第三章

第10話 政府

ねえねえ、母さん。

地獄がどうして悪いの?

天国が何で良いの?

痛い事、苦しい事、悲しい事、辛い事、それがどうして悪い事なの?

ねえ、幸せな事、楽しい事、面白い事、それがどうして良い事なの?

誰がそう決めたの?

教えてよ、母さん。


青春×恋愛VS心霊×狂気、現代伝奇風ライトノベル。


『三千世界の全てを殺して、奈落の恋に殉じたい』




暁アキラが丑寅心霊探偵事務所にやって来たのは、夏休みの終わり頃だった。

その時、俺はヒロと一緒に勉強していた。ここが終わったらコーラ飲もうね、と先に決めて。健さんは外車をいじっていて、虎弥さんは昼寝していた。シロは水之江学園に出勤していていなかった。

「おい」とアキラは入ってくるなり、無愛想に言った。「ヤシロを寄こせ」

「はい?」とヒロがきょとんとした顔でアキラを見つめる。勿論、俺も。

「だから、社だ」

「社が欲しいんですか? だったら理事長にお願いして、庭に建てて貰えば良いじゃ無いですか」

ヒロが言うと、

「それじゃ駄目だ」

「何で駄目なの?」俺は聞いてみた。

「ミコトは広い社に住んでいた」

「ああ、確かにその霊格なら、かなりの規模の神社が必要ですねえ」ヒロはアキラの背後を見て納得した様子で、「ちょっと待っていて下さいね」

と虎弥さんを揺さぶって起こした。

「……んごー、あ……?」虎弥さんは昼寝を邪魔されて不機嫌そうである。「何だヒロ、健のヤツが浮気したのか?」

「違いますよ。 ほら、暁君です。 かなりの規模の社が欲しいそうで」

「あー、なるほど。 確かにそのご霊格なら立派な神社が欲しいだろうなあ。 ――よし、丁度良い物件があるんだ。 向こうも祭神が欲しくてたまらないんだが、あの地域を守護できるだけの霊格の持ち主はそうそういなくてな」

「どこだ」とアキラはヒロが出した麦茶も飲まずに言った。

「ちょっと待ってくれ。 健のヤツに車出して貰う。 現地を見た方が早いだろう」

と、それで俺達は車で数時間かけて、山奥にある小さな集落にやって来た。酷く空気が綺麗で、ひんやりと涼しい。

「おーい吹雪さん」と虎弥さんが古びた和風の家の扉を叩く。「神様を連れてきたぞ、開けてくれ」

「……ああああ暑い……」

扉が開いた、そしてそこには扇風機を抱えて離さない吹雪さんがいた。

「何だ、虎弥か。 見ての通り私は今死にそうなんだ。 暑いー」

「まあまあ待ってくれ。 そこの子の後ろにいる神様なんだが、どう思う?」

「ほう」と吹雪さんが意外そうな顔をする。「――これはこれは、どこぞの大社の祭神様とお見受けする」

「それが、家無しの神様なんだ」

「え?」と吹雪さんが唖然とした顔をする。「こ、これだけの大神が、何で、」

「宅地開発で社を破壊されたそうでな。 訳あって、今はこの子に取り憑いている。 だが、これだけの大神だ、社にお祀りした方が良いに決まっているだろう?」

「そりゃそうだが」

「で、吹雪さんの所で奉ってくれたらありがたいんだが」

「何だって!? 良いのかい、本当に!?」

「ただしご覧の通りに火を司る神様だ。 そこの所は留意してくれ」

「留意するも何もない、こっちは地べたに伏して拝むさ! ……大戦中に祭神様が殺されて空っぽの社が、やっと賑やかになるんだから」

「よし、それじゃ早速、社にお連れして差し上げてくれ」


 分かる。ただの木造建築物だった社に、社を囲む森に、何かが宿るのが分かる。それが凄く喜んでいるから、辺りの空気まで輝いていた。

「……」

アキラは何も言わない。だけど、ほんのちょっぴりだけ笑っていた。

「で、吹雪さん」と虎弥さんが言った。

「……金だね」と吹雪さんが睨む。

「よくお分かりで」と涼しい顔の虎弥さん。

「お前はいつだって狡猾で、極めつけに腹黒いからな」

「まあ、その腹黒さで相互利益が生まれたんです。 中々良いでしょう?」

「……ったく。 まあ良いさ、確かに誰も一方的に損はしていないからな」


 帰り道、健さんが運転する車の中で、アキラが言った。

「いくらだ」

「ん?」と虎弥さんが不思議そうな顔をした。「金かい?」

「ああ」

「それじゃ車代として一万円頂こう」

「……さっきは札束を貰っていただろう」

「あれは、得をした分だけ貰ったのさ。 それもこれも君のおかげだ。 あっちは渇望していた祭神がいらした、俺達は仲介手数料を頂いた、君は社が見つかった、これでWin-Winだ」

「……お前も嫌なヤツだな」

「その自覚はあるぜ」

「フン」とアキラは黙った。


 羽黒と一緒に食堂に向かっていたら、阿賀野先輩と出会った。

「よう」と阿賀野先輩から声をかけてきた。「合宿、熊が出たんだってな」

「はい」と俺は頷いた。

「本当に熊だったのか?」

「僕達は見ていないんですが、昔、自衛隊のレンジャー部隊に所属していた人が見かけたそうなので」

と羽黒が前もって相談しておいた通りに答える。

「ふーん、そりゃ怖いな」

「はい、残念でしたけれど、仕方ないです」と俺は悲しそうな顔をした。

「まあ良いか。 ……?」とここで先輩は変な行動を取った。明らかに誰もいない背後を振り返ったのだ。「……」

「どうしたんですか、阿賀野先輩?」

「いや……今誰かが通ったような……」

「「?」」

「気にしないでくれ。 俺はどうもこの頃疲れ気味なんだ」

「ああ、確かに暑いですからね、阿賀野先輩もご自愛下さい」と羽黒も納得した。

でも俺は、何か、言葉にならない、嫌な予感がして、言った。

「もし困った事があったら、シロ先生に相談すると良いですよ」

「……そうする」


 「俺、鬼を産んだじゃないですか」

「その後からなんです」

「変なものが、見えたり、聞こえたり、感じられるようになったのは」

「それだけだったなら良いんです」

「俺、その中の何かに脅されていて」

「それが怖くて、眠れなくて、」

「え? ええ、今は大丈夫です」

「先生の後ろにいる人達が、守ってくれているから」

「赤城さん、青葉さん、って言うんですか」

「先生、少し、寝ても……」

「……」


 シロがメールを送ってきた。

『ちょっと生徒指導室まで来てくれないか』

え、俺何かした!?

……やっぱりこの前のエロ本塗りつぶし事件かな……。

いや、期末テストが踏んだり蹴ったりだったからかも。

内緒で冷蔵庫のアイス一日一個なのを一個半食べたから?

あー、どうしよう……。

俺がどんよりしつつ、生徒指導室の扉を叩いた時だった。

「静かに、入ってきてくれないか」

「?」

音を立てずに入ったら、阿賀野先輩がシロの膝枕で寝ていたこの野郎!

「彼を連れて帰るよ」

「え……」

「彼は目覚めようとしている」シロは俺を見た。「壮絶な悪意の中で」

「?」

「もっと早くに気付くべきだった。 これは妙高さんに相談しなければならない案件だったと」

「妙高さん?」

「ああ。 『大智者』であるあの人の知識が必要だ」


 那由多古書店に、地下室があったなんて初めて知った。いや、地下室じゃ無くて、地下深く、何層にも作られた図書館だった。

「話さなくても良い。 その子を見れば事情は分かる」と妙高さんはソファに腰掛けて言った。俺達もテーブルを挟んだ向かいの大椅子に座っている。「名前は阿賀野逸樹イツキ、孤児院から貰われたは良いものの、父親からは性的虐待、弟二人からは差別を受け、母親は無関心。 うむ、中々に気の毒だな」

「え……」俺は絶句した。

「おまけに鬼を出産する羽目になり、それ以降、徐々に超能力者として目覚めつつある。 だが父親の悪意がまだ絡みついている。 それに怯えている、と」と妙高さんは眼鏡を押し上げた。

「……何で知っているんだ?」阿賀野先輩が言った。

「私は未来は一切知らない。 だが過去は全て知っている。 『大智者』第二〇九代目妙高ケイとは私の事だ」

「何だそれは」

「特別に説明してやろう。 『ハコ』に接続できる超能力者、司鬼の事だ。 並み居る司鬼の中でも別格として扱われる存在だよ」

「『匣』? それって、アンタの後ろにある……?」

「君なのだ」と呟いた妙高さんは不思議な微笑みを浮かべる。「そう、私以外で『匣』に正統に接続できるのは君だけなのだ」

「妙高さん、だとしたら――!」シロがはっと表情を変える。

「そうだよ、シロ君。 おかしいとは思わなかったのかね、君ややかましいヒロ坊やがこの子に携わりながら今更この子が司鬼として覚醒する事がありうるなんて」

「……」シロは、黙った。

「……大智者」阿賀野先輩が納得した顔をする。「『全智の匣』への正統なアクセス権及びサーチ能力を所持するのか、そうか、だから俺も俺が知るはずの無い情報を……」

「シロ君」と妙高さんが言った。「この子、私にくれないか。 この子は接続は出来てもまだ『匣』の他の活用が出来ないようだ。 未熟なのだ。 本来ならば修行を積んでから目覚めるはずが、不遇な環境下に置かれていた所為でイビツに目覚めようとしている。 ――で、虎弥さんや、話は聞いただろう?」

「しっかりと」虎弥さんが階段を降りてきて言った。「その子の養子手続き、で良いですか?」

「そうだな、法律上はそれで良い。 後は愛の鞭を振るって育てるだけだ」

「妙高さん……そんな趣味だったんですか」ヒロがドン引きしていた。いや、ヒロだって相当な趣味だと俺は思うんだけれどね。

「発言通りに受け取るな、ヒロ坊や。 少なくとも私はこの子を虐待しないし、高等教育を受けさせる余裕だってある。 後はこの子にあのクソうるさい健の若造を黙らせるだけの弁論術があれば文句なしだが、そこまでは無理に要求しない」

「なあ、おっさん」それまで黙っていた阿賀野先輩が口を開いた。

「おっさんじゃない、これでもピッチピチの六七才だ!」

え?六七才がピッチピチ?え?ピッチピチってどう言う意味?あれ?妙高さんって六七才だったの?てっきり外見から三〇代だと思っていたよ?俺は訳が分からなくなってきた。

「じゃあピッチピチの六七才さん。 俺は絶対に幸せになりたいんだけど、幸せにしてくれるのか?」

「……」妙高さんはちょっと首を傾げて、「幸せの基準は人それぞれだから何とも明言しにくいが、君は私にとって必要不可欠、いや、よしんば全世界を敵に回してでも死守すべき存在だ。 後は君が幸せだと感じるものを見つければ良い。 この回答で満足か?」

「……ギリギリ及第点」と阿賀野先輩は答えた。

「そうか、これで交渉成立だ。 後は虎弥さん、頼んだよ」

「ええ、お任せあれ」


 阿賀野先輩が妙高先輩になってから数日後の事だった。

その夜、俺とヒロが一緒に勉強していたら、不意にヒロが変な顔をした。

「誰か来る……?」

「お客?」

「違うみたいだ」とヒロは二階の窓から下を見下ろして、急に険しい顔をする。「政府の高級官僚がここに来るなんて、一体……?」

「依頼かな? でも変だよね」直に政府が高級官僚を派遣するなんて、今までそんな事は無かった。

「うん。 あ」とヒロがドアを見た時、

「おい」と健さんがノックも無しにドアを開けて、「大変だ、事務所に来てくれ!」


「私は吉井ヨシイ若葉ワカバと言います」とそのスーツ姿の高級官僚の女は言った。「政府直轄『護法ゴホウ機関』の臨時機関長に任命されています」

差し出された名刺には、確かにそう書いてあった。

「……いくら中学生だからって、政府にそんな組織が無い事くらいは知っています」

俺が答えると吉井若葉はかすかに冷たい嘲笑を浮かべた。

「君に無くされてしまったから、創ったんですよ」

俺は悟った。

「……『御本家』の代わりみたいな組織なんですね」

「その通り。 それ故に、君が機関長にならねばならないのです」

「俺が御本家の当主の血を引いているから?」

「ええ。 君ならば人外の連中も『遺臣』も喜んで従うでしょう。 政府は従順な国民ならいくらでも必要なんですよ」

「俺が嫌だと言ったら?」

すると、吉井若葉はあっさりと、実に冷酷に実にどうでも良さそうに、こう言ったのだった。


「先の反乱を起こした人外は全て処刑し、『大戦』を起こしかねない輩を粛正して治安を維持するだけですが?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る