第3話

「ピピッ!ピピッ!ピピッ!ピピッ!ピピッ!…!!」



私は目覚まし時計の音で起床時間に目を覚ます。どうやら二度寝をしてしまった…。


少し眠気が残りつつも私は布団から体を起こし、目覚ましのアラームを止めてそのまま台所に向かい何時ものように朝食を作り始める。


築30年程のワンルームマンションにある備え付けのガスコンロの下の戸棚から私は小さめの底の浅いフライパンを取り出してガスコンロの受け皿に置き、


コンロ横に置いてあるサラダ油を取ってフライパンに油を垂らして火を着ける。


ガスコンロに対面して私の後ろ側に振り向き、一人暮らし用には丁度良い少し小さめの紺色の冷蔵庫から卵を1つ取り出し


片手で手慣れたように卵をフライパンの角で割って十分に火が通ったフライパンに入れて目玉焼きを作る。


少しの水をフライパンに入れて蓋をして目玉焼きが出来るまでの間、冷蔵庫の上に置いてある茶色の太い和紙の組みひもで出来た直径30cm、


深さが15cm程の籠の中の6枚切り食パンが入っている袋から食パン1枚を取りだす。


冷蔵庫の横にある腰丈の薄茶色で上下二段になっているウッドラックの上段部に置いてある2枚焼き用のトースターで取り出した食パンを焼く。


程よく焼けた目玉焼きに塩を少々ふりかけ、フライパンのまま鍋敷きを手に持ちリビングにあるちゃぶ台に鍋敷きを下に目玉焼き入りのフライパンを置いた。


冷蔵庫を挟みウッドラックの反対側にある自分の背丈程ある食器棚に向かい、食器棚からコップとインスタントのコーヒーと


ミルクを取り出しトースター横に置いてあるポットでお湯を入れてコーヒーを作る。


コーヒーをかき混ぜている時、焼き上がりの合図とともにトースターから食パンが飛び出す。


リビングにある一人用のちゃぶ台の上には先ほど作った目玉焼きにコーヒーが並び、焼けた食パンの上にはバターが良い匂いを出しながら溶けている。


私は箸で一口サイズに目玉焼きを取り分けながら食パンと一緒に食べる。癖になる美味しさを味わいコーヒーを啜りながら私は幼い頃の事を思い出していた。


私はあの不思議な夢?の事を思い出す度にあれは一体何だったのかどうしても気になってくる。鮮明に覚えてるもの気になる原因の一つだ。


幼少の頃に住んでいたあの家から私が救助されて入院し、病院を退院してそのまま施設に入った。


そして私が中学を卒業する時、高校進学の為に施設を離れる事になったので当時、助けてくれた警察官の方に私はお礼を言いに会いに行きついでに当時の救助された状況を教えてもらった。



救助された所の管轄署に行ったが当時、助けて頂いた警察官の方は転勤で違う署に移っていたが私の事情を話し、転勤先を教えてもらって後日会う約束を取ることが出来た。


私は助けて頂いた警察官の方が勤務している署に向かい助けて頂いた警察官の一人に会うと偶然にも当時一緒にいた警察官の方も同じ署に努めていたので連れてきてくれた。


当時、私はろくにお礼を言えなかったので二人の警察官の方に改めてお礼を言うと少し涙ぐみながら喜んでくれた。


私はしばらく二人の警察官の方と雑談をして当時の私の状況を詳しく教えてほしいをお願いしたら二人とも少し考えて言葉を選びながら当時の事を話してくれた。




小さい体で暴行を受けながら意識が遠のいていく時、突然ドアから入ってきたのは福祉課の職員と二人の警官だった。


救助される数日前、幼い私が住んでいた部屋の同じ階に一人暮らしをしていた男性がその日たまたま仕事の帰りが終電になり深夜遅く帰宅するその途中、


その男性が住んでいる階の廊下で私が部屋に向かう後姿を発見した事がきっかけだったと助けてもらった警察官の二人の内、一人が言ってくれた。


深夜、幼い子供が薄暗い市営マンションの廊下を一人で歩いている事にその男性は一瞬驚いたがそれ以上に幼い私の姿が余りにも現実味が無さ過ぎて幽霊だと思い


その場にしばらく立ち竦んでいたと私を発見した男性が事情聴取の際に少し引きつった顔で話していたと警察官の方が続けて話してくれた。


息が白くなる程、寒い日なのに4才~6才程の姿にお腹の部分が少し見える丈の小さな半袖を着て下は半ズボン、白地だが所々に黒ずんだ赤い色の汚れがあり、


着ている服やズボンは小さいがブカブカに思えるほど腕や足は細く骨と皮の状態で素足のまま片足を引きずりながら歩いていたその異様な光景のせいで私が部屋に入るまでその男性は声が出なかったらしい…。




当時、私が部屋から出るのはトイレの時だったからその時、偶然見かけたのだろうと思った…。




その男性は自室に入りすぐに警察に連絡、翌朝にはマンションの管理人と再度警察にも連絡し、


その日の夕方頃に二名の警察官と市職員そして怪我人がいる可能性がある為、救急車と共に到着。


問題の子供が入っていたとされる部屋の前まで到着したと同時に中から怒鳴り声と暴行している様な音が聞こえて急いで侵入し意識がもうろうとしている


血だらけの幼い私を発見し救助して病院まで搬送したと警察官の人が言い、そして一人の警察官の人が付け加えてその時、


たまたま友人に救急隊員の方がいて容易に連絡がつき救急車の同行もすぐ出来たから病院までの搬送が迅速に行えて大変助かったと当時を振り返りふと思い出したかの様に言った。


救急車で病院に運び込まれ緊急入院し退院後、市の養護施設に移る事になったのだが病院の手続きの時、私の戸籍や出生届が無く名前すらない状態だった。


当時の私は会話をしたことが無く言葉がわからなかったから聞くにけない状態だった。此処まで話を聞いていた私は警察官の人に母には聞けなかったのですか?、と聞いたら


母も名前や身元すら確認出来るものも無く私が救助された時、奥のリビングで発見されたのだが言葉が通じない状態だったと言ってくれた。


私は二人の警察官の方にもう少し詳しく教えてほしいと言ったのだが教えてはくれなかった…。


二人の警察官の方は続けてDNA鑑定で母とは親子だと確認できたのだが問題の原因である父とはDNA鑑定で血が繋がっていなかったと確認された事を私に言ってくれた。


私はどういった経緯で私や母がその父親と思っていた男と一緒に暮らしていたのか知りたかった。


当時、母はおそらく14~18才だったらしく女性と言うより少女と言った姿だったらしい…。そして父と思っていた男は30代~40代の中年で全くの赤の他人…。


何時頃から、なぜ一緒に居てるのか、母はどうして逃げられなかったのか等々、いろいろと父親と思っていた男は答えなかったのですか?、と私は警察官の方に聞いたが


唯一その理由を聞ける人物である父と思っていた男は私が発見されてた直後、台所で二人の警察官に取り押さえられていたが私が救急車に運び込まれた後、暴れだし近くにあった刃物を取って


部屋を出て行き、走っている車を止めて逃走しようと思ったのか慌てて道路に飛び出した際、トラックに跳ねられて死亡したと言った。


それから私が救助され、病院で入院している時に母親も救助され、同じ病院に運ばれた。


病院に居てる間でも母の状況は変わらず言葉が通じない状態だったので状況が解らずじまいだったと二人の警察官の方は話してくれた。


数日たったある日、警察官の方が状況説明の為訪れたがその時、部屋に母の姿が見えなかったので病院の人と探している途中、


屋上から飛び降りて亡くなった…と二人の警察官の方が少し考え、意を決したかのように私に話してくれた。


私は意識を取り戻したが集中治療室で体が動けない状態だったので母が同じ病院に居る事すら知らなかった。


その男の名前や母の事…、その他の情報が知りたかったが警察官の方は教えてくれなかった。


私は一通り警察官の方に詳細を聞きお礼を言って警察署を後にした。



次にお世話になった病院に足を運んだ。運良くその日はお世話になった先生が診察している日だったので


受付で事情を説明したら有難いことに少し時間を取ってもらえることが出来たのでナースステーションで看護師さんと共に話を聞けることが出来た。


10年近く前になるので看護師さんは婦長さんしか居て無くなっていたのが少し寂しかったが顔を出した時、婦長さんは私の事を良く覚えていてくれたので凄く喜んでくれた。


少し経って先生が来てくれたのですぐお礼と高校進学の為、此処から離れる事を伝えた後、当時の私の事を教えてもらった。




救急車から運び込まれた私を見て絶句したと先生は言った。年齢は体格から見て4~6才程だと推測したが体重は余りにも軽く年齢の半分程しかない感じで


服装も冬にもかかわらずサイズは小さ目の肌着しか着ていなく、服やズボンには以前ついたと思われる血の汚れや黄ばみが目立ち腕や足は骨と皮しか無いくらい細かったと先生は話してくれた。


鼻と前歯が折れ、背中の骨にもヒビが入って体中、傷と殴られたアザだらけ酷い栄養失調と加えて非常に衰弱していて何時死んでもおかしくない状態だった。


すぐに緊急手術をしたが助かる見込みは少なかったと先生は少し躊躇うように話してくれた。


緊急手術が終わり集中治療室で予断を許さない状態が2、3日続き意識が戻った後、信じられない速さで回復していった。


先生曰く、本当の奇跡が起こったと思ったらしい…。意識が戻った後も私が言葉を知らず喋れない事に先生は驚き、さらに膝を抱えて座りながらしか寝れない事に


気づいた時、当時看護師だった婦長と先生は涙を堪えるのに必死だったと当時の事を思い出して少し涙ぐみながら話してくれた。


それから暫くしてようやくベットに普通に寝られる様になった頃、婦長が先生の所に驚いた表情でやってきて私がたどたどしいながらも言葉を使っていると聞いた時、


すぐに先生は私の所にやってきてその学習能力の高さに婦長さんと一緒に驚いたと話してくれた。


その頃から絵本や小学校低学年用の学習書等、試に渡されて一回目を通すと見た本全て覚えている事が解り更に先生と婦長さんは驚いたと言った。


完全記憶能力と言うらしく一度目にしたものを写真の様に記憶して忘れない能力らしい…。入院していた3ヶ月半程の間、退院して施設に移る頃に私は普通に言葉を理解し、勉強もほぼ小学校6年生の


学習内容まで終えていた。退院の時はお世話になった看護師さん達に抱きしめられ、先生にも抱きしめられて髭が痛かったと当時の感想を先生に言ったらばつの悪そうな顔で笑ってくれた。


時間が少ししか無かったけど私は当時の状況を聞いてお礼を言い病院を後にした。

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