第8話 化けの皮

見てはならない、触れてはならない、聞いてはならない、そんな絶対不可侵の領域が人間には存在するんだよ、とシロが言っていた事があった。

その領域をたとえ神であれ侵犯したが最期、人間はを放棄するんだ。

……俺にもあるよ、その領域。

私にもだ。


 酒匂マサルは知っている。

武蔵綾嗣の『本性』を知っている。

絶対に表には出さぬ、『深淵』のぞっとするような暗さを知っている。

……物心付いた時から酒匂勝は『怖いもの』が苦手であった。

ホラーなエンターテインメント作品は『グロテスク』や『スプラッタ』系なら全く平気なのだが、人の感情が絡みついたような、どろりとしたものはもう一撃で音を上げた。

彼はお化けと言うより、そう言うものを通して見える人間の恐ろしさやおぞましさがどうにもこうにも苦手なのだ。

自衛隊のレンジャー部隊の猛者だった彼が、臆病者と嗤われて辞めるしか無くなったのも、訓練で潜入した山奥で自殺者の死体を見つけ、恨みと憎悪の塊のような遺書を読んでしまったからである。

彼は、どうにもこうにも、人の隠し持つ『深淵』が怖ろしくてたまらないのであった。

その彼が転職に成功し、当時一〇才だった武蔵綾嗣の護衛兼執事になれた時、彼は心底嬉しかった。

武蔵綾嗣は彼が命を賭けて守るに値した存在だったし、この少年のためなら彼は自らが『深淵』に落ちても後悔はしなかっただろう。

だが、武蔵綾嗣は『己の大事なものに危害を加えた存在』を、喜々として己の『深淵』に引きずり込んでは滅ぼし尽くす少年であった。

武蔵綾嗣の父親が、一度だけ浮気未遂をした事がある。

一度きりの、伴侶が許すくらいの本当に浮気にもならない浮気であった。

武蔵財閥の金目当ての狡猾な若い美女に声をかけられて、ちょっと舞い上がってしまったのだ。それでも、危うくスキャンダルになって、父親が酷い目に遭う寸前で母親が気付いて助かった。


この時、武蔵綾嗣は隠密裏に、この美女を徹底的に地獄に引きずり込んだ。

人間の尊厳を悉く叩きつぶした挙げ句、最終的には豚に生きたまま喰わせた。

「俺はな、酒匂」

のんびりとした声で酒匂に負ぶさりつつ、彼の愛する主君はその光景を見て言ったのだ。

「例えばお前のような、俺の大事な存在に危害を加えられて、大人しく黙っていられるほど、お人好しではないのだよ」

「……お坊ちゃま……」

「酒匂、俺が怖いか」

「いえ」いつもなら逃げ出すくらいに怖いはずであった。だが、それ以上に彼はこの少年が好きだった。もう、好きになってしまっていた。彼はそれまで見る事をただ拒んでいた己の深淵を、初めて覗いた。そこにいた。「私も、同じです」


 みんなを無事にそれぞれの家に送り届けてから、丑寅探偵事務所に帰った。対外的に説明する理由は、熊が出たから。

そうしたら何と、ヒロが道路に派手にぶちまけられた生ゴミを掃除していた。

「ど、どうしたの!?」

「ごめんね清君、僕がぶちまけちゃったんだ」

「へ?」

「ゲオルギウスの連中がまた来てね、健さんを腰抜けだとか人間の屑だとか散々に言ってくれたものだから、僕、怒っちゃって。 叩きだして生ゴミをぶっかけてやったんだ」

うわあ、ゲオルギウスの連中、自殺行為やらかした。

既にヒロ、満面の笑みなのに目だけ全く笑っていない。

「こらー、ヒロー、何やってんだー」

そこに健さんが疲弊している虎弥さんを担いで戻ってきた。ヒロが途端にしゅんとする。

「健さん、僕……」

「俺が腰抜けだとか人間の屑だとか、そんなのじゃねえって一番分かっているのはお前だろ」

「……うん」

「だったら怒るな。 お前はあの連中と同じ低域に成り下がりたいのか」

「……ごめんなさい」

「だったらとっとと掃除しちまえ、ぐずぐずしていると妙高の野郎が――」

「やっと私を呼んだね?」

待ち構えていたかのように、探偵事務所の向かいの古本屋『那由多古書店』の主人、妙高さんがぶち切れ状態で登場した!

「何だねこの営業妨害は。 どう言うつもりなんだね? 君達は私にいつも喧嘩を売っているのかい?」

「いやーすんません、ヒロのヤツが俺を好きすぎて暴走しちゃったんですよ」

「やかましい。 今度と言う今度こそ弁償してもらうぞ」

「あ」俺はこの事態をどうにかする案が浮かんだ。「妙高さん、俺、読書感想文を書けって宿題が出ているんだ」

これは嘘じゃない。本当なら合宿の最中にみんなで頭を寄せ合って書くつもりだったんだ。ただ、本は(エロ本も含めて)全部ペンションに置いて来ちゃったから、どうしようって思っていた所だった。

「ほほう」眼鏡の奥の目が光った。妙高さん、急にご機嫌になって、「どんな本がご所望かな?」

「えっとね、凄く有名な作家が書いた凄く有名な本。 雑誌とか漫画とかそう言うのは駄目なんだ。 あと、読んでいて面白いと最高かな」

「それじゃ、『車輪の下』はどうかね? ヘルマン・ヘッセと言う偉大な文豪の書いた傑作だ。 若い内に読んで損は無いよ」

「それにする」


 虎弥さんはついにゲオルギウスの連中が政府を脅したので助けを請われて急きょ出向いたらしい。

「何でアイツら人畜無害な竜にストーカーのように固執するんだか……」と嘆いていた。

「俺達、竜に命を助けてもらったから、無害どころか有益だよ」

「……また、竜が人間を助けたのか」俺が言うと、虎弥さんは目を細めた。「そいつは何よりだ」

『また』……以前にもあったんだろうな。

「それでね、黙っていて欲しいって」

「だろうな。 実を言うと正確な住み処の位置は俺達も知らないんだ。 と言うか、人の気配がしただけで移動させるらしいから、多分また違う場所に移るんだろう」

「そっか。 親切にしてくれたから、もう一度お礼を言いたかったな」

「何、それの代行は俺達がやるさ。 何としてでもゲオルギウスの連中には手ぶらで帰ってもらう」

「と言う訳で」と続けて健さんが言った。「ヒロ、行くぞ」

「はい健さん」ヒロはご機嫌である。「ゲオルギウスの連中が××や××や×××しちゃいましょう!」

「ヒロー、伏せ字多すぎだぜ」

「ごめんなさい。 健さんを冒涜した連中は、ただ殺すだけじゃ僕、気が済まなくて」

「はいはい、精々アバラ折るくらいで済ませてやれ」

二人は仲良く出かけていった。俺はこの二人はどろどろの血まみれだけれど相性は凄く良いんだろうなって、改めて悟った。


夏休みの補習授業が終わった俺達は、クーラーが効いているからと言う理由で水之江学園付属図書館でだらだらと勉強するふりをしつつ、うるさくない程度に喋っていた。

「あーあ。 エロ本喪失したのが地味にしんどい」

陸奥がぼやくと、時雨も、

「もう全世界に自慢できる逸品だったからなあ……」と言った。

全世界に、ね」素早く羽黒が訂正して、「ああ、エロ無くして青春無し!」

「分かるー」と大和が嘆いた。「エロだって大事な青春だよね」

「……だよな」と山城も頷く。

そこに、シロがやって来た。小脇に担いでいる大きなトートバッグにはぱんぱんに何かを詰め込んである。何だろう?

「あ、シロ先生」と時雨がちょっと嬉しそうに言った時だった。

「はい、どうぞ」

どん、と俺達の目の前の机にそのトートバッグが置かれた。

俺達は何だろうと中をのぞき込んで、とんでもないショックを受けた。

エロ本。

あのペンションに置いてきた秘蔵のエロ本!

「君達は若いからまだ必要だろうと思ってね。 けれど、あまりにも公序良俗に違反する所は墨で塗りつぶさせてもらったよ」

そう言ってシロはさっさと図書館を出て行った。

残った俺達は、お互いにお互いの顔を見て、うなだれた。

ダメージでかいよ、秘蔵本をシロに見られちゃったなんて……!

しかもアレだ、墨で塗りつぶしたって、ああ、うわああ、ああああ……。


 俺達が半泣きでエロ本を分けてから部室に行くと、瑞鶴先輩がソファに腰掛けたまま眠っていた。だけれど、凄くうなされていた。

「先輩、大丈夫ですか」と時雨が肩を叩くと、瑞鶴先輩は飛び起きた。

「うおっ!?」と凄く驚いている。

「わああっ!?」起こした時雨もビビった。

「あ……悪い、凄く嫌な夢を見ていたから……」と瑞鶴先輩は決まり悪そうに言った。

「凄くうなされていましたよ、先輩。 大丈夫ですか?」大和が不安げに言うと、

「ああ、だろうな。 本当にぞっとしない悪夢だったんだ」

「この前のアレですか?」羽黒が言うと、先輩は首を横に振った。

「……お前らにも話しておいた方が良いだろうな。 武蔵について」

「へ?」と間抜けな声を出したのは陸奥だった。「武蔵先輩がどうかしたんですか?」

「ああ。 アイツは下手なヤクザよりヤバいんだよ」

「「え?」」と俺以外の連中が目を丸くした。

「……武蔵先輩を敵に回した連中は、ただじゃ済まないんですね」俺は言った。

「そうだ。 アイツの敵に回る事は大した問題じゃ無いんだ。 アイツの大事な誰かの敵になる方が怖ろしいんだよ」

「「……」」

「俺がアイツの敵になったとする。 ここまではどうだって良い。 アイツは正々堂々と真正面から攻撃するヤツには喜んで真正面から受けて立つからな」

「「……」」

「だけど、卑怯にも俺がアイツの周囲の大事な誰かを巻き添えにしてみろ、とんでもない事になる。 アイツは全ての人倫道徳を捨ててしまうのさ。 いや、アイツらしさ、と言うべきかな」

「過去にも、何度か、あったんですね」俺は呟いた。

「……睦月の堅物っぷりは知っているな? アイツの堅物っぷりは上に対しても変わらないんだ。 アイツはそれで一度、上の学年の連中から虐められた事があった。 あまりにも酷い虐めだったんで、俺が見るに見かねて割って入った」

「「……」」

「そしたら俺、階段から突き落とされてさ。 サークルの大会、出られなくなっちまった。 で、武蔵は先輩連中に何をしたと思う?」

「考え、たくないです」俺は首を振った。

「そうだ。 考えるな。 俺がさっきうなされていた原因だからな」

「……あの武蔵先輩にそんな一面があっただなんて……」羽黒がぼそりと言った。

「人間には誰だってそんな一面ってのがあるんだよ。 『絶対にのぞき込んではならない深淵』があるんだ」

「深淵が見返しているから?」山城が訊ねると、

「違う。 そこまではまだ大丈夫だ。 『怪物と戦うヤツが、いつしか怪物になってしまう』……さ」

「「……」」


 「……はあ。 案の定、失敗したようですよ」と綾音は呆れた声で言った。「綾嗣の事ですから、今頃は私の抹殺計画を立てているでしょう。 どうするのです?」

「簡単な事ですよ」となめらかに綾音と同じ言語を操るアーリア系の美青年が言った。「竜が見事に発見されました。 ですので、竜を住み処ごと絶滅させた後に貴方には是非我々と一緒に来て頂きましょう。 貴方は我々に協力して竜をあぶり出して下さった。 我々は竜は殺しますが人間愛には溢れているのです」

「まあ、私には事実、それだけの利用価値もありますしね」と綾音は淡々としている。

「ええ。 綾嗣君には死んで貰い、貴方が武蔵財閥の跡を継ぐ。 そうすれば我々と貴方の友好関係は間違いなく堅固なものとなるでしょう」

「で、綾嗣はどうやって始末するのかしら?」

「そうですね……では『病死』して貰いましょうか」


 武蔵先輩がサークル室に来た。その時、他の連中はみんな購買に行っていて、俺が留守番だった。

「おや清君」と武蔵先輩はいつもののんびりとした声で言った。「他のみんなは、どこだい?」

「購買です、ほら、今日、メロンパンの日ですから」

水之江学園の購買に大体週一でやって来る、とあるパン屋の焼きたてメロンパンを運んでくる車は、いつだって生徒で囲まれて大人気だ。売り切れ御免なので、大体俺達は待ち構えてダッシュで駆け寄る事にしている。でもいつも激戦になる。激戦になるくらい、カリカリでモチモチでフワフワでアツアツで、甘くて美味しいのだ。その日を俺達はメロンパンの日と呼んでいる。

「そうか。 ……ここは、良い所だな」武蔵先輩がぽつりと言った。

「先輩?」

「いや、何でも無い。 ここにいると、俺は人間でいられるのだよ」

「……先輩……」

「綾音が行方をくらませた。 どこにいるか分からん。 どうも妙な連中と手を組んだそうだ」

「妙な連中?」

「ゲオルギウス……とか言っていたが、詳細は不明だ」

「!」

俺が驚いた顔をしたので、先輩がぎょっとした。

「どうした、清君!?」

「ゲオルギウス滅竜騎士団。 欧州を拠点にする『殺竜組織』。 この国に亡命中の『竜』を殺すためにやって来た連中です!」

「……どうして君がそこまで知っている。 いや、これはどうでも良い。 問題は――!」

「ゲオルギウスが綾音と手を組んでいたりしたら、竜も危ないじゃないですか!」

俺達が助かった理由は、他でもない、竜のおかげだ。そして、もしも俺達の誰かがゲオルギウスに捕まって、竜に助けられた事を話したりしたら――!そうか、だからゲオルギウスはこの国に今頃来たんだ。他でもない、綾音が招いたからだ!

その時だった。シロが部室に入ってきた。

「……話は、聞いたよ」

「先生……」武蔵先輩が呟いた。

「もう一〇年は昔の話になる」シロはぽつりぽつりと話し出した。「当時竜は欧州の山間部の奥に隠れ住んでいた。 欧州に住む竜の、最後の集落だった。 だが、ゲオルギウスがその居場所を知った。 ……とある異邦の登山客が遭難しかけた時に、竜はそれを助けた。 『私達の事は秘密にしてくれ』と約束してね。 しかし登山客は竜との約束を裏切って、ゲオルギウスに密告したのさ。 『あそこに竜が住んでいる』と」

「「……」」

「その結果、大虐殺が発生した。 竜の総人口の九割が殺された。 そして登山客は一生遊んで暮らせるほどの金を手に入れた。 彼の名前は武蔵綾史あやふみ、綾音の父親だ。 きっと、この時から綾音とゲオルギウスの関係は始まっていたのだろう」

「「……」」

「惨劇を生き残った竜は故郷を捨ててこの国に亡命する事を決断する。 そしてそれは決行され、今まではこの国で竜の存在は秘匿されてきた」

「今までは。 ……俺達の誰が捕まったんですか」武蔵先輩が、言った。

「瑞鶴君だ。 ヒロ君が救助に向かっている。 彼の事だ、絶対に口は割らないだろう。 だがゲオルギウスの団長は『読心術』の使い手で、簡単に人の心を読破する。 ……惨劇の連鎖を、阻止しなければ」

「先生、俺にもやらせて下さい」武蔵先輩がきっぱりと言う。「これは俺の所為でもあります」

「……君に、頼みが一つある。 武蔵財閥に『公的』にゲオルギウスと戦って欲しい。 政府への干渉の阻止、ゲオルギウス実働部隊の行動の制限、情報の隠蔽、これは君にしか出来ない事だ」

「はい」武蔵先輩が、しっかりと頷いた。

「では、私達は『私的』に動くとしよう」とシロが俺を見た。「……と、その前に」

バチッと部屋の空気が感電したように俺には見えた。何かが音波じゃないけれど、凄い悲鳴を上げて、あっという間に消えていくのが分かる。

「……蠱毒を飛ばすとはどんな神経をしているんだ。 いや、竜と武蔵君を殺すためなら手段は問わないのか」

そこに、ボロボロになった瑞鶴先輩を背負ったヒロが登場する。

「シロ先生、『ジークフリード』が動いています。 本当ならあの場で殺したかったんですけれど……この子を優先しました。 実働部隊の三分の二をこの前に僕達が潰しましたから、『ジークフリード』自らが出陣するようです」

ゲオルギウス滅竜騎士団団長ジークフリード。 ……連中も本気なのだね。 ヒロ君はここで生徒達を守っていてくれ。 虎弥さんか健さんが来たら、武蔵君と一緒に行動して貰おう。 私は、先行する」

「はい」とヒロは気絶している瑞鶴先輩の手当をしつつ、「やっちゃって下さい!」

「シロ、待って!」俺は言う。「俺も行くよ」

シロがじっと俺を見た。俺は、じっとその目を見る。

「……分かった。 行こう」


 山奥の、まるでおとぎ話に出てくるような幻想的な村。

そこが竜の住み処だった。

「あら、案外綺麗な場所なのね」と綾音は言った。「てっきり邪悪の化身なんて言うから、掃きだめみたいな場所に住んでいるものだと思っていたわ」

「いいえ、連中は邪悪の化身なのですよ」と『ジークフリード』が答える。「だって人間じゃない癖に人間のふりをして知性やら言語やらを行使している。 赦されませんよ、絶対に。 人間じゃない『もの』は人間が好き勝手に殺しても良いんですよ」

『ぱぱ、まま、たすけて、たすけて!』

小さな、まだ猫くらいの大きさしかない子供の竜が、『ジークフリード』の足下で悲痛な声を上げた。『いたい、いたい!』

「ほらね、良い声で鳴くでしょう? これを踏みつぶすと最高でしてね」

「ずるいわ、私もやりたいのに」

「でしたら貴方はどうぞこちらを。 これも中々楽しいですよ」と『ジークフリード』は竜の卵を差し出した。「中にねえ、たまにどろどろに溶けた状態の竜がいるんですよ。 それにこれを地べたに叩きつけてやると――」

「あら、やらせてちょうだいな」と綾音は早速卵を地に落とそうとした。

『止めろ!』絶叫がほとばしる。

「ね?」『ジークフリード』が陽気に笑った。「産まれてもいない子竜を殺される親竜が泣き叫ぶと言う訳です」

「良いわね、素敵! ……綾嗣が死んだと言う知らせはまだなの?」

「特上の蠱毒を放ちましたから、もうすぐですよ。 ……いくら住み処を移動しようとした所で、赤ん坊や子連れが遠くまで行けるはずも無く。 しらみつぶしに探せばすぐに見つかった。 全く貴方のお父上と言い貴方と言い、感謝のしようもありません」

「竜を絶滅させたら、次は何を絶滅させるの?」

「うーん、この国にはいっぱい人外がいますから、選ぶのに迷いますねえ」

「まあ良いわ。 私は人間だもの。 人外の事なんて知らないわ」

「ええ。 あ、忌々しいのが一匹いたのを忘れていました」

「忌々しいの? 綾嗣よりも?」

「ええ。 人間の形をした化け物がいる事を忘れていました」

「……何なの?」

「御本家、と言う組織がこの国にはかつて存在したのです。 そこで飼われていた化け物ですよ。 『白劫』と呼ばれていました」

「その化け物が動くとどうなるの?」

「ヤツは世界の敵なんですよ。 存在してはならないのです」

「世界の敵?」

「ええ、世界の敵です。 破壊しか能の無い化け物は、全人類の敵です」


 「世界の敵だろうが全人類の敵だろうが知らないね。 俺の恋人に何の用?」


 ばっと綾音とジークフリードがこちらを見た。大きな木の枝に腰掛けている俺を見た。

「貴様は誰だ!?」

『君は……!』銛で地面に串刺しになっているヴォルフラムさんが、驚いた声を出す。酷い光景だった。竜の最後の一族が、まるで面白半分に殺されようとしているのだから。

「ギリギリで間に合ったかな。 間に合ったみたいだね。 殺そうとする連中なんだ、殺される覚悟はあるだろう。 やっちゃおう、シロ!」

「ああ」

白い稲妻が走った。ゲオルギウスの連中が、黒焦げになって一斉に倒れた。

「っ!」綾音を抱きかかえて回避したジークフリードだけが、真っ青な顔で俺を見上げる。「貴様は、」

「黙って死ねよ」と俺は言い、

「大丈夫、死ねば黙るさ」とシロが答えた。


 綾音は滅茶苦茶に山の中を走っている。体中が傷だらけである。

だが、彼女はいきなり、真っ青な顔で、立ち止まった。

彼女の前方に、いきなり男が出現したからである。

「……酒匂!」

「……」男は何も言わなかった。答えもしなかった。だが、代わりに、手にぶら下げていたものをぽいと綾音に放り投げた。

「きゃっ!」

それは、小熊であった。酒匂は小熊が転んだ綾音の上に乗っている事を確認すると、姿を消した。

「な、何だったの、一体」と綾音が小熊をのけて、どうにか起き上がった時だ。

その背後に、母熊が巨体を見せたのは。

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