第4話

さて、どうしたものか____と考える間も無く、アルクは目の前に崩れ落ちたルミナを抱きかかえて、後方へと大きく跳躍していた。三人を囲んでいた野次馬の群れを飛び越えて、アルクは即座に退避行動へと移る。


「まてやぁぁ!……逃がすかよ」


しかしながら、小一時間も獲物がノコノコと戻ってくるのをただひたすらに待ち続けていた狩猟者の視線は、二人を決して逃す事はない。ポカスは大きく地面を蹴りだして、野次馬の中へと突っ込んでいく。突如戦車のように自分たちの元へと突っ込んできた赤髪の男に恐れをなして、人々は無意識のうちに道の傍へと次々に避難していく。まるでポカスの為に開けられたかのごとく、先程まで人で埋め尽くされていた商店街には敵前逃亡をする二人へと続く道が出現していた。


アルクは走りながらも、頭の中で思考を巡らせていた。恐らく相手は先刻、短剣がその場に放置されていることを考慮し、この場に戻ってくるとの公算の元、敢えて追ってこなかったのだ。アルクの頭には嫌な予感がよぎっていた。このままでは非常にマズイ。足の勝負で軍の師団長クラスに勝てるかといったら、さすがのアルクにもその自信はない。加えて今は震えてまともには走れないであろう一人の少女を抱きかかえている。果たして、どうしたものか。


「……………走れ…………ませんよね…………」


自分の胸元で小刻みに震え、未だに冷静さを失っている少女を一見し、アルクはそう声を漏らした。


「…………………降ろして!このままじゃ追いつかれる!」


声にならない声でルミナは悲痛にも叫ぶ。


「んなことできるわけないじゃないですか!」


「どうしてよ!!絶対に追いつかれるわよ!」


「だからこそですよ!!」


言わずもがな、この場に少女を置いて逃げたりでもしたら、確実に彼女は捕縛されるなり殺されるなりさせるだろう。いや、先刻に赤髪の兵士が彼女に切り掛かったことから推察するに、後者の公算が高い。そんな状況下に少女を置いていけるわけがない。


________それに、またあの第五師団にミスミスと命を奪わせるわけにはいかない……


アルクはルミナの訴えを頑なに固辞し、西区を疾走していた。


「う、後ろ!!距離がもう…………いいから降ろして!」


「あー!!もう、うるさいですね!!わかりましたよ!!降ろしますよ!!」


やはり軍の師団長クラスとだけあって、ポカスの足の速さは目に余るものがあった。加えて、その殺意に満ちた目に、アルクは選択をせざるをえなかった。事実、このまま逃げたところで、ルミナを抱きかかえたまま交戦などしたら、確実に二人とも三途の川に直行である。逃げるのが不可能ならば、今この場にて迎え撃つしか道はない。無論、ルミナを置いて自分だけ……などという選択肢を、アルクは選び取るつもりは毛頭ない。


アルクは立ち止まり、その場にそっと優しく少女を降ろした。見ると、少女は今にも泣き出しそうに、小刻みに震えながらもニッコリと笑っていた。


「…………せっかく助けてあげたんだから、ちゃんと逃げ切りなさいよ。あと、一回くらいは墓参りに来なさいね……」


そう言って、ルミナは死を覚悟したのごとく目を閉じ、最後の時を待った。


キーーーーーン!!!!


甲高い金属音が、ルミナの耳元に不快に轟く。しかしながら、未だに痛みが襲ってこないことを不審に思ったルミナは、恐怖に怖気付きそうになりながらも、フッと瞼を開いた。


彼女の前方、約10メートル先にて、まさに今、先ほどまで自分を抱きかかえていた少年の刀と、赤髪の第五師団長の長刀が交差し、何度も火花を散らしながら衝突していた。


「…………どうして?」


「どうしても何も、命の恩人を見殺しにするほど僕は甲斐性なしじゃないですよ!!それに、こいつらにまた、目の前のものをむざむざと奪われるわけにはいきませんし!!」


ポカスがアルクの刀を弾き、上から上段の構えで真っ二つししてやると言わんばかりに勢いよく振りかぶる。それを間一髪アルクは躱し、刀を両手で握りなおすと、力一杯ポカスの元へと押し出すように繰り出す。


「チィ……」


アルクの繰り出す斬撃の威力を真正面から受けたポカスは背面方向に数メートルにわたって飛ばされた。しかし、ポカスはアルクの攻撃をその身に当たる直前で自らの長剣で受け止めており、衝撃さえ与えられたものの、大したダメージにはなっていない。激しい音を立てながらではあるが、ポカスは難なく足元から着地する。


「お前……強いな。その年でそこまでの実力は大したもんだ。他の師団長にも遅れはとらないかもしれねぇーな。…………だがその腕力、お前、マジで人間か?」


鋭い目線で睨みつけるポカスに、アルクはようやく平静を取り戻し返答する。


「人聞きの悪いことを……普通の人間ですよ…戦い慣れしてるだけの……」


「んあ!?戦い慣れだ!?平和ボケしたこの国で実戦経験のあるやつなんざ、軍でもない限り一部の賊どもか精霊の生き残りくらいだぞ!?少なくとも普通じゃねえだろうよ」


「…………………………」


普通、ではないのは確かである。治安の悪いスラム街で護衛の仕事という最も命の危険のあることを10年近くも続けていたのだ。しかしながら、そのスラム街は2年前に消滅した。目の前の男によって。それを知っているアルクは、これ以上ポカスと言葉をかわす価値はないと判断し、おし黙る。


「…………無視かよ?不敬罪だぜ!?」


ポカスは地面を蹴飛ばして、高速の勢いでアルクに迫ってくる。アルクは剣を構え、カウンターを狙い矛先をポカスへと向ける。ポカスが剣を振りかぶったその瞬間、アルクは体をほんの数センチ横にずらし、構えた剣をポカスに向けて突き出した。


が、その矛先がポカスの心の臓に直撃しようかという瞬間に、ポカスは地面を進行方向とは逆に蹴り出し、自らの攻撃の勢いを殺し、次の瞬間、体をグィッと回転させ、傍で佇むことしかできていなかった少女に向けて、思いっきり地面を蹴り出し跳躍する。


「………………マズい!!」


そう呟いた刹那、アルクは全身の力を振り絞り、彼女に刃が届く前にとポカスに向けて刀を振りかぶった。しかし、それがポカスの狙いであり______


ポカスは体を180度回転させ、アルクと対峙すると、彼が振りかぶった刀めがけて力いっぱいの斬撃を繰り出した。


カーーーン!!!


甲高い音が街中へ轟いたかと思うと、アルクの刀は持ち主の手元を離れ、宙を舞っていた。ポカスは刀を両手で握りなおし、上段の構えで体勢を崩したアルクへと振りかぶった。


「…………そうか、お前、スラム街の生き残りか!!」


ポカスが合点がいったとばかりに叫んだ同時刻、アルクは自らの死を覚悟した。せめて、ルミナだけでも逃げてくれと、そう願って________


「そこまでだ!!」


突然の横槍の咆哮に、ポカスは思わず動きを止めた。無論、アルクもルミナも同様に。三人は声の方向に目を向けた。視線の先は、彼らの交戦を息を飲んで見守っていた町の野次馬であった。否、二つに裂けた野次馬の中点に、ポツリと立たずむ、王国軍の制服で身を纏った、長身でダークブールの髪有した青年である。


「ポカス、君は何をしているんだい?」


男の静かながらも、太く威圧的な声に、ポカスでさえもたじろいでいた。


「いや……その……不敬罪を犯したこいつらを捕らえようとだな……」


「捕らえよう?…………君は上段切りで斬りつけようとした相手を、捕らえようとしたのかい?」


「それは…………ああ、手加減をするつもりではあったよ」


あまりにも突然の戦況の変化に、アルクとルミナはただただ状況を把握することで頭が一杯だった。


「ほう…………君の殺意、数百メートルばかり離れた場所にいた私も察知できるほどに、剥き出しだったけど?」


「気のせいじゃないのか?俺は国王を軍の前で侮辱したこの二人を捕らえようとしただけだぞ?一般市民に殺意なんぞ向けるかよ」


青年は、アルクとルミナを一瞥した。ポカスとの斬り合いのせいだろうか。アルクの衣服は数カ所直線的に裁断されている。恐らく、剣撃を避けたときにでもできたのだろう。加えて、土の跡が目立つ。続いてポカスへと視線を向ける。靴が酷く損傷しており、さらに彼の長刀には、刃こぼれが見受けられる。


________時を遡り数分前。この男____スノール=カルルドは、町の騒ぎを聞きつけて、現場にて軽く聞き込みを行っていた。第5師団の団員は口を揃えて、突然に二人の市民が師団長へと斬りかかったと言っていた。しかし、集まっていた野次馬は、師団長の方が先に手を出したと口を揃えていた。気性の荒いことで有名な第5師団、そして一般市民の証言のどちらを信用するかを、彼は一瞬たりとも迷うことはしなかった。刹那、わずかに感じた実力者の殺意の方向に、彼は駆け出していた。


スノールは、今眼前に広がる光景を見て、状況を即座に理解する。そして、矛先を向けたままポカスの元へと歩みを始めた。


「ポカス。私の間合いに入る前に、真実を口にしろ。さもなくば、王国軍第三席の権限を持って、今この場で、第五席であるお前を処罰する」


「おい!テメェマジかよ!同じ師団長を処罰するとか聞いたことがねぇぞ!!そんな前例はねぇ!」


「前例はないが、席次は私の方が上だ。軍法上、私は君に対して懲戒かつ制裁権を持つ。さらには反抗すれば、君に重傷を負わせることさえ許可されている。忠告しておこう。嘘に沈黙も、立派な反抗行為だ」


カツッ、カツッと足音を立て、スノールは一歩、また一歩とポカスとの距離を詰めていく。一歩、また一歩とスノールが歩くたびに、二人の距離は確実に縮まっていく。


「チッ……分かった分かった。話すからさ、さすがにこの場で懲戒なんぞやめてくれや。部下に対しても面目が保てない」


「賢明で何よりだ」


そう言うと、スノールはポカスへと向けていた刀を鞘にしまった。それを見て、ポカスもお手上げとばかりに刀を鞘にしまう。


「…………そう言うことだ。迷惑をかけてすまなかったね」


スノールは、アルクの方へと体を向け、丁寧に腰を折ると、そう言って謝罪の意思を表した。先の雰囲気とは一転し、紳士のオーラを纏ったスノールに戸惑ったのか、アルクは数秒間言葉を発せずにいた。


「…………すまなかったって……軽いですね」


確かに少しばかり悪態ついたような態度をとったとはいえ、アルクはポカスに対して何ら手を出していないのだ。命の危機まで発展したその状況を、ただ一言すまなかったで済ませられるものかと内心憤慨していたアルクは、皮肉を込めてそう言った。勿論、ルミナとて同じことだ。


「…………確かに君の言う通りだ。軽い態度と捉えられても致し方ない。謝罪の意も含めて、後日何かお詫びがしたい。これを」


強気に出たアルクに、今度は心から申し訳なく思ったのか、スノールは謝罪の言葉を重ねるとともに、何やらカード状の、美しくバラの模様が描かれている小さな金属板を手渡した。


「…………なんです、これは?」


「証明書だ。王城の客人としての。それがあれば、王城へと立ち入ることができる。私たち軍の幹部は王城に駐留しているから、これを門番にでも見せるといい。すぐに私も駆けつけよう」


「……………別に、王城に行く用事なんて……」


と、いいかけた時、アルクはスノールの意を解し、小さく頷いた。ルミナが彼を助けるために投げつけた短剣は、恐らくその場には残っていない。つまりは王城に来いということは、軍関係者に回収されている公算が高く、あの場にはない、そして王城に取りに来てくれという事を遠回しに伝えているということだ。それをアルクが理解と判断したスノールは小さく微笑した。


「………………何故、僕が言おうとしたことが分かったんですか?」


対し、スノールは表情を一切変えずに応答する。


「まあ、私もここに来る前色々と情報を集めたからね。きっとその証明書が役に立つ時が来るはずだよ。…………それと、今回の事件の処理は恐らく一日を要する。私は横槍を入れるつもりなんで、君たちの無罪は確証されると言っておこう。呼び出し等もない。しかしながら、証拠品の返還は処理の後なのだ。もし、探しものでもあるのなら、2日後に来ると良い。証拠品は私の管理下に置いておくから、安心したまえ」


「………………………………」


アルクはしばらく考え込んだ後、一応「分かりました」とだけ返事をした。というのも、王城には幹部が駐留しているとだけあって、ポカスと遭遇する確率があるのだ。先程まで命のやり取りをしていた相手の元へまざまざと出向くことは、本音で言えば避けたいところであった。また不敬罪を後ろ盾に斬りかかられてはたまらない。


とはいえ、恐らくこの場であの短剣を返してくれと言っても取り合っては貰えない公算が高い。さらにははじめに衝突してから小一時間は経過しているのだ。王城まで既に持ち込まれていると考えたほうが妥当である。一応保留という意味での言葉であった。


「それじゃあ、私はもう行くよ。王城で幹部の会議があるからね。今日は私の同僚が本当に申し訳ないことをしたね。補償もしたいところだし、是非来てくれるのを待ってるよ」


そう言うと、アルクは綺麗に腰を折り、深々と頭を下げて一礼すると、近くにいた数名の兵士とポカスを連れてその場から去っていった。


「…………はぁ……死ぬかと思った……」


緊張が解け、思わず本音が吐露する。ほっと一息をつくと、アルクは道端で自分と兵士の会話を無言で佇み見守っていた少女の元へと小走りで駆け寄った。


「大丈夫でしたか?ルミナさん」


「…………………………」


金髪の少女は、俯き無言である。顔を見ずとも、どうやら不甲斐なさに似たものを感じているようだとアルクには分かった。


「怪我はないですか?」


「……………………………………」


なお、少女は無言である。ルミナは俯いたまま、目元を手で拭った。その手の甲は、気のせいが少しばかり濡れているような気がした。


「……………………ごめんなさい」


少女がポツリとそう呟く。


「どうして謝るんですか?」


アルクは小さく笑みを作ってそう言った。


「私…………足手まといだった」


やはり、彼女は先の戦闘に置いてその場に佇むことしかできなかったことを悔いているようだった。しかし、たかがその年のしかも女性がいきなりに死の危機に瀕しては、そうなってしまうのも無理はない。と言うより、普通ならばそうなって然るべきだろう。それはアルクとて同じことである。だが、彼はスラム街においての実戦経験があった。それだけである。


「…………まあ、女の子だし、仕方ないんじゃないんですか?」


アルクは優しげな調子でそう言った。しかし、フォローのつもりで言ったその一言が、どうやらルミナにはむしろ逆効果だったようで。


「女の子だからって関係ないじゃない!!この男女差別主義者!!」


(え?ええーーー…………)


突如として声を荒らげた少女に、アルクは内心困り果てながらも、涙をポロポロと流す姿を見ると、どうにも毒気が抜かれてしまい、あれこれと言う気も失せてしまう。


「…………まあ、ほら、あの短剣がなかったら僕は今頃三途の川でも渡ってそうですから…………それで五分五分でいいじゃないですか……」


「うるさい!!!変にフォローしないで!!私の方が確実にマイナスよ!……う…うわぁぁぁぁん」


まるで子供のように泣き噦る少女に、アルクはお手上げ状態だった。少女は嗚咽をし、その場に座りこんでしまった。


「あはははは…………」


アルクに今しがたできるのは苦笑い、ただのそれだけであった。ひとしきり泣いた後、ルミナはアルクの元へと近づき、そっと彼の袖を握ると、建物の間の路地へとアルクを引っ張っていった。


「…………うぅ……ぐすん……貴方……怪我してるわよね…………ちょっとそこの物陰に来てくれない?このままだと、私本当に役立たずだから……」


「物陰ですか?まあ、いいですけど……」


はて、何をされるのだろうかと思ったアルクだったが、少女をなだめるためならとその意向に従う。


「人から見えないように……しゃがんで……」


「は、はぁ…………」


ルミナに言われるがままに、アルクはしゃがみこむ。それを見たルミナは、何故か顔を少し紅潮させて、自分の手をアルクの前に差し出した。


「………………友達になりたいんですか?案外原始的というか……可愛らしいですね」


「ち、違うわよ!!バカにしすぎよ!!貴方外傷はそんなにないけど、結構無理したでしょ?だから、手を出して……」


「わ、分かりました……」


事実、アルクの体には歪みが出始めていた。というのも、約2年間店の店員をしていたアルクは、その2年の間に運動量を劇的に落としており、それに比例して筋肉量も落ちていた。その状況で、護衛として働いていた時同様の動きをしたのだ。久しぶりの、それも激しすぎる運動に、彼の体は相当なダメージを受けていた。剣を交えた時の衝撃により、骨も数本折れている。


手を出したところでどうにかなるとは思わなかったのだが、かと言ってルミナがそんな無意味なことを唐突に言い出すはずもあるまい。アルクは言われるがまま、右手を差し出した。するとルミナはアルクの右手にそっと自らの両手を添え、静かに目を閉じた。


「【キュアー】!!」


ルミナがそう唱えると、彼女の手がにわかに光り出した。と同時に、その光がアルクの左手を伝って体内へと吸収されるように消えていった。刹那、アルクの体からは先ほどの疲労や痛みが嘘のように消え去り、むしろ好調にも思えるほどにダメージが体から抜けていく。


「…………こ、これは?」


アルクは思わず息を飲んだ。巷にて魔術というものがこの世に存在するとは聞いていたが、彼は実際に目で見たのは初めてであった。しかし、あくまで噂程度に聞いたどの話にも、この様なことが起こるとは一度たりとも耳にしたことがない。


「…………陽属性の……癒しの魔術」


魔術______それは、この世の自然の理を、人為的に捩じ曲げる術のことである。大気に充満しているマナを燃料として、基本的に火、風、木、雷、水の五つの自然に存在する事象を強制的に発動させるものだ。元来、精霊族にのみ許された力とされていたが、数十年前に、国王直轄の研究所の実験で、その執行が唯の人間にも可能だということが証明された。否、むしろ不可能だということが証明されたというべきか。


__________人間は、魔術の行使の際に受けるダメージには耐えきれない。


それが、研究所の論文の最後に記載された文章であった。


ここに、魔術をどうやって発現させるかという問題がある。


魔術を行使するためには、大気中のマナを体へと取り込み、呪文を唱えるという一連の動作を行う必要がある。何故、呪文が必要なのかと言うと、発現する自然現象を連想させる言葉を唱えることで、精神への結びつきを強め、さらにはよりイメージを具体的かつ鮮明に描くことができるためだ。ならば、何故そんなことが必要なのか、という疑問が生じる。ここが、魔術を人間が使用できないことのミソであった。


そもそも魔術とは、マナを何かしらの形で変化させる物ではなく、マナはあくまで燃料として取り込むもので、魔術の核となるのは術者の精神、つまりは魂そのものなのだ。魂にマナを注ぎ込むことによって、魂を肥大化(増幅)させ、頭の中で描いたイメージを魂へと写し出し、それを体から切り離す。これが、魔術というものの正体である。人間も精霊も、元をたどっていけば、この惑星の自然そのものと言うことができる。自然が長い時間をかけ、生命というものを生み出して、それがさらに時間をかけて変化していったものが人間なのだ。つまりは、自然の事象も人間も精霊も、見かけや構造の差はあれど、本質的なものは全くもって同じと言っても過言ではない。そして、本質的な部分以外を決定づけるものが魂というわけだ。要は、魔術とは自然現象を任意に生み出す術ではなく、あくまでマナを燃料にして術者の魂を改変し、それを切り離したものに過ぎないのだ。


では何故、人間には出来ず、精霊には行使ができるのか。それは、外見も体の構造もほとんど変わらない人間と精霊の、たったの二つだけの、しかしながら大きな違いに起因する。二つの近しい存在の決定的な違い______それは、マナに対する耐性と、魂そのものの容量である。研究所の調査によると、それは数値に表すことさえ困難なほどに、まさに天地ほどの差があったという。さらに研究所の論文にはこう記してある。


『例えば、水属性の魔術を用いて1メトルの水を発生させるとする。その時に必要なマナと魂量をそれぞれ便宜上10と仮定する。この仮定の下、標準的な人間のマナ耐性と魂量を数値で表すと、前者が1、後者が1.5

である。精霊の場合は測定不能。』


この発表に、王国の人々ならずに世界中の人々が驚愕し、同時に諦めと人間という存在への劣等感を強く痛感した。たった一滴の水を発生させるために、人間を10人犠牲にする必要がある。自然界を支配したかに思われていた人間は、実際には支配どころかそのほんの一鱗にすらも手も届かない、ちっぽけな存在だったのである。


そんな人間には行使不可能の魔術を、目の前の少女はいとも容易い様子で平然と使用している。頭の回転が悪い方ではないアルクは、この少女の正体に既に気付いていた。


「…………ルミナさん、もしかして……」


アルクの問いに、ルミナは一瞬神妙な面持ちを浮かべながらも、わざとらしくはにかんで言った。


「…………そうよ?精霊族。…………クウォーターだけどね、びっくりした?」


「ええ……まあ……」


正直、この時アルクは目の前の少女にどこか畏怖にも似た感情を抱いていた。人類が決して届かない、神聖で圧倒的な存在である精霊族。書物や噂程度にしか見聞きしたことがないその存在が、この少女なのだ。


「………………怖い?」


意表を突かれたように、ルミナはアルクにそう問うた。____図星であった。アルクは、少なからずともその感情を抱いていた。しかし____


「まあ、正直びっくりはしましたけど………でもまあ、案外普通に可愛い女の子なんですね、精霊も。それこそ、恋人にしたいくらいですよ?」


少々誇張した部分もあるが、本音であることは間違いなかった。突如として助けられ、小一時間程度ではあるが、生死を共にしたのだ。そんな最中に、彼女に対して負の感情を抱いたことは、ほんの一瞬たりともなかった。さらには今、自分の傷を癒してくれている。これ以上に言うことがあるだろうか。


「んな!!…………急に何言ってるのよ!変態!えっち!スケベ!」


アルクの言葉に動揺したのか、ルミナの手元は大いに狂っていた。


「あなたみたいなこと言った人は初めてよ…………その、まあ…………ありがとう。悪い気は……全くしないわ……」


心なしか、ルミナは頬を酷く赤くしているように見えた。その様子を見て、やはり普通に女の子なんだと確信したアルクは、してやったりとばかりに悪戯に微笑した。が、次にルミナの口から発せられた言葉は、予想だにもしない、凄まじくアルクに衝撃を与える言葉であった。


「…………このタイミングでこういうことを言うのなんだけどさ……その……気づいてないみたいだけど、貴方も精霊族なのよ?」


「え______」


アルクは言葉を失った。







  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る