第3話、あるいは入学式およびある少年にまつわる人々の苦労(愚痴)話③

 コミューターに揺られること20分と少し、7:52に入学式会場である大講堂ホール近くの停留所を降りて、春翔は会場を前にする。


 「うわぁ……デカいっていうか、高そうだな。ほんとにここ学校の施設ですかね」


 国際会議場と言われても信じられるほどの上質な建物に、若干の気後れを感じる。

入り口前に大きく立てかけられた『第182回国立精霊騎士学校高等部入学式』と書かれたパネルは、現在では珍しくアナログの、投影画像ではない本物だ。人の手で作られたことを感じさせるどこか温かなデザインに、春翔は燈華の下で暮らしていた時の学校生活を思い出す。


 会場周辺には制服姿の生徒とその親兄弟が楽しげに会話し、会場やパネルの前で写真を取り合う姿が見受けられる。


 (父さん母さん、優華が居たら、ちょうどあんな感じだったかな)


 両親を亡くし、父方の祖父母にも拒否された春翔と優華を、叔母である椿と師の燈華は優しく迎え入れてくれた。何不自由なく過ごせたし、両親と同じように愛してくれた。親が居ないことを揶揄われても、惨めさを感じたことなど一度もない。

 だがいざ目の前の光景を見ていると、一人だけ佇む自身の胸には、やはり幾ばくかの寂寥感がこみ上げた。


 自身の胸のうちを無視し、会場の中に入ろうとしたところで、


 「すいません。あなた、桜咲春翔さんですよね?」


 後ろからかけられた声に、春翔は振り返る。

 目に入ってきたのは、二人組の男。

 一人は小柄で髪が大きく額から後退し、眼鏡をかけた細い目の男。その右手にはマイクと、そこからコードで左手の手帳型端末に接続されている。

 一人は190cmを超えているだろう、筋骨隆々の男。頭は短く刈り上げられ、様々な荷物を肩から下げている。


 「えっと、そうですけどあなた方は?」


 どことなくニヤついたような表情の二人に不信感を抱きつつ、春翔は言葉を返す。


 「ああそうでしたそうでした。申し遅れてしまいましたが、我々こういうものです」


 大仰な動きで驚いたようにみせる眼鏡の男が、一度両手の器具を腰に戻し、名刺を春翔に渡す。受け取り、そこに書かれた所属組織の名前を読みとる。


 「朱日民報社(あけひみんぽうしゃ)、ですか。それで? なんか御用です?」


 朱日民報社。政府、および精霊騎士に対する批判が目立つ報道社であり、行きすぎた取材が度々ネットで非難されている。辛うじて敬語ではあるが、不信感を隠すことなく春翔は声をあげる。


 「いやだなぁ春翔さん。我々記者の用といえば、取材に決まってますよ、取材。少しお話をお聞きしてもよろしいですかねぇ?」


 そんな春翔の言葉もどこ吹く風というように、眼鏡の男はどこか煽るような声音で言い、腰に戻していたマイクを取り出し春翔に向ける。マイクで拾った言葉は手帳型端末に文章化されていくようで、垣間見える画面から文章が描かれていくのが見える。


 「とりあえずそうですねぇ、世界初の12歳以降での精霊契約を果たしましたが、何か感想は?」


 まだ了承するかしないかの返事も待たずに、記者は進めるようだ。


 「ノーコメント」


 入学前に椿から言われたように、下手なことを言うまいとぶっきらぼうに春翔は告げる。


 「なるほど。やはり日本政府が独自に研究を進めていた人工契約資質者育成計画、そのサンプルということで口止めを指示されている、ということでよろしいですかね」


 「なっ……」


 あまりにも歪みきった解釈を垂れる記者を前に、春翔は絶句する。


 「ノーコメントということは、こちらがどう解釈してもそちらがそれで了承するということになるんですよ? いくら高校生と言っても、それくらいはご存知でないと」


 「ふざけんな! 何言ってやがる!」


 口調、イントネーション、そしてその内容が春翔の心を逆立て、思わず声を荒げる。


 「違うのですか? なら否定して、詳しくお話しくださいよー。じゃないと我々『一般人』の間で、よく分からないまま噂だけが独り歩きする、なんてことになりかねませんからねぇ」


 最早その粘つく笑みを隠そうともせず、一般人という言葉を強調して話す。思わず言い返してやりたくなったが、弁舌では明らかに向こうの方に分がある。


 「……式が近いので、ここで失礼します」


 そう踵を返し、会場に向かおうとする。しかしそこにはすでにもう一人の大男が春翔の1mほど先に立ち塞がり、威嚇するように指を鳴らしている。


 「おう兄ちゃん。こっちは国民の『知る権利』のために必死で働いてんだよ。ちっとは協力してくれてもいいんじゃねえのかアァ?」


 高尚な言葉の内容とは裏腹に、明らかに脅迫的な声音と口調であったが、その声量は春翔にしか聞こえないように抑えられている。振り向くと、後ろの記者はニヤニヤとその様子を見ながら、


 「まだ時間ありますし、少しで済みますから。ね?」


 と、異常に優しい口調で言うのだった。


 (こいつら……)


 大男に目線を戻す。そのまま押し通る自信はあるし、抵抗されたとしても無傷で切り抜けることもできる。しかしながら向こうに怪我でもさせれば、どんな記事を書かれるか分からない。自身のことならまだしも、そこから椿に派生することになればと考えると、春翔は下手に動けずにいた。そのときだ。


 「そこまでにしていただきませんか、朱日の方々」


 涼やかな声が、大男のさらに後ろの方から滑り込み、三人は思わず視線を向けた。


 彼女を一言で表すとするならば、嫋(たお)やかなる大和撫子だろうか。紺色がかった黒髪が後ろに結わえられて、白い首筋が映える。そして髪に挿された簪(かんざし)には藤の花があしらわれ、落ち着いた彩りを少女に添える。

 垂れ目気味の目つきが朗らかさを与えるものの、そこに宿る紺色の輝きは深く強い光を帯びている。

 歩く姿は芯が一本通ったかのようにぶれることがなく、淑やかさを周囲に振りまきながら優雅に三人の下へと近づく。


 「報道関係者の入場は9:00からであり、それまで生徒やその保護者あるいは関係者への接触は禁止していたはずです。他の会社の方々はきちんと守られておられるのに、どうして貴方たちはいつもそんな簡単なことすら守れないのかしら……」


 記者とその手下に向けてあからさまな侮蔑の色を込めて言葉を放った後。

 ホウ、と困ったように頬に手をやり、溜息をつく素振りを見せる。他の者が行うと芝居臭くなるその仕草も、彼女が行えば育ちの良さを伺わせる気品に満ちた所作となる。

 その仕草のあまりの優美さに思わず見惚れる春翔。その視線に気付いた彼女は、悪戯っぽくウインクを一つ飛ばしてきたのだった。


 同じように呆けていた記者であったが、その言葉の内容が頭で理解できたのか、顔を赤らめながら声をあげる。


 「あ、あなた方のような軍国主義の狗が指定してきた条件で、ただ映像や写真を撮るだけの愚昧は我が社に居ない! 我々は軍国化への象徴たるこの学校の真の姿を捉え、国民へと発信していく義務が――」


 「愚昧だらけですわよー? 貴方たちのような構成員を見てたら、その組織のおおよその高が知れるというものです。それに国民へと発信する義務、でしたっけ? 安心してくださいそんなものもう誰も、期待していませんから。ネットニュースによると電子新聞での購読者数、たしか三年連続で最下位でしたっけ? わたくしたち精霊騎士への批判だけではもう新しい読者層は得られないかと思いますが」


 眼鏡の記者の言葉を遮り、ひたすらに毒を吐き続ける。ともすればおっとりとした口調に聞こえるものの、その言葉には不思議な重みがあり有無を言わせぬ響きがあった。いつの間にか周囲の人々の目が集まり、そのうち誰かが警備でも呼んでくるのではないかと春翔は期待していた。


 「このガキ! 言わせておけば!」


 大男の方が怒りを顕にして少女へと凄みを効かせる。どうやら周りの視線に気付いていないらしく、その心象を悪くしていることに気付いていないようだ。しかし当の彼女は涼風にでも当たっているかのように素知らぬ顔で、


 「きゃあ怖―い。大変ですので、警備の人に来てもらいましょー」


 と、誰からも分かるような棒読みで、右耳に付けたインカムに指をかけようとする。


 「まずい! おい、そこの小娘を止めろ!」


 なりふり構っていられなくなったのか、記者がその手下に指示を飛ばす。それを聞いた大男は少女へと駆け寄る。


 「やべっ……!」


 一歩出遅れた春翔が駆け出そうとするも、大男の手が少女の細い腕を掴み、




 大男の身体が、鮮やかに宙を舞っていた。記者や投げられている大男はもちろんのこと、周囲の人間でさえ何が起こったのかが分かる人間は数少ないに違いないと、春翔はぼんやりと思った。


 「あら、ごめんあそばせ? 蝿か何かが止まったと思ったので、つい振り払ってしまいましたわ」


 涼しい顔をして、地面で悶えている大男に言う。そうして春翔のもとへと少女は歩み寄る。胸元に付けているのは、二年生を示す青いバッジだ。だが目の前の少女は、自身より一つ二つ上とは到底思えないほどに大人びていた。そんな彼女に見つめられ、春翔はドギマギしながら少女の言葉を待つ。

 しばらく春翔を見ていた彼女だったが、クスリと蠱惑的な笑みを浮かべて春翔に右手を差し出した。


 「来るのが遅れてしまい申し訳ありませんでした。さあ、会場に参りましょうか」


 穏やかな笑顔で言われて、春翔は言葉を失う。そうしてその手を取ろうとしたとき。


 彼女の後ろの方で悶えていた大男がいつしか立ち上がり、ビデオカメラ用の三脚を右手に持っているのを視界に捉える。その目は怒りで我を忘れており、少女の背中を見据えている。そして音を立てずに近づき右腕が振りかぶられたのを見て、


 (まずい!)


 咄嗟に体が動いた。

 少女の手を素早く掴み、強引に引き寄せる。


 「え、ちょっ」


 戸惑いの声をあげる彼女を無視し、無理矢理に引き寄せたことで生じる彼女の身体の勢いを、右腕と右半身を使って柔らかに殺す。

 彼女の横を通り抜け、三脚を振り下ろしつつある大男の体へと身を滑り込ませる。大男からすれば無防備に晒された少女の小さい背中が、突然少年の体に移り変わったように見えただろう。

 得物を持つ右手の手首を春翔は左手で掴み、右手は胸元を掴んで、体を大男の下へとさらに捩じ込ませる。


 「せあっ!」


 裂帛と共に、大男の勢いを利用しての背負い投げ。地面に叩きつけられた大男は、


 「かぴょっ」


 というどこから出しているのか分からない声をあげて、白目を剥いて意識を失った。流れるような一連の出来事に、周りから感嘆の声や小さな悲鳴が漏れる。


 「な、お、お前ら! こ、こんなことをして、ゆ許されるとお思っているのかぁぁぁ!?」


 震えた叫び声をあげる記者だが、腰が抜けたのかその場でへたり込んでいた。そこに、警備員らしき人々が数人到着する。倒れこんだ大男を運び、そしてへたり込んでいる記者を取り押さえる。


 「一般人に対して貴様ら騎士が手をあげたんだ! すぐに社に戻って、貴様らの本性をすっぱ抜いてやる!」


 そう息巻く記者であったが、足を恐怖に震わせながら言う様は、滑稽を通り越して憐れみさえ催させるものだった。そうして警備員に連行されていくのを眺めながら、春翔は少女に肩を叩かれる。


 「こっちです」


 振り向くと同時に、少女に手を引かれる。


 「え、ちょっとあの!?」


 乱雑し始めた会場前から離れるように、春翔は少女と共に会場へと足を踏み入れた。



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