第5話

「ごめんなさい、多分上手く聞き取れませんでした。もう一回お願いします」


ちょっぴり甘い雰囲気が、スーパータイフーン並みの突風によって一気に吹き飛ばされてしまった。アルクは、自分が何やらとてつもない聞き間違いをしてしまったと思い(というより信じ)、ルミナへと先の言葉を聞き返した。


「えっ……私って早口なのかな……分かった。特別にゆっくり言ってあげるから、聞き逃さないようにしなさいよ?」


「お手を煩わせて申し訳ございません。ではどうぞ」


ぺこりとアルクは腰を折る。


「あ・な・た・も・せ・い・れ・い・ぞ・く・な・の・よ?」


(アナターモ・セイ・レイゾクナノヨ…………アナターモセイ・レイゾ・クナノヨ!?)


とても難解の言語である。恐らくは、アルクが生きてきた18年間では、初めて出会った言語の種類だろう。隣国にも見られない、自分たちが共通語として用いている言葉から、遠くかけ離れた言葉…………という事だけあって、どこで区切るのが正しいのか、理解できずにアルクは困惑してしまう。


「それって、どこの言葉なんです?どこで区切ればちゃんとした意味になるんですか?」


「……………………」


物凄く申し訳無さそうな顔をするアルクを、ルミナはジト目でしばらくの間眺めていた。その理由がわからないアルクは、どう対処して良いか分からずに、取り敢えず頭をぺこぺこと下げる。


「…………あなた、それマジで言ってるの?」


「マジです」


「………………」


心なしか、ルミナのアルクを見るジト目具合が幾分にも増した気がした。ルミナは「こいつマジか」という顔で、数十秒間無言で佇んでいた。


(あれ?僕何か悪いことでも行ったかな……)


(私、そんなに滑舌悪いのかしら……)


「一応言っとくけど、セドル王国の言葉よ?音節で区切るなら、あなたも・せいれいぞくなのよ、ってなるわね。意味はそのままよ?貴方も、私と同じ精霊族ってことよ?」


「へぇー……僕も精霊族なんですね……………………………………………………………………………………………………………はぁぁぁぁぁ!?」


どうやらアルクの聞き間違いではなかったらしい。彼が聞き取った通り、ルミナはしっかりと、しかもとても滑舌よく「貴方も精霊族なのよ」という意味の言葉を発していたようだった。


「今日はアレですか」


「どれよ?」


「あのほら、王様の気まぐれとかで出来た一日嘘をついても許されるとかいう、えっと……なんとかフールとかいうやつ……」


「普通の平日よ?」


「じゃあ何です、ほら、ドッキリ〜みたいなノリですか?」


「バカにしないでよ!!死ぬかもしれないと思った直後に、誰がそんな気分になるのよ!!」


(ひ、ひぇ〜…………ごもっともです)


ルミナの激昂に、思わずアルクは縮こまってしまう。先ほどの勇敢な戦いぶりは何処へやら。


「本気で言ってるの!貴方は精霊族。しかも私と同じ特別なタイプの」


「いやいやいや、何をもってそんなことを言ってるんですか。僕、魔術使えませんし、そもそも人間ですから」


呆れ返ったようにそう言ったアルクに対し、ルミナは「はぁー……」と大きくため息をつき、アルク以上に呆れ返った様子である。


「まあ、後でゆっくり話すわ。そんな事より、短剣!!短剣探さなくちゃ!!」


「あ、その件ですが……」


アルクは、かの青年との会話の一部始終をルミナへと話した。ルミナはどうやら安心したようで、ホッと小さくため息をつくと、アルクに向かって安堵の微笑みを送った。


「そっか、なら明後日になれば帰ってくるのね。良かった………本当に良かった……なくなっちゃったり、奪われちゃったりしたらどうしようかと思ったもの」


「全く…………そんなに大事なものなら投げないでくだ………」


と言いかけたところで、ムッとした表情のルミナに気づき、アルクはどうにかお茶を濁した。


「…………まあ、短剣も帰ってくることですし、これにてチャラですけど、明後日、僕もついていった方がいいですか?何なら、この証明書をこの場で渡してもいいですけど……」


「いやよ、変態。って言いいたいところだけど、私、精霊族だけど、戦闘力はほぼほぼ皆無だから、護衛をお願いしたいわ……………その、お願いします………さっきみたいに、何かあったら回復はするから……」


子犬の如く、懇願するような目を向けられたアルクは、思わずコクリと首を縦にふる。


「…………お願いするなら、変態だとか言わないでくださいよ……やる気失せますから……」


「あはは……ごめんごめん……あと………それともう一つお願いが……」


「何ですか?家まで遅れとかですか?」


「ビンゴ!」


「全く……」


「私東区に住んでるから、丁度真逆なんだけど……いいかな?」


「分かりました。請け負いましょう」


本来ならば、億劫なことを嫌うアルクであるが、やはり事が事だけに、さすがに断れずにいた。一応のところ、自分の命の恩人でもあるし、精霊族と聞いてはなおのことだ。18年前の戦争で数は激減したと聞くし、厳しい規制が成された今でも、闇のマーケットでは精霊族の体は高く取引されていると聞く。見た目は普通の女の子ではあるが、その間に振り返るリクスは人間とは比にならない。それだけに、アルクの中では、どこか彼女に対する保護欲のようなものが芽をふかしていた。それに、彼は2年前まで護衛の仕事を生業としていたのだ。どこか人を守るという事に、しっくりくるものを感じたらしい。


とはいえ、何が起こるわけでもないまま、二人は南区の通りを歩いていた。


王都の構造上、対極にある区に向かうには、一度他の二つのうちの一つの区を通過していく必要がある。と言うのも、王都は城壁で周りを囲まれた円状のつくりになっており、国の中枢である王城が、丁度王都の中心部分に存在するためだ。それも、王城は国の中枢の中の中枢とだけあって、区一つ分ほどの面積を有している。さらには、周りを高い城壁で囲まれているため、通り抜ける事が不可能なのだ。つまり、王城の城壁に沿って、半円の軌道を描き、対極の区には向かう事になるわけだ。


南区は、西区とは対照的に、非常に物静かで閑静のある街である。一言でいうと、住宅街、ないしベットタウンと言うべきか。王都の中でも経済の中心が西区ならば、南区は人口の中心と言ったところだ。ちなみに、アルクとルミナが住む東区は西区と南区を折衷したようなバランスの良い街で、北区は文化の中心地で、娯楽施設の集まる街ある。


人がまばらな街路を歩きながら、アルクは何か会話の糸口となるものを探していた。しかし、今までロクに人と会話を交わしていなかったアルクにとって、それは実に難なことである。


そんな中、会話を投げかけていたのは、意外にもルミナの方であった。


「…………ねぇ、さっきの話の続きだけどさ……」


「僕が精霊族って話ですか?」


「うん。それ……多分気付いてないわよね?」


「気づくも何も、自覚とかそういうのが全くないですし……」


「…………自覚、あったんじゃない?」


「____________え?」


ルミナは少しばかり、頬を赤く染める。


「ほら、私の太ももに触った時とか……私が手を触れた時とか…………その、ちがうの!異性と触れ合ったとかのドキッとしたやつじゃなくて……ほら、私もドキッとはしたけど…………じゃなくて!共鳴感覚っぽいの感じてたって貴方も言ってたじゃない?」


ブンブンブンブンと、ルミナは手を振って頬の赤みを誤魔化そうとする。


「……確かに」


言われてみれば、アルクには今日に限って何度もそういった感覚はあった。ルミナを抱えた時は毎回のように感じていたし、彼女が陽属性の魔術とやらを使った時にも、同じものを感じた。


「それ、魂の容量が大きすぎる精霊同士が触れ合うと、過敏に反応して、同調しようとすることがあるから起きる現象なの……」


「魂の容量ですか……確か魔術を使う時にどうとかいうやつですよね?…………待ってください、僕、魔術なんて使えませんよ?…………その、幼心にはに一度か二度試したことはありますけど、当然発現できませんでしたし……。それって容量が小さいからじゃないんですか?」


「だからさっき言ったじゃない。特別なんだって」


「特別……ですか?」


「うん。私と貴方は特別なの。魔術の5属性の事は知ってるわよね?」


「ええ、勿論。一応一般常識でもありますしね……」


「だから、その枠から外れた特別な存在って意味。私が陽属性って言ったの、覚えてる?」


「はい」


魔術の5属性。それは、火、風、木、雷、水の五つのことだ。何故か使えない者が大半を占める魔術を、一般教養として教え込まれる風習が、この国には根強くある。スラム街ですら例外ではなく、アルクは魔術に対する知識を教会のシスターから幼子のうちに享受していた。


「実はね、5属性の他にも、陰と陽の二つの属性が存在するの。勿論、メジャーな知識ではないし、発現する者の条件も、ごくごく限られていて、使える人はこの国でも指で数えられる程度しかいないわ」


「陰と陽………それって他の二つとどう違うんです?」


「違い?そうね……………端的に言えば、陰は肉体の強化、陽は癒しに特化している属性なの」


そう言えば、先ほどルミナは「私の戦闘力はほぼ同じ皆無だから」と言っていた。癒しに特化しているのでは、攻撃の手段を講ずることもできないのだろう。アルクは合点がいったとばかりに手をポンと叩く。


「それともう一つ、精霊の血がかなり濃くないと発現しないっていう特徴があるの。しかも、たとえ濃くたって、その中でも二つの属性を発現する人は殆どいないんだって」


「へぇ…………アレ?でも、僕は魔術なんて使えませんよ?」


「………………」


ルミナはピタッと足を止め、懐疑的な目を向けていたアルクを人差し指で刺し、覗き込むようにグッと顔を近づけて、真顔で言った。


「あなた、ずっと使ってたのよ?陰属性の魔術。それも割と高等な、しかも詠唱もなしに……」


「ま、まさか…………ねぇ……そんなことがあるんですか?」


全く心当たりがありませんよ、とばかりに嘲笑したような態度を見せるアルクに、ルミナはムカッ!と内心で腑を煮え繰り返る直前までグツグツと煮込みながらも、お返しだとばかりに全力のジト目を向けて、腕を組み、呆れたようにわざとらしく溜息を吐いた。


「なによ、まだ信じてないの……呆れた……わたしがそんな嘘を言うとでも思ってるの?大体、精霊族の関係者だってだけで何処ぞの組織から首を掻っ攫われる物騒な世の中よ?こんな話を興味半分で誰かにするおバカはそうそういないわ」


「それはそうですけど……何か証拠とかあったら信じますけど。本当に実感というか全く心当たりがないので……」


ルミナのいうことも一理ある。つい先日、森の集落でひっそりと暮らしていた精霊族がまた一人何者かによって誘拐されたという事件が起こったばかりだ。アルクはそれを朝刊で読んで知っている。


さらには、その事件において、というよりも、近年増加傾向にある精霊族の誘拐事件のほぼ全てにおいて犯人が全く捕まっていないという国王軍や警ら組織のメンツ丸つぶれな事態が起こっているのだ。一部報道者や巷の間では、王国の関与が疑われているほどに、完全犯罪が成立している。そんな物騒な事件が起きているこの王都において、精霊族を匂わせるワードを発する事は命取りだというのが、巷での一般的な見識だ。それを知らないはずもない、しかも実際に精霊族の少女が、一応視線を超えたもの通しとは言え、冗談や虚言の類であんなことを言うとは思えない。


だかしかし、アルクには本当に魔術を使っている実感も感覚も、または心当たりも一欠片もないのだ。


「うーん……確かに。あなたの場合は陰属性の魔術だから、証拠もなにも無いわよね……」


ルミナがうーむうーむと首を捻るのを横目に、アルクは彼女が与えてくれた陰属性とやらの魔術に対する知識を頭の中で復唱していた。


「………………肉体の強化」


唐突に、その言葉が頭に浮かぶ。ポツリと呟いた言葉に反応したルミナが、閃いた!とばかりに指をパチンと鳴らす。


「それよ!」


「………………と言いますと?」


「肉体の強化。それが陰属性の特徴なの。ってか、それしかできないの。いえ、正確には様々なものの強化って感じかしら。逆に陽属性は癒しのみに特化してるんだけど……」


「つまり、僕が無意識に魔術を唱えて肉体を強化してるってことです?」


「うん、多分……そう!」


実のところ、ルミナがアルクの陰属性の魔術を見抜いたのは、アルクの肉体が強化されているのに気づいたから、と言うわけではなかった。彼女がそれに気づいたのは、突如現れた青年がポカスを圧し、彼が剣を収めたその瞬間であった。


__________ポカスの長刀の刃こぼれに目がいったのだ。


王国軍の、しかも王都に駐留している軍隊は、その全てが少なくとも5年以上は鍛錬を積み、さらには実戦経験が豊富な精鋭隊なのだ。その中でも、師団長クラスは群を抜いて高い実力を有しており、さらには国から国宝クラスの武器を与えられているのだ。ポカスは自らを師団長と名乗っていただけに、彼の所有していた長刀も国宝クラスの一級品というわけだ。対し、アルクが帯刀していた刀は何の変哲も無い普通の製品である。つまり、二つの刀が相対したとして、ポカスの刀に刃こぼれなどが起きる事はまず無いのだ。しかし、明らかにポカスの刀はひどく損傷していた。これに気づいたルミナの脳裏に浮かんだのは、陰属性の魔術の存在であった。


さらに、それはアルクに治癒魔法をかけた時に確信へと変わる。アルクの手に触れた瞬間、僅かに陰属性の魔術のマナが四散しているのを感じ取ったのだ。アルクと初めて肌を触れ合った時に感じ共鳴感覚は、気のせいなどではなかったのだ。そして、アルクが発した「肉体の強化」という言葉で、最後の鍵は開かれた。


「…………ねえ、今思ったんだけど、あなたってその細身で、何処からあんな力を出していたの?」


「………………それが陰属性の魔術ってわけですね」


アルクはポカスとの交戦の中で、殺気に満ちた敵が放った言葉を思い返していた。


『……だがその腕力、お前、マジで人間か?』


小さい頃から、アルクはその類稀なる身体能力で周囲から注目の的であった。だからこそ護衛を生業とする事ができたし、そこそこな業績をあげることができていた。そんな彼が、まるで自分の体が覚醒したように変貌したように感じたのは、丁度スラム街で連続殺人事件が起こった時期だった。包丁を振り回す犯人を、僅か8歳にして仕留めたあの戦闘。その最中、彼は自らの体が嘘のように軽く、そして大の大人さえも微動だにしない、内から湧き出る力を肌身に感じ取っていた。その原因が、いま正に解明されようとしている。


「そう。しかも、あなたは武器まで強化していたの。そんな高等な術、この国の精霊族で使える人なんていないわよ?それに、あのポカスとか言う人とそんな体で渡り合えるなんて、普通は考えられないし……」


「…………確かに、僕の体つきは平均的だと自負してますけど、力は多分……強い方です」


ここまでくると、アルクは頷かざるを得なかった。しかし、それでも自分が精霊族である可能性があるなどと、信じられるものでは無い。別に精霊に対する嫌悪感がある訳ではなく、人間と思っていた自分たちが崇拝にも近い形で接していた、そして18年前に初めてこの国を傾国させかけた存在と同じだということが、ただただ信じられなかったのだ。


「…………神妙そうな顔してるわね……まあ、それもそうよね?そうだ、あなた、両親からは何か聞いたりした事は無かったの?……………って、野暮な事聞いたわ……ごめんなさい」


自分よりも濃い血を持つ少年が、親から精霊だと告げられないわけがない。それを知らなかったという事は、アルクは両親を知らないということだ。そのことに自分で話しながら気づいたルミナは、会話の途中で即座に謝罪する。


「いえいえ、お気になさらず……察しの通り、親は知りません。スラム街で、協会のシスターに拾われて育ちました」


「…………そう」


二人の間に、重い沈黙がのしかかる。どうやらルミナは、アルクの出生について土足で踏み入れてしまったと、ひどく後ろめたく思っているようだった。どうにも気まずく思ったアルクは、わざとらしくはにかんで、どうにかその場を繕おうと努力する。


「…………そうだ。もうそろそろ南区を抜けて東区に入りますね。…………ちなみに、僕も東区なんですけど、どの辺りに住んでるんですか?」


「………………セマール通り……」


「…………奇遇ですね。僕もですよ」


「………………そうなんだ……」


____________ 会話が全く続かない。


二人は無言のまま歩き続け、東区入口のアルバー通りへとたどり着いた。二人はアルバーのコアである大通りを右折し、隣のアハネ通りへ、さらにそこから北へ進み、カルード通りを経由してセマール通りへと向かった。なぜ、わざわざ遠回りしたかというと、王城の入口が東区と城壁の境界線に存在するためだ。そこを避ける狙いがある。入口のある通りをキンド通りという。キンド通りはその性質上、様々な政府関係者が多く出入する。つまりは軍隊の関係者も出入りするわけで、またポカスとの交戦のように万が一があら可能性がある。


そんな遠回りをする道の最中も、二人は終始無言だった。二人は東区セマール通りへとたどり着いた。大通りを抜け、裏路地へ入る。そこから数百メートル歩いたところで、ルミナは足を止めた。


________しかし、なんとその場所は、アルクの自宅を道路一本またいだ、丁度正面の場所だった。



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