第1話、あるいは最悪な寝覚めと美少女との眼福な出会い③
春翔が隠れている茂みの10m弱ほど先、そこで少女は槍を振るっていた。
石突の方を春翔に向けて槍を振るっているため、表情は見えない。しかしながら体操服越しに分かる体の丸みや自分より小柄なその身長から、春翔は少女だと判断した。
左足を前にする半身の姿勢。そこから無心に繰り出され続ける刺突。
突く。引き戻す。
槍という武器の基本動作。それを見ただけで、手にする槍がもはや身体の一部となるまでに少女自身に染みついているのだということを、春翔は理解した。加えて、明らかに自身の身長を上回る得物をここまで扱える彼女の技量、そこに至るまでの鍛錬の道筋を思い、感嘆の思いを抱いていた。
手にしている槍は清爽な蒼銀の輝きを放つ。美麗な槍ではあるが同時に、その形は『貫く』という槍の至上命題を体現しているかのように洗練されている。突くという動作を繰り返すことで磨かれ形成された、そう思わせるほどに槍は純粋に、武器としての威容を発揮していた。
蒼銀の槍と、少女の金色の髪の対比もまた鮮烈な印象を与える。ツイストポニーにまとめ上げた髪が槍を振るうごとに揺れる。その度に少女のうなじが見え隠れし、春翔の心をざわつかせる。
表情が見えないにも関わらず、春翔は少女の後ろ姿に、その動きに、完全に魅入られていた。
どれほどそうしていたのか、春翔はまたも時間を失念していた。太陽がもうその顔を見せるくらいには時間は経過していた。とはいえ鬱蒼とした木の茂みで隠れて見ていた春翔には、空を見上げたとしてもそれに気づくことは出来なかっただろう。
唐突に陽光が少女の周りを照らす。そうして降り注いだ光は彼女の槍を反射し、青く鋭い光となって春翔の目を灼いた。
「うお、眩しっ……!」
突然の事態に混乱し、地面に足を取られて盛大に尻餅をついた。
(痛って! ヤベ、しまった!)
自身の失態に気付くも時すでに遅く。
突然背後から聞こえてきた音に身体を震わせ、少女は身体を反転し穂先をその方向へと向ける。
「誰っ!?」
投げかけられる誰何(すいか)の声に、警戒心がまざまざと表れる。ここで来た道を引き返そうものなら、面倒な事態になるのは火を見るより明らかだ。春翔は意を決し、少女の前へと姿を見せた。
「すみません! 説得力ないだろうけど、俺……いや、自分は不審者とかそういう類の者では……っ」
両手を挙げ敵意がないことを示しながら少女の前へと出る。そうして弁明の言葉を紡ごうとした春翔は、初めて少女と真正面から向き合った。
警戒の色を見せるその大きな瞳は、空のように透き通る青さを宿している。その眉間は訝しむように皺を作っているが、少女の顔の美しさを損なうことはない。通った鼻筋の下、その延長線上に、薄紅色の小さ目な唇が結ばれている。人が物を美しいと判断するための要素としてその左右対称性が重要であると春翔は小耳にはさんだことがあったが、まさしくその通りだと痛感していた。少なくとも春翔が見る限りにおいては、目の前の少女はまさしくそれに近いだろう。
学校指定の体操服から延びる四肢は曲線美を描きつつも細くスラッと伸び、成長途中であるはずの胸はすでに服を押し上げてその存在を主張している。
春翔が出会ってきた同年代の中でも、ダントツの美少女であった。
「……?」
言葉を続けようとしない春翔に対し、少女は警戒を強めるように槍を握る手に力を込め、その表情の温度をさらに低下させる。
「……っあ、ほんとにすみませんでした!」
見惚れて言葉を失っていたことに気付き、そして馬鹿正直にそれを告げられるわけもなく、春翔はただ腰を直角に曲げて謝ることしか思いつかなかった。
10秒ほどだろうか、春翔の体感時間は言うまでもなくそれよりも長かったが、少女は細く息を吐き出すと、穂先を春翔から外し、石突を地面に置いた。その音を聞いて、春翔はようやく礼を解いた。
「君は、なぜそんなところから覗き見ていたのですか?」
綺麗なソプラノの声であったが、その表情と同じように、声音もまだ春翔に対して警戒を解いていなかった。必死に弁解しようと、春翔は再び口を開く。
「朝からランニングしていたんです。そしたらこっちの方から風を切る音が聞こえてきたので、興味本位で中に入りました」
「わざわざそんな茂みから入ってきた理由は?」
「まともな道を探すのが、その……ちょっと面倒だったので」
バツが悪いように苦笑いしながら言う春翔に対し、胡乱な視線を投げかける。心象があまり良くないと感じた春翔は、とっさに言葉を続けた。
「不快な思いをさせてしまってすいません! すぐ引き返せば良かったんですけど、君の姿が綺麗で、見惚れてました!」
「……え?」
春翔の言葉に、少女は毒気を抜かれたような声をあげ、表情も油断したものになった。少女の変化に「おや?」と疑問を抱いた春翔は、自分の言葉を振り返る。
相手に謝るときには嘘を吐かず、自分の思いを素直なまま伝えなければならないと、幼いころから両親、叔母、そして己が師に叩き込まれている。それに従い、すぐに引き返さなかった理由を、少女の槍を振るう綺麗な姿勢、動作に見惚れていたためと告げて……
(あれ、ちょい待て)
春翔の理性が、自分の伝えたいニュアンスと、焦って自分の口から流れた言葉にある、致命的な齟齬を感じ取る。そうして自分の言った言葉をもう一度振り返り、
『君の姿が綺麗で、見惚れてました!』
……。
…………。
………………。
(色々抜けてんじゃねえかミスったぁぁぁあぁぁああぁぁ!)
一瞬で理性が恐慌状態に突入した。懸命に、そして迅速に釈明しようとした結果、華麗に奇跡的に単語が端折られ、文章として成り立つ程度に伝わってしまったのだ。
突然現れた不審者疑いの男に『君キレイだね』と声をかけられる。
控えめに言っても、事案ものである。
「すいません違うんですあの! 君が槍を振るう姿があまりにも綺麗だったっていう意味で! ああもちろん君が綺麗じゃないとかいうことを言いたいんじゃないですよ!? むしろ綺麗というか可愛いと思ったのは事実でって何言ってんでしょうね俺アハハハハ!」
必死で弁明しようとして余計に深みに嵌っていた。自分で収拾をつける術をもはや春翔は見つけられず現実逃避してしまいたくなるのだった。
醜態を晒し続ける春翔(バカ)に対し、しばらく少女は呆気にとられたように様子を見ていたが、やがて口を開きかけるのを春翔は見た。どんな言葉が飛び出すのかが怖くなり、身を強張らせて目を強く閉じた。
「プっ……。クク、アハハ」
「あ、あれ……?」
罵倒混じりの叱責の言葉が飛び出すことを予想していた春翔にとって、少女の反応に思考が停止する。口元を押さえて体を震わせて笑う少女。その笑い声は本当に楽しげで、ともすれば機械的な冷たさを印象付ける少女の、年齢相応な温かいものだった。
「そんなに緊張なさらないでください。悪い人ではないということは、なんとなく分かりましたから」
ひとしきり笑い、目尻に溜まった涙を細い指で拭い笑みを浮かべる。先ほどまでの冷たい表情とのギャップも相まって、花が綻(ほころ)ぶようなその笑顔は春翔の心臓に大きな衝撃をもたらしたのだった。
「君は、今年の新入生ですか?」
表情も穏やかなものになり、少女が春翔に問いかける。警戒されていた立場から一転、春翔に対する態度は明らかに軟化していた。美少女と会話できるという望外な出来事に、早起きしての得としては絶対に三文以上を越えているだろうと春翔は浮かれていた。
「はい。今年からこの学校の生徒になります」
「そうですか。……新入生、という割には、随分背が高いんですね」
「えっと、そうですか? そこまで平均を越えている自覚は無いんですけど……」
少女の身長は見たところ160cmといったところだ。そんな彼女からすれば177cmの春翔は高身長ではあるのだろうが、15、16歳の男子なら自分よりもっと背が高い者だって見たことがある。春翔は少女の、新入生にしては、という言葉に妙な引っかかりを覚えていた。
「そうなんですか。最近の子は発育がいいですね。私の方がお姉さんなのにすでにここまで抜かれているなんて」
(お姉さん?)
少女の言葉にさらに疑問符が追加される。少女の体操服についている校章のバッジは学年ごとにデザインが違っており、少女のそれは高等部一年のものである。そうして今の自分が校章のバッジを着けていないのを思い出し、ある一つの可能性に辿り着いた。
(俺、中等部の新入生と間違われてる? いやいやまさかそんな)
非常に可能性は低いだろうと春翔は考えていたが、そう考えた方が先ほどから感じている少女の言葉の違和感に説明がつく。少し聞いてみようとしたところで、
「ところで、今朝は雨なんて降ってましたっけ。なんでそんなにびしょ濡れなんですか?」
出鼻をくじかれた。そうして自身の今の風体を確認する。ランニングウェアはの下にはインナーを着けているが、インナーを通り越してウェアまで汗に塗れていた。
「いやその、ランニングしてたらこうなっちゃって」
「ランニングでって、どれだけ走っていたんですか?」
「何キロかは分かんないですけど、4:00前には走ってたから大体……一時間半くらいですかね」
「4:00って、いつもそんな早くから行っているんですか?」
「いえ、いつもなら5:00から一時間ランニング、一時間を型の練習に使う感じです。今日だけやけに早く目が覚めちゃったもんで」
そう言って、今朝見た夢を思い出しそうになる。決して忘れていい記憶でも、忘れたい過去でもない。それでも今また、その日を思い返せば自分を保っていられなくなるのは目に見えている。春翔は罪悪感に囚われながらも、目の前の少女との会話に専念しようとしていた。
「型の練習、ということは、何か武道を修めているのですか?」
「修めてる、なんて言えるほどじゃないですけど、まあ、嗜む程度には」
「そうですか。……でしたら、」
今思いついた、という表情で、他意もないまま、
「ここで、軽く手合せしていきませんか?」
少年の心を暗く揺さぶる、そんな言葉を投げかけるのだった。
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