第2話 剣道サークル

 「ねえ、剣道サークルに入らない?」と言ってきたのはクラスメートの大和ヤマトだった。「初心者大歓迎サービス中なんだ!」

「え?」

「良いでしょ、清君。 君が入ってくれれば人数的に正式にサークルとして活動できるんだよ! だからさ、良いでしょ?」

「ええ!? 俺、嫌だよ」

「ちぇー。 今なら火野都ヒノト女学園の文化祭招待チケットが無料で付いてくるのに……」

「え!? 火野都女学園って、あの!?」

それは超名門女学校だった。偏差値は馬鹿高いけれど、着ている制服ももの凄く可愛いのだ。しかも通う女子生徒はこれまた美人揃いで……。

「ウチの武蔵ムサシ先輩が頑張って手に入れたのに……はあ、仕方ないか」と言って背中を向けた大和に、俺はすがり付いた。

「入るから! 入るってば!」


 剣道サークル顧問、シロ先生。

会長、武蔵先輩。

副会長、瑞鶴ズイカク先輩。

その他の面々、陸奥ムツ羽黒ハグロ山城ヤマシロ時雨シグレ、大和、そして俺。


 「はは、集まってくれて感謝する」と武蔵先輩は鷹揚に笑った。この人が、世界に名だたる武蔵財閥の御曹司で現役モデルで水之江学園始まって以来の天才児と呼ばれているのか。「俺は、ご存じの通りに生徒会長なんだが、どうしても剣道サークルをやりたくてな。 さて、まずは自己紹介から始めよう。 俺は武蔵綾嗣アヤツグ、趣味は美人のナンパと武道だ。 よろしくな」

「じゃあ次は俺だ」副会長の瑞鶴先輩が机に腰掛けたまま、手を上げた。「俺は瑞鶴慈朗ジロウ、どこにでもいる平凡な男子高生だが、好奇心だけは誰にも負けないぜ!」

「俺は陸奥リョウだ、大和に誘われて入った! ところで火野都女学園の文化祭のチケット、くれ!」

2-Aの問題児が元気よく喋った。続いて2-Dの変人が、

「僕は羽黒弘太コウタ。 僕の一族は元々が武家でね。 剣術もたしなみたいと思って入ったんだ」

「……俺は山城俊一シュンイチだ。 大和に誘われた。 以上だ」

……もの凄く根暗そうなヤツだ。

「僕は時雨トオル。 強くなりたくて入った。 よろしくお願いします」

とても礼儀正しい印象のヤツだった。

「はい、大和正人マサヒトです。 僕の兄も剣道をやっていたので、それで入りました!」

俺を誘った張本人が胸を張って言った。

「俺は葛城清。 大和に誘われたんだけれど、これから頑張るから、よろしくね」

それから俺達は、顧問であるシロを見つめた。

「……私は白奈儀と言う。 剣道はあまり得意じゃないけれど、剣道サークルの顧問として努力する所存だ」ここでシロはにっこりと微笑んだ。「悩み事や相談があったらいつでもどうぞ。 可能な限り、善処するよ」

「先生」最初に動いたのは武蔵先輩だった。「俺と付き合って、」

「言わせるかッ!」と瑞鶴先輩がその脇腹を蹴飛ばした。

「武蔵先輩、何て事を! そもそもだ、生徒と教師の恋愛は禁じられているじゃないか!」と羽黒が叫ぶ。

「だがシロ先生は本当に美人だぞ」陸奥の馬鹿が言った。

「黙れー!!!!!」大和が顔を赤くして陸奥をぶん殴った。

「こら、止めるんだ!」と時雨が止めようとするが、既に大乱闘が始まっていた。凄いカオス……。

「……どうせ俺には止められない……」山城のヤツが凄く落ち込んでいる。


 「止めなさい」


毅然とした声が響いたのはその時だった。

大乱闘が止んだ。

「先生が原因でこんな争いになるのならば先生は顧問を辞めさせてもらうよ。 ほら、お互いに謝るんだ。 そして二度としないと誓ってくれ」

「「……はい……すみませんでした」」

「じゃあ、まずは今後の活動目標と練習計画を立てなさい。 今日が何のためのミーティングか、忘れてはいけないよ」

「「はーい」」


 「ねえ」と帰りの道で、俺はシロに聞いてみた。「何で義理の弟って咄嗟に言ったの?」

「……」シロは少し黙った。「私の願望だ。 君が私の、義理で良い、弟ならば良かった、と思ってね」

「だからセックスしないの?」

「ああ。 兄弟と言うのは、セックスする関係じゃないだろう?」

「そっか。 アンタはまともなんだね」

「……。 まともかどうかは分からない。 だが、私は君が好きである事は間違いないよ」

「ふーん。 俺も」


 その日も俺達は一緒に寝た。シロの背中は、温かかった。


 シロは教え方が上手だった。国語の教師だけど、話し方がとても上手で、凄く分かりやすいのだ。

聞いている俺達が退屈しないように、話の中に上品な下ネタを混ぜたりする。

「与謝野晶子の代表作に『みだれ髪』がある。 その中には、この今に読んでも、思わず背後が気になるような歌が幾つもあるんだ。 『さはいえど君が昨日の恋がたりひだり枕の切なき夜半よ』とかね。 しかも女の子の前で読んでいても大体『文学的で素敵』と思ってくれるから、『みだれ髪』はお勧めだよ。 おまけに……おっと、これ以上言ったらセクハラになってしまう」

えー、その『これ以上』が俺達聞きたいんですけれど。

「さて、余談はこのくらいにして予習はしてきたかい? 夏目漱石の傑作、『こころ』本文か、もしくはその概要、ちゃんと読んできたね?」シロは俺達を見渡して、「じゃあ宗谷君、率直にその感想を言ってくれ」

「……後味が、凄く悪かったと思いました」

「そうだね、誰も救われない結末だ。 では何故夏目漱石はこんな結末にしたと思う?」

「……分かりません」

「そうだ。 これは作者本人にしか分からない事だ。 だが作者の目線に立とうと努力して読むと、現代文には強くなれる。 これに大事なのは小説に馴れる事、つまり読書する事だ。 ……ああ、長文を読むのが辛い君には、実は『チャタレイ夫人の恋人』と言う花実兼備の小説があるよ。 あまりにも破廉恥だと発刊当時は裁判沙汰にまでなった小説だ。 今ではコンビニに置いてある本の方が余程きわどいけれどね。 しかし、冷静になって読むと男性がこんな表現が出来るのかと驚くような文がいくつもあるんだ。 是非読んでみてくれ。 人間の想像力は本当に素晴らしいよ。 ……ありゃ、また脱線してしまった。 じゃあ、夏目漱石の『こころ』について、過去の入試の問題を例に考えていこう」

その日、図書館に行ったら、チャタレイ夫人の恋人とみだれ髪が既に貸し出されていた上に予約でいっぱいだった!


 何が初心者大歓迎サービス中だ!

俺は全身がズキズキと筋肉痛で悲鳴を上げているのを必死に動かしている。

それは他の連中も同じようで、休憩時間が恋しくてたまらないのか、もうギブアップなのか、フラフラだ。でも地獄のランニングはまだ終わるまで五分もある!

逆に平然としているのは運動系サークル出の武蔵先輩と瑞鶴先輩と大和と時雨くらいなものだ。

てっきり剣道って竹刀を振っていれば良いのかと思ったら、まずは基礎体力作りだった。

話が違うよ!

いい加減に苦しくて意識が飛びかけた頃、シロの、

「はい、終了」

……天使の声に聞こえたのは、俺だけじゃ無いはずだ。


 スポーツドリンクをがぶ飲みして、やっと落ち着く。

「死ぬ」

「うん」

「どうせ俺は駄目なんだ」

「剣道と言うのは一体何なんだ」

俺達四人は足が痛いとか目がくらむとか、ヒイヒイと喘いでいた。

ぐったりと休憩時間を過ごしていたら、武蔵先輩が俺にこっそりと声をかけた。

「なあ、清君。 阿賀野から聞いたんだが、君はシロ先生の義理の弟なのだな」

「はい、一応そうですけれど」

「気を付けるんだぞ」

「……え?」

「俺はこれでも紳士だから良いが、不知火シラヌイは一度気に入った相手はどんな手段を使ってでも我が物にする。 その時に君が利用されないように、な」

「不知火って……?」

「ここの風紀委員長だ。 だがずる賢い上に卑怯者で、誰からも嫌われている」

「……」

「まあ、いずれ君にも分かるだろう」

と武蔵先輩は言った。


 シロは甘い匂いがする。目を閉じていても匂いで分かる。興奮する匂いじゃないけれど、安心する匂いだ。ちょっと懐かしい感じがして、とにかく嫌いな匂いじゃなかった。


 「ようシロちゃん! 虎弥さんに健さん&ヒロ君も元気にしているか!」とその陽気な金髪の青年がやって来たのは俺達が事務所に帰ってきて、ご飯を食べようとした正にその時だった。

「ああ長門ナガトさん」とシロが面倒臭そうに、「ただ飯はありませんよ」

「もう食べてきたって! いつも酷いなあシロちゃん!」青年はからからと笑った。嫌味の無い、本当に爽やかな笑い方だった。歯が白い。「ところでさ、面白い話を聞いちゃったんだが」

「ご飯の後で伺いますよ」

「あいよ! あれ」とここで青年は俺に気付いた。「君は? あ、もしかして……!」と目を見張る。

「長門さん」と虎弥さんがのんびりと食前酒を飲みつつ、「清君です。 やっと、見つける事が出来ましたよ」

「おお!」と青年は俺の両手を掴んだ。キラキラした目で俺を見て、「そうか! 清君か! 俺は長門って言う、君の従兄だ! しがない心霊ルポライターさ! 畜生アイツに似ているなあ! あははは!」

「うわあ!」と俺は抵抗した。全力で頭をワシャワシャされたからだ。

「こら、長門さん」とシロが注意するとやっと止まる。

「お、ごめんごめん!」と上機嫌で長門は俺から離れたが、まだ興奮が収まらないらしく、虎弥さんのデスクの椅子に勝手に座って、「イヤッハー! ブラボー!」と何か叫んでいた。

「……何アレ」俺が呟くと、ヒロが、

「君の兄君の従兄の長門さん。 凄い大金持ちで、今はフリーターなんだけれど心霊ルポライターを名乗っているんだ。 ちょっと感情をオーバーに表現する癖がある。 でも性根は凄く素直で良い人だよ」

「ふーん……」

「それより、冷めないうちに食べよう」


 「さてと」食後の片付けも終わって、シロは長門に言った。「今度はどんな案件ですか?」

長門は真面目な顔をした。

「『曼荼羅マンダラ居酒屋』で、御本家が撤退したって案件の話を聞いたんだ」

「……」

「どうも御本家は『花鳥風月カチョウフウゲツ』を動かしたのに駄目だったらしい」

健さんがぎょっとした顔をして、

「『花鳥風月』が? アイツらが手を焼いて撤退したのか?」

「うん。 『祟り神』級の何かが出てきたらしい」

「……」虎弥さんが黙り込んだ。

「場所は地方都市の建設中の駅前高層マンションなんだ。 もう十数人も建設作業員が殺されているのに、肝心の御本家が撤退したんだよ。 となると太刀打ち出来るのは……。 どうか、シロちゃん達に頼みたい」

「良いですよ。 ただ、健さんやヒロ君を連れて行く事になりますから、報酬はしっかり払って下さいね」

「よしきた! これで百人力だぜ! 金でどうにか出来る事なら、喜んで払うさ!」


 リムジンなんて初めて乗った。

道中はてっきり作戦会議みたいになるのかと思いきや、俺は勉強しなさいって言われて、ヒロに勉強を教えてもらう事になった。

アイちゃん」と長門は時々、婚約者だと言うムチムチ(断じてデブじゃ無い、凄くエロい)の美女に、「大丈夫、酔ってない?」

「気分はあまり良くないですけれど、酔うまでは。 ……」とここで愛さんは健さんの方をちらっと見た。その目が怯えているようだったので、俺は不思議に思った。だって、健さんと来たらヒロに寄りかかって、だらしなく爆睡しているのだ。

「大丈夫だよ、愛ちゃん」長門は美女の手を握って、「健さんは良いヤツだ。 噂の方が暴走しているだけだって」

「……はい」

「あ、今日のマニキュア可愛いじゃん! 紺色に散らばる金の星って凄く素敵だ!」

ようやく美女は、少し恥ずかしそうに微笑んで、

「長門さん、止めて下さい、恥ずかしいですよ」

「生憎俺の半分はイタリア人だから恋人を礼賛する時に羞恥心なんか持たないんだぜ!」

「やだ、この人」と美女は顔を真っ赤にして伏せてしまった。


 現地到着の少し前。

健さんが突如、かっと目を開けて、その目が血走っていたので美女が小さく悲鳴を上げて長門に飛びついた。

「血臭がする」

これが健さんなのか?俺はぞっとした。とにかく、スパナを握って外車をいじくっていたいつもの健さんじゃ無かったのだ。

鬼気迫っていて、怖い!

「どこだ」とギロギロとどう猛に輝く目を動かしている。

「健さん、まだだよ」ヒロが健さんの腕にそっとすがり付いた。「まだだから。 ほら、ね?」

「ヒロか。 シロちゃんはどこだ」

「私はここですよ。 健さん、どうやら向こうの感知範囲内に入ったようです。 ここからは危険なので、私達だけで歩いて行きましょう」シロがそう言って、長門にリムジンを路肩に止めさせた。

「おい、全員生きて帰って来いよ! 一人でも死んだら金は払わないからな!」長門が言った。

「ええ、分かっています」シロは頷いて、リムジンを降りた。


 「ねえシロ」と俺は小声で訊く。「健さん、どうしたんだよ?」

「気が昂ぶっているだけですよ。 血と死の臭いに」

「そんな臭い、全然しないけれど」

「臭覚で分かる臭いでは無いんです。 君も、寒くも無いのに鳥肌が立っているでしょう?」

「!」

図星だった。俺も全身がぞわぞわとしていたのだ。

「――君は私が守ります」

そう言ってシロは俺の手を強く握った。俺も、絶対に離れないように握り返す。

「健さん、僕はここにいるから。 大丈夫だからね」

ヒロが健さんの腕にべったりと、いつもより絡みついている。

「……」だが、健さんは何も言わない。

その視線の先には、建設途中の高層マンションが夜の闇の中にそびえ立っていた。


 「あ!」

俺達がいよいよ近づいた時、高層マンションの側の資材置き場にある作業員休憩所の建物から、人が飛び出してきた。ガリガリに痩せた、三十路くらいのロン毛の男だった。

「あ、あなた方は……!」

ウシオさん、端的に状況を説明していただけませんか」シロが言うと、男は完全に萎縮した様子で、

「はいシロ様、実はですね、あの中で『冥門メイモン』が開いているのです。 元々は首塚があった場所を無理矢理にマンションにしようとした所為でして……。 『花鳥風月』が冥門を封じようとしたのですが、その時にちょっとしたミスで冥門が暴走を始めまして、何人も御本家の者まで呑まれてしまったんです。 それで、はい、撤退して結界を張ったと言う訳でして。 私が見張り役と言う訳でして」

「ちょっとしたミスとは何ですか」

「あのー、そのー、洞鏡ドウキョウ様が……ちょっとだけ、見栄を気にされまして……」

「見栄で飯が食えるなら誰も苦労しねえんだよ」健さんがぼそりと言った。ただし目は肉食獣のそれだ。

「ヒッ! ……はい、ええ、まあ、そうですねえ」

「では、少し私達が失礼しますよ。 ああ、結界はそのままで構いませんので」

「はい、シロ様。 どうぞどうぞ!」


 生臭い。それが俺の感じた臭いだった。建設途中の高層マンションが生臭いなんて、そんな変な事があるものか、と思ったけれど、でも凄く生臭い。

「これは凄い」

シロが呟いた時、変な音がした。べちゃ、べちゃ、と言う泥をコンクリート壁に叩きつけるような音だ。

「おや、歓迎が始まったようですよ」

間もなく、闇の中から『それ』の群れが姿を見せる。

腐りかけた人間の体を赤い粘液にまみれさせて、醜い触手を混ぜ込んだような、それは、

「         」

俺は反射的に絶叫しかけた口をシロに塞がれた。

「静かに。 冥門から這いずり出た『異形イギョウ』の尖兵です。 好物は新鮮な血と肉、そして驚異的な身体能力を持っていて、グリズリー程度なら一撃で葬ります。 おまけに並大抵の攻撃では死にません。 ただし」

健さんの左の手の平が青く光った。そこから妖しい紫に輝く日本刀がゆっくりと姿を見せる。

健さんがそれを抜いて構えた――次の瞬間。

異形の断末魔が無数にこだました。

死んだ異形が、しゅうしゅうと空気に溶けて消えていく……。

刀が鞘に収められる音。

俺は我に返った。

「健さん、素敵……」ヒロの恍惚とした声がした。「生まれる前から愛してる……」

「『殺神鬼サツジンキ』の前ではただの泥塊です」シロはそう言って、俺の口から手を離した。

あれほど数がいた異形が全て消え失せていく……。

「冥門の気配は上ですね、向かいましょう」とシロは作業用の階段に向かった。


 それは、まるで、地獄に続く穴みたいに、底なしで、どす黒くて、俺は本能的に怯えた。

『にくい』

『にくい』

『にくい』

『にくい』

憎悪、怨念、悪意、敵意。違う、『死』だ。『死』が、凝集している。

「イザナミノミコト」とシロが丁寧な口調で言った。「どうか黄泉へお帰り下さい」

『……』穴から一人の、全身が腐り果てた、長い黒髪の女が歩み出てきた。『誰じゃと思うたら、シロか』

「はい、私です」シロは恭しく一礼した。「一つ、お知らせしたい事がございまして、御前に参じました」

『何ぞ。 ヒカルの魂は相も変わらず黄泉にもおらぬ。 それとも現世で見つかったのかえ?』

「いえ、この子に見覚えはございませんか?」

『む……』女が俺をじっと見つめた。だが次の瞬間、『あなや! アイゼンやヒカルの匂いがするぞえ――!?』

「はい、そのもしもでございます。 アイゼン様にどうかこの事を伝えては下さりませんか」

『おお……! 良きかな、良きかな! かような吉報、黄泉ヨミの大神たる妾の心に眩き光が差したようぞ……』

「この事はクロヒメや洞鏡には断じて知られてはなりません。 どうぞこの子に貴方様のご加護をお授け下さいませ」

『シロや、誰が否むと思うたか! かくなる上は早々にこの冥門を閉じ、妾は黄泉へ戻らねばならぬ。 安心せい、その子が黄泉に来ようものならば妾が先だって追い出すわ!』

「……感謝申し上げます」

『洞鏡の奴めを見た時の気が触れんばかりの憤怒が、今では嘘のようぞ……』

ここで女は俺を手招いた。俺はちょっとためらったが、シロがぽんと俺の肩を叩いたので女に近づいてみた。

『ヒカルによう似ておる』女が目を細めた。『良いか、妾はお前が天寿を全うし、老いぼれの翁になるまで黄泉には決して入れてやらぬでな、覚悟せよ』

「……」頷いた。女の声が、態度が、凄く優しくて、まるで俺を愛おしむようだったから。

『よし、ならば行くが良い』

シロが一礼して、俺達はビルから出て行った。

「ねえ、シロ」と俺が言った時、シロはぎゅうっと俺を抱きしめた。

「あの御方はね、黄泉の大神であらせられる。 ……君のお父上も兄君もね、本当に不思議な体質でいらっしゃった。 『どんな相手からもいつの間にか好かれてしまう』、相手が穢れの塊であろうとも祟り神であろうとも、本当に何が何であろうといつの間にか愛されてしまったんだ。 だからね、その弟君である君に対しても、あのお二人を愛した方々は悪い感情なんて持っていない。 ただ、死の穢れはどうしても受けてしまう。 これをお食べなさい」

シロはそう言って、桃を取り出した。俺が受け取ると、それはパカンと二つに割れて、皮も勝手に剥けてしまった。

「う、うん」俺が一口かじると、今までのゾクゾクとした気持ち悪さがすうっと溶けるように消えていった。「あ……」

「さあ、帰ろう」とシロは微笑んだ。「今夜は変な夢を見るかも知れないよ」


 気付いたら、変な場所にいた。見た事もない不思議な部屋の、見た事もない変な椅子に座っていて、目の前には大きな円い鏡があった。

その鏡の中に、母さんと、会った事も無いのにやたら懐かしい男が並んで立っていて、ちょんと手を繋いでいて、俺を優しい目で見つめていた。

『幸せになってね』

そんな声が、聞こえた気がした。


 一晩寝たら健さんは元に戻っていた。

俺は朝から車をいじっている健さんに聞いてみた。

「健さん、あのさ、」

「俺のあれは体質なんだよ」健さんは車体の下に潜り込んでいる。「スイッチが入るっつうの? 一度ああなったらヒロじゃねえと俺を鎮められねえんだ」

「セックスするの?」

「まだしてねえよ」

「いずれはするんだね」

「……ヒロがその気満々だからな。 おまけにああなった俺は理性の九九%が吹っ飛んでいる」

「ふーん……健さんが殺神鬼だとしたら、ヒロは何なの?」

「あー、凄く分かりやすく言うと俺専門の吸血鬼みたいな?」

「でもヒロ、日光に当たっても全然普通じゃん」

「だから厳密には吸血鬼じゃねえんだよ。 ヒロの一族はな、カンナギなんだ。 巫ってのは、神霊を己の身体に降ろして予言したり術を使ったりする司鬼の事だ。 つまり、そう言うものを受け止められる『器』を生まれつき持っている」

「ふんふん」

「だけど、ヒロは予言で『神霊を宿せない子』って言われてて、産まれると同時に一族から追放される予定だった」

「え!?」

「アイツら閉鎖的で頑固極まりないからな。 で、それを不憫に思って『よしウチで育てるから寄越せ!』つったのが君のお父上だった。 実はその頃俺もお父上に引き取られててな、でも問題児だったんだ。 昨日の俺のアレ、感じただろ? 俺の『気』はスイッチが入ると周辺一帯を焼き尽くして俺が力尽きるまで止まらないんだ。 だから俺も捨てられたんだがな。 で、産まれたばかりのヒロを暴走する俺にくっ付けたらどうなったと思う?」

「へえ、凸凹が合わさって上手く行ったんだ」

「そうさ。 ヒロは上手い事俺の濁流みたいな『気』を吸い取ってくれた。 おかげで俺はスイッチの切り替えが出来るようになった。 ヒロはヒロで俺の『気』を吸って元気いっぱいに育つ。 吸血鬼風に言うと、血の気が多すぎる俺から血を吸って冷静にしてくれるんだよ、アイツ。 で、俺達はずっと二人三脚で来た訳だ」

「へえ。 まるで家族だね」

「ああ、アイツ俺の嫁だから」

「……嫁なんだ」

「生まれる前から俺の嫁」

「それ犯罪じゃないの?」

「ヒロがそう言っているし俺もそう思っているだけだって」

「うーわー。 俺、胸焼けがしてきたよ……」

「うるせーな、好きなもんは好きなんだよ。 ちなみに新婚旅行は箱根に行ったぞ。 ヒロが三歳の時だ」

「へー」

「ちょっと、そこ、それ以上のろけないで下さい」シロが呆れた顔をしてやって来て、「ヒロ君が布団をかぶって震えているのでもう止めて下さい」

「あーごめんごめん。 ヒロ、愛しているぞー」

「――ああああああああああああああ!!!!!」凄い音量で絶叫しつつヒロが階段を凄い勢いで駆け下りてきた。「馬鹿! 健さんの馬鹿! 愛してる! 馬鹿!」

顔を真っ赤にして魂の底からの愛の絶叫をすると、また、もの凄い勢いで学校の方へ走って行った……。

「朝からやかましい」と探偵事務所の向かいの古本屋『那由多ナユタ古書店』の店主、妙高ミョウコウさんが不機嫌そうな顔で出てきた。黒縁眼鏡を面倒そうに持ち上げて、「営業妨害で訴えるぞ、本当に」

「どーせお互い閑古鳥がぴいぴい鳴いているんだから良いでしょうが」と健さんが返す。

「そっちは小鳥の求愛の歌の間違いじゃ無いかね?」

「俺達既に事実婚なんで」

「……駄目だ。 相変わらず、君らとはどうも気が合わん。 シロちゃん、虎弥さんはどこだね?」

「この騒動に気付かず爆睡していますよ、起こしましょうか?」シロが軽くため息をついた。

「仕方ない。 諦めよう。 ただ、昨日実入りがあったんだろう? 何かウチの本を買ってくれれば……」

「貴方も本当にあくどいですね」

「シロちゃんに言われたくは無いな」

「あ」と俺は言った。「面白い本ある? 俺、本読みたいんだ」

「ほほう、どんな本が読みたいんだね?」妙高さんが急にご機嫌になった。

「うーん。 読んでいると超格好いいって言われるような本」

「よしきた。 それじゃ、ウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』はどうだい? 最高に格好良くて読みやすいが理解は難しく、だがとても重要な本だよ」

「それにする」


 言われたとおりに確かに格好良い。でも、理解するのは大変だ。俺はシロが運転する車の中で読みつつ、頭が痛くなってくるのを感じた。でも、悪い痛みじゃ無かった。

「ねえシロ」

「どうしたんだい?」

「箱根行かない?」

「丁寧にお断りしよう」

「語りえぬものについては沈黙しなければならない」

「素直に悲しいと言えば良いだろう」

「素直に俺が悲しいって言っても箱根行かないんだろ」

「そうだね」

「ちぇ」


 虎弥が昼寝から起きると、その女は既に探偵事務所の中を物珍しそうに見物していた。

「何だ、お前か」と虎弥は面倒臭そうに言った。「御本家の『蔵人頭クロウドノトウ』がこんな所で何やってんだ」

「『冥門』を閉じたそうね。 流石、と言うしか無いわ」女は振り返った。ろうたけた美女であった。「それに私はもう『参議サンギ』よ」

「俺は何もしていない。 健とヒロとシロちゃんさ」

「……貴方が何もしていないなんて事は無いでしょう。 『左大臣サダイジン』だった貴方の事だもの、あの子達が実力を行使するために必要な事務的手続き、全部やったわね? 交通規制からその他全てを」

「あーはいはい、したって言えば良いんだろうが」

「……素っ気ないのね」

「俺はお前も嫌いだからな」

「まだクロヒメ様も嫌い?」

「この手で殺したい」

「……そう」

女は黙って、出て行った。虎弥はぼそりと、

「殺すどころかケツ穴に核弾頭ぶち込んでやりたいくらいだ」と言った。


 シロが俺の義理の兄だって言っている所為で、俺は『頼むからお兄さんのメルアドを教えてくれ!』としょっちゅう絡まれるようになった。

俺は散々苦労して断っていたけれど、ある日、ついにソイツに絡まれた。

「薄情な事言わないでさ、私に教えてくれないかな?」

「嫌だよ」と俺は断って逃げようとしたけれど、腕を捕まれて壁に叩きつけられた。

「君に拒否権なんか無いんだよ」とソイツは顔を近づけて来た。サメみたいな目をしていた。「君なんかに、拒否権は、無いんだよ?」

やばい、コイツはやばい!目の瞳孔だって完全に開いている!狂っている!俺の背筋が冷えた時だった。

「あ?」

誰かの不機嫌極まりない声がした。

「……何やってんだクソ野郎」

「ッ!」俺を壁に追い詰めていたクソ野郎が飛び退いた。「畜生、覚えていろよ!」

素早く逃げていく後ろ姿。俺はほっとした。それから、不機嫌そうにガムをクチャクチャ噛んでいる暁を見る。

「……」暁は何も言わずに通り過ぎようとした。だから俺は言ってやった。

「助けてくれてありがとう」

「……不知火が大嫌いなだけだ」

「アイツが不知火なんだね」

確かに、武蔵先輩の警告以上に、危険そうなヤツだ。

「……噂はもう聞いているんだな」

「ほんの少しだけ。 風紀委員長がアレだなんて最悪だね」

「……ヤツは大物ヤクザの御曹司だ」

「ひえっ」俺はわざとらしく肩をすくめた。「気を付けるよ、ありがとう」

「……」暁は何も言わず、行ってしまった。


 「どうも君も難儀しているようだね」とシロが帰りの車で言った。「私の連絡先について質問攻めに遭っているらしいじゃないか」

「うん。 でも教えたらアイツら、シロにメール攻撃するだろ?」

「フリーメールのアドレスでも取得しよう。 あくまでも教師としての、ね」

「そうしてよ。 今日俺、不知火ってヤツに絡まれて大変だったんだよ。 たまたま暁が助けてくれたから良かったけれど」

「不知火湊人ミナト、この国最大の暴力団、不知火組の跡取りだね」

「うげー。 シロ、気を付けろよ。 そんなヤツにまで狙われているんだからさ」

「私は良いのさ。 問題は君だ。 君が無事なら、私はどうなろうと構わない」

「……」俺はここで、ずっと持っていた疑問をぶつけてみた。「あのさ。 どうしてシロ達『遺臣』は俺に対してそこまで尽くそうとするの? 俺は親父や兄貴の顔さえ知らないし、御本家なんかどうだって良いんだよ? なのに、どいつもこいつも、あのイザナミってヤツでさえ、俺を……」

「君が幸せになる事、幸せである事」シロがいやに無感情に言った。「それだけが私達の悲願なんだよ」

悲願。凄く重い言葉だ。俺はついに違和感や疑惑を言葉にする。

「ずっと考えていたんだけれどさ。 俺の親父や兄貴って何で死んだの?」

「……」

「答えてくれないなら俺、言うよ。 殺されたんでしょ」

「……」

「シロ達は親父や兄貴が大好きだったから、それで御本家を離れた。 そしてずっと俺を探していた。 俺、兄貴にそっくりらしいね。 死んだ兄貴の代わりに俺を幸せにしたいんじゃないの?」

「……」

「ぶっちゃけ、俺、兄貴が死んで良かったよ。 だって代わりに俺が幸せにして貰えるんだもん」

「違う、それだけは違う! ヒカルが生きてさえいれば、君だって、」

シロが酷く感情的に言ったのを、俺は遮ってこう言った。

「俺の母さんも死んだんだよ」


 丑寅探偵事務所に帰った途端に俺はヒロにビンタされた。よろめいた所を胸ぐら掴まれて、

「シロさんに何て事を言うんだ!」

今にも泣き出しそうな顔をして、怒鳴られた。

「盗聴? 良い趣味してるじゃん」

「何とでも言え! ……あのね、シロさんはヒカルさんと恋人同士だったんだよ」

「!」

「本当に愛していたんだ。 だから、ヒカルさんが死んだ時からしばらく、正気じゃ無かった」

「……そう」

「正気に戻ったのは君の存在を知った時だ。 もうシロさんには君以外に生きる理由が無いんだよ!」

「……」

「謝りなよ。 早く」

そう言い捨ててヒロは俺を放した。


 謝れと言われても、どう謝ったら良いのか分からなくて、俺は自室にこもった。

「……」

膝を抱えて布団の上にうずくまる。

「悲願とか言われたって、俺……どうしようも無いじゃん」

泣けてきた。ごめん、ごめんなさい。

「義理の弟とか言わないでさ、俺だけを見てよ、愛してよ」

セックスがしたい、シロだけとセックスがしたい。

「他の誰のものにもならないで、俺だけのシロでいてよ」

さびしい。気が狂いそうなくらいにさびしい!

「お母さん、助けて」

俺は泣いているうちに疲れたのか、寝ていた……。


 気付いたら真夜中だった。俺には毛布がかけられていた。

恐る恐る部屋から出て、シロの部屋に向かう。

『……』誰かと話しているのだろうか?シロの部屋から声が聞こえる。『……』

雪風ユキカゼ様の所為じゃないでしょ』あれ、女の声?

『雪風様は、だが……』誰だろう、こんな声の男知らないよ。

『流石に綾波アヤナミ様や皐月サツキ様、磯風イソカゼ様のようにキッパリと、と言う訳には行かないでしょう』

赤城アカギ、現状がそうだとは言え我々はどうすべきだろうか』

青葉アオバ、しっかりなさい。 取りあえずは雪風様を起こしましょう。 葛城様もいらしたようだし』

シロのうめく声。同時に、二人の声が聞こえなくなった。

俺は思いきって、ドアを叩いてみた。

「……どうぞ」シロの声。

俺はドアを開けるなり言った。

「シロ、あの、ごめ、!」

シロはほとんど裸だった。ワイシャツ一枚でソファに寝ていて、後は……。本当に真っ白い身体で、俺はどくりと心臓があおった。そして案の定、部屋にはシロしかいなかった。

「……風邪引くよ」何だろ、どうしたんだろ、シロが直視できない。

「そうだね、シャワーを浴びてくるよ」

「うん」

「君も後で浴びた方が良いよ」

「うん。 ……あの、シロ」

ごめん、と言おうとした瞬間、凄い力で俺はシロに抱き寄せられていた。シロが俺を抱きしめて、胸に耳を当てている。俺の加速した心臓の音を聞いている。

「良いんだ」

「……シロ」

「君がここにいる、それだけで、私は」


 「あのさ」と陸奥が超ストレートに聞いてきた。「あんな美人が義理の兄で、お前ムラムラしないのか?」

俺は飲んでいたプロテイン入りのスポーツ飲料を全部吹いてしまった。

「何でだよ!? 何でそうなるんだよ!?」

「おーおー、顔が赤いぞ?」瑞鶴先輩がにやついている。

「人前で変態的質問されたら誰だって顔くらい赤くなるってば!」

「若いねえ」妙に悟った事を言うのは羽黒だ。「若いとは素晴らしい。 おごりの春の美しきかな、だ」

「そう言うの、同い年に言われたくないよ!」とは大和が叫んだ。

「止めなって」時雨がフォローしてくれた。お前何て良いヤツなんだ!「義理とは言え兄弟なんだ。 そもそも先生には恋人がいたらしいじゃないか。 変な邪推は良くないよ」

「……」シロの恋人は俺の兄貴だったらしいが。

「どうせ先生は俺になんか振り向いてくれないさ……」山城のヤツは今日も暗い。

「ってかさ」俺は試しに聞いてみた。「お前ら全員ホモなの?」

「俺はシロ先生相手ならホモにでも何にでもなる」すげー、武蔵先輩、堂々と返してきた。「掘るか掘られるか、それだけが問題だがな」

「……そうですか」

「うむ。 愛があれば意外と問題は少ないのだ」

「はあ」

「ところで清、シロ先生のぱんつをレンタルしてくれないか」

「はあああああああああああああああああああああ!?」

「立つか立たないかを確かめない事には愛を唱えるのも不安なんだ」

「……武蔵先輩、全力でお断りしても良いですか」

「何だ素っ気ない。 アイドルの写真をくれと言っているようなものだ」

「パンツは写真ですか」

「用途としてぶっかけられるのは同じだな」

「もうやだ、何で俺ホモに囲まれているんだろう……」

「ははっ、冗談だ。 安心しろ、俺はこれでも紳士だからな」

「……色々と、無理です」

そう言えば、と俺は変に思った。シロがこんなにモテるなら、ヒロはどうしてモテないんだろう?ヒロだって相当な美少年なのに。

武蔵先輩に聞いてみた。

「あのう、ヒロさんって人、」

途端に俺は武蔵先輩と瑞鶴先輩に口を押さえられていた。ぐえ、苦しい。

「言うな!」ガタガタ震えつつ、二人が言った。

「あの子は確かに美人だ、だがちょっかいを出した男が全員地獄を見ているんだ!」

「近づくな、言うな、下心を持つな!」

「あ、あのー、地獄って?」

大和が不思議そうに言うと、

「一人目は家が全燃した。 二人目は家族全員が謎の奇病にかかって苦しんだ。 三人目は家にダンプカーが突っ込んで大騒ぎだ。 手を出そうとした教師は階段から転落して両足両腕を骨折した。 とにかく下心を持って関わるな! 地獄が待っているぞ」

瑞鶴先輩から驚愕の言葉が出てきた。

「もしかして、それって、高等部の1-Dのあの美人すか?」陸奥が目を丸くした。

「そうだ。 あの子は、祟るぞ」武蔵先輩は震えている。

確かにヒロなら容赦なく祟りそうではある。

「ひえー、美人なのになあ」と陸奥は悲しそうに言った。

「おまけに、だ」瑞鶴先輩が、本気の顔で、「ハーレーダビッドソンに乗った凄いイケメンの愛人、らしいぞ。 阿賀野が言うには『ハリウッドスターが全員真っ青』なイケメンらしい。 俺達が束になろうと敵わないってさ。 もう諦めるしか無いだろ……」

実際は愛人じゃ無くて嫁だけれど。まあ確かに健さんはイケメンだ。つか、ハーレーも持っていたのかよ。

「そ、そうなんだ」

「どうせ俺は誰にも相手にされない……」山城、うぜえ。

「あれー? シロ先生ここにいないんですか?」

そこにヒロが登場したから、俺達は凄く驚いた。

「な、何の用かな、ヒロ君」と武蔵先輩が瑞鶴先輩の背後から訊ねた。瑞鶴先輩はこの卑怯者!って顔をしていた。

「僕も剣道サークルに入りたくて!」

先輩二人の顔が『全力で断りたい』って顔になった。だけれど、空気を読まない陸奥が、

「おう、一緒に頑張ろうぜ! シロ先生が来たら、頼んでみれば良い!」

先輩二人の顔に『絶望』が浮かんだ。

「そうだね、意欲があると言う事はとても良い事だ」羽黒も全然空気読んでない。

「あ!」ここでヒロは凄くわざとらしく俺に気付いた。「清君じゃないか! うわあ奇遇!」

「あれ、知り合いなのですか?」と聞いた時雨に、

「うん、同じアパートに住んでいるんだ! ご近所さんなんだよ!」

いや、そりゃそうだけどさ。

「清ってさ、本当にこんな美人な方々に囲まれていてムラムラしないの?」大和が疑わしげに俺を見る。

シロに関しては……だけど、ヒロは違うよ。それだけは胸を張って言える。

「(ヒロに対しては)全然しないよ」と俺は真面目に答える事が出来た。

「どうせ俺は」山城がひたすらウザい。


 ヒロ、滅茶苦茶強かった。

俺達の中でトップ三だった武蔵先輩、瑞鶴先輩、時雨がボコボコにされた……。

動きが見えない。気付いた次の瞬間にはこっちの身体が吹っ飛んでいるか、一本取られている。

「ヒロ、お前何でそんなに強いの?」

サークルが終わった後、俺はこっそりと聞いてみた。

「え? これでも僕は弱い方だよ?」

「マジか」

「健さんが暴れると高層ビルなんか簡単に倒壊しちゃうし」

「そっちと比べてかよ!」

「虎弥さんと同じくらい弱いかな、僕。 虎弥さんも事務方だったから、あんまり実戦経験が無くて。 でもあの人若い頃はかなり荒れていたみたいで、外国でストリートファイトばかりしていたんだって、人に言われて恥ずかしくて泣いていたっけ。 あ、シロさんと健さんは凄く強いよ。 多分やろうと思えば大災害起こせるんじゃないかな、特にシロさんなら」

「……」

「でも君のお父上や兄君はもっと凄かったよ。 羨ましいくらいにね」


 「シロ」家に帰って、シロに教わりつつ勉強していたけれど、ちょっと集中力が切れた。俺はふと言ってみる。

「どうしたんだい?」

「俺の兄貴、強かったの?」

「強かったね。 まぶしいくらいに強くて、頼りがいがあって、いつの間にか人の輪に囲まれていた。 個人の戦闘力と言う意味では平均的だったけれど、あのお人柄と言い人徳と言い、尋常じゃなかった。 どんな荒くれ者でもいつしか慕ってしまうし、お指図を聞いてしまうのさ。 御本家の頂点に君臨するに誰よりも相応しい御方だった」

「人間として、強かったんだ」

「そうだね」

「……俺も強くなるから」

「君はもう大丈夫だよ」

「俺もシロが好きなの」

「箱根は駄目だ」


 シロがフリーメールのアドレスを公開した次の日だった。

勉強とか真面目な悩みの相談ならシロは受け付けるけれど、下ネタとかそう言うのは削除する。

下半身の画像を送ってきた大変態が何人もいた。シロは容赦なく、『小さくて赤ん坊みたいで可愛いと思います』と返信したので、次の日は学校が阿鼻叫喚だった。屋上から泣き叫びつつ飛び降りようとした生徒数名が出たのだ。

お前らかよ。俺は阿賀野先輩に事情を説明してやった。一時間後にはソイツらは学校中から笑い物にされていた。

「シロ先生もえげつないなー」阿賀野先輩はぽつりと言った。「真面目な相談にして良かったよ」

「真面目な相談?」

「俺、高校出たら働こうかなって」

「……」

「俺な、養子なんだ。 だけど俺を貰ったら弟が二人も生まれた。 だからずーっと要らない子な訳。 体裁を気にして孤児院には戻されなかったけれど、戻された方とどっちがマシだったのやら」

「じゃあ先輩も先輩自身が要らないの?」

「馬鹿。 要るに決まっているっつーの」

「じゃあ答えなんか決まっているじゃん。 クソ親から金ぼったくって大学行って良い所に就職してうんと幸せになる」

「……」

「先輩が先輩を必要だって思っているなら、間違いなく先輩の事必要だって思ってくれる人、現れるし」

「何か見てきたような事を言うなあ、お前」

「俺がそうだったんだもん」

「……あっそ。 シロ先生はもう少しオブラートに包んでくれたのになー」

「ふーんだ」


 シロが出会い系サイトを使わない約束で、俺専用のスマホを契約してくれた。

「わーい」俺は早速アドレスを登録する。シロに虎弥さんに健さんにヒロ、先輩ズやサークルの仲間やそれからそれから。

「エロサイト見てぼったくられんじゃねえぞ」そう言った健さんがヒロに尻をつねられたらしく、飛び上がった。

「もう。 僕がいるのにえっちなサイトを見て三回も高額請求されたのは誰でしたっけ?」

ヒロの笑顔がこええええええええええええええ!!!!!!これはガチで祟るよ……。

「あ。 う。 ごめんなさい」

「……赦してやれよ」虎弥さんが呆れた様子で言う。「実際に浮気したらちょん切れば良いだけだろ」

「そうですね、そうします!」ヒロの満面の笑顔がただひたすらに怖い。健さんは恐怖を通り越し、既に悟りの境地に入っている顔である。

「あ」と俺は武蔵先輩からメールが届いたので、開けてみた。

『火野都女学園の文化祭の日程だが』おおおお何と言う嬉しいメール!『シロ先生のえろ写メを送ってくれたら教えるとしよう』

却下。俺はちょっと虎弥さんに頼んで、毛でもじゃもじゃしている太い足を絶妙なアングルで撮らせてもらった。

よし、送信っと。すぐに返信が来た。

『(泣) セクハラにグロ画像で応報しないでくれ!』

『あれがシロの足です』

『何だと! ギャップに興奮するな、良いぞ良いぞ』

『嘘でーす』

『この鬼! 人でなし! 獣! 俺は本気で泣いている』

『良いから日程を教えて下さい。 さもないと次は胸毛(剛毛)行きますよ』

『うう、分かった……』


 一番凄かったのは山城のメールだった。アイツ根暗なのに、メールが何かもうお花畑ってレベルでキラキラしているのだ。

顔文字、絵文字、キラキラ記号、可愛い画像まみれ。

すげえな、アイツ。うん、凄い。

俺は色々と感心した。


 火野都女学園の文化祭の日がやって来た!

ヒロは行かないと言い張った代わりに、

「僕は嫌だけれど、代わりにシロ先生を引率として連れて行けば良いと思うよ」と言った。「女の子が嫌でも寄ってくると思うし、両手に花じゃん」

「採用」

「賛成」

先輩二人がによによ顔で頷いた。

 火野都女学園は水之江学園と同じくらい立派な校舎だったけれど、何と言うか、『要塞』みたいな印象を受けた。何でだろうと思っていたら、シロが、

「ほら、最近、不審者が校内に侵入する案件があるだろう? ここも、一度そう言う事件が起きてね。 大騒ぎになったんだ。 だから文化祭も選ばれた人しか入れないようになっている」

「そっか、大変だったんだな……」

「何の話?」と時雨が首を突っ込んできたので、俺は説明した。

「ああ、一昨年の!」と時雨は納得した顔をした。「酷い事件だったんだよ」

「どんな事件だったの?」

「ここだけの話」と時雨は声を潜めて、「女の子に乱暴を働く最低野郎が人質をいっぱい抱えて立てこもってさ。 ほとんどテロみたいなものだったんだ……女の子が何人も病院に運ばれたんだって。 死者も出たらしい」

「うわあ……酷い」

「何故か、あまり報道はされなかったんだけれど、とにかく酷い事件だったみたいだ」

「……」嫌な話聞いちゃった。俺は首を振ると、瑞鶴先輩に聞いてみた。「武蔵先輩、まだですか?」

すると瑞鶴先輩は忌々しげに腕時計を見て、

「アイツの遅刻の理由は分かっている」

「……何ですか?」

「アイツは致命的に私服のセンスがダサいんだ。 酷い時はパジャマにぼさぼさ頭で来た。 だから、今頃は使用人の人達が必死に結集してそれなりにセンスの良い服を着せている所だろうよ」

「えー、武蔵先輩あんなイケメンなのにマジですかそれ……」

「マジだ。 俺はちなみにアイツのパジャマ姿に絶句した。 苺柄のファンシーなパジャマだったんだよ……」

「ご心中、お察しいたします」俺は同情した。

「へえ、武蔵先輩って服のセンスが無いのかい?」羽黒が呆れた様子で、「意外と言えば意外だな」

「無いんじゃ無い。 根本から壊滅しているだけだ」瑞鶴先輩……。

「どうせ俺よりは酷くないだろうさ」山城が地味にウザい。ちなみにコイツ、シャツとジーパンと言うありふれた格好で来ている。メールはキラッキラなのになあ……。

「それにしても変じゃないか?」と言ったのは陸奥だった。「文化祭ってもっと派手で騒がしいものだと思っていたんだが」

「まだ始まっていないんじゃない? だって今、丁度九時だもの」と、大和が腕時計を見た。

そこにリムジンが突っ走ってきて、武蔵先輩を降ろすと去って行った。

「いやあ済まない済まない、何だか執事の酒匂サカワが俺の身支度を調えるのにいやに時間をかけてなあ」

……。

俺達は絶句していた。

そりゃそうだ。

どどーんと、紋付き袴。

ごめん、あのさ、執事の酒匂さん?

貴方のファッションセンスも相当だと思う……よ。

「それじゃ、行きましょうか」と顔色一つ変えずに言ったシロは流石だった。


 うん?と武蔵先輩が変な顔をしたのは、俺達が待ち合わせ場所のコンビニの駐車場から横断歩道を渡って火野都女学園の正面門に近づいた時だった。

「変だな。 いつもいるはずの守衛がいない。 折角招待券を持ってきたのに、どこで見せれば良いんだ?」

「――!」

シロが形相を変えた。これは、まさか。俺もこの気配を知っている。この前と同じだ!

「武蔵君、お願いがあります」とシロは切羽詰まったような声で言った。

「せ、先生?」

「このまま皆をさっきのコンビニの駐車場へ連れて行って、そこで警察を呼んで貰えませんか。 何が見えようと聞こえようと、絶対にこの校舎に近寄らないで下さい。 お願いできますか?」

「警察!?」瑞鶴先輩が形相を変えた。「先生、何が起きているんです!?」

だが武蔵先輩はすぐに頷いて瑞鶴先輩の手を引いた。

「警察は何と言って呼べば良いですか、先生?」

「『火野都女学園で第ゼロ次系事件が発生している』、これですぐに警察は来てくれます。 大騒ぎになりますが、気にしないで、絶対にこの校舎に近寄らないで下さい」

「分かりました。 おい、行くぞ!」

それで俺達は色々な疑問や謎を抱えつつもコンビニまで戻った。シロが走って行く足音を聞きながら。

武蔵先輩が警察に連絡すると、

「シロ先生、どうしたの!? 何が起きているの!?」と大和が武蔵に目を白黒させつつ訊ねた。

「いや、な」と武蔵先輩は言った。「『第〇次系事件』、と言う言葉を俺は一度だけ聞いた事がある」

「一体何なんですか!?」時雨も身を乗り出した。

「『人間の起こした事件でも自然災害でも無い事件』だそうだ」

「何だそれは!? じゃあ一体何があの火野都女学園で起きているって言うんだ!?」

羽黒が血相を変えた瞬間、

――凄まじい爆発音。コンビニのガラスが震える。咄嗟に校舎を見たら、煙が上がっていた。

「……先生は大丈夫なのか」山城が、呟いた。

「駄目だ、俺は先生の無事を見に行く!」陸奥が叫んで走り出そうとしたのを、武蔵先輩がタックルで止めた。

「先生は『第〇次系事件』と言う言葉をご存じだった。 つまり、俺達よりは遙かにあの校舎で起きている事に対応できる知識をお持ちだろう。 この意味は分かるな?」

武蔵先輩、冷静だ。

「だ、だけど」と陸奥が言い張ろうとした時だった。

「――あッ!」大和が絶叫した。「あの子が危ない!」

咄嗟に正面門を見た俺達は、きっと遅刻したのだろう、火野都女学園の制服を着た女の子が鞄を持って、慌てて駆け込もうとしているのを見てしまった。

「「待って! 君、待って!」」

俺達は我先に道路を渡って駆け寄り、女の子に声をかけた。だが女の子は俺達が集団で叫びながら来たので悲鳴を上げて中へと入ってしまう。

「「ああああああ!」」

俺達はなし崩しにその後を追いかけた……。


 「な、何なんですか貴方達! 私に何の用ですか!?」

玄関の中でやっと追いついて捕まえた女の子は、当然ながら抵抗した。

「いや乱暴な事をしてすまない。 さっきの爆発音は聞かなかったのか?」

武蔵先輩がハンサムスマイルで言うと、急に女の子の態度が軟化する。ちぇー。イケメンはこれだから畜生。

「あれが聞こえたから、私、急いで学校に入ろうと思ったんです」

「いやいや、俺達はコンビニにいたのだが、この学校からその爆発音が聞こえたんだ。 そこに君が駆け込もうとしたから、危ないと思って止めようとした」

「あっ、そうなんですか!? そ、それじゃすぐに――」

――ガシャンガシャンガシャン!

ぎょっとして振り返った俺達の眼前で、窓ガラス及び出入り口全てのシャッターが落ちた!

いきなり暗くなった中、天井の明かりが点く。

……べちゃ、べちゃ。泥が這いずるような音が接近してくる。

廊下の、向こうから、だ。

「これはおかしいな」瑞鶴先輩が青ざめつつ言った。「ここがお化け屋敷だなんて俺達聞いていないんだが」

「えー、そうですかあ?」妙に明るい声で女の子が言った。「ウチの文化祭に沢山来てくれてありがとうございます! 盛大にお持てなししますね!」

「お、おい」陸奥がぎょっとして女の子を見た時、だった。

「貴方達の美味しそうな血とお肉で♪」

女の子の上半身が真っ二つに割れた。

そこから赤い触手が無数に生え、そして舌と巨大な牙ががちがちと噛み合う!

『異形』!?俺は血の気が引いた。

「逃げろ!」咄嗟に俺は傘立ての、手近にあった傘を『異形』に片端から投げつけていた。傘の一つが、異形の『足』に絡まり、一瞬だけ、異形の動きが遅くなった!


 『こっち!』


 俺達はその声のした方に、我先に逃げていた。

どうにか逃げ込んだ理科実験室で、俺達は今更恐怖がこみ上げてきた。

「俺達まんまと罠にはまったな」陸奥が言った。「シロ先生、『何を見ても聞いても近づくな』って言ってくれたのにな……」

「これからどうしたものか」羽黒が真っ青になっていた。

「シロと連絡、取ってみる」俺はスマホを出した。電話をかけようとして、

『殺してやる』

「「!?」」

スマホからとんでもない声が流れた。

『全人類殺してやる』

スマホが、勝手に喋っている、俺は何もしていないのに。

俺がそう言うと、全員凍り付いた。

『絶対に逃がさない、皆殺してやる』

「な、何だよコレ!?」大和が小声で叫んだ。

「……」山城がわなないた。

『あははははははははははははははははははははははは!』

けたたましい笑い声と同時に、ぷつりとスマホの電源が落ちた……。

「と、とにかく、外と連絡を取らないと」時雨が言った時だった。

……べちゃ、べちゃ。

俺達は咄嗟に固まって教卓の後ろに隠れた。

がらりと理科室のドアが開く音がした。

『どコにいっタのオオ? おイしいオにクたべたーイ!』

べちゃ、べちゃ。

音が教室中を這う。

……そして、ついに、

『みィつけたァ!』

異形が、どしゃりと俺達の前に降り立った。

悲鳴さえ出ない俺達を見て、確かに、異形は、笑った。


 「失せろ」


 異形が消し飛ばされた。

シロが代わりに姿を見せて、ほっと安堵の息を漏らす。

「良かった、無事なようだね」

「「先生!?」」俺達は一気に安心すると同時に驚いた。

シロの髪の毛が、真っ白になっていたのだ。目も、ウサギみたいな真っ赤になっている。

「せんせー!!!」それでも大和が真っ先に抱きついてわあわあと泣き出した。

「泣いている暇はもう無いんだ」だが、すぐシロに引き剥がされる。

「せ、先生、髪の毛、目、」時雨が切れ切れに言うと、

「ああ、後で説明する」そう言ってから、シロは山城に言った。「君のお姉さんだったんだね」

「……え?」

「一昨年の事件で死んだここの女子生徒は、君のお姉さんだったんだね?」

「どうして、」それを、と言いかけた山城の背後を見て、シロは言った。

「彼女が私に君達がここに隠れている事、ここに隠した事を知らせてくれた」

「……姉貴……あの声は……まさか!」山城がボロボロと泣き出した。

「そうだよ。 もうこの学園に私達以外の『人間』はいないそうだ。 早く脱出しよう」


 『危ない!』


 轟音と共に、理科実験室の天井が降ってきた。

……気付けば俺達は廊下にいたのだけど、目の前には潰れた理科実験室と、その瓦礫に右足を潰されているシロがいた。

「はあ」とシロは呑気にため息をついた。「面倒な事になった」

「先生! おい、瓦礫を持ち上げるぞ!」武蔵先輩が駆け寄って必死に瓦礫を押す、俺達も慌てて続いた、けれど、

……べちゃ、べちゃ。

廊下の向こうからあの足音が今度は一人じゃ無くて大群でやって来た。

「逃げなさい」とシロは酷く冷静に言った。「そろそろ警察の特殊部隊が各方位から突入してくる頃だ。 大丈夫、君達はちゃんと助かるよ」

「嫌だ!」山城が絶叫した。「もう嫌だ!」

「嫌だじゃない。 逃げなさいと言っている」

「断る!」武蔵先輩が怒鳴った。

「よく言った武蔵!」瑞鶴先輩がパァンと武蔵先輩の肩を叩いた。「それでこそ俺の親友だ!」

「綺麗事を言っていると君達は骨さえ残らないよ」シロはやや眉をひそめて、「山城君、君のお姉さんがそうだったようにね」

「そんなの上等だ!」陸奥が叫ぶ。

「ここで生きて一生俺達に苦しめって言うんですか、先生」時雨が震えつつも、そう言い切った。

「僕もだ!」羽黒が言った。

大和がうんうんと瓦礫を押して、「先生、僕らは運悪く甘ったれの綺麗事しか言わない間抜け連中なんですよ!」

ああ、コイツら全員馬鹿だ。

最高の馬鹿ばっかりだ。


 『死ねば良いのに』


 鳥肌が立った。

あの女の子が闇から這いずりつつ現れて、けたたましく大笑いした。

『じゃあ一人一人殺してやるよ。 綺麗事を言う舌は引っこ抜いてね。 死にたくなかったらお友達の脳みそ喰いなァ?』

「お前は誰だ!」俺は怒鳴ってやった。足はガクガクに震えていたけれど。

『ワタシ? ワタシは元々はここの生徒。 でも毎日毎日人間ニ虐められて気が狂っちゃった! アハハハハハ! だからイッパイ動物を殺して、神様にお願いしタの、全人類を殺シたいんです、って!』

「……それが叶った、って事か」

『ワタシの神様すごく優しくてェ、殺せば殺すほど喜んでくれタ! 神様は悪イ連中に幽閉されテいたんだけれど、ワタシがついに! 今日! 解放できたノヨ!』

「一昨年の事件の時、確かに御本家がここに祟り神を封印しました。 ……それを解き放ったのですね」シロが、呻いた。

『殺すの超楽しイ! 助けテって言う人間、もっとォ殺したイ!』


 『もウ我慢できなイ、全人類を殺したイ!!!!!!』


 「ご自由にどうぞ」

シロが軽く身体をよじると、右足が瓦礫からスポンと抜けた。俺達の目が点になった。

「殺すも殺さぬも貴様の好きにすれば良いだろう。 だが私達は帰らせてもらう。 さあみんな、酷い目に遭ったね、私がおごるから、どこかで美味しいものでも食べて帰ろう」

『ッ!?』異形の顔が、始めて愉悦以外の感情で歪んだ。

「せ、先生?」

「大丈夫、なんですか?」

口々に訊ねる俺達に、シロは平然と、

「私は大丈夫だよ。 どうも心配をかけたね、すまない」

『キ、貴様から殺してヤる!』

異形が牙を剥いてシロに襲いかかった。

「ん?」とシロは異形の方を向いて、「まだそんな妄言を言っているのかい?」


 閃光、激震、轟音、身体が上下左右に揺れる。


俺達はついに腰を抜かしてしまった。

……校舎が、シロの足下直前から、向こう全てが吹き飛んでいた。

真っ青な空、白い雲の切れ端、久しぶりに見たような気がする、日の光。

「し、シロ」俺が名を呼ぶと、

「静かに」といつもの、髪も目も黒いシロが言った。「ほら、彼女が」


 『これで、やっと私、行くべき所に行ける』

 『しっかりしなさいよ、俊ちゃん。 私暗いの嫌いなんだから』

 『じゃあ、またね!』


 「姉貴」

山城が呟いた時、俺達も確かに見た。

火野都女学園の制服を着た女の子が、スキップしつつ、青い空へ消えていくのを。


 大人びた雰囲気の小さな喫茶店、『無量ムリョウ堂』。

そこで、シロはこの前と同じように、俺達に桃を食べさせた。っても、桃のジェラートだけれど。

「……やっと……生き返った気がする……」

山城が、ぽつりと呟いた。俺もそうだった。食べたら、重くのしかかっていた怖気がやっと取れた。

「……姉貴は、ずっと、あんな場所にいたんですか」山城が言った。

「憶測だがね」シロは紅茶を頼むと、「一昨年、祟り神と一緒に彼女の魂も封じてしまったんだろう。 以来、彼女はずっとあんな暗くておぞましい場所にいた。 それが、やっと、行くべき場所に行けたんだよ」

「……」

「ところで山城君」

「……何ですか、シロ先生」

「彼女は九十九ツクモデパートの苺風味の高級シュークリームが好きだったんだね?」

「!」

「彼女の墓にそれを供えたら、今の君の家庭内不和を何とかすると言っているよ」

「え……?」

「君のご両親の夢枕に立ってやる、とさ。 君を大事にするように脅すと意気込んでいる」

「……」

「こうやって私に騙されても被害はシュークリーム一個だ。 一度やってみると良いよ」

「……」山城が泣き出した。声を殺して、でも、震えながら泣いている。俺はおしぼりを渡した。

 「……話を変えますが、先生」武蔵先輩が言った。「一昨年と良い今度と良い、何が起きたんですか? 警察もシロ先生の顔を見た途端に俺達を何も質問せずに通した。 一体、シロ先生は何者なんですか?」

「私はああ言う事態のブラックジャックみたいなものだよ」とシロは言って、運ばれてきた紅茶を優雅に飲んだ。「教員免許は持っているんだけれどね」


 「シロ先生、とことん謎な人だね」とシロが先に会計を済ませている時に、羽黒が言った。「悪い人では無いって事は分かるんだけれど」

「なあ清君、これだけ聞きたい」武蔵先輩が俺を見つめて、「シロ先生は俺達を……」

「嫌いな訳が無いじゃん」俺は言った。


 探偵事務所に帰ったら、虎弥さんがうんざりした顔をして、新聞をめくりつつ椅子に腰掛けていたが、

「シロちゃん、お疲れ」と言った。「御本家、日に日に対応がずさんも良い所になってきたな」

「もう対応できる実力者がいないのでしょう」

「だろうな。 信濃シナノが参議って時点で終わってやがる」

「随分と昇進しましたね」

「あの女、股開いて男に媚びるのだけは上手いからな。 もうすぐ大臣だろうよ」

「……まだ引きずっているんですか」

虎弥さんが新聞で顔を隠して、

「思いっきり、な。 騙されて鼻の下伸ばしていた俺が情けなくてたまらんよ」

「虎弥さん、女運だけは無いですからね」

「シロちゃん、頼む、言わないでくれ……」

「虎弥さんはいっそヒロ君みたいな恐妻がいれば安心だったでしょうね」

「だろうな。 俺の金だの権勢だのが目当てじゃ無くて、ただひたすら俺目当ての女が欲しかったよ」

「浮気未遂でも健さんみたいに出刃包丁で刺されますよ」

「それで良いさ。 刺されようが殺されかけようが結局元サヤに戻れる健の野郎が羨ましいぜ」

「まだ愛しているんですね」

「……死にたい」半分、泣き声だった。

「酷い話ですね」そこにエプロン姿のヒロが入ってきた。「一昨年の事件と発端はほとんど同じじゃないですか」

「イジメにより自殺した女子生徒が祟り神に堕ちて大暴れした一昨年と良い、今度と良い、結局は人間のイジメが原因だからね」シロはそう言ってソファに座った。

「だが、ちょっと奇妙な気がする」タオルで顔に付いた油をふきつつ、健さんがヒロに続いて入ってきて、「祟り神ってのはもう少し霊格が高くないと成れないものじゃあ無かったのか? 今の人間の霊格なら、精々『鬼』が良い所だろ。 おまけにずさんとは言え御本家が封じた祟り神を一介の女の子が復活させるなんざ……ちょっと異常じゃねえか?」

「ええ、確かに……」シロが難しい顔をした。

「嫌な予感がするな」と虎弥さんがぼそりと言った。

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