんが床に下ろされた酒呑のおっさんに飛び寄った。「しっかりしろ、酒呑のおっさん! ――おいヒロ!」とヒロを呼ぶ。

「はい、すぐに治します!」

「あの野郎ゥ……」小さな、本当に小さな声でおっさんが言った。「どうし、て……どうして……鬼の、矜恃、まで……」

「おおおお義理父さん!」長門が真っ青になって震えている。

「長門か、愛を、頼ん……」そこで酒呑のおっさんは意識を失った。

「お義理父さん!!!!!」長門は半泣きでおっさんを呼んだけれど、返事は来なかった。


 「那智さん」と俺はシャワーを浴びて着替えてきた那智さんに言ってみる。「もしかして、あの時から今さっきまでずっと戦っていたの?」

「ああ。 イバラキが桁違いに強かった。 やっとの事で首を落としたのに死ななくてな。 しかもその首から再生してプラナリアのようにイバラキは分身した。 だからそれからは下手に攻撃できず、かと言って防衛一方ではこちらの被害も甚大だったから、本当に手こずった」

「お前が『手こずった』、か」健さんがぼそりと呟いた。

「――で、清君。 苦々しい顔をしているのはまだイバラキに対する懸念があるからだね?」と那智さんはソファに倒れ込んでぐったりしながら、言った。

「うん。 俺、『鬼殺し』の渡辺の一族郎党について虎弥さんから聞いたよ」

『大戦』中に最も多くの人外のみんなを殺傷し、御本家の先鋒として戦って戦い抜いた『人形ヒトガタの戦鬼』一族。大戦直後にイバラキと激突した際に、一族郎党のほぼ全てを滅亡させつつもイバラキと刺し違える事に成功した。

「那智さんはその最後の一人だって事も」

「そうだ。 一族郎党の死体の中で、私がイバラキの眉間を撃ち抜いた」

「……」俺は言った。「イバラキがまた蘇る、かも知れない。 一度蘇った方法を突き止めて破砕しない限り、何度でも」

「そうか。 私は、どうすれば良い?」

俺は指で丸を作った。那智さんにおねだりする。

「ちょっとだけさ、お小遣いくれないかな。 俺、今すっごく本を買いたいんだ」


 「それで君達はここに来た。 ちゃんとウチの本も買ってくれたし、私の知る限りの事を教えよう」

妙高さんは地下に広がる図書館の中、大きな円卓の端っこに腰掛けて分厚い本をぺらぺらとめくりつつ、言った。

「……」俺はじっと、耳を澄ませた。俺の背後にはシロとにーちゃんがいる。

「救世主、だ。 彼らは教団の『教主』をそう呼称している。 そこのイスカリオテの長官、君達が崇めている救世主はどんな奇跡を起こしたかい?」

「!」にーちゃんの形相が変わった。「まさか、」

妙高さんは本を閉じて、こちらを見た。見たくないものを見て知りたくも無い事を知った、そんな顔をしていた。

「そのまさかだ。 再生の力――否、、本来ならば正統に正当に使われるべき力が邪道に禍々しく使役されている。 イバラキのような危険分子を面白半分に蘇らせ、外道かつ残忍な手段を用いては進化薬を量産して狂信者と尖兵を増やす。 そして何よりも君らが注意を払うべきなのは――」


 その日の放課後、俺は補習やら何やらがあって、いつもよりサークル棟に行くのが遅くなってしまった。テストで赤点取った分、何とかして挽回しなきゃ……と凹みつつサークル棟に足を踏み入れたら、変な事に気付いた。やけに剣道サークル室が静かなんだ。いつもだったら雑談だったり、喧嘩だったり、とにかく睦月先輩がキレまくっているのが当たり前なくらい、やかましいのに。もうみんな剣道場に行ったのかな?遅いって言っても、まだそんな時間じゃないのに。

変だな……?

「!」

俺は嫌な予感がして剣道サークルのドアを開ける。

時雨が、青い顔をして立っていた。

そしてその周りには剣道サークルのみんながばたばたと倒れていた。

時雨が清涼飲料水の入った大きなペットボトルを持っていて、みんなの数だけ散らばる紙コップからはその液体がこぼれていた。

みんなは小さな声で呻いていて、おまけに、指先から異形になりつつあった。

「時雨!」

「こんなつもりじゃ、無かったんだ」時雨は震えつつ、言う。「こんなはずじゃ……!」

「何を飲ませたんだよ、みんなに!?」

「幸せになれる薬、だって……言っていたのに……」

「誰の差し金だ!?」

「使徒、って言っても、君には分からないよね……」

『イーヴィル・エヴァンゲルズ』では救世主に近しい幹部の連中を、『使徒』と呼んでいる。

俺は頭の中でやけに冷静に警察で読んだ資料の内容を何度も思い出していた。

「本当はさ、君に飲ませろって言われたんだよね」時雨は変に明るい声で言った。「でもさ、出来なかった。 出来なかった。 ――出来なかったんだよ!!!!」

そう叫ぶなり時雨はペットボトルを思いっきり床に叩きつけた。

「ここでの僕は本当に幸せで、楽しくて、みんなみんな大好きで――」


 『俺、お前の事好きだから、そう言うのしたくないよ』

 『僕の事なんてろくに知りもしない癖に、って思うかも知れないけれど、俺の知っているお前は凄く良いヤツだから』


 「何が幸せになれる薬だ、僕の本当の幸せを滅茶苦茶にしてさ! 僕は何をやっているんだ、僕の本当の幸せはあんな連中に従順に従う事じゃない、あんな宗教キチガイの親の前で良い子演じる事でもない、女装して現実逃避するのとも違う、のに!!!!!」

「時雨」俺は言った。「大丈夫だ、まだ間に合う。 みんな、必ず助けるよ」

時雨が驚いた顔で俺を見た。異形化が進行しているみんなを助けるには、ヒロやシロを呼びに行っていたら間に合わない。

「少し、俺から離れて。 俺に何かあっても、触ったら絶対に駄目だからな」

俺は、見よう見まねでヒロの模倣をして、倒れているみんなから『吸毒』した。


 ――ぐえ。

これが進化薬の――!

気持ち悪い

気持ち悪い

吐き気と目眩と激痛と鈍痛がまぜこぜになって――

時雨が倒れた俺を狂ったように呼びながら、抱きしめる

駄目だ、俺に、触るな、今触ったら、

俺の『器』じゃ、ヒロみたいに、上手く、毒を、ため込めない、

時雨にも――毒が


……


 音が、する、温かい

大きな音、痛々しい音、ほっとする温度……

違う、声だ

人の、体温だ

「シロさん落ち着いて! 清君は大丈夫、生きている! 落ち着いて! お願いだから!」

あああああああああああああああ

何て、痛々しい声だろう。

血を吐くような、心を切り刻まれるような、体を引き裂かれるような。

悲しいと言う感情をとっくの昔に通り越し、心が暴走して狂乱したみたいな……。

あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ


そんな声で、慟哭しないで。

俺はちゃんと、ここにいるからさ、


「シロ」

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