第3話、あるいは入学式およびある少年にまつわる人々の苦労(愚痴)話④

 「申し訳ありませんでした! その、俺のせいであんな騒ぎになって……」


 会場の中のホールではなく、二階の一室に連れてこられる。部屋の中は誰も居らず、そこで春翔は土下座でもせんばかりに深々と頭を下げていた。


 「いえいえ、お気になさらないでください。むしろ新入生をこういう事態から未然に守れなかった、わたくしたちの落ち度です。不愉快な思いをさせてしまい申し訳ありませんでした」


 同じように礼をする彼女に対し春翔は申し訳なさで一杯になったが、顔をあげた彼女の大人っぽい柔らかな笑みに、毒気を抜かれたように放心してしまう。


 「しかしながらあの会社は本当に悪質ですわね。こんなことになるから今年こそはあの社だけでも取材を拒否しましょうとあれほど申し上げましたのに。それに警備員の到着も遅いですし、そもそも会場に近づかせるなんて怠慢以外の何物でもありませんわ。来年度からは報道陣を含めた外部の人間の動きをもっと徹底的に管理しなくては。

 ああもうこの忙しいのにあの会社は面倒事を起こして本当に腹が立ちますわ! いっそ潰してしまえば世のため人のためというもの……って、ああごめんなさいまし!? 貴方がいらっしゃるのを忘れてついべらべらと!」


 暴走気味に言葉を続けていた少女だったが、春翔の存在を思い出し狼狽する。その様を見て春翔は苦笑し、


 「いえ。愚痴の一つでも言ってないとやってられないくらい忙しいってことは、俺……いえ、自分でも分かりましたから」


 そう言う椿に少女はホッと胸を撫で下ろし、「こほん」とわざとらしく咳払いをする。


 「まだお礼を言ってなかったですね。ありがとうございました。それから見事な体捌きでした。さすがは桜咲先生の甥御さん、と言ったところでしょうか」


 笑みを浮かべて、どこか楽しそうな口調で少女は言う。


 「いえ、椿さ……じゃなくて、叔母……でもなくて、慣れないな。桜咲先生に比べれば、自分なんてとてもとても。それよりもあなたの方が自分には凄いと思いますけどね。多分合気だと思ったんですけど、あんなに体格差ある相手をよくあそこまで飛ばせましたね」


 感嘆の思いを込めて言いながら、春翔は先ほどの光景を思い返す。

 インカムに伸ばした手を大男の左手で掴まれる。そのときに素早く掴まれた手首を下ろして握りから逃げつつ、相手の腕を両手で掴んで投げる。

 少女の滑らかな動きに舌を巻く思いだったが、それでも165cmほどの彼女が190cm越えの者を宙に浮くぐらい投げるというのは、春翔に疑問を抱かせるほどに不自然な光景だった。


 「流石ですわね、やはり見えていましたか。ですがわたくしも、生身でならあそこまで投げ飛ばせませんよ? そういう意味ではちょっとインチキをしてしまいましたが、男女の差があるのですからこれくらいは大目に見てもらえますわよね?」


 悪戯っぽく言う彼女に対して、少年はさらに疑問符を抱く。少女の着ている服装は学校指定の制服であるし、今と同じように、あの時も丸腰だったのだ。少女の言葉の意味を測りかねて、春翔は困惑する。


 「それにあの時男が立ち向かってくるのは気付かなかったのですけど、攻撃したところでわたくしに傷をつけるのは難しかったと思いますよ?」


 微笑みながら言う彼女に、春翔は益々困惑を深める。警棒などではなかったとはいえ、あの三脚で無防備に頭を殴られでもしたら、死にはしないにしても大怪我になることだってありえたはずだ。


 「あの、おっしゃっていることがよく……?」


 疑問を口にしたところで、春翔の唇に彼女が右の小指の先を当てる。その仕草と表情が相まって彼女を艶やかに見せ、女性に対する経験の乏しい青少年の心臓に、これでもかと衝撃(ダメージ)を与える。


 「殿方が女性の言葉に口を挟むなんて、野暮ですわよ? 紳士なら淑女の言葉を十まで言わせずに察するか、分からないなら沈黙で余裕を装うもの」


 指を唇から顎、首をなぞり、鎖骨と鎖骨の間の窪みまで滑らせる。トーンを落としたその声音と、皮膚を触れるか触れないかの瀬戸際で滑る感覚に、痺れに似た緊張を感じて春翔は大きく喉を鳴らせる。


 「まあでも、先ほどの貴方はとても紳士的、というか、男性的でしたわ。誰にも許したことのないこの身体を無理矢理に引いてその身体で受け止めてくださるなんて、箱入り娘の私からすればその……とても、そう。


 とても、新鮮なことでしたわ」


 言葉を詰まらせながら言葉を紡ぐ彼女の、その表情と瞳は僅かながら確かに熱を帯び。

小指だけで触れていた右手は、やがて手の平全体で春翔の胸の中心に置かれる。まるで直接心臓を握られているかのような甘い感覚に、心臓がその鼓動のピッチをさらに加速させる。


 「いやいやいやあのあの、あれは不可抗力といいますかとっさの無意識のことでして、決してあなたのその魅力的なお身体に触れたいとかいう邪な下心で行ったわけではなく……!」


 極度の緊張から早口にさらっととんでもないことを口走るが、それに気付かないほどに自身の心臓が悲鳴を上げていた。裏返りそうな声や震える自身の身体を押さえようと必死に目を瞑り、


 「ぷっ」


 「……へ?」


 突如響く破裂音に似た音に、春翔は思わず間抜けな声をあげる。胸に置かれていた右手は離れ、少女はうずくまりながら身体を震わせていた。声を殺しているものの、漏れ出る声が笑い声であることは明らかであった。


 「ちょっ、えぇ!? からかってたんですか!?」


 今になって込み上げてきた恥ずかしさに、春翔は思わず声をあげた。


 「ご、ごめんなさい!……いやだって、桜咲先生の甥御さんって聞くからどんなクールな人かと思ってたらクク、こんな……」


 今度こそ堪えきれずに笑い声をあげる少女に、春翔は頭を抱えたくなった。


 「~~~~っ! 俺! もう下のホールに降りてます!」


 叫び声に近い大声で言い、笑い続ける少女を無視して、春翔は部屋をあとにしようとする。


 「あ、お待ちください!」


 無視してしまいたかったが、春翔は律儀に振り返る。精一杯不機嫌な表情を作ったつもりだったが、今となってはそれが全く意味を成さないことを、春翔は気付いていない。


 「入学式が終わったあとに、もう一度この部屋に来てください」


 「はぁ? なんでまた」


 笑い過ぎて涙を滲ませながら言う少女に対して、ぶっきらぼうに言う春翔。


 「どうしてもです♪ お願いします、先輩の頼みと思って」


 弾むように言う少女に、悔しみながらも可愛いと思わせる彼女に対して、


 「……覚えてたら行きますよ!」


 乱暴に言って、そのまま乱暴に扉を開けて出ていった。




 「いやー、面白い人でしたわ。久しぶりにあんなに笑わせてもらいましたわね」


 春翔が出た部屋に一人残る少女は、無人のその場所で声をあげる。そうしてしばらく満面の笑みを浮かべていた少女だったが、次第にその笑みを強張らせ、春翔に悟らせなかった自身の羞恥を、表情を朱色にすることで外界へと放つ。


 「桜咲春翔(さくらざきはるか)、ですか……女の子みたいな名前の割には、行動も見た目も立派な男の子ですわね。新鮮だったって言ったの、あれ、割と本気だったのですよ?」


 今は居ない少年に言うように、少女は一人呟く。あの時、少年があそこまでテンパってくれていたから冷静に笑って誤魔化すことができたのだ。もし春翔が冷静に、そしてもう少し異性に対して扱いの術を身につけていたらどうなっていたのか。


 そこまで自分が惚れっぽい性質だとは思っていない。


 けれど。


 果たして自分は、その空気に飲み込まれずにいれただろうか。

 

 

 唐突にポケットから着信音が鳴る。


 「ひゃい!?」


 普段の学校の生徒ならまず聞くことのないような声をあげて、慌てて自身の端末を起動させる。

 展開されるディスプレイに映るのは。


 「輝羅(かぐら)か。今どこに居る?」


 先ほどまで話していた少年の叔母、世界最強を担う殿堂騎士(パラディン)の一角、桜咲椿だ。


 「申し訳ありません桜咲先生。今控え室に居る所ですわ」


 「ホール内か。ならいい。開式は予定通り9:00挙行だ。それまで体を休ませておけ」


 「労いの言葉、痛み入りますわ」


 会釈するように、輝夜は頭を下げた。

 本来なら桜咲椿を前にして、そう易々と普段の調子で会話できる者は少ない。世界最強の肩書もそうだが、華やかながらも刀を思わせる美貌は、目の前に立つだけで人を委縮させてしまう。


 「そう言えば会場近くで一悶着あったそうだが、大丈夫か?」


 「無論、怪我人はゼロですわ。か弱い女子に向かって襲いかかってきたところを返り討ちにされて、昏倒させられた愚か者を含めなければ、ですが」


 「ハッ、お前が『か弱い』なんてタマか。お前でか弱いなら、世の女の九割方がミジンコになるだろうよ」


 「そんな、先生ひどいですわ!」


 ましてやこんな軽口を叩き合える者など、身内を含めなければさらに限られる。


 「朱日の連中の処分は如何ほどに?」


 「すぐに警察にぶち込んだ。お前とハル……桜咲を訴えると息巻いていたが、あれだけの衆人環視の下で、おまけに監視カメラにも映ってるのにどうゴネてくるのか見物じゃないか。まったくあいつら、ほんとに頭沸いてるよ。ああ、桜咲……違うな。うちのハルが迷惑をかけた。すまない」


 「いえいえそんな。……言い直す部分も、ほんとにそっくりですね」


 「ん? 何か言ったか?」


 「いいえ、何もありませんわ」


 それでも、学生の身分で椿に向き合える人物が居るのだとすれば、それ相応の実力とそれに裏打ちされた自身への、確固たる自信を持つ者でなくてはならない。


 「後ほど詳細な報告書を提出致しますわ」


 「いちいちいいよ、と言いたいがすまない。向こうが万が一訴えてくるのならこちらも相応の準備が必要だ。よろしく頼む」


 「お任せあれですわ」


 「ところで、何かいいことでもあったか?」


 「えっと、それはどうして?」


 「いやあ微妙に顔赤いし、声も心なしか明るいものでな? 何かあったのかと思ったんだが」


 それはすなわち。


 「よく見てますわね……。その件については、気が向いたら報告しますわ」


 「私個人としてはそっちの報告を聞きたいところではあるが、別の日にするか。それじゃ、最後まで頼んだぞ、生徒会長さん?」


 学内最強(せいとかいちょう)を置いて、他に居ない。


 「分かりましたわ」


 通話を終了し、ディスプレイを解除してポケットに仕舞う。そうして瞑目して深呼吸をし、ゆっくりと目を見開く。


 「さて、気を抜かずに最後までやりますか。生徒会長、月夜神(つくよがみ) 輝羅(かぐら)、参ります」


 静かに気合いを入れた言葉が無人の部屋へと溶けるのを聞き届けて、輝羅は控え室をあとにした。

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