第3話

重力を無視したかのような卓越した跳躍力で屋根の上を駆け巡る少年に抱きかかえられながら、ルミナはもがき続けていた。そんな最中、アルクはふと、今までになく、心が高揚しているような、どこか共鳴感覚にも近いものを感じ取っていた。


「離しなさい!話しなさいってば!!!!このセクハラ!セクハラ!!私は短剣取りに行かないといけないの!!アレは大事なものなの!!命と同じくらいに大事なものなの!!!!」


「だったらなんで両方失うような事をしようとするんですか!!てか、大事なものなら投げないでくださいよ!!あと2回もセクハラって言わないでください!人聞きの悪い……」


「こんな屋根の上で誰が聞いてるっていうのよ!!いいから下ろしなさいよ!!アンタさっきから太もも触りすぎなのよ!!変態!!変態!大体貴方、私がいなけりゃ今時腕が吹っ飛んでるわよ!なんで感謝もしないでそんなことが言えるのよ!」


なんとも耳の痛い話である。確かに一瞬たじろいだせいで、彼女の助太刀がなければ今頃アルクは腕をバッサリといかれていただろう。前方の家の平たい屋根に飛び移ると、アルクは口籠もりながらもとりあえず感謝の言葉を口にしようと言葉を探す。


「その……まあ、確かに…………助かりました。ありがとうございます」


「分かったんならさっさと下ろしなさいよ!!アンタさっきから太もも触りすぎなのよ!!わざとでしょ!わざとやってるんでしょ!?」


「わっ!?いや、これは不可抗力ですよ……じゃないと、どうやって持てっていうんですか!?」


「だ・か・ら!!降ろせて行ってるのよ!!こんのどアホォー!!!」


「うわっ、ちょっ!!すいません、下ろしますから!下ろしますから!」


激昂したルミナを見て、アルクは慌てて彼女を屋根の上へと下ろした。しかし、見るとルミナは若干涙目になり、足をプルプルと震わせながら、何か言いたげな様子でアルクを一瞥し______


「屋根に下ろしてどーするのよ!!!どアホがぁぁぁぁ!!!!!!!」


と、キーンと耳鳴りがするほどに甲高い大声で怒鳴りつけた。


「え……。もしかして、高いところ…………苦手です?」


恐る恐る尋ねるアルクを、ルミナはギラリと睨みつける。


「あったりまえじゃない!!!あんたみたいに屋根をぴょんぴょん飛び回る方が異常よ!!屋根の上に下ろしてどーーーするのよ!!地面に下ろしなさいよ!じ・め・ん・に」


「すいません!!!」


地獄の閻魔のようなルミナの表層に、アルクは一瞬にして恐れをなし、その場にひれ伏した。


「何やってるのよ!!早く下ろしなさい!!」


いよいよルミナは涙目だ。アルクは即座に、とばかりに再び彼女を抱え上げ、その場を一蹴し、ひらりと中を舞う。トン__という小さな音とともに、アルクは見事なほどに綺麗に着地する。


「はい。これで……いいですか?」


「全く。アンタ絶対モテないでしょ?女の子の扱い方が雑よ、雑……フン!こんな男助けるんじゃなかったわ……」


プイッとそっぽを向く金髪少女に、アルクは怒られるのを覚悟で一言余計に添える。


「…………でも、僕が守らなかったら、あなたも今頃真っ二つですよ?」


(う……それは確かに)


「だから何っていうのよ!!短剣取り戻さないと!!短剣が戻ってきたらチャラにしてやるわよ!それまでは私の方が立場は上よ?弁えなさい!!」


何故そんなに短剣にこだわるのだろう、と疑問に思い首を傾げるアルクであったが、確かに彼女の言う通り、彼女が短剣を紛失したのはアルクを助けたことが起因している事には納得せざるをえなかった。そして一応感謝はしている。加えて、正しい選択だったとはいえ、短剣を拾う暇も与えずに抱きかかえて退散してしまったのだ。彼女の言う言葉に、アルクはぐうの音も出ない。


「…………その顔からするに、ちゃんと後ろめたく感じてるようじゃない」


「…………まあ、それは。大事なものだったのなら、なおさら……」


彼女の機嫌を直すための方便でも何でもなく、アルクは素直にそう言った。元を辿れば自分が無碍に諍いを起こしたようなものだ。自分があの青いの紋様に過敏に反応したのが原因なのだ。


「…………ん。じゃ、お願い。短剣取り戻すまでは付き合って。そしたら許すから」


「………………………………」


「…………どうなのよ?どうするの?」


この場において、アルクには拒否権がない。とはいえ、またあの赤髪の男に接触するのは危険である。彼は葛藤していた。もし、この場で断ったとしたら、彼女は一人でもあの場に戻り、最悪軍に回収されているかもしれない短剣を、命の危険を冒してでも取り返しに行くのだろうか。さすがに彼女とて、命をかけてまで……否、おそらく一人でも行くのだろう。アルクに担がれたときに、散々暴れて戻れと言って聞かなかったのがその証拠だ。アルクは散々悩みにやなんだ挙句、


「分かりました。付き合いましょう」


と、そう答えた。


「やった!本当!?」


「ええ…………でも、今は危険です。というかあの人は危険です。だから、今日はやめましょう。しばらくは時間をおいて、そしてもう一回あの場に行って、それでもなければ王城に行ってみましょう。マトモな人もきっといるはずですから…………話せば何とかなるかもしれませんし……」


理屈っぽく、まるで説得するようにそういったアルクであったが、そんな彼を一蹴するかのようにルミナはジト目で言い放った。


「…………は?何言ってるのよ。今すぐに決まってるじゃない」


「あ、はい」


彼女の鋭く威圧的な視線に、アルクは屈せざるを得なかった。


そんなこんなで、アルクは金髪少女と共に、逃げてきた道を(わざわざ)引き返すように(仕方なく)辿っていた。無論、地上を周りに気を使いながらである。出来るだけ目立たないように道の端を行くアルクの後ろを、まるで彼を盾にするかのようにルミナが少しばかり特徴的な歩き方にて続く。だが、ルミナはどこか不満げである。


「…………ねえ、何でこんな逃亡中の犯罪者みたいなことしてるのよ?私達は普通に一般市民よ?どうして道の真ん中を歩けないのよ?」


「何言ってるんですか。逃亡中の犯罪者だからこんなことしてるんですよ。ついでに言えば、あの人を打ち飛ばした僕は正当防衛で説明がつきますけど、横から短剣を投げたあなたには正当防衛なんて適応されませんからね?多分」


「え、うそん!!なにそれ、あなただげズッルい。何で私だけくっさいご飯を食べる羽目になるのよ?あなたも同罪よ?」


自分まで巻き込むなよ、と思いながらもそもそも(彼女の善意ではあるが)この件に巻き込んでしまったのは自分であるとアルクは責任を感じていた。さらにはそれをちゃっかりと(何度もしつこく)攻めてくるあたり、ルミナは言動がいかんせん子供染みている割には、意外としっかりとしているのかもしれない。そんな彼女を一瞥し、どこか諦めに似たものを感じたアルクには、最早言い返す気さえ湧いてはこなかった。


「分かりました………それでいいですから、同罪でいいですから、お願いですからキョロキョロ周りを見渡しながら僕の背中に寄りかかって歩くのはやめてください。目立ちます」


「なにを言ってるのよ、敵はいつの時代も後ろから奇襲してくるものよ。気を使わないと……」


「……大丈夫です。僕は半径数十メートルくらいなら相手の気配を感じることが出来ますから。いや、本当に。だからお願いだからやめてください」


と、幾千の戦いによって培った特技を口実にして、アルクはルミナに誰が見ても不自然な歩き方をやめさせようとする。が、ルミナは唐突にピタリと立ち止まり、今までムッと突っ張っていた表情をさらに強張らせて、その美しい顔を真剣そのもののような堅い表情に豹変させた。


「ね、あなた。そういえば名前聞いていなかったわね?何ていうの」


「どうしたんです……突然。まあ、でもそういえば助けてもらったのに名前も言ってませんでしたね。でも、こういう時って聞く方から名乗るものじゃぁ……」


「うるさい。早く」


有無を言わせぬ返答に、アルクは尻込みしながらも、一息置いて質問に答える。


「アルクです。アルク=サイラス。出身はどこか分かりません。でも、おそらく名前はちゃんとつけられたものだと思います」


「サイラス……サイラスって、あのサイラス??18年前の戦争で先陣を切ったっていう、あのサイラス家の子孫なの?道理で陰属性の魔術を使えるわけね。合点がいったわ」


「…………なんです、それ?」


突如、意味不明な言葉を発したルミナに、アルクは困惑の表情を浮かべてしまう。それを見てか、ルミナはハッと何かに気づいたように急に慌てたようなそぶりを見せ、なにやら冷や汗をかいていた。


「えっ!?あっ!?知らない!?嘘!!あなた、その気配を感じる云々のやつ、魔術じゃないっていうの!?え……じゃあ、どうやって」


「どうやってって…………多分護衛の仕事をやってた時の副産物みたいなもんですよ……スラム街は気を使ってないと、何処から人が襲ってくるか分かりませんし……それに、魔術なんて高等なもの、僕には使えませんからね」


と、アルクが断言した途端、ルミナはとんでもないことをやらかしたと言わんばかりに硬直した。


「嘘!?え……じゃあ、単なる偶然!?………………ごめん!忘れて!本当に忘れて!」


慌てふためくルミナとは対照的に、アルクはさもそんなことは気にしてないと言わんばかりにニコリと笑った。


「大丈夫ですよ?なにやらきな臭いですけど、あんまり気にしないことにします。それより、あなたの名前は?僕にだけ聞いてずるくないですか?」


「そ、そうよね……ごめんなさい。私の名前はルミナ。ルミナ=アルージ。ルミナとでも呼ぶといいわ。…………それと、さっきのはなんでもないから、気にしないで」


「へぇ、ルミナさんですか。いい名前ですね」


ルミナを気遣い、アルクは敢えて先の話題を持ち出さないように配慮する。本当のところとてもきになるところであるが、何やら触れて欲しくない事情がありそうなので、ここではデリカシーのない事は聞けないだろう。しかし、彼女を気遣った歩くとは対照的に、ルミナは唐突に爆弾を投下する。


「えっち」


「は!?なんでそうなるんですか!?」


「だって、それってナンパでしょ??視姦してたんでしょ?」


「……………………」


そんな彼女の曲がりくねった解釈に、こりゃダメだと呆れ返ったアルクは、小さく溜息をつくとにこやかに手を振って、


「………………短剣、見つかるといいですね。頑張ってください」


と言って、元来た方向へと向き返し、まるで何事もなかったように歩き出した。


「ちょ、まって!ごめんなさい!冗談!ほんの冗談のつもりだったの!!!」


と、 弁明するルミナであったが、時既に遅し。慌てたルミナがアルクの手を引くもなんのその。アルクはそのまま歩き続ける。


「ちょ、まって!分かったわ!短剣取り戻すの手伝ってくれたら何でもするから!本当何でもするから!だから待って!!」


悲痛な少女の叫びに、さすがのアルクも少しばかり罪悪感を感じたようで、立ち止まって彼女の懇願を受け入れる。


「分かりましたよ。手伝えばいいんでしょ、手伝えば……」


仕方なく億劫そうにそう言ったアルクに対し、ルミナはニタァと不穏な笑みを浮かべる。


「あ、でもえっちな事以外ね!」


そう言ったルミナに、今度こそアルクは愛想を尽かしてしまった。その後、数分にわたり平謝りを続けたルミナを海のように広く深い心で許し、アルクは再び先の西区の商店街へと歩みを進めていった。


「ねえ、アルク。質問なんだけど、あなた私と近くにいて、ときめくっていうか、変にドキッと感じる事はない?」


賑わう商店街の中、唐突にそう言ったルミナにアルクは半ば呆れ切りながらも、若干の動揺を隠せずにはいられなかった。なにせ隣を歩いているのはシルクのような美しい金髪に、天使のような完璧な造形美の顔にスタイルを有した少女なのだ。先のやり取りがあったとはいえ、アルクもさすがに男である。ぶっちゃけすっごく綺麗だなぁと、出会ってからというもの思っていたのだ。そんな心中を見透かされたのか、と思うのも無理はない。ぶっちゃけときめくかときめかないかと言われたら、無論ときめいている。さらにはルミナにそんな事を言われたので、特に意識はしていなかったのだが、先のお姫様だっこを思い出し、アルクは頬を赤めてしまった。さらにはルミナの顔が今までになく真剣なのだ。ここは本音を吐露しても悪くはなるまい。


「ま、まぁ……それだけ美人なら、みんなときめくものじゃないですか?そりゃ、ドキッとは……」


対し、ルミナはそんな答えが返ってくるとは思っていなかったのか、アルク以上に顔を赤面させていた。どうやら満更でもなさそうだ。しかし、それはどうやらルミナの質問の意図を解していなかったらしく。


「え!?……いや、そういう事じゃなくて……その、何ていうか……私と他の人と、何か違う感じがしなかった?こう、何ていうんだろう、共鳴感っていうのかな……そんなもの」


(あれ、もしかして今俺ってすっごいイタい事言っちゃった!?)


そんな心中を悟られないように、アルクはあくまでも平静を繕う。


「ま、まあ……確かに。ルミナさんに触れた時とかは、特に……」


思い返せば、確かに他の人とはどうしても異なる存在に思えてならないのだ。このルミナという少女は。加えて、屋根の上を走っていた時に、アルクは未知の感覚に襲われていた。


(…………あれは、何だったのだろうか)


「そっか……なら、偶然じゃなかったのね」


「え?何がです?」


「いや!なんじゃないわ!こっちの話よ……」


「…………そうですか」


そんな会話し、二人は商店街を白い制服の集団に気を使いながら歩いていた。


「…………てことは、自分では気づいてないのね……」


そんなルミナの呟きは、アルクには聞こえずにいた。


先の衝突の場、王都西区のサントール商店街は、王都では一、ニを争う繁華街である。日が開けると同時に朝市が開催され、日が沈んで数時間にわたるまで執り行われる夜一に至るまで、一日あたり王都の人口の10分の1にあたる20万人が訪れる。商店の店員たちの逆引きや宣伝の声、また利用客の値切る姿や店員に愚痴を垂らす姿まで、この町の風物詩と化している。王都に行くならサントール通りには絶対に行っておけと郊外の人々が口を揃えて言うほどに超のつくほどの観光名所だ。構造建築物が次々と建設される王都において、まるで時代の流れに反骨するかのように煉瓦造りの建物が立ち並び、大型商業施設が絶大な集客力を誇っている中でも、かつての賑わいが今もなお健在で、王都最大規模の経営力を誇るマリーチェグループでさえも、その牙城を全くもって崩せずにいるのだ。


王都にサントール商店街ありと言われる、そんな場所で、先刻まで刀を用いた命のやりとりが行われていたのだ。約一時間を経過した今でさえ、軍の人間が一部駐留しており、人々は騒然としていた。そんな様子には目もくれず、ルミナは人ごみの中をスイスイと通り抜けていく。無論、慌てふためいたアルクは、彼女を制止しようとその後を追う。


「ちょ、ルミナさん!何やってるんですか!」


「ん。何って短剣が放置されてるかもしれないじゃない?誰かに取られる前に早いうち回収しないと!」


と、さも当然のように口にするルミナに、アルクは呆れ返った様子である。


「何やってるんですか……そんな堂々と……ここにいるから捕まえてくれって言ってるようなもんですよ!!背後から襲われたりでもしたらどうするんですか!?」


つい声を大にしてしまうアルクに対し、ルミナは至って冷静である。


「だからあなたがいるんでしょ?守ってよ。見た感じあなた強そうだし」


「だからってそんな迂闊に……あの赤い髪の人にでも見ったらどうするんですか……」


と、フラグの立つようなセリフを吐いてしまったアルクは、眼前の光景に心底腰を抜かした。あまりのタイミングの良さに、本当に自分のセリフがフラグを立ててしまったのではないかと疑ってしまう程に______


「ん?どうしたのよ?そんなに眼を見開いて……」


依然、ルミナは気づいていない。


「いや、後ろ……」


「ん?後ろ……」


と、後ろを振り向いたルミナは、あまりに唐突な、かつ圧倒的な不幸に思わずその場に崩れ落ちてしまった。


「…………戻ってくるとは思ってたが……こんなに早いとはな。案外待ってみるものだな……」


突如として現れた赤髪の王国軍の第五師団長は、静かに腰の刀に手をかけた。


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