第2話 暗闇の中の恐怖
「可視光吸収装置」の発動により、現在視界に映るのは分厚い闇だけだ。
普通の人間なら自由に動くのは困難だろう。
しかしオレは覚えている。闇に包まれる直前まで視界に映っていたすべての机の位置、水野が立っていた場所。ここまでは記憶力が「優れている」の次元。
そしてオレは覚えている。この1週間、教室において、オレが移動した際の歩数や床の感触、自分の足音の響き方などすべてを。これが「異常」の次元。
オレは鞄を持ち、足音を立てずに水野の元へ向かう。右、3歩。左、2歩。ここだ。明らかな人間の気配を感じ、確信をもつ。
「水野、オレだ。今から机を蹴る。よく聞いてて。」
「桐谷くんっ…」
ドンッ!! ガッシャァァ。オレは思い切り机を蹴り、水野の耳元でささやく。
「これからは筆談。手に、英語で。」
最低限のことを伝え、水野の手を握った。この教室内に、オレたち以外の何者かが侵入している可能性は高い。そしてまたかなりの確率でそいつは「敵」だろう。そうなれば、音声は大事な情報源となる。
「はっはぁああああ!!!!!!!!!!!」
なんだ!? 暗闇の中から、突然男の声。その声量にも驚いたが、いかにも狂気を感じさせる声色に鳥肌がたつ。なんだこいつは?音の源は教室の中。しかも先ほどまでオレがたっていたあたりだ。予想通り、「敵」がそこにいる。
「はっはあああああ!!!!男がいないぞぉおおおおおお!!!!ナイフに、肉が、ささらなかったぁああああああ!!!!やりたいやりたいやりたいやりたいやりたいやりたいやりたいやりたいやりたいやりたい!!!!」
男?ナイフに刺さらなかった? この男は「オレを殺そう」としているのか!? 初めて向けられる強烈な殺意。暗闇も相まって、いまだかつてないほどの恐怖がこみ上げる。ヤバイヤバイヤバイヤバイ。15年間、普通に行ってきたはずの呼吸。その呼吸さえ今はおぼつかない。
「はっはぁあああああああ!!!!」
ガッガッガッガッ。ナイフで机をめった刺しにしているような、嫌な音が響く。本当に何者なんだよこいつは?? こんなのまともじゃない。意味が分からない。ヤバイ、本当にヤバイ。誰か助けてくれ。
教室が闇に包まれたあのとき、オレは冷静だった。そして自信に満ちていた。
しかし、敵が「闇」から「人」に変わった瞬間、そして「死」を意識した瞬間、オレは肉の塊になっていた。死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ。何も考えられない。ただ恐怖を感じるだけ。 人間とはこれほど弱いものなのだろうか。想像を超える未知を目の前に、完全に思考は停止していた。
そのとき―――オレは水野の左手によって引き戻された。水野の小さな手が、暖かい手が、オレの右手を強く握る。怯えていた。その左手は。しかし、オレの右手よりもはるかに前を向いていた。
そうだ、こんなところでは死ねない。死にたくない。考えろ―――。オレは肉塊をやめた。
敵もこちらを視認できていない。可視光が一切反射しないこの空間において、普通の暗視スコープは機能しないはず。それに、さきほど相手はオレを殺り損ねた。見えないのは相手も同じなのだ。
大丈夫。握っている情報の量はこちらが圧倒的に多い。
『FOLLOW ME』
水野の左手の平にをそっとなぞり、オレは動き出した。
今対峙している正体不明の敵の名を「ちこぴー」と名付けよう。もし「ちこぴー」が殺しのプロであれば、すでにオレたちは死んでいたに違いない。
しかし幸いなことに、「ちこぴー」は殺しを楽しんでいた。目的はオレたちの死かもしれないが、やつにとってはその過程を楽しむことも大事なのだ。
「はっはぁああああああああ!!!! 頭痛が痛いよぉおおおおおおおお!!!!」
ほら、とっても楽しそう。声の位置からして、「ちこぴー」との距離はまだある。オレは水野の手を引き、黒板側の出口へと向かった。
音をたてないようゆっくりと。水野の手を握りしめ、一歩一歩を踏みしめる。あと少し。3歩、2歩1歩―――。
オレの記憶が正しければ、まぁ正しいのだが、50㎝ほど前方に扉がある。そして扉は全開だ。
よし、とにかく教室からは出られる。胸をなでおろしながら前に…進めない!? 念のため前方に伸ばしていた手が、扉の存在をしらせる。なぜだ!? さっきまで空いていたはずなのに…。まぁいい。これを開けた瞬間にダッシュだ。
『OPEN DOOR RUN』
水野の手の平に伝える。ドアを開けるとなれば確実に「音」がなる。オレたちの居場所が分かれば「ちこぴー」がこちらへ向かって来るだろう。襲われる前に逃げなければならない。廊下に出たら全力疾走だ。
自分が教室から脱出する姿をイメージし、扉に手をかける。よし。
――――ガッ!! 勢いよく空くはずの扉は1cmほどしか動かなかった。
はっ!? おそらく内側から掛かった鍵ではない。外から棒でもはさんであるのだろう。まずい!! 完全に気付かれた!! どこへ逃げる!?
「はっはぁああああああああああああ!!!!みぃつけたっ!!!!みぃつけたっ!!!!みぃつけたっ!!!!」
「ちこぴー」の歓喜の声が聞こえ、再び沈黙が訪れる。
どこだ!? どこから来る!?
左手が強く握られるのを感じる。水野は黙ってオレについてくるだけ。何もわからないまま、手を引かれ、進み、自分の中で恐怖と戦っている。この極限状態の中で他人に命を預けるのがどれだけ勇気のいることか、想像に難くない。
とにかくこの場所が危険なのは自明。早く移動しなければ! 廊下側、1列目と2列目の机の間を進む。心臓の鼓動が体中に響く。この音で気付かれやしないだろうか? とにかく気が気でない。決して音を立ててはならない。そんなこと分かってる。しかし自然と歩調は速くなる。進みたい。前へ。もっと前へ。ここじゃ危ない。
ガッシャアアアア!!! ドンっ…!!
机の倒れる音、そして教室が揺れる音。「ちこぴー」は前2行目の机あたりから突然ダッシュをはじめ、机をなぎ倒しながら扉に体当たりした。見ることはできないがそんなところだろうか?
おそらく現在4mほどしか距離がない。オレの後ろにいる水野はもっと近くに感じているはずだ。
「はっはぁあああああああああああああ!!!!頭痛がぁ、頭痛が痛いのにぃいいいい!!!!」
ガッシャアアアアアア!!! ガタンっ! ガタンっ! 「ちこぴー」が机をなぎ倒しながら移動している。とにかく教室内にいれば見つかるのも時間の問題だ。
早く出たい! 後ろの扉へ! 早く、早く――。
ガッシャアアアアアア!!! 今度は教室の左前で机が倒れる。ガタンっ、ガタンっ…。その音はオレたちの方へと向かってきていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます