第1話、あるいは最悪な寝覚めと美少女との眼福な出会い④
「あ……、え……?」
言葉にならない声が、辛うじて喉から絞り出される。そうして少女の言葉が、春翔の中で振り返られる。
手合せをしろ。自分の槍と刃を合わせろ。
つまり。
少女に向けて、俺に刃を振るえと。
その大きな青い瞳を興味に輝かせて、少女は春翔の言葉を待つ。
「えっと。せっかくなんですけど、すいません。遠慮させてください。それに多分、俺じゃ相手になんてなりっこないです」
努めて平静な声を保とうとした春翔だったが、目の前の少女に、自身の動揺を隠し通せたかそうかは自信が持てなかった。
「ご謙遜なさらないでください。私もある程度は武を学んでいる人間です。槍に没頭していたとはいえ、足場も視界も悪い茂みを通ってきたにも関わらず私に気付かれずに近づけた身のこなし、君のその芯のぶれない立居姿、相当の鍛錬をなされてきたものとお見受けします。それに、私の槍は見ておいて、ご自身の手の内を晒さないというのは不公平ではないですか?」
やや不満げな表情を浮かべて、少女は春翔に言う。どんな表情であっても人を引き付けるような美貌だと、どこか他人事のように春翔は思う。
今の彼は、意識のほぼ全てを、冷や汗を吹き出す自身の身体の震えを止めることに費やしていた。
「……分かりました。でも、それなら見せられるのは俺も素振りだけです。うちの師からは、極力他者との試合や手合せや、そういう武術的な接触をなるべく避けるようにって言われてるんで。それで許してほしいんですけど」
発する言葉は、まるで他人から借り受けてきたものかのような違和感を春翔に与える。渇いた口、喉からどうにか絞り出した嘘を、少女は、
「そうなんですか。日本は面白いところですね。そんな風に教える流派もあるのですか……。分かりました。それで今回のことはチャラにします」
やや不満気な表情であったが、悪戯っぽく微笑みながら了承の意を示した。その言葉に安堵し、息を吐き出す。そうして春翔は自身の得物を顕現させる鍵言を紡ぐ。
「限定霊纏(パーツ・インストール)」
精霊騎士(キャバリア)は精霊(スピリア)と契約を結ぶことによって、厄霊(ヴァイス)と戦うための力を得る。厄霊と戦うにはあまりにも脆い肉体を守るために、物理兵器をものともしない身体を切り裂き、砕くために、精霊は騎士に鎧(霊鎧(ドレス))と武器(霊装(ブレイド))を与える。
霊鎧と霊装を同時に顕現させることを『鎧装霊纏(アーツ・インストール)』、霊装のみを顕現させることを『限定霊纏(パーツ・インストール)』という。
鎧装霊纏は精霊騎士の力そのものであり、魔法の行使が可能となる状態である。厄霊に立ち向かうのはこの状態でなければならない。
限定霊纏は霊鎧、あるいは霊装のどちらかのみを顕現させることであるが、現在では主に霊装のみを顕現させる状態をいう。限定霊纏では魔法を行使することはできないが、この状態で顕現された霊装はある一つの特徴を持つ。
限定干渉。
すなわち、
『魔力を帯びたもの』
『使用者自身』
『使用者が地面と認識するもの』
にしか触れることができない。限定霊纏において精霊騎士は自身の身体に魔力を帯びることはないため、この状態同士の精霊騎士が立ち合った場合、お互いの身体に傷をつけることはなく、一方で互いの霊装はその刃を交えることになる。ゆえに精霊騎士たちは自身の身体的技術を磨き合うために、限定霊纏で手合せを行い鍛錬に勤しむ。先ほどまで槍を振るい、今なお顕現させ続けている少女もこの状態である。
限定霊纏を行い、春翔の右手に顕現させたのは刀。しかしながらその柄も、輝いて然るべきその刀身も、白じみた灰色にくすんでいる。少女の蒼銀の槍に比べて、あまりにもその姿はみすぼらしい。
「その色……まだパートナーの名前をご存知じゃないのですか? 契約をされたのはいつ頃で?」
少女の問いかける声には、訝しむような色が差す。精霊と契約し、その時から霊鎧と霊装は与えられる。しかしながら最初は今の春翔の刀のように、その色は灰色、あるいは白いものとなる。精霊と過ごし、心を通わせ、その真名を知ることによって、霊鎧・霊装は本来の自身の色、および本領を発揮することになる。
「去年の10月だから、半年くらい前ですかね……」
「そうですか……。いいですか? 入学前から自分のパートナーの真名を知り、力を発揮する生徒は少なくありません。確かに身体能力、技術の鍛錬は積まれているようです。君のように契約時期が遅めの子には厳しいことを言うことになるかもですけど、騎士は精霊との信頼を結び、早く真名を知ることが求められます。努力しなければ、立派な騎士になれませんよ?」
「……はい、頑張ります」
上級生がいくつか下の後輩に諭すようなその少女の口調から、おそらく自分のことを中等部の新入生と勘違いしているのだろうと春翔は確信した。
強張りそうになる表情を隠すために、ぎこちなく微笑んでみせる。少女の目には、自分の言葉に対する苦笑に見えたことだろう。
正中を少女から外し、視界に入れないようにする。そうして何もない空間を見据え、意を決する。
震えそうになる手を、必死で抑える。そうしてゆっくりと、刀を両手に持ち、正眼の構えをとる。その姿を見て、少女は思わずため息をついた。
「素晴らしい構えですね。日本の剣術のレベルは世界トップと言っても過言ではありませんが、その年齢でここまで素晴らしい構えを……え?」
称賛の言葉を続けようとした少女であったが、目の前の少年を見て言葉を失う。その表情は蒼白で色を失い、その身体は硬直し小刻みに震えていた。
(なんで、こんな)
少年の眼前に広がるのは炎に包まれる町。
そして、両手を広げ一刀を待つ少女の姿。
炎の熱が身体を舐めるにも関わらず、刀を握る手は凍てついたように感覚を失っていた。
あの日以来、少年は剣を握れなくなるまで追い込まれた。今でこそ人以外のものに相対し、刀を振れるようになっていたが、それでも動悸や頭痛を必死に耐えてのことだ。
「あの、大丈夫ですか?」
人を前にすれば、握ることさえできない。無理に立ち会い、師や叔母の前で倒れたことなど、両手の指では到底数えられないほど経験していた。
今は少女に見られているとはいえ、何もない空間に構えをとっている。師や叔母が正面さえ居なければ、近くで見られ教えを受けても立っていられるほどには持ち直せるようになったはずだった。
「 、ほん に顔い 悪 よ?」
目を焼く炎の光。
物が燃える音。
焦げる匂いと、無視出来ないほどに主張する血の匂い。
妹の名を叫び続けたことで傷ついた喉が運ぶ、鉄錆の味。
自分の身体の一部となるまで使い続けたはずの刀の、耐えられぬほどの重さ。
あの日刻まれた感覚全てが、今の少年の身体を縛る。
(忘れたいわけじゃないんだ! でも、いつまでもこんなんじゃ、俺はいつまでも弱いままだ! 誰も守れない、あいつとの約束も守れないままなんだ!)
「 ! !」
少年は固く目を瞑り、感覚の乏しい両手を無理矢理動かそうとして、
唐突に、頬に柔らかな温もりを感じ、目を開ける。
「あ、あれ……」
春翔の視界一杯に広がる、金髪の少女の顔。その表情には緊迫と焦燥が張りついていた。そして頬に今なお感じる温もりは、少女が両手を添えていることで与えられるものだと理解していた。
「落ち着いてください。大丈夫ですから」
ようやく反応を示した少年に安堵したように緊張を緩ませる少女。それを見た春翔は泣き出したくなる衝動に駆られ、思わず少女の手を振り払ってしまう。
「きゃっ」
春翔の突然の行動に驚いたのか、少女は目を丸くする。それに対して春翔は下を向いたまま立ち尽くす。
そうしてついに、自身の霊装を解除して、
「ごめん」
最初に来た茂みの中へと身を投じ、走り去っていた。
後には少女が一人残されていた。
「どうされたんでしょうか……」
茫然と呟く少女の真横に、青い粒子を撒き散らしながら一頭の駿馬が顕現した。足先から肩までですでに2mを越え、その身体は逞しい筋肉で覆われている。その表面をさらになめらかな青い体毛が多い、馬に神秘的な威容を与える。
そして眉間に屹立する、蒼銀の角。
様々な創作物で登場する、一角獣と呼ばれる獣だった。
「エーデルブラウ」
少女はそう言い、一角獣へと手を伸ばす。気高き蒼(エーデルブラウ)と呼ばれた一角獣は頭を下げ、その頬で彼女の両手を迎える。慈しむように撫でる少女の手に、エーデルブラウは心地良さそうに目を閉じた。
「彼、何があったんでしょうか。私、無遠慮過ぎましたでしょうか……」
少女の呟きに、エーデルブラウは「ブルル」と一言声をあげる。
「誰かに肩入れするなんて珍しい、ですか。そうですね。でも入学したての中等部の子を突っぱねるほど、自分が酷い人間だと思ってませんが……ええ、確かに嬉しかったのも事実ですよ? 私の槍を綺麗だなんて言ってくれた子は、中等部のころはいませんでしたから」
傍から見れば会話に聞こえなくても、一角獣と少女は、確かに意思を疎通しているのは明らかであった。そうして取り留めもなく会話をしたあと、少女の瞳の温度が一気に下がる。
「友達? 彼と? 私にそんなものは必要ないです。これまでも、これからも、私は高みを目指し続ける。勝ち続ける。私の道に、私とお前以外の誰かなんて必要ありません。
今日から高等部です。より一層、私は強くならなければ、強くあらねばなりません。それがお母様のためにできる唯一のことだから。だからどうか、これからも力を貸してください。私の槍でいてください、エーデルブラウ」
そう言って少女は一角獣の頬へ自身の頬を摺り寄せる。まるでそれが唯一、彼女が寄りかかれる柱であるかのように。そんな主の言葉と姿に、一角獣は悲しげな声で嘶くのだっ
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