第5話 SELECT
クロヒメは誰からも愛されなかった、とシロは語った。
「アイゼン様はお酒に弱くてね、コップ一杯で寝てしまったんだ」
「その日も寝てしまわれたから、奥方様は怒って私達相手に愚痴をこぼしていた。 聞いて欲しい話が沢山あったのに、と」
「この体質が何よりも災いした」
「寝ているアイゼン様を女中の一人が襲ったのさ。 そしてまんまと妊娠した」
「それがクロヒメの母親だった」
「そして傷心のあまり病んでしまわれた奥方様を追い出して御本家の正妻になったは良いが、皆から冷遇されてね」
「そりゃそうだ。 アイゼン様はあの日から一度もお酒を飲まれた事は無かった。 それまでは虎弥さんをワイン蒐集家に感化させるほど大好きだったのにね。 アイゼン様でさえそうなんだ。 家臣はもっとだった」
「そしてクロヒメを産んだのは良いが、皆からの冷遇は相変わらず……」
「次第に母親はおかしくなって行った。 過剰な道楽にふけり、挙げ句に産んだ息子を女だと思い込んで女装させては遊んだ」
「一度もクロヒメを我が子として愛した事のないまま、母親は死んだ。 どうもクロヒメに殺されたらしい」
「その後、クロヒメは洞鏡と言う変態的性癖の持ち主に愛を盾に迫られるようになる」
「子供好き、のね」
「やがてクロヒメは洞鏡と結託して、御本家乗っ取りを企んだ」
「そしてそれは実行に移され、アイゼン様とヒカルは毒を盛られた」
「……」
「もしも、なんて言っても意味は無いのだけれど」
「誰か、クロヒメをありのまま愛した誰かがいれば、こんな事にはならなかったのだろうか」
「さ、これからどうする?」俺は虎弥さんに聞いてみた。
「うーん。 そうだな、御本家も終わった事だし、俺達も『遺臣』辞めて好きにするさ」
「そうだな、それが良い」渡辺さんも頷く。
「じゃ、俺ちょっと行ってくる」と健さんが立ち上がった。
ヒロがぷりぷりと怒りながら、「何でそこで『俺達』って言わないんですかこの浮気者!」とその後を付いていく。
「俺達って言うか、あのなー、ヒロ、お前は既に俺の一部なんだよ」
「! 健さん……どこまでも一緒に……」
「待ってくれ、私も行こう。 ……ヒロ君、くれぐれも毒殺しないでくれよ?」渡辺さんが呼び止めると、
「健さんに色目を使わなければ♡」
こえええええええええええええ!!!!
「俺ちょっと飯食ってくる」と虎弥さんも出て行った。
やたら広い部屋に俺とシロは二人きりになった。
「私は君といるよ」とシロは俺を抱きしめた。「どこまでも、いつまでも」
「うん」
そっか、そうか。
俺は理解した。
この良い匂い、母さんと、同じ……、
×××の。
……外が騒がしい。
「包囲されたね」とシロは言った。
「うん」
「戸惑っているようだ」
「だろうね。 もうココ、もぬけの殻だし」
「罠じゃ無いかと怯えつつ入ってくるよ」
「そりゃ気の毒だ」
「ほら、足音が。 可哀想に、本当に怯えている」
大勢の足音が、そっと、そっと、この広いだけの部屋に近づいてくる。
それからしばらくして、混成軍の先兵が、やっと登場した。
「「!!!」」
俺達二人なのを見て、ぎょっとする。
俺は言う。
「兄貴に会わせろ」
シロと俺は、本営に連れて行かれた。
そこには、あの酒呑のおっさんや色んな『ヒト』がいて、騒がしくしていたけれど、俺達が素直に登場したから、全員、静かになっちゃった。
「清君……」ネギノさんが、本当に黙りまくった末に言った。
「……この小僧が清か」見た事の無い外人の女は、きっとカルミラ御前だろう。
「お、おい、渡辺のヤツ何にも言わンかったのか!?」酒呑のおっさんが驚いている。「ヒカル殿の目的、ちっとも言わンかったのか!?」
「全部聞いたよ。 でも俺はここにいる」
俺が言うと、また沈黙。
「ご注進!」そこに伝令が駆け込んできた。「第一から八までの総攻撃部隊、全兵戦闘不能に陥りました!」
「政治中枢部襲撃部隊が!?」カルミラ御前が持っていた杖を取り落とした。「ば、馬鹿を言え、あれは我らが最精兵だぞ!?」
「で、ですが全く通信への応答が無く……生体反応はあるのですが……!」
「ご注進!」また伝令。「各機構遊撃部隊との連絡が遮断されました!」
「って事は、下手すりゃ反撃されて各部隊が全滅しかねん、って事か」吹雪さんが言った。「おい清君、何をやったんだい?」
「俺? 俺なら、御本家を解散させて終わらせちゃったよ」
「「!!!?」」
「ま、まさか」カルミラ御前がわなわなと震えだした。「こ、小僧、お前、『鬼殺し』『殺神鬼』『
「知らない。 御本家は俺が解散したって言ったでしょ。 だから遺臣も終わり。 みんなどこか好き勝手に行っちゃった」
「全軍撤収だ!」ネギノさんが叫んだ。「このままじゃ、アイツらに殲滅されるのはもはや時間の問題だぞ!」
「……異存なし」吹雪さんが頷く。
「ガッハハハハハハハ!」愉快そうに笑ったのは酒呑のおっさんだった。「やりおるなあ小僧! ヤツらは皆々御本家と言う軛に繋がれていただけの
「だからー、そんなの俺の知った事じゃないよ。 それより兄貴はどこ?」
「おゥ、自ら会いに行くか。 良かろう。 この奥よ」と酒呑のおっさんは足下から伸びる地下通路を指した。
歩いて歩いてどこまでも歩いた果て。地下に広がる湖の湖畔に、俺達は到着した。
ほんのりと壁が光っている。
『…………シロちゃん?』
ちゃぽん、と水が湖面に落ちた。
「そうだよ、ヒカル」
シロが、応えた。
『本当に本物の、
ざわり。湖面が風も無いのに、ざわめいた。
「否。 今の私は、白奈儀だ」
『…………………………………………そう』
ぎゅう、と水が盛り上がって、ヒトの形になった。
『否んだ、と言う事は、僕をもう愛してはいないんだね、シロちゃん』
「そうだね」シロ、嘘つくな。そんな悲痛な顔をして。「あれから、私も色々あったんだ。 ……本当に、色々あった。 だから、私はもう光の愛してくれた雪風真白ではないよ」
『「花鳥風月」を殺したのは君?』
「そうだ」
『御本家をクロヒメに乗っ取らせたのも?』
「そうだ」
『僕を殺したのも?』
「……ああ」
……………………………………。
やがて、俺の兄貴は言った。
『嘘つきだね、シロちゃんは嘘なんて付かなかったのに』
『僕が誰よりも愛した君は、もう変わってしまったんだね』
『だったら』
『僕の大事な思い出を穢さぬために、死ね』
湖面が盛り上がった、と思うと――それは津波になって、俺達を一瞬にして飲み込んだ。
………………。
「シロちゃーん? シロちゃーん、どこー?」
僕が呼ぶと、シロちゃんはぴょこっと物置から顔を出す。顔だけだ。でも凄く楽しそうな顔をしている。
「ヒカル、あのね」
「なーに?」
「じゃーん!」
シロちゃんが両手にぴかぴか光るものを持って登場する。
「おたから! みつけた!」
「わあ! きれい!」
僕達がそれで遊んでいると、お父様が通りがかって、
「おや楽しそうにして。 どうしたんだい?」
「「これ!」」僕達はおたからを見せた。
お父様が卒倒した。
「「あれ?」」
「ギィァー!」とんでもない声で叫んだのはお父様の側にいた虎弥さんだった。「秘蔵の三角縁神獣鏡があああああああああああああああああああああ!」
それから僕達はうんとうんと虎弥さんとお父様にあれで遊んじゃ駄目だって怒られてしまった。
……………………。
お母様がこの御本家を追い出されてしまった。僕は悔しくて悲しくてあの女が憎くて、泣いた。
「ヒカル様、泣かないで」ヒロ君が一生懸命に励ましてくれる。「ほら健さんも!」
「……うん、アレだ。 腹黒い事を言いますが、ヒカル様が跡目を継がれたら、あの女は早々に追い出して、な?」健さんは、そして黒~い笑いを見せた。
「ええ!」シロちゃんまで言うのだ。「私も頑張ります!」
那智ちゃんも、背後でうんうん頷いている。だけどヒロ君に見つかってまた逃げていた。
「あはは、ありがとう」
……………………。
僕はシロちゃんに恋をしている。自惚れじゃなかったら、シロちゃんも……。
で、でも、恋をしたら何をすれば良いんでしょうか。
手を繋いでデートして、ちゅーをして、それからは……?
僕は『それから』を考えるだけで何だか顔が青くなったり赤くなったりしてしまって、何だか変な気分になってしまうし、ついには寝込んでしまうのだ。
「ヒカル様もアレだな、
「良くも悪くも、お坊ちゃまですからねえ」ヒロ君が健さんにうっとりともたれかかりながら、「ね? 健さん♡」
「おい、俺達だって、まだ童貞だぞ?」
「健さんが童貞じゃなかったら僕、殺していますぅ」
「はいはい、俺の嫁なんだから少しは、こう、泰然としていろっての」
「じゃあチューして下さいよぅ」
「ほらよ」
「ヒュー、熱いねえ!」
あのね貴方達!縁側でそんな事を言っているから、僕は寝たふりに必死なんだよ!
シロちゃんと恋人になれました。
みんなが任せていろって凄く張り切って恥ずかしくて死にたかったけれど何とか。
その、それで。
僕は渡された春画本の生々しさととんでもなさに腰が抜けそうになっているのです。
僕はこれからこんな事をシロちゃんとしなければいけないのかな。
ああ、でも、それはとても幸せな事のような気がする、うん。
でも今は何と言うか居ても立ってもいられなくて、がぶがぶとお酒飲んでいる情けない有様。
もう飲み尽くしちゃった。
でも、まだそわそわしちゃって、僕、本当、みっともない。
あ、誰かの気配、と思ったらお酒の瓶を追加してくれた!
ありがたいな、本当。
これが『素面じゃ居られない』って事だろうね。
でもでもでも、そろそろシロちゃんが来る頃だ……。
ああもう!
コレを一気飲みして、そうしたら潔く、格好良く待とう!
……そこで回想は、ぶちりと途切れた。
そうか、兄貴、アンタはここで殺されたのか。
ここで……。
「清!」
俺は我に返った。同時に俺を包んでいた水の塊がはじけて、シロの腕の中に落下する。真っ白な髪、赤い目。俺は大丈夫だと言う代わりに、頷く。
『シロちゃん、どうして……』
消えかかっている、兄貴の魂が、寂しそうに言った。
「好きだった!」
シロの声が、何度もこの空間にこだまして、消えていく。
「大好きだった、愛していた、誰よりも、誰よりも! ……でも、もう、もう……過去になってしまったんだ!」
シロは泣きそうな顔をして、でも、泣いていなかった。
「貴方は死んで、私は生きていてしまった。 だから、もう、」
終わった者と生き続けた者、すれ違ってしまって、二度とかつてのようには交われない。
『そう……か』兄貴の魂がゆっくりと、透明になっていった。その背後に、俺はイザナミノミコトの姿をぼんやりと見た。迎えに来たのだろう。『せめて……僕を……君の手で……送ってくれて……良かった……よ』
そして、兄貴の魂はこの世から去って行った。
丑寅探偵事務所に戻ると、渡辺さんがヒロによって殺されようとしているのを健さんと虎弥さんが必死に阻止している所だった。長門のヤツはドン引きしていた。
「ぎゃああああああああああああ死にたくないいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!!!!」完全に取り乱している渡辺さんに、
「健さんに色目、使ったでしょ?」渡辺さんにまたがって、出刃包丁をかざしているヒロ。相変わらず、壮絶な笑顔をしていやがる。
「使ってない、使ってない、使う暇無い! 助けてくれ!」
「お、おい止めろ、ヒロ止めろ!」虎弥さんがヒロを羽交い締めにして、
「あのなヒロ、俺は色目使われてもお前一筋だっつーの」
健さんが囁いたらヒロ、恍惚とした表情で大人しくなった。……ひい。
「あ、戻ってきたか」
虎弥さんが俺達を見た。
「終わりました」とシロが頷いた。
「そうか」とだけ、渡辺さんは言った。
「で、虎弥さん、政府からふんだくれるよな?」健さんが荒れたままの事務所をちらりと見て、「少なくとも新品のビル建てられるくらいは」
「勿論。 この磯風虎弥の交渉術を舐めないでくれたまえ!」
「政府の弱みにつけ込むなんて、本当にえぐいですねえ、でもぼったくって下さいよ」ヒロが健さんの腕に腕を絡めつつうっとりとして言った。うわあ、うわあ……。
「皐月ヒロ……
「そ、そうだな」と長門が言ったし、
「そうだね」と俺も同情していたので言ってやるのだった。
事務所がアレなので、俺達は近くのホテルに泊まった。
渡辺さんはヒロ恐怖症のようで、じゃあこれで、と去って行った。
俺は二人きりになると、いつものシロに抱きついた。
「どうしたんだい?」
「ううん。 何でも」
「そうか」
「……ありがとうね」
あの時、俺を選んでくれて。
「ん?」
「何でもない」
俺はそのまま、目を閉じた。
シロの良い匂いに包まれて、そのまま俺の意識は遠くなっていく。
遠くでシロの声が聞こえた気がした。
「……ねえ、本当に君を愛して良いのかな?」
俺が兄貴だったら、うん、と答えると思うよ。
だけど俺は何も言葉にも態度にも出来ず出せないまま、心地よい眠気の中に横たわっていた。
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