第14話 母親で、恋人で、

 体育祭が近いから、俺達は学年に関係なく合同で体育の授業を受けるために、更衣室で着替えていた。

演目の合同体操、一番の体育祭の見せ場らしい。なので、みんな張り切ってやるそうだ。授業が終わったクラスから次々と更衣室にやって来るので、満員電車みたいに混雑してきた。つか、何で男しかいないのに更衣室が必要なんだろう。いや、あった方が便利だし別に良いんだけれどさ。

「うーす」と俺の隣にやって来たのは妙高先輩だった。小猿二匹が肩の上に乗っているけれど、誰も気付いていないみたいだ。

「あ、先輩」俺が顔を向けると、

「これやるよ」と先輩は『ヴェニスに死す』の文庫本を差し出した。「前から読みたがっていただろ?」

「あ、はい」俺は妙な胸騒ぎがして、本を受け取った。「ありがとうございます」

「じゃあ」と妙高先輩は去って行った。

「……」俺は更衣室の奥にある、トイレに駆け込んだ。個室の鍵をきっちり閉めてから、本を開く。紙切れが挟まっていた。

『不知火組は最近、大した価値も無い田舎の土地を買った。 住所は……』

「――」俺は紙切れを細かくして一気に飲み込むと、本を持って個室を出た。

「おーい、どうしたの?」既にジャージに着替えた大和が、俺が着替えていないままで更衣室から出ようとしたので、声をかけてくる。

「保健室行ってくる。 腹が痛くて下痢が止まらない……」

「うわ、は、早く行けよ!」

言われなくても、俺はすぐに保健室に向かった。

背後にシロやヒロ、そして那智さん達の気配を感じつつ。

「暁月アキラ君が、襲撃者に不知火湊人の気配を感じたそうだ」と那智さん。

「なるほど、そこに工場があると見て良さそうですね」と、ヒロ。

「君を病院に送っていくと言う名目で、学園は抜け出そうか」シロが言った。


 「僕は5歳の時にお母さんを殺しました」

 「お母さんが僕以外の誰かを愛するのが許せなかったからです」

 「それから、お母さんは僕だけのお母さんになりました」


 ミスター・アーカードは、那智さんが吸血鬼の危険を知らせに行ったら、こう言っていたそうだ。

「強くなりたい、その気持ちは分からないでもない。 けれど、強くなると言う事は、棄てていく、と言う事でもあるのだ……」


 ――なるほど、人倫道徳の一切合切を棄てたんだな。コイツらは。俺は眼前の光景を見つつ、そう感じた。

吸血鬼の生首が培養槽の中、濁った目をして浮かんでいる。

そこから色々な機械がケーブルやチューブで繋がっていた。

その果てで、不知火湊人がごくごくと飲んでいるのは、恐らく『錠剤』になる前のあの薬なのだろう。

それが、まるで血みたいに真っ赤な液体だから、一瞬俺はコイツが吸血鬼になったのかと思った。

「……来たな」と不知火湊人は俺達を見て、嗤った。「アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!」

「どうも俺達、手遅れだったみたいだね」俺は呟いた。

「そうだ、手遅れだ! 既にネット上にこの『未来薬』の製法と必要素材を掲載して拡散させた! 薬自体も、ばらまいてやった! もう全世界に、広まっている!」

「そっか」俺は頷いた。「ネーミングセンス無いね」

「あ?」

「飲んだ人間が『開眼』しない場合は『異形』になってしまう劇薬を、『未来薬』って。 ただひたすらダサい。 お前あんまり本読まないんだろ?」

「何だと!?」

俺は足下の鉄格子を見て、ため息をついた。下には異形が蠢いていた。

「妙高さんを『異形』の餌にしたのかよ。 鼠に松阪牛喰わせてんじゃねえよ」

「……貴様。 男娼の癖に何を――!」

「はいはい男娼。 でも俺、お前よりネーミングセンスはあるよ」

「貴様も『異形』の餌になれ!」

俺の足下の鉄格子がいきなり開いた。

そして、異形がぞるりぞるりと触手を伸ばし、這い出てきた。


 じゅっ。


 全ての異形が蒸発した。

「俺達の主を今何て言った、男娼? 男娼だと?」

『気』だけで異形を蒸発させた健さんが殺神鬼モードで犬歯を剥いている。怖いなあ。

「テメエのケツに那智の拳銃突っ込んで犯してやる」

「何で私の拳銃なんだ。 お前の刀で良いじゃないか」と言った那智さんが一瞬で青ざめる。

「那智の分際で健さんに逆らうんじゃありませんよ♪」

ヒロもキレている。だからって出刃包丁を背中に突きつけなくても良いんじゃない?

「妙高さん!」シロは段差を飛び降りて、倒れている妙高さんに駆け寄った。「生体反応が無い……!」

「大丈夫だよ」と俺も近付いて、妙高さんの体をひっくり返した。「『異形』の群れに放り込まれたのに、ほら、外傷が何も無い」

「そうか!」シロが妙高さんの心臓に手を当てた。がくんと妙高さんの体が痙攣した。俺は咄嗟に人工呼吸する。

「が、がはっ……!」

妙高さんが、蘇生した。

「目が、うう、まだ、見えない、が……」

「俺達が助けに来たよ。 妙高先輩からの依頼でさ。 でも、どうやって『異形』に喰われなかったの?」

「『異形』の好物は、何か、知っているかな?」

「あっ。 新鮮な血と肉……」

「だから、死肉には、興味を大して示さない。 だからと言って、この年で、『死んだふり』をしたのは、流石に堪えるな……げほっ!」

「おい妙高さん、しっかりしろ!」

俺は虎弥さんに頼んで、妙高さんを先にここから連れ出して貰った。

「……!」凄い形相をしている不知火湊人。

「あ、そうそう」と俺は思い出した。「よくも俺の目の前でシロを強姦したな」

「!?」不知火湊人が青ざめる。

「残念、シロは何があろうと俺のものだ。 何があってもお前のものにはならない。 お前は邪魔だ。 俺にとっての純然たる不要物だ」

「貴様何様のつもりだ! 男娼の癖に!」

「俺? 葛城清さ」

「身の程も弁えないクソの癖に、まるで世界の王になったような態度取りやがって! 黙れ! そして死ね!」

那智さんの言っていた、『聖母』がおぞましさと禍々しさを一〇割増しで登場する。

 」その刃が俺に迫る中、俺は言ってやった。「俺はね、たとえ三千世界を敵に回したって、シロの恋人になりたいんだ」

健さんと那智さんの一撃で、『聖母』は奇妙な断末魔を上げて消えていく……。

「母さん!」不知火湊人が叫んだ。「お母さん!」

「お前の母親、相当なモンペだな」俺はぼやく。「カエルの親はカエルなのか」

「……」

不知火湊人は全てを諦め全てに絶望した、そんな顔で言った。

「――ねえねえ、母さん。

地獄がどうして悪いの?

天国が何で良いの?

痛い事、苦しい事、悲しい事、辛い事、それがどうして悪い事なの?

ねえ、幸せな事、楽しい事、面白い事、それがどうして良い事なの?

誰がそう決めたの?

教えてよ、俺が殺した愛しい母さん……」

「そっか。 お前は母親に自分の価値観を統合させるために殺したのか」

「そうさ。 お母さんは僕の、俺だけの、理想の恋人になったんだ……恋って哀れだよな? 殺さなきゃ愛せないんだ。 強姦して精液ぶちまけるだけじゃ駄目なんだ。 それじゃ俺が、僕が、満足できない!」

「だったらオナニーすれば良いじゃん。 お前ってバカだな。 つか、オナニーできないから俺のシロを強姦したのか?」

「!!?」

俺は不知火湊人に近付いて、胸ぐらを掴んだ。

「お前にはとっても素敵な未来をご用意した。 薬なんかじゃ味わえない最高の体験だぜ」

俺の背後で、空間が侵蝕されて、イザナミノミコトが姿を現す。

「二度と帰れない、黄泉路ヨミジへの旅だ」


 「いやー疲れた疲れた」と俺は護法機関に来て、吉井若葉を見るなり言った。「聞いてよ、今日、体育ですっごくしごかれてさー」

「そんな事より仕事をして欲しいのだが」と吉井若葉はいつものようにコーヒーと書類の束を持っている。

「はーい」俺は大人しく椅子に座って、書類に判子を押そうとした。すると吉井若葉は、

「そう言えば、磯風さんから聞いたよ? 不知火組とヘルシングが暗躍していたのを阻止したそうじゃないか」

「ああ、あれね、その虎弥さんが全部やってくれたんだ。 俺も活躍したかったのにさー」

「まあ、まだ君は若いからね」と吉井若葉は淡々と言った。

「はーい」

俺はコーヒーを飲もうとして、視線だけ吉井若葉と合わせ、ニヤッと笑ってやる。

吉井若葉がぎょっとしたのが分かった。

「それでコーヒーに青酸カリ? アンタらしくないね」

「っ!」

俺は続けて、言ってやった。

「何で悪い事しちゃいけないって知ってる? 答えはね、」

「畜生!」吉井若葉が咄嗟に『進化薬』を飲んだ。

「止めろ!」

そう叫んで俺は目を見開いたけれど、すぐに閉じた。

「あの薬は『進化薬』だ。 絶対に『未来薬』じゃない。 進化は、環境に適合できなかった種を……」

「ぐ、げええええええええええええ!?」

吉井若葉が奇っ怪な悲鳴を上げた。既に吉井若葉の手足は、異形のそれになりつつある。悲鳴を聞いて駆け込んできた元御本家の人達が、唖然としていた。

「超能力者に、なりたかった、だけなのに!」

それが、吉井若葉が発した、最後の人間の言葉だった。


 「美と言いうるものだけが神々しいと同時に目に見えるものだ、か」妙高先輩は、小さな声で言う。「力だって、そうだよな」

「そうだね」俺は頷いて、病室から出た。それから、エレベーターで降りてエントランスから病院を出ると、健さんの車で丑寅探偵事務所に帰った。


 「シロ、ねえ、俺は、」

俺が眠る時にシロに言うと、

「大丈夫だよ。 私も、みんなもいる」

「……うん」

「君は不知火湊人がまだ憎いんだね」

「だって、アイツは、を殺した」

「君は、お母上とずっと一緒にいたかったのだね」

「うん。 俺、マザコンだし。 シロ、マザコンは嫌い?」

「あのお母上ならマザコンで上等だとも」

「シロ、好き」

「……私も、だ」


 「生きてて、良かった」

「こらこら私を勝手に殺すな」

「……」

『ぐすっ、若殿、泣くんじゃねえよ、な?』

『ひっく、お前も泣くなよー』

「全くしょうがない。 みんなまとめて抱きしめてやるから、ほら、来なさい」






 「これが例の『進化薬』か」

 「諸刃の剣だ。 否、裁きの剣だ」

 「そう、これがあれば……『人類天使化計画』は……」


                         YUKIKAZE 3RD END

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