第十話 冥土・エスコート
10−1
その後結局、お師様のところには一ヶ月以上逗留することになってしまった。
毎日の乱取り稽古が終わった後。
わたしはいつものように縁側で涼むお師様の隣にぴとっと座っていた。
こちらには季節の変化はない。それでも夕風は火照った肌に気持ち良かった。
そういえば今回のことはお師様に話していない。
「お師様?」
わたしはずっと気にはなっていたが、直視しないようにしていたことを相談してみることにした。
「なんじゃ、有栖?」
お師様の視線はいつものようにとても優しい。
「今度こそ、わたしは帰れなくなってしまったのかも知れません」
「なんじゃ? 主は仲介人に送られたのではないのか?」
驚いたように言う。
「いえ、此度は違うのです」
わたしは簡単にことのあらましを説明した。キョウヤのこと、現世でキョウヤと戦ったこと、現世で『西瓜割』を錬想したこと、それで自らの首を切ったこと。
そして、キョウヤの心をへし折り、燃やして完全に消滅させたこと。
「なんという無茶をする奴じゃ」
呆れてお師様がわたしの顔を見つめる。
「それに有栖、現世で錬想したとな?」
「はい、できました。キョウヤもできていたのでやってみたらなんとかなりました。こちらでやるよりもはるかに難しかったですが」
「いやはや、有栖、そんな話は聞いたこともないわい」
「でもキョウヤもできていましたから……」
「奴はあちらとこちらに同時に存在している、いや、今ではいた、か、いわば悪鬼のような存在よ。それなら話が判る。だが主は生身の人間だからのう」
「これが、助けになったのかも知れません」
わたしはお財布を取り出すと、お師様に頂いたネズミを見せた。
「このネズミだけは現世に持って行くことができました。このネズミが媒介となって力をわけてもらえたのかも」
「なるほどのう……」
完全には納得していない様子だ。顎に手をやり、何事か考えている。
「確かに、そうなのかも知れぬな」
「でもこれで、わたしは人殺しになってしまいました」
「そのキョウヤなるものの件か?」
「はい」
「うむ」
お師様が腕を組んで考え込む。
「わしらは剣士じゃ。剣術なぞ所詮は殺しの技術、わしにしたって無数の剣士を屠ってきた」
一口お茶を啜り、お師様が言葉を継ぐ。
「だからの、主が誰を殺そうがそれもわしには気にならん。人殺しだろうがなんだろうが有栖は有栖じゃ、じゃが……」
お師様が慎重に言葉を選ぶ。
「有栖よ、先にも言うた通りそのキョウヤなるものはいわば悪鬼じゃ。その悪鬼を斬り殺した自分をどう思うか、こればかりはわしには教えられん。これは主が自分で乗り越えなければならん剣士の壁じゃ。結局、これに関しては主の剣士としての覚悟の問題よ」
「……」
お師様の言葉に返事ができない。
覚悟はもう、出来ている。
でも、まだまだ足りない。そんな気がする。
剣士の道は酷薄だ。
でもそれを選んだのはわたし自身。
わたしは、もっとこの道を極めなければならない。
「……はい」
ようやくそれだけの言葉を絞りだす。
「まあ、今すぐに答えを出さなくともよかろうよ。じっくり時間をかけてよく考えることじゃ、有栖。主の生涯を費やしたってええ。じっくりと考えなさい」
再びお茶を啜る。
「…………」
やわらかな沈黙。
それは静かな、だがとても心地よい瞬間だった。
つと、お師様が嬉しそうな笑顔を見せる。
「有栖よ、主はちゃんと精進しておる。先だっての迷いがまるで嘘のようじゃ。主はこのまま進めばええ……。しかし、主はそんなくだらない事でもう帰れないと思い悩んでいたのかえ?」
「いえ、そういう訳でもないのですが……」
今の話は重すぎる。
自分で納得するにはもう少し時間がかかりそうだ。
考え続けるわたしを優しく見つめながらお師様は言葉を続けた。
「ここは主の家じゃ。もし現世に帰れないのであればそれはそれで構わん。いくらでも好きなだけ居れば良い……じゃがな」
面白がるように言う。
「そろそろ呼ばれておるようじゃぞ」
そう言いながら、お師様がキセルでわたしのつま先を指し示す。
わたしのつま先はすでに透明になり始めていた。
「あれ? わたし、蘇生したのかな?」
「どうやらそのようじゃの。いつ来ても構わんが、くれぐれも無茶はせんように。自らの首を切るなど言語道断じゃ」
またもや、どんどん透明になっていく。
「はい、心得ました。お師様、では此度はこれにて」
「ああ、またおいで」
シュオン……
と言う小さな音とともにわたしの身体は消滅した。
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