第四章

第15話 女装

 救世主様、救世主様。

 どうして人間は悪いことをするのですか?

 人間と言う生物が悪なのですか?

 だから神様が罰するのですか?

 どうか私達を、救って下さい、救世主様。







 ヒロの提案で、俺は進学塾に通う事を検討する。

「水之江学園から超有名医大に進学したんですけれど、どうやっても血が駄目で、結局退学した先生がいるんです。 でも国語以外の教え方は凄く上手だから、密かに人気のある塾なんですよ」

――俺の脳裏をズタボロだった英語と数学と化学とその他諸々の科目の点数が過ぎる。

「へえ、良いじゃないか。 ヒロの知り合いなのか?」健さんが訊ねると、

「はい、部活の先輩でした」

「ああ、柔道部の。 いや、空手だったか?」

「弓道部ですよ、もう健さんったら!」

「お前さー、所属した部活を次から次へと壊滅させるのもいい加減にしろよ」

俺は、ああ、やっぱり、と思った。ヒロはヒロの天使のような美貌に釣られてセクハラしてきた相手を(健さん以外)皆殺しにしたがる癖がある。

「学園でのお前の極秘のあだ名、俺も知ってんだぞ? 『エンジェリックキラー』だったか? あー違った、『ブラッディエンジェル』。 一体どこの洋画の殺し屋だよ」

「……」殺し屋じゃなくて、無差別殺人鬼だと俺は思いました。

「僕は健さんのためなら何にだってなります♪」

「じゃ俺らの料理人になってくれ。 俺、晩飯にアレ食いたい」

「ボルシチですね、全身全霊で作っちゃいます!」

健さんとヒロはあれとこれとそれとどれで会話が成立するのだ。お互いに嫁だの何だの言っているだけはある。


 「ヒロにセクハラしなかったって事はまともな先輩だったんだね」

俺がボルシチの美味さに感動しつつ言うと、

「まともと言うか、凄く気が弱くて臆病だったから、酷く虐められていたんですよ。 その虐めっ子共が僕にセクハラしたから、うふふふふ、あの先輩は僕の事を恩人だと思ってくれています」

「へー」

「とにかく血が駄目なんです、あの先輩。 一度、塾で女の子がうっかりスカート汚しちゃった事があったそうで。 それでもうぶっ倒れて救急車騒ぎだったそうです」

「……その人、肉とか食べられるの?」

「卵とかは大丈夫だそうですよ。 肉は、豆腐ハンバーグが限界らしいです」

「ふむふむ」

この肉とビーツたっぷりのボルシチとか見た瞬間にリバースするだろうなあ。

「見るからに草食動物、それも小動物って感じの人です。 女の人からは異性じゃなくて友達として凄く人気があるようです。 うーたん先生って女子生徒からは言われる始末」

「うーたん?」

「お名前が卯月ウヅキって言うんです。 それと兎を引っかけた愛称ですね」

「すげー、会ってみたい」

「それじゃ、金曜日の夜に塾に見学を入れましょうか」

「うん、俺、頑張るよ」

「その意気なら、次のテストは大丈夫!」


 何て言うか、凄く草食小型動物って感じの人でした。俺が見ているだけで庇護欲がムラムラと湧いてくるもん。これは異性じゃ無くて友達として大人気だよ、女子からは。

「うーたん先生! 筋トレしている?」

「うーたん先生! お豆腐食べないと駄目だよ!」

って言っている女子高生の群れに取り囲まれてオロオロしている所なんて、もう。


 「待たせてしまってごめんね、ええと、葛城清君だったね」

塾の指導室で俺はアオイ卯月先生と面談した。

「はい」

「よし、早速だけれど君は大人になったら何をしたい?」

「え……?」

「どの大学に行く、どの学部に行く、と言うのはそれが確定した後に考える事だ。 偏差値と得意科目だけで大学を選んでしまっては絶対にいけない」

「……」うーたん先生、伊達に有名医大に合格した訳じゃ無いんだね。

「君が将来なりたい人間、もしくはやりたい仕事が見つかったら、本当の意味でこの塾に通う意義が見えてくると思うんだ。 何となく偏差値を上げたいから、苦手科目を無くしたいから、それでここに来られても、本当の意味での勉強にはならないよ」

「俺……」


 良い?

 清。

 幸せになってね。

 何があっても、絶対に。


 「俺、お金が一杯稼げる仕事に就きたい。 先生、医者ってお金沢山稼げるの?」

「大体はそうだね。 でも君は、人を助けたい事が目的じゃ無いよね? 人の命を預かる覚悟が無いと、医者は向かないよ」

「そっか。 とにかく俺、お金が一杯稼げる仕事に就きたい。 ご飯が食べられないと、生きていけないもん」


 見学が終わると、俺は塾から出て、徒歩二〇秒先のコンビニに向かう。このうーたん先生の塾が大人気な理由の一つが、間近にコンビニがある事だった。夜食も買えるし、気分転換も出来るからね。俺はシロに連絡を取って、迎えに来てもらう。ちょっとエロい雑誌とか顔を隠して読んでいると、コンビニに誰か入ってきた。シロかな?と俺が目をやると、どこかで見た事がある女の子だった。でも俺、こんなに乙女チックな女の子知らない。他人の空似かな?女の子はコンビニの飲み物の棚の方に行った――所で、何気なく俺の方を振り返った。目が合った。俺は固まった。相手も、固まった。

「……時雨?」

「!!!!!」

その女の子は、女装した時雨だった。


 健さんはいつものように外車をいじっている。ヒロが作っている夕ご飯の美味しい匂いがふんわりと漂ってきた。俺は夕ご飯が出来るまでちょっとだけ暇だったので、健さんと話しに行った。

「ねえ健さん」

「ん? どうした?」

「健さんってヒロが嫁で怖いとか嫌だとか思った事無いの?」

俺は実の所、ヒロがちょっと怖いのだ。隙あらば出刃包丁持っているし。思いっきり笑って那智さん殺そうとするし。

「そりゃまあ、エロサイト覗いていたらいつの間にか背後にいるのは嫌だけれどさ」マジかよ。ホラーじゃん。「でも俺も相当アレだから、絶対にヒロでないとな」

「『相当アレ』って? 健さんが?」

「俺な、餓鬼なんだよ、愛を喰わせろってやかましく喚き回っている餓鬼」健さんの声は、いつも通りだ。「生まれてすぐに一族郎党から持て余されて棄てられて誰彼からも嫌われたクソ餓鬼なんだ」

「……」

「俺は確実にヒロが俺を愛さなくなったら縊り殺す。 縊り殺してから喰う。 そのくらい愛に餓えている。 餓えてしまった。 際限なく愛を喰いたくて、喰っても喰っても愛に餓えて、だからヒロ。 俺達きっとようやく二人で一人なんだぜ」

「……」

もう依存とか恋愛じゃないんだ。俺は悟った。健さんとヒロは、絶望的に離れられない。表面的な『癒着』をしているんじゃない、恐ろしく深く暗い所で、統合しては『融合』し続けているんだ。肉体が二つあるだけなんだ。それに俺達が別々の名前を付けているだけ。なんだ。

「お、この匂い、今夜はアレだぜ」

と健さんが呟いた。俺にはアレが何なのか分からなかった。


 時雨ってさ、本当に完璧とか、非の打ち所がないとか、すげーヤツだってみんな言うし、俺も本当にそう思う。

武蔵先輩から『深淵』を取ったら時雨になるんじゃないかな。

勉強も、運動も、全部完璧な優等生で、その癖、俺達とつるんだり遊んだりしても超楽しい。

俺もそんな時雨が好きだし、時雨の事を悪く言うヤツはみんなから嫌われているヤツばかりだ。だけれど、変人の陸奧が一度だけ時雨の事をこう言った。

「アイツは完璧すぎて、いつか壊れるぜ」

何て事を言うんだ、と俺は怒った。友達の悪口を言うな。でも、その時俺は深く考えなかったんだ。時雨にだって、見つけていないだけで『深淵』があるかも知れない、って可能性については。陸奧が言ったのは悪口じゃなくてそっちの示唆じゃないか、って。

「……?」

時雨は俺の方にゆっくりと近付いてきて、首を傾げた。

「あのう、どちら様?」

時雨じゃない?俺は一瞬だけ安心した。何だ、他人の空似だったんだ、良かった。

ひゅっと反射的に避けたナイフが認識できるまで俺は安堵していた。

「し、時雨!」俺は咄嗟にナイフを持つ時雨の手を握った。でも力では負けている。

「死んでよ、ねえ」時雨の声の冷たさに、俺はぞっとした。時雨!?

「おい、何をやっているんだ!」

大声。時雨の手からナイフが落ちた。大井刑事が、時雨を組み伏せていた。

「おい、無事か!?」

「無事、だけど」俺は後悔していた。陸奧のあの時の言葉の意味を、もっと真面目に、深く考えていれば良かったんだ。俺は嘘と事実を言う。「これ、俺の所為だから」

「は?」

「いや、その、俺が二股かけて振ったのが多分、原因だから」

「馬鹿小僧!」ゴチン。強烈な拳骨を脳天にくらった俺は涙目になった。体罰反対!「この子に謝れ、クソガキが!」

「……すみませんでした」

「……」時雨は俯いている。

「もう二度と刺されるような真似、するんじゃねーぞ!」

「ごめんなさい……」

「ったく。 お嬢ちゃん、ナイフは預かっとく、もう二度とこんなクソガキに引っかかるなよ。 お嬢ちゃんはまだ若いんだ、将来がある、大事にするんだ」

「……」俯いていた時雨の足下に、水滴が出来た。

「……幸せになれよ、じゃあな!」

そして大井刑事は去って行き、代わりにコンビニにシロが入ってきた。

「取りあえずこっちへおいで。 これ以上誰かに見つかるのは得策じゃないよ」


 俺達はシロの黒い外車に乗った。

時雨は何も話さなかった。

シロも問い詰めたりしなくて、「着替えた場所まで送るから教えてくれないか」と言った。

「駅。 駅の、トイレ」

「分かった」とシロは車を走らせた。

「……」

何も言わないまま、時雨は駅前で車を降りて、そのまま姿を人混みの中に消した。


 「見なかった事にする方法、無いかなあ」俺はシロに聞いてみた。

「大丈夫だよ、必ず忘れられるさ」シロは穏やかに答える。「だって君は、時雨君の事も好きだろう?」

「うん」と俺は頷いた。「本当に良いヤツだもん」

「それで良いんだよ」

「で」と俺はシロに言った。「酒呑のおっさんが俺達に相談したい事があるって、何だろうね?」

「全く分からない。 誇り高いあの方が私達相手に『相談したい』だなんて、普通は口が裂けたって言いはしないんだ」

「だろうね。 それに……」


 『「進化薬」の原材料を回収するために世界中の魔術組織が動いている』

 『これは非常に由々しき事態だ』

 『何故なら我らが国には、亡命してきた「吸血鬼」が数多く、その大半は民間人として居住しているのだよ』

 『この事態への対応も頼めるね?』


「……嫌な事になりそうだ」とシロは呟いた。

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