第3話、あるいは入学式およびある少年にまつわる人々の苦労(愚痴)話②

 「あぁ、引き続き注意してくれ。マスコミが紛れてるようなら、入学式始まるまでつまみ出しとけ。多少ゴネられても構わん。

 政府関係者がそろそろ到着する頃だ。失礼のないように控え室までお連れしろ。SPと連携して、周囲への警戒を継続。襲撃者が現れれば――まあここを襲撃する馬鹿はそう居ないと思うが、戦闘・魔法の使用は許可してある。死なない程度に、生まれてきたことを後悔させてやれ。だがくれぐれも政府関係者の人命を最優先に。

 他に報告のある者は? よし。各員、それぞれの役割を果たせ」


 左耳に付けたインカムで指示を飛ばしながら、桜咲 椿はデスクに向かいパソコンで作業していた。モニターと同様に空中投影されるキーボードの上を、なめらかに指が躍る。

やがて作業を終えて、モニターとキーボードの投影を解除し、椅子に座りながら身体を大きく伸ばした。もし男性の同僚が居たならば、タイトスーツ越しに見える、形の良い胸のふくらみに釘付けになっていただろう。


 そうして椿は無人の職員室を後にしようと椅子から立ち上がりかける。しかしそれと同時にポケットから振動を感じ、その動きを止める。


 椅子に座り直し、ポケットからヴィジホン(空中投影ディスプレイ搭載型携帯端末)を取り出す。画面に表示された名前を見て、


 「まったくあの人は、この忙しいときに何の用で……」


 不満げに呟きながら、応答ボタンを押す。すると画面から光が展開され、タブレットほどの大きさのモニターが形成される。

 そこに現れていたのは、銀髪の髪をかき上げる絶世の美女。


 「おー、椿。久し振りじゃのう、息災か?」


 その姿とのんびりとした口調に思わずため息を吐きたくなる。


 「燈華(とうか)さん、久し振りと言いますけど先週にも電話でお話ししました。そして服装をもっとちゃんとしてください。貴女以外誰も居ないからといってだらけすぎです見苦しいです」


 「なんじゃと!? 大事な子孫たちに一週間も顔を合わせてないのじゃ! 久し振りと言わずなんとする! それから、貴様たちの素晴らしい外見は儂のお陰なのじゃぞ!? そんな儂に向かって見苦しいとは何事じゃ! 言葉に気をつけい!」


 ぷんすかぴー、と擬音がつくほど子供っぽい様子で勢いよく言葉を発する姿に、椿は頭痛を感じ始める。椿の言葉に、大きくはだけた和服を直しているだけまだマシと言えるのかもしれないが。


 「それで、何の御用ですか。生憎今は入学式の準備で忙しいんですが」


 忙しい、という言葉を強調して言う椿であったが、そんな意図は通じなかったのか、あるいはあえて無視してるのか、燈華は明るい調子で言葉を続ける。


 「おうそうじゃ。今朝な、普段はまっっったくと言っていいほど見る気も起きぬ朝のニュースを、お前たちの特集を組むと電子新聞で読んでたから見てたのじゃ」


 話の終着点が予測できず、椿は無言で燈華の言葉を待つ。


 「そしたらハルの顔写真がとうとう全国デビューを飾ってな、いやあ流石儂の血をひくだけあって中々に男前に……なのじゃが、少し問題がある。お前のときもそうだったのじゃが、やはり儂の子孫は儂の美貌を継承してしまうのでの、変な虫が寄ってしまうのじゃ」


 相変わらずの自身への絶対的な自信に対して椿が冷めた視線を向けるが、燈華(とうか)は変わらずに言葉を続ける。


 「いや、見た目の美麗さで言えばお前は上の上、儂は特上であるがハルはよくても中の上。桜咲家は男よりも女の方がより美しく生まれてくるからの、そういう意味でハルは微妙なところではあるが、それでもお前の甥というのもあるし色々と注目されておる。しかもあいつ、女付き合いなど一度も無いから耐性が無いのじゃよ。どこぞの変な女にでも引っかけられでもしたら目も当てられん。

 というわけでお前がハルを見守り、下心満載の小娘共を蹴散らすのじゃ!」


 自身の提案に、何の憂いも迷いもなく燈華は言い切る。


 「なに、大抵の小娘なぞお前の一睨みで蜘蛛の子散らして逃げてくじゃろうよ! いやだが今日見た女子アナだと相当腹黒いから、それくらいじゃ追っ払えんか? 最悪実力行使も考えて……おーい椿? 聞いておるか?」


 途中から目頭を右手で抑える椿に気付き、暴走気味だった燈華は言葉を止める。


 当の椿はいよいよ無視出来なくなってきた頭痛に対して、それに耐えていただけなのだが。


 親馬鹿・婆馬鹿、子煩悩・孫煩悩という言葉はあっても、先祖バカと子孫煩悩などという言葉は果たして辞書に載っているだろうかと、現実逃避気味に考えていた。その他にも色々と指摘したいことがありすぎてインフレを起こし、やがて椿は簡潔に、


 「切ります」


 と、目の前の先祖バカにきっぱりと告げたのだった。


 「いやいやいや、待て待て椿! 折角儂が電話してきたのじゃぞ!? もうちょっと、こう積もる話もあるじゃろうが寂しすぎて儂死ぬぞ!?」


 「やかましいです! こっちは護衛や見回りの指示出したり、式の準備で忙しいというのに、つかの間の休憩にわざわざ着信に出てみればそんなアホな内容だったときの私の気持ちがあなたに分かりますか!? それからあなたどこの兎ですかそんなので死ぬようなタマじゃないでしょう! そんな可愛らしい台詞が許されるのはもう平安時代くらいまで遡らなきゃいけないことくらいいい加減分かりなさい!」


 「言ったなこの馬鹿弟子がぁぁぁあぁぁああぁぁ! そこまで育てて鍛えてくれた師に向かってなんじゃその口の聞き方は! 殿堂騎士やらになって天狗になりきったその鼻っ柱、バッキバキに圧し折ってやるわ!」


 「ええそうですか! ですが残念ながら今度会ったときは、1500年近くの年月で腐りきって味噌から糞に変わったその頭の中身、綺麗に叩き直して差し上げますよ!」


 「なんじゃとぉぉぉおぉぉおおぉぉ!?」


 片や埒外の時を生きてきた、人の身で体現できない絶対の美を宿す鬼。

 片やその鬼の血を引く、世界最強クラスの騎士となった姫武者。


 そのくだらない内容でも、共に常人の域をはるかに超えた怒気で繰り広げられる舌戦は、部屋の空気に亀裂が走ったと思わせるほどに凄絶な様相を呈していた。


 やがて、その不毛なやりとりに疲れたのか。


 互いに肩で息をしながら、目の前の相手を睨み続けていた。

 そして椿が大きく息を吐いて、


 「式の時間が近づいてきたので、本当にこの辺で。また、今日の夜にでもかけ直します」


 そうして左手に持つ端末の画面に指を伸ばしかけたところで、


 「ああ待った待った。最後に一つだけ言わせてくれ」


 燈華がそれを制止する。無理矢理に通話を切りたくなる衝動を抑えて、椿はその声に耳を傾ける。そして、


 「ハルのこと、本当によろしく頼む」


 先ほどまでの怒気を微塵も見せず、穏やかな笑みを浮かべながら言う目の前の師の姿に、椿は思わず息を呑んだ。


 「儂はここから離れられん。いや、離れようと思えば離れられるんじゃろうが、それこそハルやお前に迷惑がかかりまくる。お前も知っとるじゃろうが、ハルの進もうとする道は絶対に歪んでおるし、本来なら大人の儂らがそれを食い止めるべきじゃったが、今となっては出来得る限り支えてやることしかない」


 諭すように語るその口調、そしてその表情は、恐らくこの地球上の誰よりも年月を重ねてきた彼女にしか見せることのできない、深い慈愛に満ちていた。


 「こうやって電話で話してやることはできるじゃろうが、やはり遠くの先祖より近くの叔母と言うじゃろ? だから、頼む。

 あとは、お前も無理するなよ? いくらお前でも、休むことくらい必要じゃろうて。たまにはこっち帰ってこい。お前もハルも、すぐに抱え込んで自分を責めたがる。その癖、精神面は存外強いから、ギリギリまで傷ついて気付いたときにはもう目も当てられない。壊れそうになる前にこの婆のことでも思い出して――」


 「やっぱりずるいです。あなたは」


 自身の言葉を遮った震え声に、燈華は驚いたように目を丸くする。そうして椿の表情を見とめて、柔らかな笑みを浮かべて言葉を紡ぐ。


 「ほんとお前ら、泣き虫なところまで儂に似よってからに。……ここまで引き留めておいて言うのもなんじゃが、式もそろそろ始まるじゃろう。行って来い。今度会ったときは、鼻っ柱叩き折るのも本当だとして、一緒に酒でも飲もうや。じゃな」


 そうして向こうから通話を切り、ディスプレイには『No Signal』の文字が表示される。右手の袖で乱暴に目元を拭い、ディスプレイを解除する。


 「最初から言えばいいのに、なんで無駄な舌戦をしたがるんだあの人は」


 口調はうんざりしたような風だったが、その表情に浮かぶ苦笑はどこか晴れやかであった。


 

椿の前に、桜の花が舞い降りてくる。室内に居る椿は一瞬戸惑うが、恐らく窓から入ってきたのだろうと当たりをつける。

ゆっくりと落ちてくる花弁を、右手に乗せる。しばらく揺れ動いていたが、やがて終着点をそこに定めたように、椿の手の平で静かに止まった。

そうして桜の花を見つめ、遠い日の、大事な何かを見たようにハッとした表情となり、やがて優しい笑顔を見せる。


「大丈夫だよ優華。ハルのこと、私たちがちゃんと支えていく。だから安心して、そこで見ていてくれ」


心の中で後生大事にしていた宝物を抱くように、そっと両手で包んで胸に当てる。そして僅かに開いていた窓を大きく開き、外へと放つ。桜の花弁は風に乗って蒼穹の彼方まで高く飛び、やがて見えなくなった。

花弁を見送った椿はやがて、凛とした足取りで職員室をあとにしたのだった。

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