第4話 花鳥風月

 夏休みになったら強化合宿でどこかに行かないか、と武蔵先輩が言い出したのはテストの数週間前だった。

「無論、テストを皆が頑張ってくれたらの話だが」

「諸事情で僕はですけれど、シロ先生を連れて行けば良いと思います」ヒロがちゃっかりと言った。

「おお、良いな、どこに行くんだ?」瑞鶴先輩が身を乗り出す。

「実はな、俺の従姉が避暑地にペンションを作ったのだが、何分多忙で落成した姿を見に行けないままで困っているんだ。 ほら、不備があったりしたら早めに建築会社に言わねばいけない。 俺達がそれに行ってくれたら旅費などは全て負担してくれると言うので、これに乗らん手は無いだろう?」

「「ワーイ!!!!」」


 テストまで後一週間。俺が図書館で予習をしていたら、声をかけられた。

「君って体売っていたんだ」

頭の芯が一気に冷えた。

振り返ったら、不知火がいて、

「もう分かっているよね? じゃ」

俺は動けなかった。ただ、俺はもう駄目なんだって事、それだけは咄嗟に悟った。

急いで図書館から出た途端だった。

俺はシロに抱きしめられていた。

「大丈夫だよ」

「シロ、シロ」好きで体売っていたんじゃない、お金がないと何にも食べるものが無くて、生きる事さえ否定されるから、お金が欲しくて、ただそれだけで。「ねえ、俺」

それってきっと、こんなにも悪い事だったんだ。

「大丈夫だよ、私は君が好きなんだ」

そう囁くと、シロは待ちかまえていた不知火に言った。

「行きましょう。 でも、弟だけには絶対に手を出さないで下さい」


 俺達は自分の足で自分の意思で不知火のお屋敷に入った。お屋敷の地下牢に入った。そこには色々な『道具』があって、撮影器具があって、漂う匂いに俺は吐きそうになった。

俺はうずくまって、シロがスーツを剥ぎ取られて、不知火に強姦されるのをただ見ていた。不思議と涙は出なかった。悲しいと思う、心が砕けてしまったみたいだった。

シロの体、凄く綺麗だった。抱きしめると良い匂いがするんだ。苦痛にゆがむ顔も、こぼれた涙も、喘ぎ声も、何かを求めるように宙をもがく手も、本当に、本当に、綺麗だった。

俺はシロが好きなんだ。

本当に、本当に、もしも許されるのなら、一緒に地獄に堕ちていきたいくらいに、恋をしているんだ。

何て苦しい恋だろう。

酔いしれる事さえ出来ない、辛い恋。

どうして、好きなの、好きなの、好きになってしまうの?

俺の前で他の男に強姦されて喘いでいるのに、好きで好きでたまらないのはどうして?


ああ。

恋は、罰なんだ。


 シロがイく寸前、体をのけ反らせて、鋭い悲鳴を上げた。

俺はその悲鳴の中に、俺じゃない誰かの名前を確かに聞いた。

ごめんね、シロ、ごめんね。

それでも俺はシロが好きなんだ。


 不知火が満足しきって俺達を解放したのは数時間後だった。

俺は消耗しきったシロを支えて屋敷から出る。

「シロ、シロ、」

「大丈夫だよ」優しい声、撫でられる頭、額に落とされるキス。「あんな幻覚、気にしたって意味が無い」

「え?」

「撮影機器の方は故障させた。 だから、そんなに気にする程の事でも無いよ」

「シロ……」

「君の動画データも、消せる所は消した。 でも恐らくネットにも載っているようだから、対策を考えなければね」

じゃああの時呼んだのは、やっぱり俺じゃ無くて、兄貴なんだね。

こんな事で悲しいと思う俺が情けなかった。最低だと心底から思った。

「大丈夫だよ」

そう言って微笑むシロから、いつものように良い匂いがした。


 窓から入ってきたのは、四人の男女だった。明らかに人間じゃ無かった。

『花鳥風月』だよ、とシロが俺に説明する。御本家最強の『使い魔』だ。菊月、翔鶴、涼風、そして照月。

『内々にお話ししたい事がありまして参上いたしました』と菊月が言った。

「あ? お前らクロヒメの使いじゃねえのか?」健さんが剣呑な声で言った。

『逆でございます。 我らクロヒメの弑逆を企てております故に』涼風が、言った。

誰もが、絶句した。

「何て言った、今」虎弥さんが、愕然とした顔で言った。

『我ら「花鳥風月」、もはやクロヒメを主と見なさず叛逆するつもりでございます』

翔鶴がきっぱりと言った。

「じゃあ誰を主と……」ヒロが言いかけて、はっと俺を見る。

『はい、そちらにおわすアイゼン様の遺児、清様をこれより我らの主と致します』

照月が、言い切った。

「『花鳥風月』、もはや信に値せず」シロが高圧的に言う。「みだりに妄言を述べ我らに関与するならば、排除するのみ!」

『ではこちらが勝手にクロヒメを殺し清様を我らが主、御本家当主、そしてヒトの盟主と致します』

え……?

「おい、お前ら、まさか!」虎弥さんがシロを抑えて、「この子を御本家当主にして、大戦を回避させるつもりか!?」

『アイゼン様がご厚恩忘るる者未だ無く、ヒカル様の実弟に刃向かう愚者もおりますまい』

『そして御本家を追われた遺臣の総員、清様が主となればもう一度御本家に戻り、忠誠と結束を誓うのみ』

『アイゼン様の下に集いし遺臣がもり立てた、かつての御本家、貴殿らに忘れたとは言わせませぬ』

『では、我らはこれにて』


 シロが待てと言う前に、花鳥風月は消えてしまっていた……。


 「何て事だ」

シロは頭を抱えてソファにぶっ倒れた。

「それだけは嫌だったのに! 清君が『遺児だから』と利用される、それだけは嫌だったのに!」

「ねえ、シロ、俺は大丈夫だよ。 利用されても、シロ達なら歓迎だよ。 大戦が再開したら酷い事になるんだろ。 だとしたら利用価値、俺にはあるんじゃないのかな」俺は、言ってみた。

「光の御子」ヒロがじっと俺を見据えて言った。「あれの正体が明確にならない限り、いくら清君を担ぎ上げたって無駄ですよ、現状。 しかもドッペルゲンガーは、清君や僕達を明らかに狙っていた。 何が『ご厚恩忘るる者未だ無く』、だ。 アイツらはど忘れしていたじゃないですか。 冗談じゃ無いですよ」

「だな」健さんはヒロと少し違っていた。「いくら金があろうが権力があろうが地位が高かろうが、幸せにはなれない。 ……アイゼンさんが、そうだった。 クロヒメの母親に無理矢理……なあ? 止めた方が良い、絶対に!」

「『花鳥風月』の腹が読めん」虎弥さんがぼそりと言った。「クロヒメの首を持ってきて俺達にご相談、ならまだ分かる。 だが言葉だけだ。 ヤツら、何を考えているんだか。 絶対に乗るなよ、清君」

「……」

俺、幸せなんだ。

ここまで俺の事考えてくれる人達に囲まれて、今、確かに幸せだ。


 カオルが阿賀野先輩と廊下の隅で話していた。

「へー」と阿賀野先輩が聞き役になっている。

「はい、まあ、そう言う事でした」

「ふーん、分かった」

「はい、では失礼しますね」

「うん」

カオルは行ってしまった。

何を話していたのかな。俺は気になったけれど、深く突っ込むのも失礼だと思って、通り過ぎようとした。

「待てよ」だが、阿賀野先輩が俺を呼び止める。

「へ?」

「なあお前さ、御本家って知っている?」

知っているも何も、俺達は!

俺の表情で何かを察したらしい阿賀野先輩は、言った。

「カオルが俺に謝ってきたよ。 禍玉、触らせて悪かった、って。 本当は清、お前に触らせるつもりだった、って。 ……御本家のためだって、言っていた」

「……カオル」

「霞カオル、この名前以外の個人情報は俺も全く知らない。 アイツは、何者だ?」

「……」


 「カオル」と俺が教室で呼ぶと、いつも通りのスマイルで振り返る、カオル。「あのさ、ちょっと話したい事があるんだけど」

「どうしたの? 良いよ」

俺は人気の無い図書館の隅っこまで来てもらった。そして、言葉を選んで、口に出してみる。

「カオルってさ、俺の事、嫌いなのか?」

大丈夫だ、コイツはあのカオルだ。親切な、アイツだ。

でも俺のその祈りにも似た思いは、一撃で砕かれる。

「愛憎通り越して今すぐに死んで欲しいね」いつものあのスマイルで、言われた。

「……」

「僕の母親はね、君の父親の権力や財力に惹かれた。 そして君の父親を罠にはめて僕をした。 知っているかい? 君の父親ってアルコール耐性がほとんど無くて、一杯飲んだらもう寝てしまうのさ。 僕が作成された事で、君の父親は引き裂かれるように君の母親と別れる事になる。 でも君が作成されたと言う事は、君の父親は時々君の母親に逢っていたみたいだねえ。 ずるいね、君達母子は本当に愛されていたんだ」

「なあカオル、止めてくれよ……」いつものお前に戻ってくれよ!

「何で止めなきゃいけないんだい? これが僕の本性だ。 誰からも愛されず誰からも疎まれて誰からも害されようとした僕の、ね」

「お前……!」

「花鳥風月は処刑した。 僕らを殺そうとしたんだ。 当然さ」

俺は、一番口にしたくない言葉を、口にする。

「……お前が、『クロヒメ』なんだね」

「そ。 御本家現当主にして退廃帝王ヘリオガバルス、己の父親や異母兄を殺した殺人皇帝カリグラ、有能揃いだった遺臣を御本家から悉く追放した愚帝ネロ、そして」とカオルは言うのだ。「大戦再開を熱望する戦帝ツァーリだ!」

「そうか」俺が好きだった親切なカオルはもうどこにもいないんだ。いや、最初からいなかったんだ。俺が作り出した虚像のカオルを俺は好きだった、それだけだ。俺は今更、その事を理解した。「分かった」

「おや? 色々な理由とか訊かないのかい?」

「もう分かっている」

「へーえ」とカオルは目を細めた。「君が異母弟じゃなかったら抱かれたい所だな」

「俺は、お前の事好きだから、セックスしたくは無いよ」

「ふうん。 じゃあ、」とカオルは次の瞬間、姿を消した。「君を殺してペニスだけ切り取っちゃおうっと」

気配が、消えた。

「……」

俺は、悲しくて泣きたいのをこらえて、教室に戻った。


 「そうか、彼がクロヒメだったのか」シロはぽつりと言った。「……整形手術好きだったのは知っていたが、あの顔になっていたんだね」

「よく考えればさ」俺はボロボロと涙だけこぼしつつ、言った。悲しい。悲しい。俺はアイツの事も好きだった。本当に良いヤツだって信じていた。「鬼の血から禍玉作り出す方法なんて、御本家くらいしか知らないよな。 そして鬼を誘拐する事が出来るのも。 何もかも。 祟り神を作り出す方法だって、さ」

「だが『光の御子』とは何だろうか」シロが難しい顔をする。「御本家が作り出した『何か』、なら良いのだが」

「……人心を従える術無き御本家に、ドッペルゲンガーにあんな真似をさせるほどの何かを作れるとは思えませんしね……」

ヒロが俺の涙を拭いてくれる、でも止まらない。

「君は彼の事が本当に好きだったんだね」

「……うん」俺はシロの言葉に頷く。

転校してきて不安だった俺に、最初に声かけてくれて、色々紹介してくれて、本当に、それが嬉しかった。たとえそれが嘘でも偽りでも、俺は本当に嬉しかったんだ。

「シロ殿、いらっしゃるか! ――うわあ、出た!」俺達がいた資料室に見た事の無い短髪の美女が駆け込んできた、そしてヒロを見た途端に血相を変えて逃げ出そうとする。

「待って下さい渡辺さん」シロが素早くその手を掴んで引き留めた。「何があったのですか?」

「……」散々ヒロ(怖いくらいに笑っている)とシロの顔を見比べてから、美女は言った。「今は私を殺さないよう、彼に頼んでくれ」

「了解です。 ヒロ君。 また渡辺さんを暗殺しようとしてはいけませんよ」

「え? 僕は健さんに近づこうとする害虫を消毒しているだけなんですけれど」

ヒロが怖い、ひたすら怖い、超怖い!

「私は死んでも健の馬鹿とはそう言う仲にはならない! ならないから!」

「僕のダーリン♡を馬鹿って今言いました? 馬鹿って言いました? 言いました?」

ひいいいいい!

「うわああ、言っていない、言っていない! 悪かった!」

「ヒロ落ち着け、笑顔が怖い」俺は咄嗟にヒロを抑えた。

「もう、清君まで。 仕方ないなあ。 特別に今は大人しくしていますぅ」

渡辺さんはその場にへたり込もうとしたが、シロが素早く資料室の中に引き入れた。

「で、何があったのですか?」

「大戦が、再び始まった」

「「!!?」」

「鬼も、吸血鬼も、土蜘蛛も、雪女郎も、全て、全てだ、大協定を破棄して御本家に宣戦布告した」

「何故、」と問おうとしたシロに、渡辺さんは青ざめた顔で言ったのだ。

「『光の御子』の正体を知ったからだ」


 渡辺さんは鬼無里にいて、長門との契約通り鬼を守っていたのだと言う。

だが、『光の御子』が登場したために、全ての鬼が御本家に叛逆したのだ。

「一体何者です、『光の御子』とは」シロが真っ青になっていたが、はっと息を呑んで、がたがたと震えだした。「いや……まさか……そんな事は……あり得るはずが……!」

俺は涙も止まって、愕然としていた。大戦が、もう始まった!?

「そうだ。 彼だ。 花鳥風月が咄嗟に魂だけを守って隠していたそうだ。 そして、この弟君が見つかった事を知って解き放った……。 そして、花鳥風月がクロヒメらに対する謀反を企てて処刑された今、もはや彼を止められるのは……」

「……!」シロがひっ、ひっ、と喘ぐように息をしている。

お、おい、まさか。

「う、嘘でしょ、そんな……! ……いや、最初から花鳥風月はそのつもりだったんだ。 遺臣を追放させたのも、撤退を繰り返したのも、全て、自分達が最後に処刑される事さえも!」ヒロが頭を抱えて、嘘だ、嘘だ、と繰り返している。

……そう、か。

「そうだ。 それが、花鳥風月の悲願であり宿願だった……」渡辺さんは、俺を見た。「……彼の最高の宿体を見つける、それまでの」

「嫌だ」シロが泣いていた。「嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ……!」

俺は、深呼吸してから、言った。

俺の兄貴ヒカルが、生きていたんだね?」


 「生きていた、と言う表現は適切では無い」渡辺さんは、悔しそうに言った。「クロヒメの手によりアイゼン様もヒカル様も。 だが、その魂が黄泉路を辿る前に、何が起きたかが問題だった。 アイゼン様は即死だった上に、黄泉の大神イザナミノミコトが直々にお迎えにいらっしゃった。 そして……『お亡くなり』あそばされた。 だが、ヒカル様はその時はまだ虫の息で辛うじて生きていらっしゃった。 間も無く亡くなられる事は明白であった。 恐らくはその隙に、だ。 花鳥風月はヒカル様の魂を隠し取ったのだろう。 そして、復活の時を狙い、最高の宿体を探していた。 そう、最も血が濃く、魂も似た者を」

「……」

「道理でどこをどう探してもヒカル様の御魂の見つからぬ訳だよ」渡辺さんは言った。「……よりにもよって御本家最強の式が、ヒカル様の復活を虎視眈々と目論んでいたのだからな」

「ヒカルが復活する時……俺はどうなるの?」

「君は魂を殺される。 体を乗っ取られる、と言えば分かりやすいか。 君の自我も魂もヒカル様の復活には不要物だと見做されて、削除されてしまうだろう」

「……」そう、と呟くのが俺には精一杯だった。

「虎弥さん達には……」ヒロが訊ねると、

「ああ。 信頼の置ける遺臣には既に事情は話してある。 すぐにこの子を匿おう。 さあシロ殿、急いで」と渡辺さんは言って、泣いているシロに触ろうとした。

「触るな!」だがシロはヒステリックに叫んだ。「駄目だ、私は駄目だ。 裏切ってしまう、裏切ってしまう、ヒカルの声を聞いたら、きっと、私は、」

「シロ」俺は泣きじゃくるシロに触れた。びくりとシロが震えて、俺を見た。「俺もね、シロの事好きなんだよ」

思い切ってキスをした。

シロは俺を突き飛ばそうとする、だけど俺は離れなかった。今、離れたら永遠に引き裂かれるから。シロが大人しくなるまで唇を合わせて、それから俺は囁いた。

 「二人きりでどこまでも堕ちて行けたら、きっとそこは天国なのに」

 「だけど、この地獄で俺達足掻くしか無いじゃん」

 「だったらどこまでも一緒だよ、シロ」

シロが俺を抱きしめた。今までで一番、強く。

「やるな」渡辺さんがやや照れたように言った。「全く、ませた小僧だ」

「それ僕への当てつけですね?」ヒロがダークサイド丸出しの声で突っ込んだ。


 俺とシロは急きょ、学校から丑寅心霊探偵事務所に帰った。長門や、みんなが揃っていた。

「よく、帰ってきた」虎弥さんが、シロを見て、そう言った。

「状況は?」と渡辺さんが訊ねる。

「既に内戦状態だ。 この国の警察機構及び軍事政治機構の中枢部が『混成軍』によって攻撃されている。 まあ持って三日だな」

「だが御本家は何にもしていない。 悲痛な救援要請を全部無視していやがる」と健さんが吐き捨てた。

「で、三日経てば御本家に混成軍が集結する。 陥落まで二日あれば充分だ」

「問題はその後だな」渡辺さんが、「血眼になって連中は清君を探すだろう」

「どこか、良い隠れ場所は無いんですか?」ヒロが唇を噛んだ。

「かくなる上は海外だな。 『イスカリオテ』『ヘルシング』『ゲオルギウス』『カルデア』『騎士団』『結社』『委員会』……あんまり仲良しとは行かんが、こちとら亡命者だ、構うもんか。 ……とにかく今は海外に出よう」

「今すぐ空港へ来てくれ」長門が頷く。「俺のコネですぐに飛行機飛ばすからさ」

「よし、行くか、」と立ち上がった虎弥さんが俺を捕まえてテーブルの下に押し込んだ。

「!?」

頭上で、雷のような凄い轟音が鳴り響いた。


「何て真似をしやがる」と俺が虎弥さんによりテーブルの下から出されたら、事務所が滅茶苦茶になっていた。「よりにもよってここを砲撃かよ、いよいよ戦争じみてきたな」

「ゲッ」と渡辺さんにより庇われていた長門がスマホを手に、「空港が謎の武装集団に占拠されたってニュースが……!」

「ヤバいな」健さんが呻いた。「これじゃ、もうじきマスメディアもやられるぞ。 一般人には関与しないって言う暗黙のルールがあったのに、今はガン無視かよ」

「どうする」渡辺さんが険しい顔をしている。「どこなら安全だ?」

「曼荼羅居酒屋は駄目だな、この分じゃ既に囲まれている。 この国の中枢部も攻撃されている……となると」虎弥さんが頭を抱えた。「……無い」

「一つだけあるよ」俺が言うと、みんな、えっ?て顔をした。

「どこが……?」ヒロがきょとんとしている。

じゃ、言うか。俺は口にした。

「御本家」

「「!!?」」


 「さっき虎弥さん言ったよね? 御本家に攻撃が集中するまで三日はかかるって。 それまでの間、みんな無事なんじゃない?」

「だが、御本家の連中は……!」健さんが言いかけて、ヒロに手を引かれて黙った。

「俺が御本家に入った事が知れれば、多少は攻撃の手も緩む。 だから御本家だって俺を歓迎するよ」

俺はあの、曼荼羅居酒屋で俺の手を振り回したり、俺を振り回したヒト達の顔を思い浮かべた。あの、笑顔を。

そして、カオルの顔を。

「だ、だがそんな事をしたら、君の退路は本当にどこにも無くなるぞ!?」

渡辺さんが青ざめた。

「それ以前に、三日も経たず先に御本家に攻撃が集中する」虎弥さんが言う。「御本家は徹底的に潰されるぞ」

さっきからうるさいな。俺は、『本音』を言ってやった。

「あのさー、御本家ってそんなに大事? 俺はそっちより今攻撃されているこの国の中枢部の方が可哀想に思える」

「「!!!??」」

「みんな御本家に頼りすぎだと思う、『俺は』ね。 みんな御本家の亡霊に縛られててさ、何か苦しそうだよ。 別に無くたって、いやむしろ無い方がさ、大戦とかが自然消滅するんじゃないの?」

「「……」」

「それに御本家が消えた所で、ヒトが人間の上に君臨してああだこうだ、って言うのも無さそうじゃん。 どっちが勝とうが負けようが、今の社会はそのまま維持されていく。 だって、人間が歯車やってんだからね。 それくらいヒトなら嫌でも分かるよ」

…………。

「……ふふっ」

一番先に笑い出したのはシロだった。

「そうだね、それも良いかも知れない」と微笑む。

「……それもそうだな」ぽかーんとしていた虎弥さんが、続けて笑った。「俺達が御本家にここまで固執していたのって、結局はアイゼン様が御本家にいたからだ。 もう、そのアイゼン様は死んだ。 だから今更固執したって意味無いぜ」

「良い案だな」健さんが白い歯を見せる。「おいヒロ、反対するか?」

「もう健さん、僕の浮気を疑うんですか!?」

「……御本家を無くす、か」渡辺さんが呆気にとられた顔をして、「流石だな、流石としか言いようが、無い」

「じゃ、行こう!」


 御本家は凄い御殿パレスのような建物だった。敷地の広さ、お城+庭園並だ。虎弥さん曰く、これでも地下にはもっと凄い建造物が広がっているのだそうだ。

「げえええッ!」門番をしていたのは、この前の潮って男の人だった。俺達を見て絶叫する。「な、何の用ですか、ここに、ここに、一体何の!?」

「クロヒメと会わせろ」と俺は言った。

「ひ、ひいッ!」と潮は逃げるように門に付いていた窓から消えた。それから一分後、「洞鏡様が、あ、会って下さるそうだ……」

門が開いた。


 「な、何の用だ」とその震えているデブは威圧的に上座から言った。「事と次第に、よ、よっては……」

痩せれば、それなりに美形だっただろう。だけど今は震えているただの肉の塊だ。

「端的に言う。 御本家を潰すために来た」俺は言った。

「な、な、何だとッ!?」

「今、この国の中枢部が混成軍によって攻撃されているのは知っているな? それが終われば次はここだ。 御本家の存在が攻撃目標であるならば、攻撃目標である意味を消せば良いだけの事。 後は分かるな?」

「そ、そんな事をすれば、そんな事をすればッ!」

「それが何だ。 お前も死にたいのか?」

「ッ!」

洞鏡は震えていたが、側にいた、ろうたけた美女がそっと耳打ちすると、

「そッ、そんな訳には行かぬ!」とけたたましく吠えた。

 「我ら数千年の長きに渡り栄えた御本家なり!」

 「それを当代で滅ぼすなど、とんでもない戯言タワゴトを抜かすでない!」

 「き、貴様らは処刑だ、処刑するッ!」

俺達は周りを屈強な衛兵に囲まれた。


 「出てこい」俺は言った。「出てこい、クロヒメ!」


 「私に何の用?」

洞鏡の後ろから、クロヒメが出てきた。豪奢な黒の着物を着ていて、毒々しいベニを唇に塗って女装していた。

「お前の取り巻き、邪魔だ、退かせろ」俺は言った。

「……君も。 良いね?」

俺はシロ達に目配せした。シロは頷いて、みんなと一緒に下がる。

「お、おひい様!」洞鏡が慌てた声を出すが、あのろうたけた美女に腕を引かれると、どこかに消えていった。


 「さて。 コレで良いね。 で、何の用?」

クロヒメは俺に近寄ると、ぐいと俺の襟首を捕まえて俺を間近に寄せた。

「お前に言いたい事があって来た」

「何ソレ?」

「お前」

俺はクロヒメの目を真正面から見据えて、言った。


 「お前は、んだな」


クロヒメはしばらく、息さえもしなかった。だが途端に吹き出して、感情的にうるさく笑った。

「何を言うかと思えばソレか! 下らない、下らない! そんな訳が無いじゃないの!」

とは言わないんだな」

哄笑がぴたりと止まった。

「……あ?」

「ここに来る間、シロからお前の事は全部聞いた。 お前は母親からさえ愛された事、一度も無いんだってな」

「……」凄まじい目、血走った目が俺を睨む。だけど、怯えるのは今じゃない。

「だから洞鏡とセックスして、女装して、愛されない本当の自分から目を背けている」

「でも本当のお前は寂しくて悲しくて死にたい」

「俺の兄貴や俺達の父親やお前の母親を殺したのだってそうだ。 愛してくれない人なんか要らない、そうだろう? でもそれで全てを失ったお前は、もう死にたいんだ」

「同じんだよ、お前は、俺と」


俺はあっという間に馬乗りにされて首を絞められていた。クロヒメはわなないていた。

「何が同じだ、何がお前に分かる、何がお前なんかに! お前なんかに!」

「ああ、俺が売春していたって知らないの?」

「!?」

「俺もそう、母さん死んでから親戚中をたらい回しになって挙げ句レイプされてさ。 死にたいって思いつつ売春してた。 いや」俺はクロヒメに言った。「そうやって出会った誰かの手で『殺して欲しい』と思っていたんだよ」

「殺して、欲しい……」

「お前もさ、そうじゃん。 混成軍に殺して欲しいんだ。 お前もさ、から」

「!」

「やっぱり、ね」俺はぐいと体を起こして、怯むクロヒメに突き刺すように言った。「本当は誰かに愛して欲しいから! 抱きしめるように受け止めて欲しいから! セックスの要らない愛を恵んで欲しいから! 自殺は出来ないんだ! だから他殺ばかりを願う! そうだろう! 俺も! お前も! 目を開けて見ろ!」

「違う、私は違う!」

「何が違う。 お前と俺の何が違う! 何もかも御本家なんかがあった所為で滅茶苦茶になったじゃねえか! 俺達の全てが! おい、潰すぞ、こんなクソッタレなモノは! 潰して初めて俺達は始まるんだ! ぐだぐだと死んでいる暇は無ぇぞ!」

「違う! は、は違う! は、ぼ……ッ!」

はっとした途端に、クロヒメは俺を突き飛ばした。だが俺は追撃した。どこまでも、しつこく!

「やっと『僕』って言ったな。 ……良い名前じゃん、カオルって。 『どうだ格好良いだろう』って全人類に全世界に誇れよ!」

「…………」


 「好きにしろ」ややあって、カオルはそう言った。「何もかも、お前の好きにしろ」

「……ああ。 そうする」


俺は上座とやらに座って、腹いっぱいの大声で叫んだ。

「今この時より! 御本家は解散とする! 以上!」

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